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2章 くの一御一行~湯けむり道中記~
26 豚の欲望
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時間はまた少し遡る。
カッシーラの町に吸血鬼騒動を起こし、葵たちに手ひどくやられた人造人形――『タイプ・ヴラド』は外れそうになっている右手を庇いながら急ぎ森を駆け抜けていた。
もはや自分が人間ではないということを隠そうという気は持ち合わせていないようで、腕と胴との繋ぎ目や顔の皮膚が剥げた部分が痛々しく垣間見える。
『ラウリ』
そいつの行方を邪魔するものは少なかったが、それでもゼロではなく、向かってくる魔物には電撃を浴びせかけ蹴散らしていった。
本来であれば拠点が見つかることを恐れて死体の処分は念入りにするところではあったのだが、今のそいつにはその余裕がない。それほどまでに追い詰められている。
ヴラドは数時間前に出会ったペランカランの老人と黒ずくめの少女について、任務を遂行する上での最大の障害となり得るものだと認識した。
特に少女の方はまだ余力がありそうで、損傷も相まって今の自分では勝てそうになく即座に撤退を選んだ。
もちろんヴラドにも町に用意されたあのオンボロではない‘本当の拠点’に帰れば手はまだある。だからそれを使用するために急ぎ向かっていた。
最終的に逃亡を決断したのは あそこで行動不能になれば目的を果たせなくなるという理由。
最優先事項を達するためにロジカルな判断を下したのだが、血も通わない魔導で造られた空虚であるはずの胸はなぜかギシギシと自身に訴え掛けているように感じられた。
かなりの速度で走って町から離脱し、自分が作られた山奥の施設へと帰還する。
そこの見た目は森の中にある廃墟のようであった。大昔には何らかの建物か施設があったのかもしれない。そう連想させる程度に風雪に削られボロボロになった石や柱のようなものが僅かに転がっているだけの朽ちた場所。
足を踏み入れ半ばで止まると、自ら砂と土を用いて偽装した箇所を表面上だけ掘る。
探索者や斥候を専門とする人間がいればすぐに見抜けるだろう杜撰な隠蔽ではあった。
やがて土の中に隠されていた鉄板が現れそれをズラしたら、ぽっかりと開いた穴が現れる。真っ暗で日の光ですらまるで飲み込むかのように底が見えない。
そこに躊躇もなく体を滑り込ませた。
数メートルの落下の後、難なく膝を曲げ着地する。
そこは完全に暗闇の世界だ。しかしながら生物ではない目を持つヴラドにはそれは障害物にはなり得ない。
すぐに立ち上がり歩を進めた。
一歩進むごとに埃が舞う。
なにせ数百年以上、掃除どころか誰も足を踏み入れていないのだから。
瓦礫もかなり転がっているがヴラドによって事前に通路の端に追いやられ、通るスペース分はすでに確保してあるので歩くのには支障はない様子である。
そこは老朽化し捨てられた地下施設。もはや誰の記憶にも残っていない世界からも忘れ去られた空間だった。
途中、しばらく前に息を引き取った死体が二体あった。
ヴラドはそれに一瞥だけする。
一ヶ月ほど前、突如この施設に落下してきた盗賊風の男と騎士風の男だ。
落下の衝撃で一人は死に、辛うじて生き残った騎士風の男は暗闇の中を彷徨い、そしてヴラドが眠り保管されていた部屋へとやってきたのだった。
騎士は縋るような思いで脱出への糸口を掴もうと色んな場所を手で触ったのだが、それは悲惨なことに魔力を吸い取る装置であった。
まさに奇跡の重ね合わせとも言えるほどの確率で、供給された魔力がヴラドへと送られ、それによって目を覚ますことになる。
それと引き換えに、すでに重症であった騎士は魔力が一気に無くなったショックでその場で亡くなった。
目覚めたヴラドが最初にしたことは情報収集とエネルギーの確保だ。
施設のほとんどが経年劣化により使い物にならず、動力すらままならない。本来なら太陽光や地熱からエネルギー変換し、施設は数百年でも自動で稼動するはずだったが、さすがにメンテナンスをする人員もおらず災害などでそれらの機能は無残にも失われていた。
それに自分以外は全て変わり果てた姿となった傷んだ廃れ具合から、数百年の年月が経っていることが予期させられそれが最優先事項となった。
僅かに注入された魔力により動くヴラドは、まず外に出て手っ取り早く自身のエネルギーを稼ぐために魔物を倒し始める。
目的は魔物の体内に生成される魔石だ。それが光や熱と同じように動力源となる。
その過程で近くの村で見つけた魔力持ちの人間――『まがいもの』を襲う。
元々ヴラドに与えられた機能と存在理由は純粋な人間ではない、魔力持ちの人間――『まがいもの』を根絶することにある。
世界からそれを絶滅させることが、彼の存在理由。
そしてその際に血を吸うように魔力を奪うことで半永久的に自律活動ができるように作られていた。それは魔石よりも断然吸収効率も良く、恐怖を与える一助ともなり他のまがいものへのプレッシャーともなる。それに血を吸う種族であるペランカランを創った女神への痛烈な皮肉にもなっていた。
近くの集落ではせいぜいまがいものは一人か二人しかいない。だから施設の修復や魔力補充の傍らに大きな町を発見したのは僥倖だった。多くのまがいものを葬り大量の魔力エネルギーを蓄えるためヴラドは町に潜伏をして暗躍を始める。
施設の劣化具合から自分が作られた時代から数百年が経っているのは把握しており、どのような兵器や実力者がいるかも分からなかったので、最初は無力な子供や老人からターゲットにする。
数百年前に戦ったまがいものたちが使用する魔術は、自分や仲間を苦しめ決して油断できるものではなかったからだ。
されどそれは杞憂だった。
まがいものどもは数百年の間に――弱っていた。
理由は分からない。数百年前はあどけなさが残るような若者でも強力な爆炎を操り、無数の氷の棺を撃ち立て、何百、何千という兄弟たちを土に返したその苛烈さの片鱗すらなかったのだ。
そのまま警戒レベルを下げ次々とまがいものから魔力を吸い取り絶望の底に叩き込んでいたところに手痛いしっぺ返しがあった。
とある大きな屋敷。そこにたまたま町の人間が‘聖女’とやらの話をしていたのを聴き、襲撃を試みる。
さぞ大量の魔力を保有しているのだろうと侵入した部屋で、それこそ数百年前を彷彿とさせるほどの反撃を食らいほうほうのていで逃げ出すことに成功する。
逃走はまだ使用可能であった‘透明衣’を用いれば容易だった。
使うとその姿が透過する‘魔法のような外套’。暗殺や隠形には適している優れものだが欠点も多い。
例えば素早く動くとその効果が切れてしまうこと。そのため牛歩のような移動速度しか出せないので人が多い場所では不向きで、対策を練れない初見にしか通用しないところがある。
ほとんどのオプションパーツが使用不能な中、最も生存に向いている装備品が一つでも使えたのはヴラドにとって幸運なことで、犠牲となるカッシーラの住人からすると不幸なことだった。
さらにその凶行中に人間の協力者ができる。
町中で隠れるのに都合の良い建物をいくつか紹介されたのだ。
一度だけ会ったそいつは仲間であるはずの町の住人を売ることに躊躇いがないようで、ヴラドとそいつはお互いを利用し合うことになった。
つかつかと長い地下を早い足取りで歩き、やがてヴラドが目的の場所へと辿り着く。
そこは広い空間だった。壁には彼と姿かたちが同じだが、そのほとんどが原型を留めておらず、カプセルに入ったままずらりと並んでいた。
その数は優に百を超える。もしこれが正常な状態であればさぞ壮観な見栄えがしたことだろう。
部屋の中央に無骨な椅子と机があった。
その前でヴラドは膝を付き顔を伏せる。
『報告致します。任務遂行に重大な障害が発生しました。同型機――兄弟たちの援護も期待できず、決戦兵器‘ゴーレム巨兵『タイプ・ティタン』’の使用を進言致します。私が集めたエネルギー全てを使うことになりますが、かつて幾人ものまがいものたちを鏖殺したあれならば邪魔者など蹴散らすことでしょう』
辺りにはヴラドの他に誰もいない。声だけが静かに淡々と響き渡る。
彼は体の内にギシギシと歯車が噛み合わない不協和音の幻聴を聞く。
『ドクター・ニンフル。私の造物主よ、――人は救われますか?』
返事は無い。ただ闇に言の葉が吸い込まれていくのみ。
『あれだけいた兄弟たちは全て朽ち果て動かぬゴミとなり、頼りになった強力な魔道具の数々が骨董と化し、潤沢にあったエネルギーは枯渇。さらに今は我が身も損壊している。それでもあなたをこんな穴ぐらに追いやった人類を救うために一兵となっても身を粉にしても救わねばなりませんか?』
その投げかけを受け取る者はいない。
胸の中で何かが止まった気がする。
そしてヴラドは顔を上げる。視線はもしその椅子に誰かが座っていたらちょうどその高さに目線があったろう角度で止まった。
『――ペランカラン。私たちが造られる元になった種族にも遭遇しました。あれもまがいものたちと同じく弱体化の一途を辿っていました。まさしくあなたが数百年も前に警告された通りになっていたのです!』
主の予測が正しかったことに興奮の色を滲ませ報告を続ける。
しかし次の瞬間、それは静かな怒りに変わった。
『誰も信じなかった! あの女の戯言に従い、あなたの諌言に誰も耳を貸さなかった! あの女はやはり人類を蝕む呪いを植え付けていたのです! もはや人の滅亡はカウントダウンを始めている。あなたを救わなかった人間たちを、あなたが生み出した子供である私が救わねばなりませんか?』
そいつはまがいものを打倒し、人間を救うように命じられている。それが最重要目的だとインプットされそう造られた。
だが自分たちを裏切った者たちを救うなど論理に反していると訴え、彼の思考は命令と生まれるはずのない自我の境でせめぎ合っていた。
『……それにあれほど大勢の味方がいた昔ですら敵わなかったのです。自分だけになってオーダーを成し遂げられる確率などゼロに等しい』
今度は急に声がか細くなる。
ただ自分の言い訳を呟くように囁いた。
『私たちはあなたの願いを叶えるために生まれてきた。だというのに数百年以上経っても未だに叶えて差し上げられたことは一度もない。ただの無能なガラクタだ。こんな私にまだ何を望まれるのですか? 造物主よ』
俯きしばし静寂が訪れる。
返事など返って来ないことは自分自身が一番知っていた。
造物主はもうとっくに死んでいる。そんなことはとうに理解していた。一人だけ数百年という時を超え起動してしまった彼の存在理由はとうから空っぽだった。
空耳であった止まっていた歯車の音がカチっと別の噛み合わせをして回っていく。
ヴラドは最後にもう一度だけ誰もいない机を見て問いかけた。
『もはやこの身に流れるは、人間共とまがいものどもへの憎しみのみ。この地に救うべき者などいない。……構いませんね?』
それは有り得ないことだった。彼に埋め込まれた命令は『まがいものを滅ぼし、人間を救済する』こと。
魔力を持たない人間にまで憎しみを向けるのは本来であればあってはならないことである。
それは数百年という時間の流れが起こした奇跡とも悲劇とも言うべきバグ。ヴラドを造った人間がこの場にいたなら卒倒したことだろう。
しかしもはや彼を生み出した者はおらず、止められる者も全員が世界から消え去っていた。
『分かりました。あなたの目指した理想の世界に近付けます。――私は刻まれたオーダーを遂行する』
その宣言はまるで決別だった。
□ ■ □
「だから外に陣を敷かねばと再三ご説明しています!」
「ダメだダメだ。外壁まで引きつけてバリスタで迎え撃つしかないのである!」
兵士宿舎その司令官室で兵士長であるダルフォールとギルド長のモルデアが、互いに唾を飛ばしながら意見の対立を起こしている。
ダルフォールは葵から夜の内に伝えられた話を聞いて朝から外壁にいつもの倍の人数を置き、町の内外から近付く不審な者がいないか部下に哨戒任務にあたらせていた。
そこから天地がひっくり返ったような報告がもたらされたのだ。
――巨人がやってくる、と。
巨影がゆっくりとカッシーラの町へ歩を進めているのは、外壁やそれを上回る背の高い建物からなら確認できた。
今はまだそれに気付いている者は少ないが、遅かれ早かれパニックになるのは目に見えており、すぐさまダルフォールは事態の深刻さに気付く。
その前に一刻も早く住民の避難誘導と迎え撃つ準備とを整えたく、冒険者ギルドの長を呼び出したが最初モルデアは信用しなかった。
そこで兵士宿舎に隣接している物見櫓から見せると、彼は腰を抜かし、恐怖のせいか頑なに篭城戦を主張し始めた。
この時点でダルフォールは自分の失策に頭を抱え苦慮することとなる。
「バリスタが有効なのは認めましょう。しかしそれで倒せなかった場合、被害は即座に町へと広がります。いいですか? 人間や魔物相手の篭城戦とは違うんです。あの大きさでは篭城したところで壁などものともしない可能性が高い。討って出なければ町が守れないということをどうか理解して頂きたい」
今まで着任からずっと部下たちの前では不安を煽らないよう、あえて余裕のある表情しか見せてこなかったダルフォールも今回ばかりはその仮面が被れない。
敵は木々を遥かに超える大巨人だ。町を囲う外壁と同じかそれ以上と予測される。
町が豊かなおかげで潤沢な資金があり、普段使わないにしても大型の魔物用に大型弩砲は何台も用意してあって、それで迎撃するべきだとモルデアは主張する。
しかしそれだけで倒せると思うほど市民を守る役職の最高責任者である彼は楽観的ではない。
目の前のその現実をまるで見えておらず、肩書きだけでこの場にいて邪魔をする男に激しく憤りを感じていた。
「はんっ、それこそあの巨体の足元から攻撃なんて無意味。ただ犬死するだけだと我輩は思うのであるよ」
それも一利あるのはダルフォールも理解している。サイズ比率で言えばおそらく成人男性に対して自分たちはネズミ一匹程度の大きさでしかない。
獣のように柔軟な体と身を守る毛皮があれば踏み潰されでもしない限りば平気だろうが、人間では足に引っかかるだけで行動不能になり得るのは簡単に想像が付く。
まずあの巨人に戦いを挑もうとするものは、すべからく命を懸けねばならないだろう。
それでも壁まで来られた時点で負けなのだ。町は子供が作った砂の城の如く破壊され蹂躙される。
手塩に掛けて育て、苦楽を共にした部下たちに死ねと命じなければならない。ここは少しでも援軍が欲しかった。だというのに眼前の愚者は援軍である冒険者を壁の上に配置すると言い張る。
ぶん殴りたい衝動を必死にダルフォールは抑えていた。
そこに、トントン、とノック音がする。
「入れ」とダルフォールが促すと兵士が一人固い表情のまま入ってきた。
「失礼します! 現地に送った斥候が帰って参りました!」
「情報を頼む」
「はっ! あっ、その宜しいのですか?」
兵士はモルデアに視線を向けて狼狽える。
協力関係にあるとは言え、一応機密情報なので別組織にいる人間に聞かせるわけにはいかないと配慮した形だ。
「あぁ、構わない。ギルド長殿にも聞いてもらいたい」
「了解しました。あの発生した巨人――呼称『ゴーレム』は真っ直ぐにこちらに向かっております。予想到達時間は約二時間。体高はやはり外壁を越えるとのことです」
「やはりか」
「現在は外殻の強度を確かめるために強弓と魔術の効果を試す段階に入っています。詳細は次の伝令待ちになります」
「分かった。物理的強度と、属性魔術の効き具合の情報は戦術において重要になる。戻り次第すぐに知らせてくれ。それと時間稼ぎができるなら現場の判断で可能な限り気を引き到着を遅らせるようにと、この追加の伝言も頼む」
「はっ! 失礼します」
一礼すると兵士は慌しく部屋から出て行った。ドタドタと扉を締めても足音が聞こえる勢いだ。
彼だけではなく、建物中にいる人間の全部がそわそわとして集中力に欠けている。
当然だ、かつて経験したこともない脅威がすぐそこまで迫っているのだから。
ダルフォールは最悪の予想に頭を悩ませながらすぐに切り替える努力をした。あとたった二時間で町の運命が決まってしまうのだ。呆けている場合ではないと頭を振った。
「お聞き頂いたようにあのゴーレムはやすやすと壁を壊し町に侵入してくるでしょう。そして非戦闘員は逃げ惑う虫けらにしかならない。避難誘導もたった二時間では間に合いません。ここは迎撃体勢と避難に力を貸して頂きたい」
さすがにここまで材料が揃えば頷くとダルフォールは思っていた。
しかし、
「いやそれでも我輩の答えは変わらないのである」
すげなくモルデアは拒否の意思を示すのみだった。
ダルフォールの額に青筋が浮かぶ。
「なぜですか!? 緊急時にはこちらの指揮下に入るというのがギルドが町に置かれるルールではないのですか? あなたの進退にも関わってきますぞ?」
ギルドは国に肩入れをしない中立の組織だ。だからこそどこの国にも存在を許されている。
ただし人類共通の敵たる魔物の大襲撃の場合は、国とは別組織で動いている冒険者ギルドも兵士と一丸となって町を守るという条約がどこの町にもあった。
これに従わないギルド長は即時解任されるレベルで、人類の裏切り者と揶揄され石を投げつけられてもおかしくない。それほどにたまに起きる魔物の暴走というのは脅威なのだ。
けれども痛いところを突かれたはずのモルデアは意に返さない。
「それは魔物の大襲撃の場合だけである。これはそれとは違うのでは?」
「は!?」
確信めいたモルデアの表情と声音にダルフォールから動揺がもれる。
「ふん、ここしばらく兵士たちの間で何か隠しているのは分かっていたである。ただあんなものと繋がっているとはさすがに思いも寄らなかったのではあるが。その様子だと当たりであるな?」
カマを掛けられた、それに気付いた時にはすでに遅かった。
鬼の首を取ったかのように勝ち誇り、モルデアはすらすらと口を動かす。
目の前の肥満体の男は金に汚い愚鈍な豚だと侮ってきたのに、狡猾なネズミのようにすら思えてきてダルフォールの胸はざわざわと落ち着かない。
「詳細は知らぬが、あの化け物の原因は兵士長殿、あなた方にあるのであろう? ならば従う必要はないというものである」
「我らだけで防げるとお思いか? あれを相手にバラバラに事にあたるのは愚策ではないですか?」
「そうも言っておらんのである。それにもちろん一切協力はしないわけじゃないのでそこは安心してもらいたいのであるがね」
「では?」
「冒険者一人につき金貨百枚。それとダルフォール殿の家宝である魔剣『イルミナーデ』。それで手を打とうである。ずっと前から我が家の家宝としたいと思っていたのであるのでな」
「馬鹿な! ここにきても金や剣だとおっしゃるか!? まだ金だけなら報酬や慰労として必要なのは分かる。しかし剣など私利私欲ではないか」
モルデアの珍品や骨董好きは多方面に知れ渡っている。
どこからか珍しい物を買い漁り屋敷で眺めて悦に入るのが趣味なのだとか。
最近では他の町のオークション会場にまで手を出し、見境が無くなってきているという噂もある。
そんな彼からすれば魔剣は喉から手が出るほど手に入れたい逸品であることも理解はできるが、この状況で交渉材料として使われるとは思ってもみなかった。
「我輩がギルド長なんて仕事をやっているのは、コネが作りやすいのと情報のネットワークが使えるからである。それ以外に興味はないのであるな」
「イルミナーデは有事の際には私の先祖たちが振るいこの町を魔物から退け続けた守り神だぞ!? それをあなたのただの部屋の飾りにすると!?」
臆面もなくモルデアが言い放ち、ダルフォールは愕然とする。
魔剣はダルフォールの数代前の当主がどこからか見つけてきたもので、凄まじい切れ味を誇り、幾度となく魔物の脅威から住人や部下たちを守り続けてきたものだ。
一族一丸となった町への愛と責任感で、代々彼の家系はカッシーラの兵士長や要職に就任してきた。
町が滅んでは金や宝などいくら持っていても意味がない。それすらモルデアは分からない上に、この危機を利用して欲望を満たそうとする。
これほどまでに即物的で愚かだとはダルフォールはさすがに考えもしなかった。それに町に対する愛着が一欠片も見て取れず無念が胸に去来する。
「こういう機会でも無ければいくら金を積んでも渡してくれそうにないであるからな。条件が飲めないのであれば冒険者は貸し出せない。これはカッシーラの冒険者ギルドのトップとしての意見である」
「あり得ない、それでも冒険者ギルドのトップか! 町の人間の生き死にの上に私欲を置くのか!」
「残念ながら我輩に二言は無いのである」
どれだけ言葉を取り繕うとも完全に欲の皮が突っ張った豚である。それでもモルデアの立場は無視できるものではなかった。
ただでさえ命を懸けた窮地に人数が集まるのは難しく、さらにはギルド長という権限を利用して圧力でも掛けられれば困るのはダルフォールの方である。
それにもう一つ問題があった。
当然、警備兵は営利団体ではない。国に雇われ国から派遣されている者がほとんどだ。故にモルデアが提示する冒険者一人金貨百枚という金を用意するとなると国か、可能なら領主との折衝が必要になるが、今それをしている時間的な猶予がないのは明白だった。
金にがめついこの男は口約束では終わらない。契約書にサインするまで首を縦に振らないだろう。
事が終わったあとでもし国に払えないと言われれば、家宝どころか尻の毛一つまで毟り取られる未来も見える。
だがそのリスクを背負っても、ダルフォールは愛する町を守るために奥歯を噛み締めながら悪魔のサインをするしかなかった。
「……せめて譲り渡すのはこの戦いが終わった後だ」
「構わないのである。切り札もあるから大船に乗った気持ちでいることをお薦めするのであーる」
どこまでも責任感の無さそうな度し難い薄笑いがダルフォールの網膜にちら付いた。
そしてモルデアは胸中でこう呟く。
――あの吸血鬼を手に入れたおかげで念願の魔剣が手に入るのである。なんという幸運であろうか!
葵がカッシーラに着く前に男爵家に聖女を襲撃し反撃を食らった夜、町を騒がせていた吸血鬼――ヴラドは傷付いた体をかばいながら弱って逃亡していた。
そこに偶然居合わせたのが彼である。
さすがにここまでの大騒動になるとは想定外も甚だしいが、どうしてもダルフォールの抱える宝剣を掠め取れないかと画策し、失脚を狙ってヴラドを利用することを思い付いていたのだった。
彼に隠れ家を与えダルフォールの足元を揺るがし、そこを自分が率いた冒険者で解決するという実に簡単なマッチポンプを描いた。
感情的になっているところに賭け事のように持ち出せば、自分を見下しているこの男を出し抜けると踏んでいたのだが、結果的に思い通りに事が進んでいることにいやらしい笑みを浮かべる。
「さて、あとは仕上げであるな。あの吸血鬼と連絡が付かなくなったのは困ったことであるが、つまらないことを言う前に処分すればいいだけである」
彼とていきなりヴラドが消息を絶ったせいで計算に狂いは生じている。おかげで用済みになった後に彼を騙し討ちするだけで良かった手はずが、ゴーレムという恐るべき相手を打倒しなければいけなくなってしまった。
しかし、先日手に入れたとあるアイテムに絶大な信頼を抱いていて、計画を変えるほどには思えなかったのだ。
にんまりと口角を上げて突っ張った腹を擦り、これからの展望を思い描いていく。
自分の欲のためなら、一般市民などどうなっても構わないと考えるどこまでも姑息で欲深な豚がそこにいた。
カッシーラの町に吸血鬼騒動を起こし、葵たちに手ひどくやられた人造人形――『タイプ・ヴラド』は外れそうになっている右手を庇いながら急ぎ森を駆け抜けていた。
もはや自分が人間ではないということを隠そうという気は持ち合わせていないようで、腕と胴との繋ぎ目や顔の皮膚が剥げた部分が痛々しく垣間見える。
『ラウリ』
そいつの行方を邪魔するものは少なかったが、それでもゼロではなく、向かってくる魔物には電撃を浴びせかけ蹴散らしていった。
本来であれば拠点が見つかることを恐れて死体の処分は念入りにするところではあったのだが、今のそいつにはその余裕がない。それほどまでに追い詰められている。
ヴラドは数時間前に出会ったペランカランの老人と黒ずくめの少女について、任務を遂行する上での最大の障害となり得るものだと認識した。
特に少女の方はまだ余力がありそうで、損傷も相まって今の自分では勝てそうになく即座に撤退を選んだ。
もちろんヴラドにも町に用意されたあのオンボロではない‘本当の拠点’に帰れば手はまだある。だからそれを使用するために急ぎ向かっていた。
最終的に逃亡を決断したのは あそこで行動不能になれば目的を果たせなくなるという理由。
最優先事項を達するためにロジカルな判断を下したのだが、血も通わない魔導で造られた空虚であるはずの胸はなぜかギシギシと自身に訴え掛けているように感じられた。
かなりの速度で走って町から離脱し、自分が作られた山奥の施設へと帰還する。
そこの見た目は森の中にある廃墟のようであった。大昔には何らかの建物か施設があったのかもしれない。そう連想させる程度に風雪に削られボロボロになった石や柱のようなものが僅かに転がっているだけの朽ちた場所。
足を踏み入れ半ばで止まると、自ら砂と土を用いて偽装した箇所を表面上だけ掘る。
探索者や斥候を専門とする人間がいればすぐに見抜けるだろう杜撰な隠蔽ではあった。
やがて土の中に隠されていた鉄板が現れそれをズラしたら、ぽっかりと開いた穴が現れる。真っ暗で日の光ですらまるで飲み込むかのように底が見えない。
そこに躊躇もなく体を滑り込ませた。
数メートルの落下の後、難なく膝を曲げ着地する。
そこは完全に暗闇の世界だ。しかしながら生物ではない目を持つヴラドにはそれは障害物にはなり得ない。
すぐに立ち上がり歩を進めた。
一歩進むごとに埃が舞う。
なにせ数百年以上、掃除どころか誰も足を踏み入れていないのだから。
瓦礫もかなり転がっているがヴラドによって事前に通路の端に追いやられ、通るスペース分はすでに確保してあるので歩くのには支障はない様子である。
そこは老朽化し捨てられた地下施設。もはや誰の記憶にも残っていない世界からも忘れ去られた空間だった。
途中、しばらく前に息を引き取った死体が二体あった。
ヴラドはそれに一瞥だけする。
一ヶ月ほど前、突如この施設に落下してきた盗賊風の男と騎士風の男だ。
落下の衝撃で一人は死に、辛うじて生き残った騎士風の男は暗闇の中を彷徨い、そしてヴラドが眠り保管されていた部屋へとやってきたのだった。
騎士は縋るような思いで脱出への糸口を掴もうと色んな場所を手で触ったのだが、それは悲惨なことに魔力を吸い取る装置であった。
まさに奇跡の重ね合わせとも言えるほどの確率で、供給された魔力がヴラドへと送られ、それによって目を覚ますことになる。
それと引き換えに、すでに重症であった騎士は魔力が一気に無くなったショックでその場で亡くなった。
目覚めたヴラドが最初にしたことは情報収集とエネルギーの確保だ。
施設のほとんどが経年劣化により使い物にならず、動力すらままならない。本来なら太陽光や地熱からエネルギー変換し、施設は数百年でも自動で稼動するはずだったが、さすがにメンテナンスをする人員もおらず災害などでそれらの機能は無残にも失われていた。
それに自分以外は全て変わり果てた姿となった傷んだ廃れ具合から、数百年の年月が経っていることが予期させられそれが最優先事項となった。
僅かに注入された魔力により動くヴラドは、まず外に出て手っ取り早く自身のエネルギーを稼ぐために魔物を倒し始める。
目的は魔物の体内に生成される魔石だ。それが光や熱と同じように動力源となる。
その過程で近くの村で見つけた魔力持ちの人間――『まがいもの』を襲う。
元々ヴラドに与えられた機能と存在理由は純粋な人間ではない、魔力持ちの人間――『まがいもの』を根絶することにある。
世界からそれを絶滅させることが、彼の存在理由。
そしてその際に血を吸うように魔力を奪うことで半永久的に自律活動ができるように作られていた。それは魔石よりも断然吸収効率も良く、恐怖を与える一助ともなり他のまがいものへのプレッシャーともなる。それに血を吸う種族であるペランカランを創った女神への痛烈な皮肉にもなっていた。
近くの集落ではせいぜいまがいものは一人か二人しかいない。だから施設の修復や魔力補充の傍らに大きな町を発見したのは僥倖だった。多くのまがいものを葬り大量の魔力エネルギーを蓄えるためヴラドは町に潜伏をして暗躍を始める。
施設の劣化具合から自分が作られた時代から数百年が経っているのは把握しており、どのような兵器や実力者がいるかも分からなかったので、最初は無力な子供や老人からターゲットにする。
数百年前に戦ったまがいものたちが使用する魔術は、自分や仲間を苦しめ決して油断できるものではなかったからだ。
されどそれは杞憂だった。
まがいものどもは数百年の間に――弱っていた。
理由は分からない。数百年前はあどけなさが残るような若者でも強力な爆炎を操り、無数の氷の棺を撃ち立て、何百、何千という兄弟たちを土に返したその苛烈さの片鱗すらなかったのだ。
そのまま警戒レベルを下げ次々とまがいものから魔力を吸い取り絶望の底に叩き込んでいたところに手痛いしっぺ返しがあった。
とある大きな屋敷。そこにたまたま町の人間が‘聖女’とやらの話をしていたのを聴き、襲撃を試みる。
さぞ大量の魔力を保有しているのだろうと侵入した部屋で、それこそ数百年前を彷彿とさせるほどの反撃を食らいほうほうのていで逃げ出すことに成功する。
逃走はまだ使用可能であった‘透明衣’を用いれば容易だった。
使うとその姿が透過する‘魔法のような外套’。暗殺や隠形には適している優れものだが欠点も多い。
例えば素早く動くとその効果が切れてしまうこと。そのため牛歩のような移動速度しか出せないので人が多い場所では不向きで、対策を練れない初見にしか通用しないところがある。
ほとんどのオプションパーツが使用不能な中、最も生存に向いている装備品が一つでも使えたのはヴラドにとって幸運なことで、犠牲となるカッシーラの住人からすると不幸なことだった。
さらにその凶行中に人間の協力者ができる。
町中で隠れるのに都合の良い建物をいくつか紹介されたのだ。
一度だけ会ったそいつは仲間であるはずの町の住人を売ることに躊躇いがないようで、ヴラドとそいつはお互いを利用し合うことになった。
つかつかと長い地下を早い足取りで歩き、やがてヴラドが目的の場所へと辿り着く。
そこは広い空間だった。壁には彼と姿かたちが同じだが、そのほとんどが原型を留めておらず、カプセルに入ったままずらりと並んでいた。
その数は優に百を超える。もしこれが正常な状態であればさぞ壮観な見栄えがしたことだろう。
部屋の中央に無骨な椅子と机があった。
その前でヴラドは膝を付き顔を伏せる。
『報告致します。任務遂行に重大な障害が発生しました。同型機――兄弟たちの援護も期待できず、決戦兵器‘ゴーレム巨兵『タイプ・ティタン』’の使用を進言致します。私が集めたエネルギー全てを使うことになりますが、かつて幾人ものまがいものたちを鏖殺したあれならば邪魔者など蹴散らすことでしょう』
辺りにはヴラドの他に誰もいない。声だけが静かに淡々と響き渡る。
彼は体の内にギシギシと歯車が噛み合わない不協和音の幻聴を聞く。
『ドクター・ニンフル。私の造物主よ、――人は救われますか?』
返事は無い。ただ闇に言の葉が吸い込まれていくのみ。
『あれだけいた兄弟たちは全て朽ち果て動かぬゴミとなり、頼りになった強力な魔道具の数々が骨董と化し、潤沢にあったエネルギーは枯渇。さらに今は我が身も損壊している。それでもあなたをこんな穴ぐらに追いやった人類を救うために一兵となっても身を粉にしても救わねばなりませんか?』
その投げかけを受け取る者はいない。
胸の中で何かが止まった気がする。
そしてヴラドは顔を上げる。視線はもしその椅子に誰かが座っていたらちょうどその高さに目線があったろう角度で止まった。
『――ペランカラン。私たちが造られる元になった種族にも遭遇しました。あれもまがいものたちと同じく弱体化の一途を辿っていました。まさしくあなたが数百年も前に警告された通りになっていたのです!』
主の予測が正しかったことに興奮の色を滲ませ報告を続ける。
しかし次の瞬間、それは静かな怒りに変わった。
『誰も信じなかった! あの女の戯言に従い、あなたの諌言に誰も耳を貸さなかった! あの女はやはり人類を蝕む呪いを植え付けていたのです! もはや人の滅亡はカウントダウンを始めている。あなたを救わなかった人間たちを、あなたが生み出した子供である私が救わねばなりませんか?』
そいつはまがいものを打倒し、人間を救うように命じられている。それが最重要目的だとインプットされそう造られた。
だが自分たちを裏切った者たちを救うなど論理に反していると訴え、彼の思考は命令と生まれるはずのない自我の境でせめぎ合っていた。
『……それにあれほど大勢の味方がいた昔ですら敵わなかったのです。自分だけになってオーダーを成し遂げられる確率などゼロに等しい』
今度は急に声がか細くなる。
ただ自分の言い訳を呟くように囁いた。
『私たちはあなたの願いを叶えるために生まれてきた。だというのに数百年以上経っても未だに叶えて差し上げられたことは一度もない。ただの無能なガラクタだ。こんな私にまだ何を望まれるのですか? 造物主よ』
俯きしばし静寂が訪れる。
返事など返って来ないことは自分自身が一番知っていた。
造物主はもうとっくに死んでいる。そんなことはとうに理解していた。一人だけ数百年という時を超え起動してしまった彼の存在理由はとうから空っぽだった。
空耳であった止まっていた歯車の音がカチっと別の噛み合わせをして回っていく。
ヴラドは最後にもう一度だけ誰もいない机を見て問いかけた。
『もはやこの身に流れるは、人間共とまがいものどもへの憎しみのみ。この地に救うべき者などいない。……構いませんね?』
それは有り得ないことだった。彼に埋め込まれた命令は『まがいものを滅ぼし、人間を救済する』こと。
魔力を持たない人間にまで憎しみを向けるのは本来であればあってはならないことである。
それは数百年という時間の流れが起こした奇跡とも悲劇とも言うべきバグ。ヴラドを造った人間がこの場にいたなら卒倒したことだろう。
しかしもはや彼を生み出した者はおらず、止められる者も全員が世界から消え去っていた。
『分かりました。あなたの目指した理想の世界に近付けます。――私は刻まれたオーダーを遂行する』
その宣言はまるで決別だった。
□ ■ □
「だから外に陣を敷かねばと再三ご説明しています!」
「ダメだダメだ。外壁まで引きつけてバリスタで迎え撃つしかないのである!」
兵士宿舎その司令官室で兵士長であるダルフォールとギルド長のモルデアが、互いに唾を飛ばしながら意見の対立を起こしている。
ダルフォールは葵から夜の内に伝えられた話を聞いて朝から外壁にいつもの倍の人数を置き、町の内外から近付く不審な者がいないか部下に哨戒任務にあたらせていた。
そこから天地がひっくり返ったような報告がもたらされたのだ。
――巨人がやってくる、と。
巨影がゆっくりとカッシーラの町へ歩を進めているのは、外壁やそれを上回る背の高い建物からなら確認できた。
今はまだそれに気付いている者は少ないが、遅かれ早かれパニックになるのは目に見えており、すぐさまダルフォールは事態の深刻さに気付く。
その前に一刻も早く住民の避難誘導と迎え撃つ準備とを整えたく、冒険者ギルドの長を呼び出したが最初モルデアは信用しなかった。
そこで兵士宿舎に隣接している物見櫓から見せると、彼は腰を抜かし、恐怖のせいか頑なに篭城戦を主張し始めた。
この時点でダルフォールは自分の失策に頭を抱え苦慮することとなる。
「バリスタが有効なのは認めましょう。しかしそれで倒せなかった場合、被害は即座に町へと広がります。いいですか? 人間や魔物相手の篭城戦とは違うんです。あの大きさでは篭城したところで壁などものともしない可能性が高い。討って出なければ町が守れないということをどうか理解して頂きたい」
今まで着任からずっと部下たちの前では不安を煽らないよう、あえて余裕のある表情しか見せてこなかったダルフォールも今回ばかりはその仮面が被れない。
敵は木々を遥かに超える大巨人だ。町を囲う外壁と同じかそれ以上と予測される。
町が豊かなおかげで潤沢な資金があり、普段使わないにしても大型の魔物用に大型弩砲は何台も用意してあって、それで迎撃するべきだとモルデアは主張する。
しかしそれだけで倒せると思うほど市民を守る役職の最高責任者である彼は楽観的ではない。
目の前のその現実をまるで見えておらず、肩書きだけでこの場にいて邪魔をする男に激しく憤りを感じていた。
「はんっ、それこそあの巨体の足元から攻撃なんて無意味。ただ犬死するだけだと我輩は思うのであるよ」
それも一利あるのはダルフォールも理解している。サイズ比率で言えばおそらく成人男性に対して自分たちはネズミ一匹程度の大きさでしかない。
獣のように柔軟な体と身を守る毛皮があれば踏み潰されでもしない限りば平気だろうが、人間では足に引っかかるだけで行動不能になり得るのは簡単に想像が付く。
まずあの巨人に戦いを挑もうとするものは、すべからく命を懸けねばならないだろう。
それでも壁まで来られた時点で負けなのだ。町は子供が作った砂の城の如く破壊され蹂躙される。
手塩に掛けて育て、苦楽を共にした部下たちに死ねと命じなければならない。ここは少しでも援軍が欲しかった。だというのに眼前の愚者は援軍である冒険者を壁の上に配置すると言い張る。
ぶん殴りたい衝動を必死にダルフォールは抑えていた。
そこに、トントン、とノック音がする。
「入れ」とダルフォールが促すと兵士が一人固い表情のまま入ってきた。
「失礼します! 現地に送った斥候が帰って参りました!」
「情報を頼む」
「はっ! あっ、その宜しいのですか?」
兵士はモルデアに視線を向けて狼狽える。
協力関係にあるとは言え、一応機密情報なので別組織にいる人間に聞かせるわけにはいかないと配慮した形だ。
「あぁ、構わない。ギルド長殿にも聞いてもらいたい」
「了解しました。あの発生した巨人――呼称『ゴーレム』は真っ直ぐにこちらに向かっております。予想到達時間は約二時間。体高はやはり外壁を越えるとのことです」
「やはりか」
「現在は外殻の強度を確かめるために強弓と魔術の効果を試す段階に入っています。詳細は次の伝令待ちになります」
「分かった。物理的強度と、属性魔術の効き具合の情報は戦術において重要になる。戻り次第すぐに知らせてくれ。それと時間稼ぎができるなら現場の判断で可能な限り気を引き到着を遅らせるようにと、この追加の伝言も頼む」
「はっ! 失礼します」
一礼すると兵士は慌しく部屋から出て行った。ドタドタと扉を締めても足音が聞こえる勢いだ。
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当然だ、かつて経験したこともない脅威がすぐそこまで迫っているのだから。
ダルフォールは最悪の予想に頭を悩ませながらすぐに切り替える努力をした。あとたった二時間で町の運命が決まってしまうのだ。呆けている場合ではないと頭を振った。
「お聞き頂いたようにあのゴーレムはやすやすと壁を壊し町に侵入してくるでしょう。そして非戦闘員は逃げ惑う虫けらにしかならない。避難誘導もたった二時間では間に合いません。ここは迎撃体勢と避難に力を貸して頂きたい」
さすがにここまで材料が揃えば頷くとダルフォールは思っていた。
しかし、
「いやそれでも我輩の答えは変わらないのである」
すげなくモルデアは拒否の意思を示すのみだった。
ダルフォールの額に青筋が浮かぶ。
「なぜですか!? 緊急時にはこちらの指揮下に入るというのがギルドが町に置かれるルールではないのですか? あなたの進退にも関わってきますぞ?」
ギルドは国に肩入れをしない中立の組織だ。だからこそどこの国にも存在を許されている。
ただし人類共通の敵たる魔物の大襲撃の場合は、国とは別組織で動いている冒険者ギルドも兵士と一丸となって町を守るという条約がどこの町にもあった。
これに従わないギルド長は即時解任されるレベルで、人類の裏切り者と揶揄され石を投げつけられてもおかしくない。それほどにたまに起きる魔物の暴走というのは脅威なのだ。
けれども痛いところを突かれたはずのモルデアは意に返さない。
「それは魔物の大襲撃の場合だけである。これはそれとは違うのでは?」
「は!?」
確信めいたモルデアの表情と声音にダルフォールから動揺がもれる。
「ふん、ここしばらく兵士たちの間で何か隠しているのは分かっていたである。ただあんなものと繋がっているとはさすがに思いも寄らなかったのではあるが。その様子だと当たりであるな?」
カマを掛けられた、それに気付いた時にはすでに遅かった。
鬼の首を取ったかのように勝ち誇り、モルデアはすらすらと口を動かす。
目の前の肥満体の男は金に汚い愚鈍な豚だと侮ってきたのに、狡猾なネズミのようにすら思えてきてダルフォールの胸はざわざわと落ち着かない。
「詳細は知らぬが、あの化け物の原因は兵士長殿、あなた方にあるのであろう? ならば従う必要はないというものである」
「我らだけで防げるとお思いか? あれを相手にバラバラに事にあたるのは愚策ではないですか?」
「そうも言っておらんのである。それにもちろん一切協力はしないわけじゃないのでそこは安心してもらいたいのであるがね」
「では?」
「冒険者一人につき金貨百枚。それとダルフォール殿の家宝である魔剣『イルミナーデ』。それで手を打とうである。ずっと前から我が家の家宝としたいと思っていたのであるのでな」
「馬鹿な! ここにきても金や剣だとおっしゃるか!? まだ金だけなら報酬や慰労として必要なのは分かる。しかし剣など私利私欲ではないか」
モルデアの珍品や骨董好きは多方面に知れ渡っている。
どこからか珍しい物を買い漁り屋敷で眺めて悦に入るのが趣味なのだとか。
最近では他の町のオークション会場にまで手を出し、見境が無くなってきているという噂もある。
そんな彼からすれば魔剣は喉から手が出るほど手に入れたい逸品であることも理解はできるが、この状況で交渉材料として使われるとは思ってもみなかった。
「我輩がギルド長なんて仕事をやっているのは、コネが作りやすいのと情報のネットワークが使えるからである。それ以外に興味はないのであるな」
「イルミナーデは有事の際には私の先祖たちが振るいこの町を魔物から退け続けた守り神だぞ!? それをあなたのただの部屋の飾りにすると!?」
臆面もなくモルデアが言い放ち、ダルフォールは愕然とする。
魔剣はダルフォールの数代前の当主がどこからか見つけてきたもので、凄まじい切れ味を誇り、幾度となく魔物の脅威から住人や部下たちを守り続けてきたものだ。
一族一丸となった町への愛と責任感で、代々彼の家系はカッシーラの兵士長や要職に就任してきた。
町が滅んでは金や宝などいくら持っていても意味がない。それすらモルデアは分からない上に、この危機を利用して欲望を満たそうとする。
これほどまでに即物的で愚かだとはダルフォールはさすがに考えもしなかった。それに町に対する愛着が一欠片も見て取れず無念が胸に去来する。
「こういう機会でも無ければいくら金を積んでも渡してくれそうにないであるからな。条件が飲めないのであれば冒険者は貸し出せない。これはカッシーラの冒険者ギルドのトップとしての意見である」
「あり得ない、それでも冒険者ギルドのトップか! 町の人間の生き死にの上に私欲を置くのか!」
「残念ながら我輩に二言は無いのである」
どれだけ言葉を取り繕うとも完全に欲の皮が突っ張った豚である。それでもモルデアの立場は無視できるものではなかった。
ただでさえ命を懸けた窮地に人数が集まるのは難しく、さらにはギルド長という権限を利用して圧力でも掛けられれば困るのはダルフォールの方である。
それにもう一つ問題があった。
当然、警備兵は営利団体ではない。国に雇われ国から派遣されている者がほとんどだ。故にモルデアが提示する冒険者一人金貨百枚という金を用意するとなると国か、可能なら領主との折衝が必要になるが、今それをしている時間的な猶予がないのは明白だった。
金にがめついこの男は口約束では終わらない。契約書にサインするまで首を縦に振らないだろう。
事が終わったあとでもし国に払えないと言われれば、家宝どころか尻の毛一つまで毟り取られる未来も見える。
だがそのリスクを背負っても、ダルフォールは愛する町を守るために奥歯を噛み締めながら悪魔のサインをするしかなかった。
「……せめて譲り渡すのはこの戦いが終わった後だ」
「構わないのである。切り札もあるから大船に乗った気持ちでいることをお薦めするのであーる」
どこまでも責任感の無さそうな度し難い薄笑いがダルフォールの網膜にちら付いた。
そしてモルデアは胸中でこう呟く。
――あの吸血鬼を手に入れたおかげで念願の魔剣が手に入るのである。なんという幸運であろうか!
葵がカッシーラに着く前に男爵家に聖女を襲撃し反撃を食らった夜、町を騒がせていた吸血鬼――ヴラドは傷付いた体をかばいながら弱って逃亡していた。
そこに偶然居合わせたのが彼である。
さすがにここまでの大騒動になるとは想定外も甚だしいが、どうしてもダルフォールの抱える宝剣を掠め取れないかと画策し、失脚を狙ってヴラドを利用することを思い付いていたのだった。
彼に隠れ家を与えダルフォールの足元を揺るがし、そこを自分が率いた冒険者で解決するという実に簡単なマッチポンプを描いた。
感情的になっているところに賭け事のように持ち出せば、自分を見下しているこの男を出し抜けると踏んでいたのだが、結果的に思い通りに事が進んでいることにいやらしい笑みを浮かべる。
「さて、あとは仕上げであるな。あの吸血鬼と連絡が付かなくなったのは困ったことであるが、つまらないことを言う前に処分すればいいだけである」
彼とていきなりヴラドが消息を絶ったせいで計算に狂いは生じている。おかげで用済みになった後に彼を騙し討ちするだけで良かった手はずが、ゴーレムという恐るべき相手を打倒しなければいけなくなってしまった。
しかし、先日手に入れたとあるアイテムに絶大な信頼を抱いていて、計画を変えるほどには思えなかったのだ。
にんまりと口角を上げて突っ張った腹を擦り、これからの展望を思い描いていく。
自分の欲のためなら、一般市民などどうなっても構わないと考えるどこまでも姑息で欲深な豚がそこにいた。
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