貴公子、淫獄に堕つ

桃山夜舟

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妻問

告白

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 その夜────
 真霧まきりは、自邸の小ぢんまりとした庭に面した簀子縁すのこえんで、手慰みに琵琶を奏でていた。

 気の向くままにばちで弦を弾いていると、ふと琵琶の旋律に笛の音が重なった。
 はっとして庭を見やれば、狩衣姿の見目良き男が、竜笛りゅうてきを吹きながらこちらへやってくる。
 月に照らされたその姿は、天人もかくやという麗しさだ。
 きざはしの前に立った男が笛を下ろし、薄く笑んだ。

「起きて待っていてくれたのか」
「待てと文を下さったのはあなた様ではありませんか、浪月ろうげつ様。いえ……、晴良はるよし親王様」

 男が小さく頭を振った。

「よい。浪月と呼べ。その名を呼ぶそなたの声は、もう耳に馴染んでおる」



 数刻前のこと。
 帝と晴良親王の邂逅の後、呆然としたまま蔵人所くろうどどころに戻った真霧の元に一通の文が届けられた。

 ────今宵、そなたを訪う

 高雅な香を焚きしめた鳥の子紙とりのこがみに、見事な筆でそう書かれていた。
 名はなかったが、誰の物かは明らかだった。
 だから真霧は、帝に許しを乞うて自邸に戻り、こうして浪月を待っていたのである。



 隣に腰を下ろした浪月に、用意していた酒をすすめ、切り出した。

「それで……、教えていただけるのですか。なぜ帝の弟宮ともあろうお方が、魔斗羅教の宮司をされていたのかを」

 浪月は頷き、盃を傾けつつ、語り始めた。

「……はじめは、戯れのつもりだったのだ」



 先帝崩御後、女御であった浪月の母もまた、我が子の帝位への道が閉ざされた心痛から、先帝の後を追うように儚くなった。
 寄る辺を失った親王にならつけ込む余地があると思われたのだろう、都の外れの山荘で寂しく暮らす浪月の元へ、ある日、怪しげな法師がやってきた。
 雇ってくれと己を売り込む法師に、無聊の慰めに呪術や占術を披露させるうちに、ふと思い立ち、自ら呪術の真似事をやってみた。 
 そして、気がついた。

 ────己には並外れた法力があるということに。


 だが、その力を生かす場もなく持て余すこと数年、気晴らしに民に身をやつして訪れた市で、魔斗羅教を知った。
 更に、左大臣らしき貴人がその邪教に多額の布施をしたという噂も。

 それが信心からなのか、それとも何か企みがあるのかはわからなかったが、いずれにしろ左大臣ともあろう者が邪教に肩入れしているとなれば、穏やかではない。
 己を不遇の身に陥れた影親かげちかの弱み。
 白日の下に晒してやれば、さぞや胸がすくだろう。
 そう思い、半ば戯れのつもりで、信者と偽り、魔斗羅教の社に潜り込んだ。
 ところが、度外れた法力故にあれよあれよという間に宮司に祭り上げられてしまったのである。

「ともあれ、噂がまことであることはすぐにわかった。だが、同時に今更ながら気がついたのだ。わかったところで、どうしようもないことにな」

 当代一の権力者と落ちぶれた親王。
 人はどちらの言うことを信じるか。

「私が真実を述べても、奴への恨みからの虚言と取られてしまっては終わりだ」

 どうしたものかと考えていた矢先のこと。
 浪月は影親の別邸に呼びつけられた。
 目の前の新たな宮司が晴良親王であることなど知る由もない影親は、帝の伽を務めさせたい者がいるゆえ、神子として淫蕩に仕込むよう求めてきた。

 そして、送り込まれてきたのが真霧だったというわけだ。


「はじめは、そなたも左大臣の一味で、自ら望んで来たのだろうと思った。ならば望み通り淫獄に堕としてやろうと、そう考えた。だが────」

 そこで言葉を切り、浪月は真霧を見た。

「そなたは堕ち切らなかった。淫らの限りを尽くしても、そなたの瞳が力を失うことはなかった」

 このような者が望んであの男に組みするだろうか。
 そう疑問を抱いた。
 案の定、宵祭の後、供の武者たちとの会話をひそかに聞き、欺かれて連れて来られたのだと知った。

「それからは、そなたを試していたようなものだった。だがそなたは全てを耐え抜いた。むしろ、乱れれば乱れるほど鮮やかに花開き、人も妖も虜にしてしまった」

 真霧なら、影親に利用されるだけでは終わらないのではないか。

「そう考え、私はそなたに賭けた。そして、そなたは私が見込んだとおり、影親の奸計を看過せず、呪詛を暴いた」


 そこまで語ったところで、浪月が自嘲に頬を歪めた。

「……そなたにしてみれば、全ては私の独り善がりに過ぎぬであろう。私は影親とともにそなたを欺いた上、利用しようとしていた。恨まれても仕方がない。すまなかった」

 そう言って頭を下げられ、真霧は慌てた。

「どうか、頭をお上げください。そもそも浪月様が仕組まれたことではありませぬ。恨んでなどおりませぬ……」

 それは本心だった。
 
 浪月の告白には、心底驚かされた。
 帝の弟たる親王が邪教に潜入し、あまつさえ宮司になるなんて。
 その恐れを知らない豪胆さには驚き呆れるばかりだ。

 そして、全てを知っても、怒りも恨みも湧かなかった。
 ただ、世間から忘れ去られ、後ろ盾もなく、己一人しか頼る者のいなかった親王のことを痛ましく思った。
 本来なら、東宮として数多の人々にかしずかれ、華やかな日々を送れたはずだったのに。

 だが、なればこそ、大きな疑問がある。


「私のことはもうよいのです。それよりもお聞きしたいことがございます」

 真霧は、浪月をじっと見上げた。


「なぜ────、東宮位をお断りになられたのですか」

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