理葬境

忍原富臣

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第一話「春桜の死」

~剛昌と翠雲~

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「要らぬ心配だ、早く寝るがいい」
「嫌です」
「王の命令だ。直ぐに部屋に戻れ」
「いえ……これだけは譲れません……」

 真剣な春栄しゅんえいの表情を、息子の涙の乾かないその横顔を、目の奥に焼き付けてふっと笑う春桜しゅんおう

「お前も……誰に似たのか、傲慢になったものだ……」
「立派な父を見ながら育ったのですから、当然です」

 泣きながら笑顔で言い返す春栄に、春桜は「そうであったな……」と微笑みながら小さく呟いた。
 春桜の部屋の前まで付き添い、「ここまでで大丈夫だ」と春桜は春栄を突き放した。咳き込み苦しそうにする春桜の姿に、春栄は心配そうに背中にそっと手を添えようとしたが、その手は瞬時に払われた。

 二人は無言のまま、互いに納得したのか、それぞれが自分の部屋へと帰っていった。
 これが最後の別れかもしれないという想いは双方口にせず、二人はただただ「また明日」と言って去っていった。



 次の日の朝、春桜が亡くなられたのを一早く知ったのは大臣の一人、剛昌ごうしょうという者だった。
 着々と春桜の死が城下町へと広がっていく。民の中から複数人が自分の息子を「王の息子だ」と名乗りを挙げたが、虚言と王への侮辱の罪として死刑となった。

 春桜が唯一愛した者は春栄の母である栄鈴えいりんという女性だけであり、栄鈴は春栄を生んだ後直ぐに病に倒れて亡くなってしまった。
 生涯、栄鈴以外の女を一度たりとも抱くことのなかった春桜の世継ぎは、確実に春栄だけであった。

 春桜の死後、休養に出ていた翠雲すいうんも剛昌の部下から話を聞き、すぐさま王城へと戻ると、盛大に春桜の国葬が行われた。

 葬送や引継ぎが終わり、翠雲は玉座に座り込む春栄の隣で静かに佇んでいた。

「春栄殿、大丈夫ですか?」
「え、ええ。気が付けば全て終わっていましたから。今はなんだか力が抜けてしまって……あはは……」

 力無く笑う春栄の表情には悲しみが溢れ、雰囲気は目に見えて暗く沈んでいた。翠雲は話しかけるのもやぶさかだと感じたが、今後のことを伝えねばと、春栄に続けて話しかけた。

「私は大臣達へ報告しに行きますが、お一人で大丈夫ですか?」
「ええ、心配は無用です、これくらいのことで落ち込んでいては、春桜の息子の名折れですから」

 無理をして浮かべている春栄の作り笑いが、翠雲の心に深く突き刺さった。
 これ以上は野暮と言うもの。独りきりの時間も時には必要であり、親の死というものは子を飛躍的に成長させることが出来る劇薬のようなもの。この出来事で挫けるくらいなら、この国は潰えるだろうと、翠雲は考えていた。

「では春栄殿、また後程……」
「はい」

 翠雲の去った後、玉座で虚ろう春栄は自分でも知らないうちに、瞳から流れるものを機械的に拭っていた。

「父上、亡くなるには、貴方を失うには……やはり私はまだ未熟であります……」

 だらんと腕を垂らし、肩を落として脱力したその姿は、魂の抜けた人形のようにも思えた。
 時間が止まってしまったような玉座の間で、唯一動き続けたのは春栄の頬を伝う雫だけだった。

 春桜の亡き後、大臣達に会いに来た翠雲は頭を悩ませていた。部屋に七人居る大臣のうち、六人がそれぞれ思い思いの言葉を口にしていた。

「春栄様はまだ幼い、やはり我々が国を動かすしかないのでは?」
「いやいや、あれでも立派な国王。我々が出来ることは春栄様の補助だけだ」
「戦を知らない国王など居ましょうか……」
「戦で英雄王になったその息子が戦知らずというのはなあ」
「翠雲殿が春栄様には才覚があると仰っていたがどうだか……」
「我々が出来ることは少ないが、春栄様もまた少ないだろう」

「う、ううん……皆さん、少しお時間よろしいですか?」

 翠雲の言葉で一同は静まり返った。春栄に最も近い人物であり、「代理国王」と言っても過言ではない翠雲は、同じ位の大臣達にとってもかなりの抑圧力となっていた。

 静まり返る中、翠雲から一番遠くの位置に座って黙っていた男が翠雲の言葉に続いた。

「これはこれは、飢饉から民を救った英雄ではないか」

 嫌みたらしく話しかけた大臣は剛昌だった。いつもの戯れの挨拶である剛昌の挑発を軽く流し、翠雲は今後の話を始める。

「春桜の亡き今、春栄を支えられるのは我等だけであり、私達は時が経ったとはいえ歴戦の猛者揃い。武神と謳われた春桜様が居なくとも、我等の力を合わせれば、春桜様の右に並ぶことは可能です。他国からの防衛を我等が担い、春栄様には、春桜様が出来なかった民を想う国王になってもらいたい。皆さんはどうお思いでしょうか」

 翠雲が自分の想いを語ると大半の大臣は納得していたが、剛昌だけは翠雲に意見した。

「まだ春栄様は幼い、政治もままならんだろう。加えて飢饉を乗り越えたとはいえ、民は疲弊しきっている。この状況を上手く制御しながら支持を得ることが出来るのはお前だけだろう、なあ翠雲。お前が春栄様に伝えるのは政治のことだけで済むのか?」

「剛昌殿が何を含めて言葉にしているのかはある程度察しますが、今まで私が、己の私利私欲で動いたことがありましたでしょうか?」

 ぴりつく場の空気に周囲の大臣達はまた始まったとため息を吐く者や、怖気付いて委縮する者も居た。

「まあ、過ぎたことはどうとでも言える。それにお前は春栄様に最も近い。影から政治を操らないとも限らん。我等の気がかりはそこだけだ」

 疑り深い剛昌は翠雲を表面上、あまり好いてはいなかった。互いに信頼し、尊敬し合っているからこそ、他の者達を牽制する為に剛昌は翠雲へと噛みついていた。

 翠雲は剛昌が納得するための言葉を少しの間考えていた。

「さあ、どうするんだ?」

 空気がだんだんと重く沈んでいく。威圧的な空気を浴びながらも、翠雲は無視して言葉を選んでいた。

 時間だけが刻一刻と過ぎていく。悩んでいた翠雲は案を思いついたのか、ハッとすると剛昌の方を向いた。

「では、最初から全て春栄様に任せてみましょうか」

 にっこりと笑う翠雲とは逆に、大臣達は剛昌を除いて目を丸くした。開いた口が塞がらない大臣の隣で剛昌が問いかける。

「国が滅んでもいいというのか?」
「さあ、滅ぶか栄えるか、どちらなのでしょうね」

 睨み付ける剛昌と微笑む翠雲はお互いに目を向けていた。火花が散りそうなその光景に他の大臣達は息を飲むしかなかった。

「翠雲、お前は春桜様が作り上げたこの国を、綱渡りで進んで行けと申すか?」
「綱、ですか。もしかするときちんとした板の上かもしれませんよ?」
「何を戯けたことを……」
「ふふっ、我々の歩んできた道の方がよほど綱渡りだったでしょう」
「ふん……」

 対照的な二人に周囲は「またか」とコソコソと話し合っていた。こういった会話の流れは大体、翠雲に軍配が上がることを知っていた他の大臣達は喋ることを止め、二人の顔を交互に見つめていた。

 会話の途絶えた部屋の中は静まり返る。
 そして、沈黙した空間を動かしたのは、唐突に開いた扉だった。
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