理葬境

忍原富臣

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第一話「春桜の死」

~春桜と海宝~

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 まだ国と呼ばれるものが出来上がっていないような古い時代、各々の小国が自分の領土を主張し戦争をしていたような時代に、武力によって私腹を肥やしていた王が居た。

 名を春桜しゅんおうと言い、八人の戦友と広大な土地を手にした国王だった。
 春桜は民に安全をもたらしたが、安定を与えることは出来なかった。金品の納税が出来ない村の者達は、育てた穀物を春桜へと献上し、残った僅かな食糧で日々の生活を過ごしていた。

 春桜は己の権力を思いのままに振りかざした結果、村への納税強化を推し進めていく。王の振る舞いに崇拝する者も居れば、逆もまた然り、納税の圧に耐え切れずに不満を述べた村人は打ち首にされ、王に逆らえば死ぬという恐怖が、より一層民を苦しめる一方だった。

 王城では豊かな生活が続き、城下もまたその恩恵を受けていたが、周囲の村はどんどん疲弊し衰退していった。

「春桜殿、失礼致します」

 大国の王の元へと訪れて来たのは大僧正の海宝かいほうという者。
 この国で春桜に次いで権力を持っている人物であり、唯一、春桜に意見出来る立場の人間であった。

 海宝は入口から続く赤い絨毯の上をゆっくりと歩いていく。

「おお、海宝ではないか。私に何用か」

 玉座に座る春桜の姿は雄大であり、威圧的にも感じる風貌だった。春桜の座る左右の壁には金と銀の剣が飾られ、春桜の手元には一振りの刀が置かれていた。
 玉座から少し離れた場所で跪く海宝はとても小さく、か弱い生き物のように見える。

「海宝よ、私に跪かなくてよい。其方は私の古い友人であろう」

 春桜と海宝はこの国を築く前からの知り合いであり、五十半ばになる海宝は、春桜にとっても特別な存在、他に顔を合わせる者達とは違って春桜の態度は海宝に対して寛容であった。

 春桜の言葉に海宝は立ち上がり、しっかりと前を見据える。

「春桜殿、折り入ってご相談がございます」
「ほう、珍しい。あの海宝が何か困り事か?」

 実質、この国の二番手の権力者である海宝が困ることなどあり得なかった。衣食住、全ての環境が整っている城下町の一角に聳える海宝率いる僧侶が暮らす寺では、問題など無縁である。

 海宝の願いはただ一つだけ。

「春桜殿、納税のことについてお話がございます」

 真直ぐ見つめる海宝を、春桜は怪訝な表情で睨み返し低い声音で問いかけた。

「私のやり方に口を出すということか?」
「そういうことではありません。民の声をお聞きになられましたか?」

 明らかに機嫌を悪くした春桜とは違い、海宝の表情は落ち着き、じっと一点のみ、春桜だけを見つめていた。

「海宝、私は私に口出しする者、意見する者が嫌いだ。それはお前とて例外ではないぞ?」
「存じておりますとも」

 動と静、正反対の二人は目線を逸らさず向かい合ったまま動かない。

「王に歯向かえば平等に死が訪れる。海宝よ、それでも意見を申し立てるか?」

 春桜は立ち上がり、玉座に立てかけていた刀を手に取り構える。それでも、海宝は動じずに彼をただただ見つめていた。

「生ある者、皆死ぬのは平等です。ですが、その死を、故意に奪うことは平等とは言いません」
「お前がぬくぬくと寺で過ごせるのは誰のおかげだ?」

 柄をぐっと握り構える春桜。

「民のおかげでしょう?」

 微笑みながら答える海宝に、春桜は刀を抜いて刃先を突き立てた。
 春桜は静かに、だが、威圧的に海宝に話しかける。

「私のおかげだ。この国が出来たのも、お前が大僧正としてあの寺に居座っているのも、全ては私のおかげ。この国で民に生きる意味を与えているのは私であり、意味を与えた者が価値の無くなった者を切り捨てるのは自由だろう」
「……では、私は民に感謝せねばなりませんね」

 海宝は微笑みを崩さずに呟いた。

「海宝よ、気でも触れたか?」
「さて、気が触れているのはどちらなのでしょうか。私には正しい事など判りません」

 静寂的な海宝とは逆に、怒りが先行した春桜は海宝の頬を軽く切り裂いた。

「まだ撤回出来る……俺はお前を殺したくはない。分かるだろう?」
「私は――」

 頬から少しずつ血が滲み出て、海宝が言葉を発そうとした時、玉座から真正面にある扉が勢いよく開いた。

「お父様ぁ!」

 春桜の息子とその背後にもう一人、小さい子どもを一生懸命追いかけている若い僧侶が突如現れた。

「こら、春栄しゅんえい様、今大事な話をしているから入ってはいけませんと何度も言ったのに……あれ、海宝様?」

 春桜の息子である春栄を抱きかかえ、場の空気の重さを感じないまま、海宝へと声を掛けた人物。春桜は昂っていた感情を抑えて刀を納めた。

 海宝は声のする方をゆっくりと振り返る。

「ああ、陸奏りくそうでしたか」

 優しく微笑む海宝の頬から流れる血を見た陸奏は、心配で直ぐに海宝の元に近寄った。抱きかかえていた春栄を下ろすと、子どもは父である春桜の元へと走り寄っていく。
 陸奏は海宝の頬に自分の袖を当て心配そうに尋ねる。

「海宝様、大丈夫ですか?」
「心配しなくても大丈夫。少し切れただけですから」

 心配しながら慌てる陸奏を、海宝は優しく宥めていた。

「海宝よ、この話はここまでだ」

 我が子を抱きかかえ、春桜は後ろを向いたまま海宝に告げる。

「ええ、またの機会に致しましょう。ただ、民が飢えで苦しみ始めています。どうか、その真実だけは頭の片隅にしまっておいてください」

 春桜は海宝の言葉に返事をしなかった。海宝もまた、春桜の返事を聞くこともなく、陸奏と共にその場を去っていった。

「海宝様、お身体の方は大事ありませんか?」

 心配そうに陸奏が聞くも、海宝は変わらない微笑みで陸奏を安心させようとする。

「ええ、大丈夫です。貴方が来てくれて助かりました。ああ、そういえば、陸奏はどうしてこちらへ?」

 陸奏は用事を思い出したのか、あっと声を漏らした。

すい兄さんに会いに来たのですが、途中で春栄様に捕まってしまい遊び相手になってほしいと言われて……結局翠兄さんには会えませんでした……」

 話しながら楽しそうにしたり落ち込んだりする陸奏を見て、海宝は相変わらず優しく微笑んでいた。。

「ふふ、貴方らしいですね」
「ああ、海宝様! 笑わないでください! 笑うと頬の傷が!」
「はっはっは、これくらい平気ですよ、さあ帰りましょうか」
「だから笑わないで下さいと言っているではありませんか、もう!」

 慌てふためく陸奏を横目に、頬から流れる血が民の苦しみの解放に繋がらなかったことを無念に思いつつ、海宝は王城を後にした。
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