Realize・Id  ~統境浪漫譚~

86式中年

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本編 『転』

第四十一章 家族のカタチ、太陽のカタチ

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 カーテンの隙間から僅かに差し込む日差しと、雀たちの声によって式王子小夜はゆっくりと瞼を開いた。

 胸元が温かい、と視線を向けてみれば久遠の頭頂部が見えた。式王子の大きな胸部装甲を枕代わりにしてすやすやと眠っている。

 出会って二ヶ月ぐらいだが、夜に寝る時はずっとこうだ。寝床に入った時は三上も含めて三人川の字だが、朝起きると式王子にくっついている。自分だけなのかと思って式王子が三上に尋ねてみると、『時々俺の方にもくっついてるよ。俺が布団から抜け出すとお前の方に行くけど』との事だった。確かに三上の朝は普段から早い。5時には起き出して朝練に出ているのだ。

「六時………」

 壁掛けの時計に視線をやると、短針は真下に、長針は頂点を若干超えた頃だ。そろそろ朝食の準備をしなければならない。この頃になって慣れては来たが、三人分を用意するとそれなりに骨になると知った。世のお母さんは大変なんだな、と身を以て実感するようになった式王子だ。

 尤も、『実家は殆どお祖母ちゃんが仕切ってますけど』と注釈がつくが。そもそもあの社会不適合者が家事の『か』の字すら行っていることすら見たことがない、と式王子は実母を扱き下ろす。仲が悪い訳では無いが、お互いに遠慮がないのだ。

「んん………ママ………」
「ふふ………」

 胸で眠る久遠が少し寝言を零して、それに式王子は微笑んだ。

 所詮は疑似。全くの他人とまでは言わないが、それでも今の久遠を取り巻く家族構成はあくまで後付で作られたもの。それでも、例え偽物であったとしても彼女は式王子を、そして三上を親と認識し慕っている。

 それを突き放せるほど薄情ではなかったし、見て見ぬふりが出来るほど酷薄にもなれなかった。

 例えこれがいつかは壊れてしまう関係性であったとしても、今ここにある両腕の暖かさを自ら壊したくはなかった。

 だからこそ―――。

「―――さて、そろそろ起きますか」

 偽物の母は、それでも母であろうとしていた。



 ●



 そんな風に教練校での日常に慣れ、そろそろ5月も下旬に入ろうとした頃だ。戦闘科第一班に割り当てられた班室で、鐘渡教練校の総代である東山が一日の終わりしなにこんな事を一年組に尋ねた。

「そう言えば、そろそろ中間考査だけど三人とも準備は大丈夫ー?」

 中間考査、と言われて一年組はそう言えば、と手を打った。だが慌てるでも現実逃避するでもなく、そういえば何かそんなのもあったな、と言わんばかりに落ち着いていた。それに対して風間が補足する。

「入試時の主席と次席に問うのは愚問だろう。式王子君も成績上位者だ」
「それもそっか」

 一年組の返答を待つまでもなく、東山は頷く。

「まぁそうね。授業範囲しか出ないなら特に対策しなくても問題ないわ」
「え?授業の範囲外なんて出ないでしょう?」

 宮村の太鼓判に式王子が首を傾げた。東山や風間も同じだったらしく頭上にクエッションマークを浮かべている。

「七菱の予科は出たぞ。習ってないところが三割程だが」
「教科書渡したのだから全部読み込んでおいて当然、がモットーだったわね」
『勉強まで修羅の国かー………』

 それに対してしれっと解説する加賀と宮村に、周囲は乾いた笑みを浮かべた。因みに、赤点が常に70点固定なので、例え履修範囲が完璧でもその三割を全て不正解すると補習及び追試がほぼ確定するのだという。

 式王子も加賀や宮村程ではないが、成績上位者ではある。だが、それは普段から授業をちゃんと聞いて、分からなければ教師に聞いているからだ。尤も、その理由が単純に赤点や追試で趣味の服飾制作時間を削られてたまるか、という俗物的な理由であるからなのだが。

「小夜はどう?子育てで大変なのではないの?」
「とは言っても、くーちゃんはそんなに手の掛かる子じゃないですし、授業範囲内の出題なら私も大丈夫です」

 宮村の尋ねに、式王子は首を横に振って否定する。

 まだ教練校に入って二ヶ月に満たないが、座学の密度はそれほど高くない。現状ならば、例え抜き打ちであってもどうにかなる。

 尤も彼等学生達は知る由もないが、実技を伴う教練に慣れるまでは進みを抑えているだけで、それが慣れ始めた二学期からは加速度的に座学の情報密度は高くなるのだが。

「ふむ。不安なようなら勉強会でもしようかと思ったが、いらないか」
「勉強会ですか?」
「うん。二年生の慣例なんだけどねー」

 そんな一年生を補佐するために、先を進んでいる二年組が面倒を見るのが伝統と言うか慣例だ。無論単なる善意ではなく、自身が所属する班から目立った成績不良者が出ると三年時に行われる実地試験の選定考査に影響してくるからだ。

 場合によっては、実地試験地が音に聞こえた九州圏軍になる可能性があるのなら必死になろうというものだ。

「そいじゃ、解散ー」

 とは言え第一班は運良く成績上位者が集められているので、不安に思うこともなくなった東山は満足そうに頷いて本日の教練の終了を合図した。

 荷物を持ってめいめいに帰路に着き、式王子もある場所へと足を向ける。今日は教練終了後に三上と共に理事長室へ来るように通達されていたのだ。

「あ、正治君」
「ああ、小夜。おつかれさん」

  式王子が理事長室のある5階まで上がる為にエレベーターホールへ向かうと、そこで三上と出くわした。

「理事長からの呼び出し、やっぱりくーちゃんの事でしょうか」
「多分な。例の戸籍関係じゃないか?」

  二人連れ立ってエレベーターに乗り込み、とりとめの無い会話を交わしながら件の理事長室へと辿り着く。

  軽くノックをすると中から返事があり、二人は失礼しますと室内へ入った。

  執務作業でもしていたのか、部屋の最奥のデスクで眼鏡を掛けた長嶋が出迎え微笑んでいた。

「やぁ、二人共呼び出してごめんね。そこに掛けてよ」

  長嶋に促され、二人は部屋の中央に配置されたソファーに並んで腰掛ける。

  そして対面には幾つかの書類を手にした長嶋が座った。

「と言っても大した用じゃないんだ。はいこれ」

  そう言って手にした用紙を机の上に置いた。

  空白欄が多いテンプレート。緑の囲いに目を滑らせて一番上を見てみれば、これが何の用紙なのか分かりやすく記載されていた。

「養子縁組、ですか」
「色々手を回して久遠ちゃんの戸籍を秘密裏に作ったからね。それが最後の仕上げになる」

  現在、書類上の身元引受人は長嶋になっている。それに関しては、去年に起こった9.25事件の被害者の身元を引き受けた時と同じ手法だったようだ。

  その上で三上、あるいは式王子に養子縁組に出せば少なくとも戸籍上は真っ当な日本国民と言える。

「因みに、もう一枚あるよ?」

  その養子縁組の紙の下にもう1枚重なっており、その紙には。

『こ、婚姻届………?』
「今の御時世、独身でも養子縁組は出来るけどね。まぁ、両親は揃っていた方が都合がいいから」

 戸惑う二人に、長嶋はニヤニヤと歳に似合わぬ悪戯小僧のような笑みを浮かべていた。

「判断は任せるし、期限を切る話ではないからじっくり考えて」



 ●



 養子縁組の里親の条件は、前世紀に於いて非常に煩雑なものとなっていた。

 結婚歴があるかとか、養育里親研修を終えているだとか、経済的に困窮していないかだとか、要項を挙げて逐次解説すれば小冊子が出来るほどに複雑で、歯に衣着せぬ表現をすれば面倒極まりないものであった。

 だが、里子になる子供達が出された後も幸せになるためには必要な制約であったし、そもそもその条件程度を超えられない程度の熱意しか無い里親に引き合わせれば、お互いに不幸な結末しか見えないだろう。

 では現代はどうなのかというと、条件は多少緩和されている。

 というのも、例え消却者という存在がなかったとしても事故死や病死の可能性は常に付き纏うと言うのに、人類種を食う化け物の存在がその生命を脅かしているのだ。

 片親は当然のこと、両親を失い身を寄せる親戚もない子供も多い。それを救済するために国が管轄する児童養護施設は当然あるのだが、それにだって当然限界はある。可能ならば里親に出して負荷を減らし、減った負荷でまた身寄りのない子供達を引き受けねばならないのだ。

 であるなら、旧世紀のような厳しい条件で里親を募集していられなくなる。結果として規制緩和が行われ、現在では成人である15歳を超えていればある程度の条件がクリアできる。尤も、そこまで若いと保証人が必要にはなるが。

「どうする?」
「どうしましょうか?」
「どーするー?」

 久遠を迎えに行き、アパートに戻った三上と式王子はテーブルに置かれた紙切れ二枚を覗き込み、三人で額を集めていた。

 既に養子縁組の方は長嶋武雄、そして三上家、式王子家の連名で保証人の枠は埋まっている。こちらは特に問題はない。と言うよりも、このまま疑似家族を続けていくならば体裁を整えるために必要な案件だ。今はまだ慣らしも含めているために、諸々をなぁなぁにしているが、いつまでもこのままにはしてはおけない。だからそれはいい。来るべき時が来たと考えれば、少し遅いかもしれないと思うぐらいだ。

 だが、もう一枚の婚姻届に関しては二の足を踏む。少なくとも、三上にとっては。

「ママ?パパはどうしたの?」
「何でも無いですよー?ちょ―――っとパパが意気地無しなだけです」
「いや、その、まぁ………」

 そんな風に硬直している三上を不思議に思ってか、久遠が首をこてん、と傾げて式王子に尋ねると、彼女はしれっと痛烈かつ直截な物言いをした。

「いくじなし?」
「ヘタレって事ですねー」
「パパはヘタレなの?」
「うっ………!」

 幼子、しかも自分が庇護している子供に悪気なく尋ねられて、三上は遂にぐぅの音も出なくなった。

 成人が15歳である以上、法律上は結婚できる。だが、結婚できるからと言って成人の恋人同士全てが結婚するかと言えば当然違う。まともな将来設計と生活基盤が出来ていれば視野に入れる者もいるだろうが、少なくとも教練校生はそこまで盤石な収入があるわけではない。

 金の問題など知った事か、と若さに任せて突き抜けるカップルもいるにはいるが、大抵はその後で現実に直面して途方に暮れている場合が殆どだ。まぁ、その苦労も長い目で見ればいい経験にはなるのだが、先人の例を見れば普通のカップルは躊躇う。

 そもそも、生涯を共に出来るほど相性が良いのだと誰も確約してくれない。色恋―――特に人生経験の乏しい少年少女のそれなど何を況やだ。一時の感情に任せて付き合うことがあるのならば、一時の仲違いで別れることもあるし、こんな時代でなくても死別は当然ある。

「まだ15だろ、俺達」
「まぁ、そうなんですけどね」

 そう言った意味では、三上と式王子はまだ現実を見ていた。

 お互いの馴れ初めは生まれた時からであるし、良い所も駄目な所も全て見てきている。激しい恋愛は一切なく、どちらかと言えば離れがたい家族愛に近い。それでも順当に行けば、多分コイツとくっ付くんだろうなとお互いが認識していて、その道を歩むことに躊躇いが無いぐらいには互いを想っている。

 ただ、彼等の心に根ざした不安があるのも確かだ。

「取り敢えずは、こっちだけにしておきましょうか」
「お、おう………そうだな」

 露骨にホッとした表情の三上に、式王子は我知らず嘆息した。

(本当に、もう………)

 三上正治は身体の大きさに比例するように優しく、そして反比例するかのように臆病だ。式王子は少なくともそう認識している。

 もっと我儘に振る舞っていいし、欲望の赴くままに自分を奪いに来ても良い。それが彼にとっての癒やしになるのなら、式王子は身を捧ぐことを厭わないだろう。それがあの時、三上を危険に晒した彼女の贖罪であり、責任だと思っているからだ。

 何とも歪な恋人同士である。

 もっと単純に、それこそ子供のようにぶつかり合うことを是とすればこうもややこしい関係性になってはいないだろう。義務感や責任、贖罪で色恋を語るから、ヤマアラシのジレンマが如くお互いを傷つけている。

「おてがみ?」
「そうですねー。ほら、くーちゃんの名前も書いてありますよ」
「パパの名前もある!―――あれ?ママの名前は」
「パパ次第ですねー」

 だからこそ、久遠という潤滑剤が無ければ今以上にギクシャクとした関係を続けていただろう。疑似家族というこの妙な関係性は、久遠だけではなく三上や式王子の関係性にも良い影響を及ぼしていた。

「そ、それはそうと久遠、最近どうだ?静流さんのところでいい子にしているか?」
(露骨に逃げましたね………)

 養子縁組の用紙に書かれているのは三上の名前だけだ。久遠自身が三上久遠と名乗っているのだから自然とそうなる。式王子の名前が書かれるのは、彼女の名字が三上になってからだろうが、このヘタレ具合からして一体いつになるのだろうか。

「してるよー。今日もおばあちゃんのお手伝いしたもん」

 ふんす、と胸を張る久遠に式王子は顎に手を載せて考える。

(年齢は五歳だから、来年から小学生ですか………友達とか、必要ですよね)

 正確な年齢は不明だが、1999年当時の年齢をそのまま適応するとそれぐらいになるらしい。実際に体付きや思考もそれぐらいの子供に準じているので、違和感がない。

 今から幼稚園に入っても困惑するだけだろうから、この一年は今の時代に馴染ませるようにして、来年から小学一年生として扱うかと大人達は考えていたのだが、よくよく考えると同い年ぐらいの友人がいないのはいかがかと式王子は考えた。

「くーちゃんはお友達、欲しい?」
「お友達?カツお兄ちゃんみたいな?」
「え?アイツ友達枠なの………?」
「お兄ちゃんいつも遊んでくれるよ?」

 久遠の言葉に、三上と式王子はお互いに顔を見合わせて『えー………』と困惑する。

 あの狂犬がお友達。いや、アレで年寄りと子供には意外と懐かれるタイプなのは知っているが、あんな戦闘民族に関わり合いを続けていると悪い影響があるのではないかと心配になる。久遠が特攻服にグラサンでコンビニでうんこ座りしてたら俺は泣くぞ、と思った三上は一つ頷いて。

「いいかー久遠。アイツは殴られるが好きなどMっていうヘンタイだから近寄っちゃ駄目だぞ?」
「正治君、くーちゃんに変な言葉教えないでください」

 それこそ悪い影響になりかねないと母親に苦言を呈されていた。

「う、いや、悪い。と言うか久遠が絡むと急にお前が常識人になるの、未だに慣れないな………」
「正治君?」
「ハイスミマセン」

 母の尻に敷かれる父を、久遠が不思議そうに見ていた。



 ●



 白を基調とした診察室の中で、唸るような声が響く。

「うーん。参ったねこりゃ」

 椅子を軋ませて背もたれに体を預け、手にしたカルテを眺める病み医者こと中村はぼりぼりと後頭部を掻いた。

「えっと、やっぱりおかしいですか?僕の心臓」
「元々おかしいけどね。今はもっとおかしいよ」

 その様子を見て、対面に座る新見が尋ねてみると中村は肩を竦めた。

「どう言う風におかしいんですか?」
「―――その前に、この子誰?」

 個人情報ということもあって、そのふわっと濁した言い方に疑問を覚えたのか、新見の後ろにいるエリカが首を傾げ、とうとう中村は新見に聞いてみた。

 心臓の経過観察をするから後何回かは来なさいと言い含めてはいたが、その初回で女連れで来るとは思わなかった。どうも新見自身も戸惑っているところを見ると、この少女が強引に引っ付いてきたのは確認するまでもないだろう。中村は『何だか面白そうなことになってる』とニコニコとしていた。

「えっと………」
「ツレアイのエリカです!」
「ははぁ、最近の若い子は関係が進むのが早いねぇ」
「エリカ付き添い!連れ合いは意味が違ってくるから!」
「あれ?」

 ラブコメみたいなことしてんなこの二人、と中村は他人事だから楽しみにながら新見に視線を向けた。

「ま、君がわざわざウチに連れてくるぐらいだ。個人情報だけど、診察内容言ってもいいよね?」
「いや、連れてくるというか着いてきたというか………まぁ、エリカも僕の事情は知ってますので」
「やっぱり連れ合いじゃないか」
「まだそんな関係じゃ」
「まだ、ねぇ………」

 ニヤニヤと含みのある言い方をしてみると、新見は顔を赤くして身を窄めていた。エリカは分かっているのか分かってないのか微笑んでいる。

「まぁ、いいけど。サイバネティックスは、昨今の外科手術には必須だから僕は割と専門職と言っても良いけど、施術でくっつけるのと開発するのとでは必要とされる技術と知識が違う。それを前提に聞いてくれよ?」

 このままラブコメの波動を感じていても良いのだが、その前に仕事をしようとテーブルのPCから映像を出力する。

 画面に写ったのは鋼の球体。およそ心臓の形はしていないが、新見の体に収められているヘリオスだ。左上に書かれている時間は一昨年のもの。

「君の心臓は初診の時には既に共食い状態だった。欠けた部分を埋めて、ギリギリ動く環境を作っていた。互いに持つ自己修復機能でね。ただ、壊れた影響で戦術OSに不具合が出てしまっていたんだ。だから基礎機能を司るBIOSは動いても戦術OSが動いてこそ使える拡張機能の数々が使用できなかったわけだね。多分、細かな仕様が違っていたと思うんだ、君のヘリオスと君の友達のヘリオスは。だから、微妙な相性が悪さしてエラーを吐いていたんだ」

 そもそもがニコイチなのだ。いくらベーシックが同じとは言え、グレードとオプションは全く違っていた。それを無理矢理一つにパッケージングすれば、どこかで何かしら不具合が起こる。調整して修復すれば以前と同じように稼働も出来ただろうが、それを可能とする技師は中村にも思いつかなかった。

 そもそも、このヘリオスという鋼の心臓のスキャンを撮って絶句した。

 幾何学模様のような、細密画のような繊細さで、それでいて冗長性が一切ない完成品―――それが2つ。まるでパッチワークのように繋ぎ合わされているのだが、無事な部分はそれがあるがままの形であった。

 これ以上何かしらの付け加えは全くの蛇足。

 これ以上何かしらの削除は画竜点睛を欠く。

 だというのに、部分部分を見てみれば無駄とも思える設計も見受けられ、かと言ってそこを経由して何らかの機能を有している。

 さっぱり意味が分からない。

 少しでもサイバネティックスを齧り、義体に関わったことがあるのならばこの心臓の歪さと完全性を理解できるだろう。相反する要素だというのに、それが同居するというこの違和感。

 まるで場違いな芸術品。

 この二年、完全ではないがその機能やあり方を眺め続けて中村が辿り着いた結論は、この心臓は心臓としての機能をメインに造られた訳ではないということ。

 心臓としての機能はあくまで余技。本来の機能はもっと別の何かだ。

 おそらくその別の何かの一端を、新見は知っているのだろうが中村は敢えて聞いていない。

「無理矢理動かした影響かどうかは分からないけど、君の心臓はちょっとおかしなことになっている。これを見て。一昨日、君が運ばれてきた時に撮ったの」
「んん?」

 もう一枚画像を見せられて、横に並べられる。一見して同じようにも見えるが―――。

「―――継ぎ目が無いわ」

 エリカの言葉に、新見はハッとした。

「そう。前のは共食いしたケーブルや単線同士が結合して継ぎ目が出来ていたんだけど、今はそれがない。癒着………いや、融合と言ったら良いかな。その心臓は、真の意味で1つになっている」
「じゃぁ………」


 闇医者は言葉を区切って、深く吐息した。まるで、それが医者としての敗北だと言わんばかりに。

「僕の目から見ても完動している。少なくともハードウェアは。機能は生きているし、問題ないはずだ。不整脈なんか起こるはずがない」
「ハードじゃないなら、ソフトウェア?」
「そうだね。戦術OSの不具合が残ったままなのか、あるいは丁度いいノイズでも発生して互いに干渉しているのか。それとも何か別の要因か………現段階ではなんとも言えないね。バラしていいならどうにか出来るかもだけど?」

 流石に心臓バラされたら生きていられるとは思えない新見は、激しく首を横に振った。



 ●



「あれ?また来たのかい?」
「いや、気まぐれで寄っただけだ。邪魔だっただろうか?」

 新見とエリカが帰って、中村がヘリオスの内部構造をつぶさに観察していると、視界の端に黒い塊が過った。黒い、喋る猫―――アズライトだ。

 この猫、特に診察が無い日でも度々中村の診療所へとやってくる。特に何かをする訳ではなく、単なる散歩コースのようだが、わざわざ病院をコースにしなくてもと思う中村であった。

「そんなことはないけどさ。普通、動物は病院なんか嫌がると思うんだけどね」
「吾輩はそこまで薬品の匂いは嫌いではないぞ。前の主が研究者だったからな。常にその匂いを漂わせていた」
「へぇ………君を作った研究者か。名前を聞いても?」
「三村なぎさ」

 何となしに尋ねた中村に、思わぬ固有名詞が投げ掛けられる。

「………女の人、かな?」
「そうだが………知っているのか?」
「多分。学生時代の同級生さ」
「そうか。主は………」
「死んだんだろう?僕も、君の来歴を灰村から聞いているからね」
「すまない」
「いや、同級生って言ってももうずっと会ってないよ。顔見知りって程度の関係だったし。最後に会ったのはいつだったかな。確か、僕が研修医だった頃だから………もう十数年前か」

 特に深い関係ではなかった。

 高校時代に同じ学校で、三年間同じクラスだっただけ。医大に中村が進学してからは別々の道を進んだし、再会した時には一瞬誰だったっけと首を傾げたほどだ。そんな浅い関係性。

「久々に休みが取れて、買い物がてら街をブラブラしてたらばったり会ってね。人工知能の研究をしているって聞いてたけれど………成程、君がその成果だったか」

 その時ですらお茶の一服ぐらいを共にした程度で、連絡先に交換すらしなかった。

「主は、どういう人間だった?」
「ロマンチストさ。僕とは対極のね。だから、顔を合わせれば言葉を交わすことぐらいはしたけれど、趣味思想は相容れなかったなぁ………」

 その頃の中村と言えば、理想に燃えていた。

 多くの患者を救いたいと願い、浪漫寄り掛かること無く現実を見据えて経験を積み上げていた頃だ。だからこそ、喧嘩別れこそしなかったがいい年こいて夢を語る彼女を不快に思っていた。

 その後、現実に自身こそが酷く打ちのめされることなど知りもせずに。

「A.Iに心が宿ったら、まずは一緒に旅をしたいとか言ってたよ。様々な景色、様々な人、様々な世界を見せて回って、彼等の感想を聞きたいと。そうしたら、名前の意味を教えたいんだと」
「名前の、意味?」
「さぁ?君の名はアズライトだろう?多分、瞳の色から名付けられたのだと思うけど。それ以外に意味なんてあるのかね」

 きっと彼女の夢の集大成を撫でつつ、現実に敗れた闇医者は何を思うのか―――それは誰にも知り得なかった。
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