理葬境

忍原富臣

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第三話「黒百合村」

~剛昌と泯~

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 昔の記憶を振り返り、剛昌ごうしょうみんに向かって静かに語り出す。

「これを覚えているか?」

 剛昌は首にかけていた黒い勾玉を泯へと見せた。

「懐かしいですね」
「ああ。これのせいでお前の顔には傷が付くことになってしまった。だが、それと共に、これを身に着ける事で私は剣術の腕を磨き続けることが出来た」
「そのおかげで私も兄様に鍛えてもらう事が出来ました」

 微笑みながら言う泯の言葉に剛昌はやはり言葉を返さなかった。いや、返せなかった。だが、その代わりに剛昌は今までの戦の出来事を簡潔に泯へと語った。

「お前や仲間を守る為に、私は敵となる者を容赦なく斬った。血に染まりながら、殺しては壊した。敵兵もその家族も、敵領地の農民も……」
「でも、それは仲間を想ってした事でしょう」

 泯の言葉に剛昌は頷いて肯定の意を示した。ただ、その表情は明るいとは言えない。
 剛昌は静かに目を閉じて泯の言葉に続く。

「だが、今回の黒百合村は違う。不安だから殺すという自分勝手な行為だ」

 剛昌は今まで裏切り者を始末することに躊躇したことはなかった。
 ただ、今回の黒百合村の調査で確信的な証拠は何も掴めていない。黒百合村で悪夢の話が持ち上がったというだけで滅ぼすべきなのか。剛昌は自分の信念に反する行いを飲み込めずにいた。

 だが、泯の決意は揺るがない。

「仲間の為を想えばだからこそ、でしょう。疑わしき者は消さなければなりません」
「滅ぼしてしまえばもう戻れない。誰が悪いわけでもなく不安要素だから消すという一方的な殺しだ。それも自国の民を――」

 泯は剛昌の言葉を遮った。

「かつて破壊神と呼ばれた人とは思えない発言ですね。その程度の意思で仲間を助けられると思っているのですか?」

 泯は毅然とした態度で剛昌を真直ぐ見つめる。兄妹であり師弟でもある泯は剛昌の右腕として常に傍で任務に励んでいた。
 顔の傷を負ってから約十年の月日が流れ、腹心の忍びとしての期間はもう五年程にもなる。
 剛昌は成長した妹の姿を一瞬だけ視界に入れると、ふっと笑みを浮かべた。

「いつの間にか逞しくなったな……」
「兄様の下で育ったのですから当然でしょう」

 泯は真剣な眼差しで剛昌を見つめ続けていた。

「それもそうか……」
「ええ、そうですとも」

 答えた泯の表情は緩んでいた。優しく微笑む頬には昔の傷が未だにその痕を残している。
 剛昌は泯へと視点を合わせて呟く。

「本当に強くなった」

 小さい頃に見た優し気な兄の顔に泯は懐かしさを感じた。あまり見せる事のない兄の表情。泯は急に恥ずかしくなり視線を逸らした。
 褒めてくれた兄の言葉に対して、泯は少し考えながら自分の意見を述べる。

「ただ、今までの道程が険しかっただけですよ」
「うむ……」

 剛昌にとっての今までの道程……数百、千人以上の人間を殺めた人生。この十数年は振り返れば確かに険しかったのかもしれない。だが、そのおかげでこうして大切な仲間達や妹を守り続けることが出来ている。今更立ち止まったところで何も残ってはいない。

 剛昌は気持ちを切り替え、威厳ある態度で泯へと言葉をかけた。

「泯、お前には苦労ばかりかける」

 神妙な面持ちで話す兄に、泯は笑っていた。

「ふふっ、いつもの任務と変わりませんから大丈夫です」
「だが、今回ばかりはお前の手を、無実の民の血で染める事になるかもしれん」
「ねえ兄様……」
「なんだ?」

 泯のそっと呟く声に剛昌は問い返す。

「仲間の為、恨まれようとも汚れ仕事は私達の宿命でしょう?」
「ふっ……そうだったな……」

 元気なく笑う兄の姿に、泯は馬鹿にしたように笑顔で言い放つ。

「なんだか今の兄様なら私でも勝てそうですね」
「春桜の片腕によく言ってくれるわ」

 剛昌は少しだけ睨んでふざけてみせた。

「少しは元気が出ましたか?」
「ああ。私が揺らいだままではあいつらに顔向けが出来んからな」

 剛昌は頭を回して首を鳴らした。

「それで、どうしますか?」

 泯の問いかけに剛昌はしっかりと構える。

「やるしかあるまい……」

 剛昌はそう呟いた後、間をあけてから泯へと最終的な任務を告げた。

「黒百合村破壊の任務……お前に任せるぞ」
「承知致しました」

 剛昌の一言で泯は雰囲気をがらりと変えた。顔に布を着け直し、鋭い殺気を身に纏うと剛昌の隣に跪いた。

「では、準備した後、出発致します」
「ああ、頼むぞ」

 泯が颯爽と扉の方へと歩き出す。

「泯玲」

 出て行こうとする妹を呼び止める剛昌。懐かしい自分の名前に泯は少しだけ驚いて振り返った。

「懐かしいですね。その名前で呼ぶのは何年振りでしょうか」
「分からん」
「ふふっ、それもそうですね」

 兄と妹、大臣と忍び、複雑な関係が部屋の中に充満していく。
 僅かな間が生じた後、剛昌は泯に提案した。

「今回の任務、私も一緒に黒百合村に出向こう」
「いえ、剛昌様は残ってください」

 泯は気持ちを切り替えて忍びとして剛昌と会話をした。

「いや、お前だけを行かせるわけにはいかん」
「それは大臣としてではなく兄としてでしょう。私は貴方の忍びです」
「違う、汚れ仕事を部下に押し付けるのは俺の意に反する」
「この一件は表沙汰には出来ません。剛昌様だと知れればそれこそ一大事です」
「しかし……」

 剛昌の言葉に、泯は「はぁ……」と溜め息を漏らした。

「いつまで経ってもその変に優しい性格は治りませんね」
「何?」

 剛昌は眉をひそめた。
 泯は人差し指で顔に着けた布を顎下までずらすと、屈託のない笑顔を剛昌に向けた。

「もう誰かに捕まるようなか弱い女じゃありませんので大丈夫ですよ」
「……」

 剛昌は少しだけ睨みを利かせて、泯は笑顔で見つめていた。
 妹の芯の強さに負けて剛昌は笑みを零す。

「……では、任せるとしよう」
「はい、行って参ります」
「ああ……すまんな」
「いえ……では、終わり次第またこちらに報告に参ります」
「うむ、頼んだ」

 兄妹であり、師弟でもある二人の会話はぎこちないけれど、相手の事を大事に思う気持ちは双方どちらにも伝わっているようだった。
 妹を想う剛昌、兄に迷惑をかけまいと必死に修行と鍛錬を積んだ泯玲。

 これ以降、剛昌が人前で再び妹の正式な名前を呼ぶことはなかった。
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