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26 エピローグ

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 ウッドゴーレムの体内から出てきたのは、俺たちの腰ほどのサイズもない小さな丸い生物だった。
 頭の上に大きなはっぱが付いていて顔はのっぺらぼうに申し訳ない程度の彫刻で彫ったかのような目と口。
 分からないが、おそらくはウッドゴーレムの苗木と呼ぶのに相応しい。

 その数は八。
 ウジャウジャとまでは言わないまでも一気に数の有利は逆転された。


「っ! 面倒くせぇなぁ!」


 苛立たしげな白藤先輩の声が皮切りとなり、そいつら――コダマ(と勝手に命名)はこっちに距離を詰めてくる。


「『マッドドール盾となれ!』」


 俺はマッドドールを再び喚び出した。
 初見では彼女を壁として能力を見極めるというのが、九層までやってこれた俺たちのパターンと化している。

 マッドドールは俺たちの前に立ち、八体のコダマ相手にひるむことなくその身を晒した。
 コダマたちはそれを敵と認識し、立ち止まると口から何かを吐き、それがマッドドールの体に掛かっていく。


『……!!』


 それに全身を緑色の体液に塗れさせた瞬間、マッドドールが無言で悶え苦しむ。
 肌からはジュウと溶けるような音と匂いがした。


「ひょわわわわ!?」

「溶解液だ!」

 
 小さな体から吐き出された液体はおぞましい強烈な酸だった。
 

「絶対にあれを食らうな!」


 顔が引きつる白藤先輩の声に同意する。
 あんなものを被りたくもない。


「ど、どうしよう。逃げる?」

「逃げましょう! すたこらさっさに賛成です!」


 立て直しを希望するのは熊井君と雨宮さんだ。
 今ならまだ包囲されておらず、コダマも足が遅いため簡単に逃げ切れる。
 レベルを上げて再び挑戦するのは当然の選択肢だ。
 

「びびってんじゃねぇ! これぐらいの困難いくらでもあっただろうがよ!」


 その言葉にはっとする。
 白藤先輩の声はいつだって背中を押し、狼狽える俺たちに勇気をくれるものだった。
 九層に来るまでやばいと思ったことは何度かあった。けれどそれを乗り越えて俺たちはここにいる。
 ちっぽけなプライドだが、それでも確かにそれは俺たちの心に芽生えていた。


「でも、どうすれば?」

「まずはあの小さいのを片付ける! でかぶつは俺が引き付けるから熊井、お前が全部潰せ! 他は熊井の援護をしてやれ!」

「は、はい!」


 言ってすぐに白藤先輩が駆け出した。
 あの人はいつもこうだ。自分から進んで危険に飛び込んでいく。
 乱暴な物言いでも有言実行。それが俺たちからの揺るぎない信頼を集めていた。
 あの人に恥ずかしいところは見せられない気持ちが湧いてくるんだ。


「急ごう。時間は掛けていられない」

「うん!」


 熊井君も俺と同じ想いなのか手に持つ棍棒にぎゅっと力を込め二人でコダマに迫る。


「うおおおおお!! 『スマッシュ』!!」


 彼の意志あるスキルが発動する。
 ただでさえ巨漢の熊井君がスキルによって増幅されたこっちの最大の威力。
 一直線に振り下ろされたその軌道は一体のコダマを易易と粉砕した。
 

「思ったより固くない。スキル無しでも倒せるよ!」

「分かった。俺もやってみる」


 熊井君のアドバイスを受け、俺も杖で殴り掛かる。
 遠心力を利用した頭上からの攻撃にナッツみたいなコダマの体にひびが入った。
 さらに叩くと俺でも倒すことができ、その間に熊井君がもう一体を叩き割ることに成功する。


「い、意外と簡単かも?」

「危ない――」


 都合三体を楽に対処できたおかげでぎこちない笑顔を熊井君が見せた瞬間だった。
 残ったコダマから溶解液が彼に吹き出され、そこに俺が身を挺して熊井君を横から押し倒した。

 
「油断はダメだよ。俺たちは挑戦者なんだ。気を抜くことは許されない」

「ご、ごめん」


 怒られながら熊井君が申し訳なさそうに眉を曲げて謝ってくる。


「でも大体今ので攻撃パターンが分かったかも。あの溶解液は出すのに時間が掛かるっぽい。じゃなかったらすぐに何度も撃ってきてるからね。それと当然口から出すので立ってないとできない。役割分担しよう。俺と雨宮さんであいつらを転ばして、熊井君がどんどんとどめを刺す」

「分かった。今度は上手くやるよ」

「私も了解です!」


 やることを決めてからは早い。
 俺は杖で、雨宮さんは足で引っ掛け小さなコダマを地面に転ばせていく。
 その無防備な体をくるみ割り人形のようにガツガツ粉砕する熊井君はあっちから見たら鬼に見えるだろうか。

 そうした合間に一人奮闘する白藤先輩に目をやる。
 一発当たれば重傷か即死は免れない綱渡りを彼女はしなやかに全身を使い、時には反撃すらも入れながら立ち回っていた。
 猛然と迫る豪腕に掠めるほどの紙一重で躱し、距離を詰め打撃を入れる。
 吹き飛びそうになるほどの風圧の中その難事を先輩は達成し続けていた。

 驚嘆すべき心臓だ。護身術を習っていたからと言ってあそこまでできる人間が他に一体何人いるというのだろうか。
 だがそれほど命を削りそうなやり取りを引き換えにしても与えるダメージは微々たるもの。
 さらに死と向かい合わせの緊張からかすでに白藤先輩の息は遠目にも荒くなっていた。 
 いずれ体力が落ち、今の応酬がそう長く続かないのは目に見えている。だからこっちも早く合流しないといけない。


「新堂君!」


 熊井君の大きな声に意識が戻された。
 咄嗟に彼を見ると、俺の前方を指さしている。
 そっちに視線を移したらコダマが一体逃げようとしているところだった。

 しまった。熊井君に油断しないようにって言ったばっかりなのに。


「ごめん、何とかする!」


 コダマはその小さい体からして逃げる速度は遅い。
 小走りでも追い付ける程度のものだ。


『ブオオオオオオオオォォォ!!』


 しかしウッドゴーレムは何を思ったのか突然咆哮を上げる。
 そして唐突にその胸が開かれ、メキメキと木が折れるような音がして胸部の中があらわになる。
 大部分はただの木でしかなかったが、その真ん中にキラリと光る野球ボールほどの翡翠の玉が姿を現した。

 さらにウッドゴーレムはコダマの元へと走り出す。
 その光景は人間の親と子を連想させるような動きだ。
 よく分からないが助けようとしていることは確かのようだ。

 頭の中で考える。
 ただし結論は数秒で出さなければならない。
 あのいかにも核っぽい宝石をどうするか否か。
 
 あれが弱点だと仮定して、次にまた露出する機会がやってくればいいが……。

 白藤先輩は位置的に後ろから正面に回るのは無理だ。
 熊井君よりは俺の方がきっと足が速い。
 ならやるべきことは一つしかない。
 

「新堂君!?」


 熊井君の声を後ろに置き去りにしながら俺は猛ダッシュする。

 動機が激しく鼓動が痛いぐらい鳴り響き発汗が止まらず歯を噛んで自分を奮い立たせた。
 途中でコダマを追い抜きそれでも止まらない。
 前からやってくるウッドゴーレムの巨体にびびりそうになりながらもスピードは緩めなかった。

 そして迫るそいつに跳躍する。


「がはっ!」


 若干、俺のジャンプ力が足りない。
 速度が遅いとは言え、ゴーレムのお腹部分に顔面が正面衝突し、その衝撃はかなり骨身に効いた。
 ただし手は開いた胸部に引っかかっている。そこだけはギリギリセーフ。


「ええい、どこだどこだ……」


 顔を上げられずぶら下がりながら片手で宝石があったはずの箇所をまさぐる。
 指が硬質的な木のザラっとした表面を撫でて落ち着かない。
 

「もう少し斜め右上! そう、あとちょっと! あぁ通り過ぎた!」


 スイカ割りかよと突っ込みたくなる熊井君の誘導に俺の手は加速する。
 居心地の悪いしがみつきを必死に耐え、指をはわせようやく違う感触があった。
 それを強引に引っ張る。


『ブオオオオオオオオォォ!!!!』


 直接心臓を鷲掴みにでもされたかのようなウッドゴーレムの悲痛な叫びが木霊し、そして邪魔者を排除しようと体がめちゃくちゃに揺れた。
 ジェットコースターの比じゃないG重力が加算されていき、もはやそのままの態勢を維持することすら不可能だった。
 さらにウッドゴーレムはその巨大な手で俺を掴んできた。


「ああああぁぁぁ!! いいいがががががが!!」


 万力で締め付けられたように手加減の無い拘束に骨が折れそうな痛みを味わう。
 もはや痛いすら言葉にならない。
 
 
『ブオオオオオオ!!』


 無理やり宝石から引き剥がしたウッドゴーレムは俺を雑に投げる。
 いきなりやってきたのは浮遊感というよりは握られたショックでうまく頭が回らない無音の世界だった。
 飛んでいるという意識があって即座に地面に叩き付けられ激突の衝撃と痛みが体を巡る。
 全身が打ち付けられ頭がぼうっとした。意識を保つのがやっとのダメージ。


「熊……! お前……宮は気を引い……け!」

「は……、分かり……た!」


 ぐるんぐるんと寝転がっているはずなのに視界が回り、音がよく拾えない。
 みんなの声がどこか他人事に聞こえ、ぼやけた視界に白藤先輩が現れた。
 なぜだか色を失っていて白黒だ、昭和のテレビかよと元気なら突っ込んでやりたい。
 
 先輩は何か呟いていたが、それを聞き取ることはできなかった。
 ただその険しい表情からよく見る不機嫌なんだなということだけは分かる。
 そういえば笑ったところを見たことがなかったな、とどうでもいいことだけが思考に浮かんでは消えていく。 

 真剣な顔の先輩が手を俺の胸に当てまた口を紡ぐ。
 そうしたら、ゆっくりとしかし確実に体の芯が暖かくなっていくのが感じられた。
 少しするとモノクロ世界がカラーになり、やがて耳の感覚も戻ってくる。
 
 そこで聞こえたのは、


「――新堂君、死なないで!」


 白藤先輩の悲痛な声。
 焦点の定まらない視界の中では眉をくしゃりと歪ませていた。
 ドキリと胸が締め付けられるような、ある意味では今この激痛が一瞬忘れかけるほどの堪えきれない劇的な感情が俺に生じる。
 惚ける俺はこれは夢だと断定した。
 まさかあの白藤先輩がしおらしい可憐な女の子のような一面があるなんて、あり得ない。


「おい、いつまで口開けてるんだ? 意識は戻ったのかよ?」


 ぺしぺしと頬を軽く叩かれる。


「は? え? あ……」

「なんだ? まだヒール回復が足りないのか? ボードじゃもう全回復しているはずだが、そこんところ初めてだから分からん」


 ハッキリした目にはいつもの凛々しい白藤先輩が映っていた。


「やっぱりさっきのは幻聴か。そりゃそうですよね。白藤先輩にあんな可愛らしいところあるなんて……」

「……何か失礼なこと言われているのけは分かった。そんだけしゃべれたら上等だ。お前が何を聞いたのか知らんが寝言は寝てる間だけにしろ」

「うへぇ……」

「お前の無茶は後で怒るとして、今はお前のおかげで弱ったゴーレムのとどめに入っている。ヒビが入ったみたいで動きが鈍くなってやがる。辛いならそのまま寝とけ。後は俺たちでやってやる」


 それだけ言い捨て先輩はすぐさま熊井君たちの元へと走る。
 確かにウッドゴーレムの動きは緩慢としていた。
 それが俺の行動によるものであればほんの少しだけ嬉しくもなる。怪我をしたかいがあるってもんだ。
 

「はぁぁぁぁ!!」


 熊井君と雨宮さんが牽制をする戦闘へと髪を振り乱し瞬時に先輩は参戦する。

 しかしもはや精細を欠いたウッドゴーレムでは白藤先輩の敵ではなかった。
 厚い手を躱し懐に入ると、俺とは違い手で一気によじ登り宝石を手で掴む。
 ぐぐっと力を入れたら綺麗な翡翠色のそれはガラスのように簡単に砕ける。

 その瞬間、俺たちを見下ろしていた圧倒的な巨木が倒れ伏し光となっていった。

 そうして九層攻略。そして初めてのボス戦が終幕した。

□ ■ □


 そこは執務室、と呼ぶのにぴったりな部屋だった。
 しかし三十畳はありそうな広いスペースには質の良さそうなソファと机がぽつんと所在なさげにあるだけ。
 隅から隅まで掃除が行き届いており、髪の毛一本落ちていないまるで新築のような綺麗さが見受けられる。
 その高級そうなソファに腰を沈める者が一人。
 世界を牛耳るルミナスマーケット、その長男であるレオン・ルミナスだ。

 彼はテーブルに置かれた白磁の陶器を持ち上げ、そのカップに注がれた紅茶の香りを軽く堪能したあとに口を湿らす。
 そして横に立ちながら自分専属の護衛メイド――氷雨の報告が終わるのをずっと耳を傾けていた。
 

「――以上が白藤琥珀の報告でございますです」

「そうか、白藤琥珀。そんなことになっていたか。通りで……」

 
 レオンが顎に手を当て思案する。
 けれどその表情はすぐに愉快なものを見つけて喜ぶ子供のように変化した。


「ご主人様の言いつけなんで調べさせて頂きましたがあたしにはちーっとも興味が湧きませんねぇ。目を惹くとすればその容姿ぐらいですか? もしかしてそのような歳になられあそばされましたかぁ?」

「僕はもう二十歳過ぎているんだがね。まぁもちろんそういったことではないよ。ただその頃の記憶にある彼女とはややかけ離れていたからね。不思議に思ったんだよ」


 かしづく態度は主従関係を匂わせるが、しかし氷雨の言葉はとても雇用主に対するものではない。
 だがレオンはその程度のことは些末なことのように感じていたし、特に注意もしなかった。
 それが余計に図に乗らせるとレオンより倍以上歳のいった部下たちがたしなめてくるが、それを氷雨に直接言うほどの気骨ある者は誰一人としていない。

 氷雨の血も凍るような前歴と実力を知っているせいか、それともそれほど忠誠心がないのか。
 両方であると判断し、レオンはあえて氷雨をそのまましている。


「ほうほう。では遠い極東の地で友人と再会されたと。いやいや感動ですねぇ。映画作りましょうか? ハリウッドで無駄に爆発シーン満載のやつを! 最後はブチューとキスシーンした男が実はゾンビに感染していて全滅エンド! 超大作の予感ですねぇ」

「君みたいな特殊な感性以外にはウケないと思うし、そんな無駄な予算は無いよ。君だってこのパーティーに気になっている子がいるんだろ?」

「は? そんなやつはいねぇですけどねぇ」

「ならそういうことにしておこうか」


 素っ気なく氷雨をあしらっているとドアがノックされる。
 入ってきたのは氷雨と同じような服装のメイドだった。


「ご報告致します。セリア・ルミナス様、クリストファー・ルミナス様、ご両名が無事戻られたようです。まもなくご到着されるとご連絡がございました」

「あぁ分かった。出迎えの準備に取り掛かってくれ。僕もすぐに行く」

「はい。畏まりました」


 メイドは恭しくお辞儀をすると退出する。
 その連絡を聞いて氷雨は露骨に顔をしかめ舌を出していた。 


「あーあー。またうるさいのが戻ってきちまいましたか」  

「そう邪険にしないでくれ。これでも僕の兄妹だよ?」

「知っていますとも。蟻どもが活気付くのが面倒だなぁって思っただけですって」 
 

 蟻、という単語が氷雨の口から出て今度はレオンが眉をひそめる。
 氷雨が侮蔑の意味を持って指すそれは探索者たちのことだった。
 

「あまり彼らをそういうふうに呼ぶのは感心しないね。命の危険を顧みず真面目に探索を進めている勇敢な人々だよ」

「真面目に従順にダンジョンからせっせと金目の物を運び出しているやつらを蟻以外の表現のしようがねぇんですけどねぇ」


 多少穿った物の見方だが、構図としては全く間違っていないとも言い切れない。
 レオンは諌めはするが氷雨が注意したところでこの口の悪さが直らないのは分かっていたためそれ以上は追求しなかった。


「ご存知ですかぁ? あいつらの中ではご主人様たちはキング、ジャック、クイーンって呼ばれているらしいですよ? 王はもちろんご主人様ですけどねぇ」

「へぇ。それは知らなかったな。僕は王って器じゃないけど、長男だからみんな慮ってくれたのかな? ちょっと恥ずかしいけれど、ならキングとして二人を威厳を持って出迎えるとしようか」

「威厳はご主人には無いと思うんですけどねぇ」

「ははっそれは参ったね」


 照れ笑いをしながら一気にカップの紅茶を飲み干すとレオンが立ち上がる。
 すかさず氷雨が先にドアを開け、その前を優雅に彼が退出していく。
 
 そのレオンの後ろ姿を決して彼には見せぬよう頭を下げた状態で睨めつける氷雨はぽつりと言の葉をもらした。


「それでもご主人様がキングなのは間違いないでしょうけどねぇ。だってあなたは……」


 誰にも聞こえない小さな呟きは豪華な絨毯に染み込まれるように消えていった。
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