理葬境

忍原富臣

文字の大きさ
上 下
28 / 54
第四話「呪いの兆し」

~泯の不調~

しおりを挟む
「それで、町の様子はどうだ?」
「はい。黒百合村が壊滅した事によって不安が広がってはいるようですが、民達は城下町なので大丈夫だろうと……。ただ、周囲の村では憲兵の数を増やしてほしいなどと申しているようです」

 みんの話に剛昌は腕を組んで言葉を飲み込んでいく。

「ふむ。その程度で済んでいるのならまだマシか……。春栄様には負担にならぬようにこちらで対処するとしよう」
「承知致しました」

 泯は剛昌へと一礼すると、王城を出て行くむねを伝えた。

「それで、今日は何処に行くのだ?」
「黒百合村に近い北王ほくおうの村に行った後、そのまま東に向かい東火とうかの村に行って参ります」
「そうか」

 泯が立ち上がって部屋を出ようと扉の方へと歩き出す。剛昌はその後ろ姿を怪しむように、心配しながら見つめていた。その時――

「……っ」

 扉へと向かっていた泯は唐突に崩れるようにその場へと倒れ込んだ。

「……うっ」
「泯!」

 剛昌は慌てて倒れた泯の元へと駆け寄った。

「大丈夫か⁉」
「はい……すみません。ちょっと足が滑っただけです」

 泯は手を差し出す剛昌の手を軽く払いのけて態勢を立て直した。

「泯、本当に大丈夫なのか?」
「はい、大丈夫です」

 かたくなに泯は剛昌の言葉を否定した。
 剛昌は顔を片手で押さえながら深い溜め息を吐きながら呟く。

「泯、布を取って顔を見せてみろ……」
「何故ですか……」

 剛昌の言葉に泯は怪訝な声で聞き返した。

「己の兵士の体調管理も仕事の内だからだ」
「大丈夫ですから、剛昌様は仕事に戻ってください」
「いいから布を取れ、泯……」

 冷徹さを秘めた剛昌の声が低く唸る。

「心配は無用です……」
「目をつむれ」
「何故ですか」
「いいから、目を瞑れと言っている」
「……はい」

 剛昌の声に渋々承知した泯が目を伏せる。
 剛昌は「すまない」と心の中で呟くと、勢いよく泯の顔を覆っていた布を取り払った。急に布を取られた泯は驚き、目を開いて剛昌を睨みつけた。

「兄様、何をするんですか!」
「……」

 剛昌は泯の言葉に反応できずにただその顔色の悪さに立ち尽くしていた。顔を見られたことに遅れて気付いた泯が剛昌から顔を逸らす。

「体調はどうなんだ」

 呆れた声で剛昌が問いかけると、泯は言いにくそうに顔を背けたまま返事をした。

「ちょっと食事が喉を通らないだけで……そのうち治るでしょうから心配ありません……」
「いつからだ……」

 剛昌の問いかけに泯は口を開こうとはしなかった。
 嫌な空気が部屋の中に漂い始め、剛昌は重たい口を小さく開いた。

「言わないのならお前には暇を出す」
「それは……」
「では話せ」

 泯は覚悟を決めたのか、背けていた顔を剛昌へと向けた。

「……三日ほど前から――」
「何故早く言わんのだ!」

 泯が言い終える前に剛昌が声を荒げて怒鳴り、泯は再び目線を逸らして小さい声で呟いた。

「心配をかけてはいけないと……」
「馬鹿者が! 死んでからでは遅いのだぞ!」
「っ……」

 泯は口をつぐんだ。剛昌が国を治める者として、兄として放った一言は泯に重く突き刺さった。
 泯は目に涙を浮かべながら必死に泣くまいとこらえる。

「もういい、お前には暇を出す。大人しく養生していろ」
「いや……それは――」
「手記を見たであろう。その状態は危険だ」
「しかし……」
「お前が死ねば意味が無いのだ!」

 剛昌の言葉の本心に、泯は真正面から剛昌に言葉を突き返した。

「私達は民の為に頑張っているのではなかったのですか! その言い方は兄様の自分勝手な言い分にしかなりません!」
「なっ……」

 今度は剛昌が口を詰まらせる。泯は少しの間ぐっと剛昌を睨みつけた後、身を翻して扉の前へと立った。

「行って参ります」

 顔を少しだけ剛昌へと向けて泯が言う。

「……待つんだ」

 剛昌はその場から机の方へと戻ると髪を取り出して筆をった。

「何をしているのですか?」

 泯は振り返り不思議そうにその場から剛昌の方を見つめた。

「まあ、待て」

 呟いた剛昌の言葉は冷たく素気ないものだった。

「……」

 泯が訝しそうにする一方、真剣な顔で剛昌は手紙を書き連ねていく。

「……よし、これを持って海宝殿の元へ行け。あの方の元なら影響も少ないかもしれん」

 剛昌は手紙を折りたたみ封筒の中へと入れて泯へと差し出した。

「私のさっきの言葉を聞いて――」
「これは命令だ」

 剛昌が冷静な声で泯の声をかき消す。

「この一件が終わるまで、お前は寺の警備と療養を兼ねて過ごせ。調査を続行することは許さない。もし、独自の判断で動けばその時は処刑も検討する。よいか」
「……っ」

 冷たく言い渡された内容に泯は黙ったまま唇を噛みしめる。剛昌は封筒を泯の方へと放り投げ、足元へ着地したそれを泯は懐へと忍ばせた。

「落ち着いたら支度を済ませて出発しろ。海宝殿にはその手紙を見せればいい」

 剛昌はそのまま何事も無かったかのように机に向かって仕事を始めた。

「……」

 泯はよろめきながら目に浮かぶものを我慢し、そのまま黙って剛昌の部屋を出て行った。扉が閉まる音を確認した後、剛昌は扉の方へとそっと顔を向けた。

 誰も居ないことを確認して剛昌は深く溜め息をつく。

「くそ……」

 兄も不器用なら妹もまた器用な方ではなかった。目的に向かって真直ぐ突き進もうとする性格はあの賊との一件から何も変わらない。
 返事をせずに出て行った妹のことを心配に思いつつ、剛昌は仕事をしながら翠雲の帰りを待つことにした。
しおりを挟む

処理中です...