貴公子、淫獄に堕つ

桃山夜舟

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本祭 一夜

貴公子の面

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 池や築山つきやまの設けられた広大な庭に、管弦の調べが響き渡る。
 水面に浮かべた龍頭鷁首りゅうとうげきしゅの舟で、人々は船遊びを楽しんでいる。
 雅な言の葉を交わしながら、地位のため、出世のため、腹を探り合い、駆け引きをし、牽制し合う。
 それがこの久遠の都、平遠京へいおんきょうにおける貴族のあり方だ。

 真霧まきりは、玲瓏たる美貌に微笑を浮かべながら、さんざめく公達きんだちらの話に相槌を打った。
 話題は次の除目じもくのことから、中納言の一の姫がいかに美しいかという噂話にうつったところだ。
 いつもどおりの、常と変わらぬやりとり。
 
 そう、いつもどおりだ。
 それなのに、どうしてこんなにも気づまりに感じるのだろうか。
 どうして、退屈でたまらないのか。
 どうして────

「それは出世にも、都で評判の美女にも興味が持てないからだ」

 低く、耳触りの良い声が、鋭く言い放った。
 ぎょっとして振り向く。
 そこにいたのは浪月ろうげつだった
 瞠目する真霧に、浪月は酷薄な笑みを浮かべて問いかける。

「ずっと待っていたのではないのか?卒なく美しい貴公子のめんを壊してくれる者を」





 はっと目を覚ますと、見慣れぬ御帳台みちょうだいの中だった。
 御帳台とは、四方にとばりを巡らせた天蓋付きの寝台である。
 貴人の邸のものにも引けをとらない豪奢な作りの御帳台と、見ていた夢とが混ざり合い、一瞬自分がどこにいるのかわからなくなる。
 乱れた黒髪を掻き上げながら身を起こせば、裸の肩から寝具として着せかけられていた衣が滑り落ちる。

(ああ、そうだ……。湯浴みの後、のぼせて……)

 用意されていた神子の間に運ばれ、御帳台に横たえられたところで、気を失うように眠りに落ちたことを思い出した。

 帷越しに差し込む日は明るい。
 もう昼を過ぎているかもしれない。

 側に控えていた信徒が、手早く手水ちょうずを用意し、身支度を整えてくれた。
 昨日と同じうすぎぬ単衣ひとえを着せられ、髪を梳られる。

 武者たちの姿はここにはなく、二人がいないことにほっとして息を吐いた。
 彼らにされたことを思えば、今はあまり顔を合わせたくない。
 とはいえ、おそらく目の前のこの信徒もまた、昨夜の乱行に参加していたのだ。
 考えると恥ずかしさにいたたまれなくなるが、あのような淫らな祭祀であっても神子はあくまで神子ということなのか、男の態度はあくまで丁重だ。

「祭の期間中は潔斎をしていただかねばりませぬが、少量の粥ならお召し上がりいただけます。いかがなさいますか」

 そう尋ねられ、奇妙なことになぜか空腹を感じていないことに気が付いた。
 昨夜の荒淫はひどく体力を使うものだったはずだ。
 あられもない声をあげながら、これまでしたこともないようなはしたない体勢で幾人もの男を受け入れた。
 それなのに、腹が空かないばかり、体のどこにも痛みや鈍さはない。

 神子の徴がもたらす力なのだろうか。
 そっと下腹を撫でると、じんわりとした熱とほのかな疼きを感じて、真霧は思わず息を詰めた。
 その様子を信徒が見ていることに気付き、取り繕うようにかぶりを振り、朝餉あさげはいらないと告げる。

「では、削氷けずりひならばいかがでしょうか」
「削氷があるのですか」

 驚いて聞き返した真霧に、男は事も無げに頷く。
 削った氷に煮詰めた蔦の樹液である甘葛あまずらをかける削氷は、都でも貴重な甘味だ。
 それをこのようなひなの地で食べられるとは。
 信じ難いことではあるが、火照る体に氷はありがたく、真霧は頷いた。


 信徒が運んできた高杯たかつきの上には銀の椀が乗せられていた。
 椀の中身は、細かく削られた氷とその上にかかるとろりと甘い蜜だ。
 板張りの床に一枚置かれた畳の上のしとねに座り、傍らに置かせた高杯から銀の匙を取り、削氷をすくいあげる。

 美味だった。
 甘葛は都で食べるものより、香りも甘味も濃く、冷たい氷とともに喉を通っていく感覚が心地いい。
 真夏ではないとはいえ、氷を保管するには氷室がいるし、甘葛もまた貴重だ。
 御帳台をはじめ、畳や屏風、几帳などの室礼しつらいも品よく質が高い。
 おそらく多額の喜捨をしている者がいるのだろう。

(それが右大臣なのだろうか)

 大臣級の財力なら、それも可能なはずだ。


 つらつらと考えながら氷を口に運んでいると、庭に向かって開け放たれた縁から足音と衣擦れが聞こえてきた。
 巻き上げた御簾をくぐり、黒の布衣ほいをまとった浪月が姿を現す。
 途端に、部屋の空気がぴりりと引き締まったような気がした。
 昼の光の下で改めて見ても、気圧されるような偉丈夫だ。
 側仕えの信徒が畏まり、平伏する。
 真霧も慌てて匙を置き、床に手をつこうとしたところで制止された。

「そのままでよい。そなたは神子。かしずくべきは我らの方ぞ」

 言葉の割に尊大な口調で言いながら、浪月が真霧の前に腰を下ろす。

「気分はいかがか」

 雄々しく整った面に間近から見つめられた。
 衣に焚きしめられた香がふわりと漂う。
 不意に、昨夜、この男に初めて貫かれた甘い衝撃が蘇り、かあっと頬が熱くなる。

「悪くは……、ありませぬ」
 
 赤くなった顔を俯けると、顎をとらえられ、上を向かされてしまう。

「顔が赤いな」
「あ……、これはその、少し体が火照っているからかと……」

 咄嗟に誤魔化した。
 嘘ではない。
 だが、あまりうまい言い訳ではなかったことに、口にした後すぐに気づく。
 案の定、浪月の眉が僅かに寄せられた。

「神子の身に大事があってはならぬ。体を見せてみよ」

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