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底辺冒険者

竜の娘「エラ」

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「あ……あ……」

 あまりの出来事に言葉が紡げない。
 それどころか思考も止まる。
 今、俺の目の前にいるのは二階建ての家よりもはるかに大きく、岩をも潰せる質量、大木すらもお菓子のようにかみ砕く顎、人が鉄剣をどれだけ振っても傷一つ付かなさそうな赤胴色の鋼鉄の鱗を持つ存在。
 その身一つで国すら壊滅出来る生物かもしれない。
 それが幻獣の中でも最強種と呼ばれる『ドラゴン』である。 
 
 直感するのはそれが生き物としての上位存在ということ。
 湧き出る感情を一言で表すのならそれは『畏怖』だ。
 俺の命なんて虫を手で払うかのごとく簡単に失う軽いものであると実感するのと同時に、そんな神秘的生物に会えたという嬉しさがあった。
 憧れと恐怖とが入り混ざった不思議な感覚。
 俺は体中の穴から汗や涙などを吹き出し、まぶたから涙があふれた。

「ふふん、主様に出会えて感激しているのか。まぁその気持ちは分からないでもない」

 ウィル・オー・ウィスプが何やら言っているが耳に入っても反対側の耳から抜けていく。
 それほどまでに俺の意識は眼前に集中していた。

『人間。そなたの名前は何と言う?』

 竜から放たれるまさかの言葉。
 あまりに異質で自分に問われていると理解出来なかった。

「おい人間! お前のことだぞ!」

「あ、え……ディ、ディートと……い、言います」

 ウィル・オー・ウィスプに急かされようやく言葉が出た。
 しかし喉がひゅっと緊張で締まりどもってしまう。
 言ってから上手く答えられなくて機嫌を損ねてしまったのでは? と後悔する。
 
『そうか。ディートだな。ひとまず助かって良かった』

 おずおずと竜を見るとどうやら怒ってはいないらしい。
 ふと声音が女性のものであることに気付いたが、同時にその言葉ではっとした。

「あ……怪我をしていない?」

 思わず腹を触った。
 しかしさっきキースに貫かれた穴どころか痛みもない。
 一瞬、夢だったのかと思うが服にはしっかりとレイピアで開けられた小さな穴と血で汚れた跡が残っていて、あれが現実だったのだと思い知らされる。

『その様子だともう大丈夫そうだな。治癒が間に合って良かった』

 そうか、この竜が俺を助けてくれたのか――あっ! とそこで思い付いたことがあった。

「あ、あの! 私の他にもう一人いなかったでしょうか!? 教会のシスター! 女性です!」

 ふいに自分と同じように崖下に落とされたシスターのことを思い出した。
 俺が助かったのなら彼女も何とかなっているはずだ。

『残念ながらあの者はすでに即死していたため助けられなかった。いくら私たちでも死者を蘇らせることは叶わぬ。そなたはそこのウィル・オー・ウィスプの『ウィル』が落下から救ったため癒せたのだ』

 だが期待とは裏腹に偉大な竜は首を横に振った。

「ふん! 主様の住処を必要以上に血で汚されたくなかっただけだ。まぁ一応、女の方は落ちた場所に埋葬してある」

「そうですか……」

 ウィルと呼ばれた炎に向くとそいつはそう答えた。
 うつむいてぎゅっと拳を握る。
 悔しかった。護衛として雇われたのに俺は彼女を助けられなかったからだ。
 もちろんキースたちがあんなゲスだとは知らなかったし、知っていたとしても戦って敵うはずもない。
 それでも俺は自分より年下の女の子の命をむざむざと奪われ、そしてクエストをまっとう出来なかったのだ。
 自分の無力が恨めしい。もっと俺に力が、魔力があれば……。
 それは今回だけじゃなく生まれて30年以上何度も思ったことだ。

『とは言えそなたも相当な瀕死だったのでな。三日も目を覚まさなかったのだぞ』

「三日!? そんなに……。改めて助けて頂きありがとうございます」

 キースたちの裏切りがついさっきのことだと思っていたのにそんなに日が経っていたのか。
 だいぶ状況が分かってきたあたりで確認したいことが湧いてきた。

「あ、あの、あなた様はこの国『コリトール王国』の建国に携わった竜なのでしょうか?」

 まだ人間が魔獣モンスターに怯え隠れ暮らしていた時代、初代国王であるトールが竜騎士ドラゴンナイトとなりコリュヌトという竜と共にモンスターを退け広大な土地に国を築いたという昔話がある。
 故に国の名前は二人の信頼の証として『コリトール』と名付けられ、トール王が亡くなると竜は森や山に移り住んだがその後も国の危機には駆け付け何度も助けてくれていた。
 まさに守護竜。伝説の存在で聖獣とも呼ばれている。
 この地に暮らす者であれば誰だってその話は知っており誰もがかの竜に敬慕の情を抱く。
 雄ではなく雌だったのは今初めて知ったが。
 
『あぁそうだ。トールか。久々に懐かしい名を聞いたな』

 竜の獰猛そうな口元が緩み目が細くなる。
 おそらくは数百年以上昔のことを思い出しているのだろう。嬉しさが垣間見える表情だ。
 それを見ただけで偉大な初代国王と共に戦ったこの竜が俺でも本物だと分かる。

 だから胸が奮えた。
 一生の内に彼女の姿を見れない人の方が多く、こうして会話するだけでも本来は相当に幸運なことだからだ。
 竜の寝床があるという情報で森にやって来たが生息場所は気分次第で変わるため見つからないのがほとんどだし、無理に探そうとすると幻獣教会から睨まれる。
 
「コリュヌト様はお前たちを影ながら数百年守ってきた。本来ならこんな場所で暮らすのではなく国を挙げてもてなすべきなのだぞ」

 ウィルは炎の体を縦に振って主張してくる。
 竜の名前はやはりコリュヌトと言うらしい。
 
『ウィル。それは私の意思だと幾度も言ったろう? 私などが表舞台に出るべきじゃない。見守るだけで十分なんだ』

「なんともったいないお言葉……! 聞いたか、人間。主様のあまりにも殊勝なお言葉を! 今日を祝日にしてもいいんだぞ!」

 口は悪いがこのウィル・オー・ウィスプはコリュヌト様を本当に慕っているのは感じ取れた。
 ただ祝日にするのは俺には無理なので「はぁ」と生返事だけ返すしかない。

『む、少し待て』

「え?」

 コリュヌト様はそう言って横に首を傾ける。
 その方向には洞窟の通路があって声や足音が聞こえた。
 目を凝らすと奥からやって来たのは数体の『ゴブリン』たちだった。
 どうやら探索をしていてたまたまここを見つけたという感じだ。
 
『小汚い小鬼共め! 神聖な主の寝所に踏み込んで来るとは!』

『よい。私がやろう』

『はっ!』

 ウィルが憤るがすぐにコリュヌト様がいさめる。
 そして彼女は僅かに息を吸う。

HAAAA

 自然な動作で吐かれた息は触れただけで炭と化しそうな地獄の業火へと変じた。
 火力も量も人間の使う魔法などとは桁違いで、圧倒的な炎の波は洞窟を真っ赤に染め上げ瞬く間にゴブリンたちに向かって燃え広がる。

 これこそが竜の使う『ドラゴンブレス竜息魔法』だ。
 集中も詠唱も必要とせずただ息をするだけで尋常ではない魔法を生じさせる。
 人間はこれを何百年以上も研究・研鑽をしてやっと魔法を扱えるようになったが本物を見ると児戯に等しいとすら思える差があった。
 スティラの魔法なんて竜の鼻息一つであしらわれるに違いない。

『ギィ!? ギギィィィ!?』

 炎の津波に驚いたのはゴブリンたちだった。
 驚天動地という感じで慌てふためき来た方向へとすぐさま去って行く。

「逃げましたがいいのですか?」

『よい。無駄な殺生は好まない』

 炎がゴブリンたちの手前で止まったのがおかしいと思ったがわざとだったらしい。

『ところでディート、実はそなたに頼みたいことがあるのだ』

「た、頼みですか?」

 まさか伝説の竜から頼み事をされるとは思わず面食らう。

『そうだ。ほら、そろそろ顔を見せてあげなさい』

 言ってコリュヌト様は顔を下げ自分の足元に語り掛ける。
 何だ? と俺もそっちに注目すると、彼女の大きな足の奥に小さな手が見えた。
 そしてぴょこっと顔が現れる。
 それは3歳か4歳ぐらいの『小さな人間の女の子』だった。

「え?」

 首ぐらいまでに紅い髪を短く揃えたその子は指をしゃぶりながら不安そうに少しだけこちらに歩み寄ってくる。
 あまりのこの場にそぐわない少女の出現に呆気に取られてしまった。

『この子は私の娘だ。名は『エラディア』。エラと呼んでやってくれ』

「え、えぇぇぇぇ!? む、娘ですか!?」

 一体何の冗談かと思った。
 さすがに目の前の巨大な竜の娘がこんな小さな女の子というのはすんなり頭に入ってこない。
 というか竜って子供が産めたのか? 考えたこともなかった。
 本気なのかからかわれているのかどっちだ、と思考していると頭がパニックになってくる。  

「馬鹿者! 主様たちは魔法によってそのお姿を変えられるだけだ!」

 ウィルは俺が戸惑っている内容を見透かしたらしく横から突っ込んできた。
 ただそのおかげで何とか理解できた。
 なるほど、魔法なら仕方ない。
 人間が使う魔法にはそういうのは聞いたことがないが竜ならあり得るのだろう。

『頼みというのはこの子のことだディート。しばらくこの子を預かってもらいたい』

「あ、預かる?」

『あぁそうだ。出来れば人間の街で一緒に暮らし色んなものを見せてやってくれないか』

「えぇぇぇぇぇぇ!?」

 再び思考が真っ白になる。
 お願いの内容が想定外過ぎたためだ。

「や! かーちゃ、や!」

 しかし固まる俺とは反対にエラは舌ったらずな言葉でコリュヌト様の言葉を体全体で否定するかのように足にしがみついた。
 サイズ比で言えば自分の指一本分にも満たない娘の抵抗にコリュヌト様は露骨に困った顔をする。

『エラ、短い見立てだが私はこのティートという人間にお前を預けてもいいと思うのだ。私のように自然に囲まれ暮らすのも悪くないが、以前から話していた通り人間と接し新しい時代を生きる竜として別の生き方を感じ取って欲しい』

 コリュヌト様はそんな彼女に優しく語り掛けながら、加減を間違えればプチっと押し潰しそうな巨大な手を奇跡的なソフトタッチで頭を撫でなだめすかしたりもした。
 前から旅に出すみたいなことは伝えていたのだろう。ほんの僅かずつだけど俯いたエラの顔が上がってくる。

「エラがおそとにでたらうれしい?」

『あぁ。お前が外で見聞きしたことを帰って来たらいっぱい聞かせておくれ。楽しみに待っているから』

「うー……」

 まだ納得いかない様子のエラだが自分の心情とコリュヌト様の気持ちとを天秤に掛けて悩み始めた。
 ただ向こうの話はついてもこっちの準備がまだだ。

「あ、あの、もちろん命を助けて頂いた恩もありますし国を守り続けて頂いている慈悲の心に報いるためにもコリュヌト様の頼みはお聞きたいですが、私なんかに務まるでしょうか?」

 恥ずかしい話、俺は底辺の冒険者で金も無いし、ついでにこんな小さな子の世話をしたという経験もちょっとしかない。
 伝説の竜の子に色んなものを見せて欲しいという願いは、良く言えば次世代の竜を導く存在みたいなものだ。
 俺なんかには相応しくはないだろう。
 出来れば諦めて欲しかった。

『私はそなたが崖に落とされる直前のことは見ていたのだ。自分が殺されそうになっても他人をおもんぱかって怒れる。そういう人物だからこそ正しくこの子を導いてくれると思った。それに足りない点はこのウィルも同道しサポートしてくれる』

 どうやら崖の上での戦闘は見られていたらしい。
 それでも買いかぶりだ。俺にそんな価値があるとは思えない。
 けれどコリュヌト様はそんな俺の真意を知ってか知らずか言葉を続ける。

『それにそなたにはこの子と一緒にいなければならない理由がある』

「一緒にいなければならない理由? なんですかそれは?」

 伝説の竜の子を預からなければならない理由など到底思い付きはしなかった。

『そなたの傷はほぼ致命傷でな。本来なら私でも癒すことは不可能だった。しかしエラが特別な力を使って一命を取り留めたのだ』

「特別な力?」

『うむ。そなたは今、エラと繋がり『竜騎士ドラゴンナイト』となったのだ。だが今の状態で距離が遠く離れてしまうとその絆が薄くなりそなたは死ぬだろう。だからそなたたちは一緒にいなくてはならない』

「え?」

 最初、あまりにも今の台詞に重要なものが含まれ過ぎていてコリュヌト様が述べられた意味が分からなかった。
 何度もその言葉を頭の中で繰り返して繰り返して、そしてようやく……。

「え、えええぇぇぇぇぇ!? 俺が竜騎士ドラゴンナイトにぃぃぃ!? しかも離れたら死ぬぅぅぅ!?」

 あり得ない事実に大声と共に驚く他なかった。
 竜騎士ドラゴンナイトとはこの国の人間なら誰もが知っていて憧れるおとぎ話の存在だ。
 そんなすごいことをしたらしいエラはどうしても普通の女の子にしか見えないし、じっとこっちを窺っているだけなのですごさが分かりにくいが。
 そんな話がすぐに受け入れられるものではなかったし、せっかく助かった命がまた危険に晒されている状態にあることも理解しがたい。
 
『最初に言っておくが僕は人間が嫌いだ。特にお前のようなやつは見ているだけでムカムカしてくる、だからお前にお嬢様が契約をしたのは非常に不本意だった。だがこれはお二人のご意思でもある。これから僕がしっかりと口を出してやるから馬車馬のように働くのだぞ!』

 俺が硬直しているとしゃべるウィル・オー・ウィスプのウィルが相変わらず上から目線の物言いをしてくる。
 そうか、こいつがずっと不機嫌なのはエラが俺に竜騎士ドラゴンナイトの契約とやらをしたせいか。少しだけ合点がいった。
 それにしても付いて来るらしいがこんなのが傍にいたら幽霊と間違えられるか、もしくはモンスターを町の中に連れて来た罪で俺が罰せられるんじゃないのか?

「ちょ、ちょっと待って。そんなこと急に言われても……」

 なんかもう話がどんどん進んでいって、正直、断れる雰囲気じゃなくなってきた。

『心配しなくてもエラは人間の子よりは丈夫だ。病気の心配はない。だが正体は極力秘密にして欲しい。あくまで人間の子として接してやってくれ』

「え、秘密ですか?」

 ぶっちゃけ、どうしようもなくなったら幻獣教会か国を頼ろうと思っていたのに。

『露見してしまうとこの子の力や存在を道具のように使う輩も出てくるかもしれない。それは不本意なのだ。名前もエラで通して欲しい』

 指摘されると確かにそれはあるかもしれないと思った。
 竜の子を後ろ盾にすればこの国ではなんだって思いのままだろう。
 それほどまでに竜という存在は幻獣の中でもこの国では一際大きく慕われている。
 
「ねぇかーちゃ、エラすぐかえってもいい?」

『すぐは困るが帰りたくなったら帰ってきなさい。ここはお前の家でもある』

『ん~。……ん! ならいく!』

 だが当の本人は人間の思惑なんて意にも返さずあっけらかんとしていた。
 まだ子供だ。だからこそ俺がこの子を守らなければならないのか。 

 話がまとまった少女はとてとてとこっちにやって来る。

「エラ、です」

 エラはこちらを見上げて自己紹介をした。
 小さくて丸い瞳はまだ少し不安そうだがしっかりと俺の目を捉えている。
 目が合うともう断る気は消え失せてしまった。

「あ、えと、ディートです。ディーでいいよ。これから君と一緒に暮らすことになりました。宜しくね」

「あい」

 エラが手を伸ばしてくる。
 俺は反射的に膝を曲げその小さな手を恐る恐る握る。
 強く握れば潰れてしまいそうな手はちょっと湿っていて妙に暖かい。おそらく幼児特有のものだろう。

 ――だがその暖かさは急速にさらなる熱を帯びてきた。
 どこかでこの熱さを俺は体験したことがあった気がする。
 急いで手を離そうとするが離れない。何か見えない力に固定されているかのようだった。

「ディーだいじょぶ?」
 
「あ……」

 一瞬、意識が飛んでいたらしい。
 気付くと心配そうな目を向けるエラの顔があった。
 どうしたことだろうか。今の今までマグマの中にでも入れられたと思うほどの熱はすでに冷めていた。
 まるで幻覚にでも捕らわれていたかのように。

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