貴公子、淫獄に堕つ

桃山夜舟

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真相

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 ────魔斗羅教の社に潜り込み、右大臣による東宮呪詛の証を手に入れてきてもらいたい。

 影親かげちかにそう頼まれ、真霧まきりは魔斗羅教に潜入したのである。
 そして、ついに今日、右大臣と思わしき貴人に目通りをするため、都に上ったはずだった。
 それなのに、なぜ今目の前に影親その人がいるのか。

 事態が呑み込めず言葉も出ない真霧の顎を、影親は手にした扇で上向かせた。

「見せてもらったぞ。下賤の者どもとはいえ、あれほどの人数を惑わすとは大したものだ。淫らに仕上がったではないか」

 影親がにやりと口の端を吊り上げる。
 先程までの痴態を見られていたらしい。
 そのことに羞恥を覚えないわけではなかったが、それ以上に影親がここにいることへの戸惑いが大きい。

「……これは一体どういうことでございましょう」

 問いかけた声は、狼狽に震えている。
 当代一の権力者は、手の中で扇を弄びながら、まるで世間話でもするかのような口調で話し始めた。

「このところ、我が姫である弘徽殿女御こきでんのにょうご様への帝の御運びが遠のいていることは、そなたも知っておろう」
「……それは……、そのような噂は耳にしておりましたが……」
「先日、藤壺女御ふじつぼのにょうご様が産み参らせられたのは皇女ひめみこであった故、ほっと胸を撫で下ろしたが……。万一、次に男子が生まれれば、東宮の地位も危うい。どうしたものかと考えあぐね、そして私は閃いた。────子を成す恐れのない者に帝の寵を独占してもらえばよいのだ、とな。そしてそれにうってつけだったのが」

 影親が、翻した扇の先で真霧を指した。

「そなたよ」
「は……────」

 突然の名指しに困惑し、目を瞬く。

「私……?」
「左様。帝は兼ねてからそなたを見かけるたびに、その美貌を褒めそやしていたのだよ。だが、見目が良いだけでは心もとない。帝を骨抜きにしてもらうには、体も極上でなくてはな。そこで、そなたが淫ら神である魔斗羅の加護が得られるよう一計を案じたというわけだ。なに、そなたを祭の神子にねじ込むために、大分喜捨は弾んだがな」

 滔々と語る影親の声を、真霧は呆然と聞いていた。
 半月前に左大臣邸に呼び出されて聞かされた話とは、あまりにも違いすぎる。
 理解が追いつかず、頭ががんがんと痛む。
 喉がひび割れたかのように、うまく呼吸ができない。
 それでもどうにか息を継いで、問いかけた。

「……っ、では、右大臣様の呪詛は……」
「よくできた話だっただろう?」
「私を、たばかったということですか」
「謀ったとは人聞きが悪い。はじめから淫ら神の加護を得て来よと言われても応じかねたであろうよ。そなたの心の枷にならぬよう、気遣いをしてやったまで」

 影親は悪びれもせず、優雅に扇を開くと、己を煽いだ。
 くらりと目眩がして、真霧は地に手をついた。

 全ては偽りだった。
 右大臣は呪詛など企てておらず、真霧に奉納祭の神子役をさせること自体が目的だったのだ。
 ────真霧を淫獄に堕とし、淫らな体にすることが。

「まこと、よくやってくれた。今のそなたならば帝をも虜にさせることできるであろう。なに、そなたにとっても悪い話ではなかろう。帝のお側近くに侍ることができるのだから」

 上機嫌に影親が笑う。

(そう、なのだろうか……)

 言うまでもなく、欺かれていたことへの怒りは大きい。
 だが、もしも本当に帝に引き立てられれば悪い話ではないのかもしれない。
 そもそも影親に従ったのも出世のためだったのだ。

 けれど────
 真霧はのろのろと頭をもたげ、影親の後ろに立っていた浪月を見上げた。

「……浪月様も、全てご存知だったのですか」

 ほんの一瞬、浪月が苦しげな表情を浮かべたように見えた。
 だが、浪月が口を開く前に、影親が笑いながら答えた。

「首尾ようやってもらうため、宮司には全て伝えてあった。新たに若き宮司に変わったとのことで、少々不安だったのだがな、いやはや、まことによく仕上げてくれたものよ」

 褒美は好きにとらせようぞ、と浪月に語りかける影親の声が、遠く聞こえる。

 心がずたずたに乱れていた。
 欺いていたつもりで欺かれていたことになるのだから、真霧が浪月を責めるのは筋が違うのだろう。
 けれど、祭祀という名目で何度も交わるうちに、ただの宮司と神子という関係以上の何かを感じ始めてもいたのだ。

「浪月様……」

 訴えかけるように浪月を見つめた。
 何を求めているのか、自分でもはっきりとはわからない。
 けれど、何か一言言ってほしかった。

 これまでは誰に抱かれていても、たとえ相手が妖であっても、近くには浪月がおり、いわばずっと彼の手の中だった。
 だが、帝に侍るとなれば、そうはいかない。
 帝はこの国で最も尊きお方。
 もしも真霧がその寵を得れば、二度と浪月には触れられないかもしれないのだ。

 視線が絡み合った。
 浪月の双眸が僅かに揺らいだように見え、けれどその目はすぐに逸らされた。

「……っ」

 ずきりと胸が痛んだ。
 目も合わせず、何も言うことはない────それが、浪月の答えなのだろう。
 彼にとって真霧は、祭で神子役を務めただけの存在に過ぎなかったのだ。

 力なく項垂れ、ふと気づく。
 昨日は鮮やかな紅色だった神子の徴が、はやくも微かに色褪せ始めていることに。
 祭は終わり、神子の役目も終わったのだ。

(私はもう神子ではない。浪月様にとっては用済みなのだ……)

 面を伏せたまま、影親に問いかける。

「……私なぞが帝の御心にかないますでしょうか」
「やっとその気になったか。案ずるな。万事私がうまく取り計らうゆえ」

 嬉々として請け負う影親の声を聞きながら、肩にかけられた浪月の衣の袖をそっと握りしめた。
 衣に焚きしめられた浪月の香の匂いに包まれながら、真霧はせつなく目を閉じた。
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