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本編 『起』

第十六章 それぞれの休日 ~ヘタレと猫と王女とメイドの場合~

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 飛空戦艦は基本的に内陸への進入は出来ない。内陸国ならば多少事情は違うが、少なくとも日本の現行航空法では予め国が策定したルートと運輸省の許可がなければ違法となる。

 では、何処に接舷するのかと言えば、当然海岸線沿いの港になるのだが、武装する関係で最低でも100mクラス―――軍用の装甲空母ともなれば500m級も存在するため、とにかく広い場所が必要になる。何しろ荷物や人員の積み下ろしだけではなく、メンテナンスするドッグも必要となるし、一日に寄港する数も多い。軍と民間の棲み分けも必要となると既存の港では明らかにキャパシティオーバーであるし、あまり数は多くないが一般的な船が寄る港も必要だ。

 結果として、旧羽田空港から横浜港までの海岸線沿いのほぼ全域が港となった。因みに漁船などの一般船は根岸湾に集約している。

 さて、飛空戦艦を語る上でこれらに魅了されているマニアに言わせるには、『離着水こそ飛空艦の華』と熱心に語ることが多く、往々にして置いてきぼりにされがちな一般人をして、飛行戦艦の離着水を一度見ればその派手さに納得する程だ。

 数百メーター級の鉄の塊が着水したり離水したりするのだから、確かにダイナミックになろうというものだ。その手法にも所属や操舵士やお国柄に左右されて結構バリエーションに富んでいて、さながらかつての航空ショーのようなエンターテインメント性もある。

 離着陸ならぬ離着水は基本的に海岸から1kmから2km離れた場所で行われるので、海浜公園にはその勇姿を見ようと観光客で賑わっていることも多い。

 幾つかあるスポットの中で、尤も突端と言え、取りも直さず飛空戦艦の離着水を余さず見れる場所としてメジャーな場所として、横浜港シンボルタワーが挙げられる。高さ40強の展望デッキに登れば備え付けの双眼鏡で水平線ギリギリの25km近く先の様子も見れるので、観光名所として名高い。

 その足元に、観光客が増えすぎた影響で旧世紀よりも拡大された公園がある。その一角で、異国情緒漂わせた風貌の少女二人が海を眺めていた。いや、正確に言うと片方が海に向かって何事か奇声を上げていた。

 その内容はというと。

「スシ!ゲイシャ!ハーラーキーリー!」
「エリカ様エリカ様。唐突に日本文化を勘違いした外国人のような叫びを上げるのはどうかと思いますわ」

 エリカとリリィである。

 休日ということもあって鐘渡教練校指定の制服ではなく、国許から持ってきた私服だ。カジュアルな見た目をしているが、有名ブランドのオーダーメイド品であり、二人はしれっと普段使いしているが一般企業勤めのサラリーマンのボーナスなら軽く飛ぶぐらいの価値はあったりする。

「え?だって、日本の人達も海に来たら海だー!って飛び跳ねながら叫ぶんでしょう?私はこの国の人じゃないから、それっぽいことを叫んでみようかと」
「色々誤解を招きそうな発言は止めて下さい」
「案外楽しいよ?リリィも一緒にやろうよ。フジヤマ!サムライ!ニーンージャ―――!」
「エリカ様エリカ様周囲の生暖かい視線が痛いですと言うかお立場を考えて下さい!」

 因みに陰ながらガチ護衛しているため、華がある二人に声を掛けようとした不心得者達は近寄る前に秒でSPに排除されては公安に引き渡されている。

 周りの視線は一般観光客の『何か外国人の可愛い女の子がはしゃいでる』という好奇の視線と公安の『異国の姫様可愛いなぁ』という保護者の視線と、ウィルフィードから着いてきたSP達の『護らねば………』という忠義の視線だけだ。

 従者の静止の声を振り切って全力ではしゃぎ回る姫様ではあるが、彼女の立場を考えるとリリィもあまり強くは言えない部分もある。

 そも、エリカは国許では常に公務に追われている。ウィルフィードは公国ではあるが、立場としては王族と変わりがなく、まして欧州各国の貴種の血を引いているエリカや他の兄弟達は外交の道具としての側面も持ち合わせている。基本的に他国の王族や貴族、政治家や外交官との交流は欠かせないし、継承権は高くないからこそ独立した後使える人脈を増やしておくために、エリカは積極的に公務に励んでいた。

 結果として、十五歳の少女としては余りにプライベートが無い生活を余儀なくされていたのだ。

 その善悪を問うのは別にして、さて日本に来てからはどうかと言うと、基本的にその手の公務から開放されていた。

 そもそも現在の世界情勢、各国の結びつきは近いようで意外と遠い。前世紀は国境やイデオロギーに寄る隔たりはあったが、今世紀ではそれに加えて消却者や禁域による物理的な隔てもある為、情報共有は出来ても実働となると途方も無いリスクや難易度が立ちはだかるのである。

 かたや日本は極東と呼ばれるほどに端っこの島国で、かたやウィルフィード公国は新興とは言え欧州に拠を構えている。それだけ距離が離れているのだ。有事の際に協力する協定を結んでも、前世紀の様に即日とは言えないし、移動だけでも相応以上のリスクを背負う羽目にもなる。

 だから、父である覇王からも『別に日本政府と昵懇になんなくてもいいぞ、あの国直ぐに頭が変わるし』と言われているし、エリカの留学目的も建前としては勉学のためなのだ。スケジュール帳にも、公務らしい公務は当面入っていない。

 となると、暇なのである。

 物心付く前からずっと公務公務で忙しかった少女が、何の因果か国許を離れたら暇になったのだ。何をしていいかわからない、と言う程に社畜根性は染み込んではなかったし、年相応に色々な興味が尽きない。であるなら、片っ端からやりたかったことをやってみようまずは観光!と持ち前のバイタリティでリリィを置き去りにする勢いで街に出てきたのだ。

 リリィとしては、不敬ながらはしゃぎ回る大型犬を相手にしている気がしなくもない。

「あれ?はんちょーじゃない?」

 騒いだらお腹減った、と公園の隅っこに並んでいる屋台でたこ焼きを購入して二人ではふはふ食べていると、不意にエリカが護岸沿いに見知った姿を認めた。隣にバイクを置いて、しゃがみ込んで海を眺めている。

「………本当ですわね。何を黄昏れているんですのあのヘタレ。―――キモ」
「―――リリィ、何だかはんちょーに辛辣よね」
「要注意人物なので」
「そうかなぁ?はんちょー、とても優しいけれど?」
「たった今超危険人物に格上げしましたわ。SPに情報共有をしておきましょう」

 リリィが素早い操作でPITを触ると、すぐさま姫様見守り隊と名付けられたグループチャットでSP達から返答があった。

 曰く『許すまじヘタレ』とか『味噌スープに沈めてやるよイエローモンキー………!』とか『天・誅・殺!天・誅・殺!』とか怨嗟の声が上がってきた。意思統一が伴った連帯感は大切だ、とリリィが満足気に頷いているとエリカが首を傾げて。

「よく分からないけれど、見かけたのに挨拶しないのは失礼だし―――行ってみましょ!」
「あ、ちょっとエリカ様!思いつきで動かないでくださいまし!!」

 足早に超危険人物の元へ行こうとするので、リリィは慌てて自らの主を追いかけた。



 ●



「何だか悪寒が………」

 海風に当たりすぎたか、はたまた忠義と敬愛をエネルギーにした殺意の波動が呪いとなって届いたか、ぶるりと新見は身を震わせて、フライトジャケットの前を閉めた。寒さには強い体質なんだけどなぁ、と不思議に思いながら、足元で香箱座りして海を見つめる黒猫―――アズライトに視線を向ける。

「大丈夫だった?」
「感謝する。初めての体験だった。良いものだな、バイクと言う乗り物は」
「そう言って貰えると助かるよ。公共交通機関だと小回り効かないから捜し物には向かなくてね」

 アイを探したい、と言ったアズライトに対し、新見も灰村も春日もどのアイなのかと尋ねた。

 愛、哀・藍・I・Eye―――単語に限ってもまだまだあり、人名を含めれば対象はもっと広がる。一言にアイと言っても、様々だ。だから尋ねたのだが、『アイとはそれほど種類があるのか?』とアズライトは困惑して要領を得ないようだった。

 しかしながら、新見達は人間であり、人間とは言語を手繰る生き物だ。創造主が告げたという言葉の文脈を辿れば、おそらくそのアイが愛なのだろうと予測は付く。

 では愛とは何なのか、と問われれば返答に窮した。別に小っ恥ずかしいから国語辞書に乗っているような無機質な回答でお茶を濁すか、と思ったわけではない。

 アズライトが求める―――否、A.Iが求める愛とは一体何かと考えた時、誰も答えが出なかったのだ。

 彼がただの猫ならば、親なり飼い主の愛情とでも言えば如何にもそれっぽいだろう。しかしながら、本来機械であるはずのA.Iに生き物が持つ感情は当てはまらない。

 例えば、だ。

 カマキリを見て欲しい。彼等も生き物である以上、自身の子孫を残すためにパートナーを決めて生殖活動を行う。

 これを人に当てはめるならば、実に愛情的な生き物と言えるだろう。だが、カマキリは生殖の最中、メスがオスを食う。比喩でも揶揄でもなく、文字通り食料にする。人間の視点で見ればこれはとても愛情には見えないし、それでも愛情と言うなら猟奇的だと世間は判断するだろう。

 しかしながら、カマキリの視点から見れば、文字通り身を賭して愛のための自己犠牲に殉じている―――のかもしれない。人類はカマキリと相互理解できるコミニュケーション能力を未だ持たないので不明だが。

 つまり同じ生き物、と言うカテゴリでさえこうも考え方や生物としてのシステムが違っているのだ。それを生物と機械、有機物と無機物という違いにまで範囲を広げれば、辿り着く愛の定義が人のそれと同じとは限らない―――いや、ややもすると全く違う結論に達する可能性の方が高い。

 それを人としての価値観で一方的に愛を語った所で理解は得られないだろう。

 故に、A.Iが愛を探すとなった時、人類はその手段を持ち得ないのだ。

 ―――と、言うのが灰村家で行われた第一回『愛ってなんだ』の結論である。どっかの昭和生まれ平成育ちが聞いたら、躊躇わないことさ、と歌いながら蒸着!と見栄を切ってくれるだろう。

 ともあれ、図らずも大真面目に愛について議論する羽目になったアウトローとキャバ嬢と童貞がまともに答えに到達できるはずもなく、付き合ってやるから自分で探せ、とアズライト本猫に丸投げした。

 結果、愛の何たるかを知らない猫が、人間を使ってフラフラと街を出歩くことになったのだ。今日は土曜日ともあって新見が暇だったので、ジャケットの胸元にアズライトを入れて、街を単車で流していた。

「このバイクの個体名称は何と言うのだ?」

 海を眺めていたアズライトが、隣に未だ熱を持って佇む鉄騎に興味を向けた。

「GPZ900R―――の霊素粒子機関搭載復元車だよ」
「E2レストアモデル?」
「元となったバイクは前世紀の内燃機関だからね。今の時代、ノースワップノーレプリカのガソリンで走るオリジナルを持っている人なんて、富豪かなんかだと思うよ。大体は最初から霊素粒子機関搭載のバイクなり車なりを買うし、こうして復元車持っているのなんて偏屈な趣味人だけだよ」
「ふむ。思入れのあるものなのか?」

 自らがその偏屈な趣味人だと自嘲する新見に、そこに至る何かがあったのかとアズライトは尋ねた。

「このバイクが出てくる古い映画があってね。主人公が戦闘機と並走するシーンを何度も何度も繰り返し見て、親友と一緒にいつかこれに乗ろうって約束してたんだ。―――空の男はコレに乗るべきだって」
「その親友とは?」
「死んだよ。2年前にね」
「そうか」

 淡々と、会話が交わされていく。

 人と人とのように揺らぎはなく、いっそ無機質なまでに。その気遣いの無さと言えば良いのか、よくも悪くもフラットなやり取りを、新見は何処か心地よく感じていた。人間相手なら多分、誤魔化していただろう。それぐらいにはデリケートな過去だ。

「何せこいつ、『消却事変』前のバイクだから本物のパーツはもう本当に手に入らないし、元社員と有志がネットにバラ撒いてくれた設計図を参考に部分部分を自作する羽目にもなったし、お金は大分掛かったし苦労も多かったけど………」

 実際、学生がこれを金だけで手にしようと思うと青春を全てバイトに捧げるぐらいは必要だ。

 新見が恵まれていたのは、殆どジャンクになっていた車体を灰村の伝手で手に入れたこと、学生会から紹介してもらったバイトに町工場があり、働きがてらそこの工場長とその古馴染み達と仲良くなったことだ。同じ趣味を持つとのことで、合間合間に工作機器の使い方や組み上げ、登録関係にも相談に乗ってもらい、想定よりも早く安くレストアして路上を走れるようになった。

「―――まぁ、これで約束は果たしたんじゃないかなぁって思うんだ」

 既にこの世にいない親友を偲んで、かつての約束を果たした。

 単なる感傷と言えばその通りだ。だが、新見には人生を生きる上での目標がない。新見貴史として生きるようになって二年。ようやっと人がましい行動をできるようにはなったが、それ以前は機械のようにルーティンを熟すだけの人生。

 あれをしたい、これをしたいと言う願望はあったが、下手に発露すれば『調整』が待っている。それを回避するために、新見は自分を極力殺して生きた。ほんの少し、自我を見せれたのは、無二の親友と二人でいる時と―――仲の良かった職員が、隠れてこっそり持ち込んでくれた映画を見ていた時だけ。

 降って湧いたように、急に自由になっても何を目標に据えればいいか分からない。そんな中でどうにか約束を果たすという目標らしい目標を見つけ、これを組み上げたのだが―――ゴールした後も、人生はまだ続くのを、新見は終わった後で知った。

 半年前にやっと完成し、今に至るまで新見は少し燃え尽き症候群のようになっている。今後のことだって考えなければならないのに、何だかまるでやる気が起きない。だからこそ、新見の鐘渡教練校での評価は異能が使えないこともあって芳しくないのだ。

 言葉にならない何かを探している、と言う意味では新見もアズライトも似た者同士ではある。

 そんな風に―――傍目から見ると猫にバイクを語っているヤバい奴―――していると、後ろから声が掛かった。

「おーい、はんちょー!」
「あれ?エリカ―――と、リリィ?何でここに?」

 振り返ると、私服姿の班員が二人こちらに寄ってきていた。

「私達は日本観光ですわ。貴方こそ何故ここに?」
「えっと………」

 愛を探しています、等と言えるはずもなく、どう言ったものかと新見が逡巡していると足元のアズライトが二人に近寄った。

「にゃぁ」
「わ、猫ちゃん。可愛い。―――にゃー」
「にゃー」
「あは。懐っこいですね、この子!」

 ごろごろと喉を鳴らしながらエリカの足に身体を擦り付け、ゴロンと寝転んで撫でろとばかりに腹を見せるアズライトは、まさしく飼い猫のそれである。エリカもその完璧なまでの擬態―――もとい、愛嬌に相好を崩し、しゃがみ込んで猫の腹をもふもふして楽しんでいる。

 間違っても我輩とか言わないし、アイがどうのこうのと宣わないし、何処からどう見ても人懐っこい猫ムーブである。アレルギー持ちとかそもそも猫が嫌いとかでなければ、婦女子に限らず万人に受けることこの上ない。

 端的に言えば、あざとい。ものすっごくあざとい。

「猫のマネが上手いなぁ………」
「そうですか?にゃー」
「あ、いや、エリカじゃなくてね………」

 これはあれだ、自分が可愛いと理解している動きだ―――と新見は思うが、まさかそいつ吾輩はA.Iであるとか言いますよとは何処に目があるか分からないので言えるはずもなく、歯切れも悪く言葉を詰まらせる。

「そ、それで、その子はどうしたんですの?名前は?わ、私が触っても大丈夫ですか?この子たこ焼き食べますの?」

 リリィはリリィで猫と戯れる主を羨ましそうに見ながら、そわそわとたこ焼きを手に軽くテンションが高くなっている。

「猫にたこ焼きは駄目だと思うよ。あー………アズライトって言って知り合いの所の子でね。どうしてかツーリングが好きな子で、時々バイクで一緒に走っているんだ」

 猫が好きなんだろうか、と思いつつ新見は適当な言い訳を並べ、その嘘を嘘で塗り固めるための時間稼ぎに打って出た。

「バイク!私も国許にあるんですよ!ベスパっていうスクーターなんですけど」
「アレを手に入れてから近侍達が常に忙しそうにしていましたね………。姫様気づいたらアレに乗って脱走してましたから」
「あはは、姫がベスパで疾走するとかまるでローマの休日だね」

 丸っきりそのままのシチュエーションじゃないか、と新見が苦笑するとエリカはこてん、と小首をかしげた。

「ローマの休日って何ですか?」
「昔の、それこそ白黒の頃の映画だよ。と言うかヨーロッパが舞台で古典扱いされるぐらい有名作なんだけど現地人の君達が知らないのか?」

 不朽の名作だよ!?と絶句する新見に、私は知ってますが、とリリィが補足する。

「国許での姫様は公務の忙しさもあって、2時間近く時間を取られる映画はあまり見られませんの。精々、公務の一貫で新作の試写会などに招待されて出席される時ぐらいでしょうか」
「三十分ぐらいでささっと見られるアニメとか合間合間に読める漫画とかは結構持ってますよ!」
「某国の姫が思ったよりオタク寄りだった」
「でも映画!良いかもしれませんね。こっちにいる間は思ったより自分の時間が取れるので、名作と呼ばれるものは一通り見ても良いのかもしれません。はんちょーは映画はお好きなんですか?」
「まぁ、そこそこは」

 ぶっちゃけ子供の頃から娯楽がそれぐらいしかなかったんです―――とは恥ずかしくて言えない。尤も、暇を見つけては新旧ジャンル問わず見ているから、趣味:映画鑑賞とは言えるだろうが。

「オススメとかあります?」
「それ、一番困る質問だよ。エリカの好きなジャンルは?」
「アニメとか漫画は有名所は大体見てますよ」

 つまり雑食だ。一番方向性がとっ散らかっていて、趣味嗜好を事前に把握していないと下手なものを薦めると人間関係に亀裂すら入る地味に面倒なタイプ。まぁエリカのおおらかさならば早々地雷はなかろうが。

「そう言えば近くに映画館があったな。―――場所、教えようか?」

 間違っても一緒に見に行こうよ、との言葉が出ないのが童貞の悲しい性である。決してエリカの背後に佇むリリィの視線と、何処からか流れてくる複数の殺意の波動が怖かったからではない。



 ●



 2049年現在に於ける映画事情は決して良くない。

 今更説明するまでもなく、治安の問題だ。歴史を紐解けばよく分かるが、平和な時代にこそ文化というのは醸成されて飛躍するが、反対に戦乱の時代では停滞するしややもすると遺失する。消却者の被害や、それに伴って荒廃した人心を考えると、今は乱世と言っても良いだろう。

 故に、個人や一企業が映画を撮る事は酷く難しく、国家が資金を注入して作り上げることが大半であり、そうすると娯楽としての映画ではなくプロパガンダ色が色濃い―――身も蓋もない言い方をすればつまらない映画になる。

 前世紀はそれでも特殊な撮影手法や監督やスタッフの趣味を随所にこれでもかとブチ込んで、案外面白い映画に仕上がったりもするのだが、『消却事変』以降、その手の手法や技法は大概遺失し、趣味をブチ込もうにも最大スポンサーである政府からケチを付けられままならず、無難な仕上がりになることが多い。

 芸術作品にブレーキを掛ければ尖ったものにならず、得てして無難なものは人の心に残らない。尖っているからこそ、良くも悪くも人の心に刺さるのだから。

 そういう経緯もあって大して面白くもないなら別の娯楽でいいやと人離れも進み、見ないなら予算を減らしてしまおうとなり、予算が減るから更なる適当さでいいや―――と負のスパイラルに歯止めがかからなかった結果、現代映画は非常に衰退している。

 中には未だ情熱を燻ぶらせている生粋の映画馬鹿はいるのだが、どうしても予算や思想の制約を振り切れず、日陰者扱いされている。

 結果として、現在の映画館は新作はあまり公開されず、一方で1999年までの古い映画を上映していた。少なくとも、世間一般の映画館というのはそういう認識だ。

 その日、横浜港近くの映画館ではとある映画が上映されていた。

 前述したプロパガンダ色が非常に強く、しかし現用戦闘機を実機で飛ばして迫力のある映像を撮って、バイカーの心を鷲掴みにし、テンプレや様式美を外すこと無くシナリオを組み上げて、綺麗に撮りきった1986年のとある映画。

 新見が親友と繰り返し見て、その影響でバイクまで組み上げることになったきっかけの映画だ。

「でででっでっでーでーでででーでで」

 新見がロイヤル二人とばったり出会って三時間後、エリカはその映画のテーマソングを口ずさんでいた。

「ノリノリだねぇ、エリカ」
「すごかったです!びゃーっとバイクで走っている主人公の横を戦闘機がごーって!はんちょーが憧れるのも分かります!」
「興奮すると語彙力なくなるタイプか君」
「エリートとエリートのぶつかり合い、和解、男の友情………良いですわね」
「こっちはこっちで僕の手には負えないよ」

 映画館のエントランスホールから外に出つつ、新見は苦笑しながら安堵していた。

 案内したら案内したではんちょーも一緒に見ましょうよ!とエリカに手を引かれ、アズライトをジャケットの懐に隠しつつ、リリィと何処からか流れてくる呪殺の邪眼に肝を冷やしながら映画鑑賞すること二時間。途中から殺気は無くなったが、この空と鉄と男気溢れる映像作品を普通の女の子が見て楽しめるのだろうかと危惧していたのだ。

 女性とのお付き合いなどしたことがない童貞ではあるが、これが一般女性ウケしない事ぐらいは新見でも分かる。皆無とは言わないが、好んで見るのは男性だろう。

「僕としては男の子のロマンてんこ盛り映画を君達が選ぶとは思わなかったんだけど。恋愛映画の名作だってあったのに。女の子はそういうのが好きなんじゃないの?」
「ラブロマンスもいいですけど、折角はんちょーがあのバイク乗るきっかけになった映画がやっているなら見てみたいじゃないですか」
「私は姫様の判断に従うだけですので。―――とは言え、思いの外面白い映画だったのは確かですわ」
「でも良いですねぇ、F-14。ねぇ、リリィ。ウチで運用できないかしら?」

 唐突に、エリカはそんな事を宣った。

「エリカ様エリカ様、国許ではようやく純国産機のシルフィードが配備され始めたぐらいですし、一線を退いたとは言えラファール2だって騙し騙しの改修で頑張っているぐらいですよ?場所によってはグリペン4Exで賄っているところもあるんですよ?他国の、しかも昔の機体を買う余裕は無いですわ。ワンオフならともかく、部隊運用などとてもとても」

 それに対し、リリィも冷静に自国軍の戦闘機の配備状況を語った。じゃぁ専用機なら行けるか、とエリカが呟いていたがまさか自分用に買う気なのだろうか。

 どうやらこの二人、あの映画を娯楽作品としてもそうだが、軍事面でも楽しみながら考察していたらしい。そう言えば、この娘達とても一般女性とは言い難かったな、と新見は今更ながら思い出す。

「第7艦隊が残してくれたトムキャットが日本にあるけど、止めたほうが良いよ。ありゃ本気でドラ猫だ」

 何となく放っておいたらガチで衝動買いしそうな気がするし、多分資金的にもやれてしまう気がするので、新見は待ったを掛けておいた。勝手ながらウィルフィード公国の税金の使い道が心配だったからだ。

「燃料馬鹿食いは霊素粒子機関とのハイブリッドで改善されたけれど、その他の部品規格が古すぎてもう合わないんだ。可変翼な分整備に時間も掛かって地上時間も増えるしね。日本も改修こそしたけど、旧規格に合わせて新部品を作るより新設計の新型機作った方が総合的に安いし早いと判断したんだよ。今は操縦者と整備兵の練習機とか博物館の展示機して少数残っているけれども」
「え?まだ動く機体が日本にあるんですか!?」
「うん。『消却事変』当時、まだ国軍が自衛隊だった頃だけど、F-15Jがやっと配備が終わった頃でね。タイミングは良かったんだ。機種転換訓練を終えた操縦士もいたし、機体もあった。でも、全国の空を一斉にカバーするとなると別なんだよね」

 当時、横田や横須賀の空域は米軍のものだった。彼の国の許可がなければ自国領土だと言うのにまともに飛べず、それは『消却事変』時でも同様であった。

 1999年当時、世界中で消却者が大量発生した結果大混乱が生じ、在日米軍はアメリカ本国と連絡がつかなくなった。本来、連邦議会による承認がなければ軍事力を動かすことが出来ないのだが、第7艦隊は自衛を名目に制空権の確保に乗り出して、残存組は結果的に国に帰れなくなった。

 後年、南米に拠を移した新合衆国は第7艦隊の帰国を求めたが、残存組はとっくに土着してたし、新合衆国自体元の米国の位置にもう無く祖国と思えない、と残った大半の兵士達は帰還を拒否。流石にロナルド・レーガンを筆頭におおよその装備は返したが、それに乗り切らなかった装備や機材なんかは、実は丸々日本に残っていたりする。

 その辺りは米国の傀儡から抜け出て独立した日本の話も絡んでくるので割愛するが、今現在の新合衆国と日本の関係はかなり冷えている。

「―――そういった理由で、当時の米軍装備ってまだ結構残っているし歴史的価値も含めてある程度保持もしているんだ。まぁ、だからこそ当時の米軍が米帝って呼ばれる意味もよく分かるんだけどね。ブルジョワじゃなけりゃまともに運用できないよ、アレ」
「ロマンが………」
「まぁ、気持ちは分かるしロマンは大事だけれど。ポケットマネーじゃなくて国税を使って賄う以上、可能な限り効率化しないといざという時泣きを見るからねぇ、経済的にも政治的にも。特に日本は長く徴兵制度が無かったお陰で金と法律と人権意識が邪魔すぎて人員補充も覚束ないぐらいだったし。いや本当に、第7艦隊が条約放棄してたら滅んでいたんじゃないかな日本」
「ふむ。第7艦隊、ですか。こんなものまであるんですね」

 雑談をしながら映画館を出て、近くの喫茶店のショーウィンドウに第7艦隊バーガーなる艦橋を模したのだろうか、非常にうず高く建設されたハンバーガーを見て、半世紀近く経っても続くその人気ぶりにリリィは感心する。

 当時の在日米軍を取り巻く環境―――と言うよりは、対米感情は非常に複雑で、全体を見れば良くはない。日米安保があるからこそ、他国からの侵攻を防げていると好意的な見方もあれば、これがあるからこそ日本は米国の属国に過ぎないという意見もある。不祥事件を起こした米兵の異常なまでの不起訴率から、何かしら密約があるのでは、と言う噂もあったぐらいだ。

 故にこそ、『消却事変』に置ける条約の履行は米軍にとっても格好の人気取りではあった。

「そりゃ祖国に尻尾巻いて逃げることも出来たし、おそらくそうなるだろうって下馬評を覆して他国を守るために居残ったんだもの。文字通り命懸けで、実際に血を流してね。装備は勿論、命の損耗も出しながら。上層部の思惑はどうあれ、現場で仕事している兵士の人気が出ないわけがないよ」

 条約の履行、周辺住民の保護、自分達の生存―――厳しくなる一方の状況の中、それでも彼等は異国の地で戦い続けた。本国との連絡がつかなくなった以上、後に責任を問われるとしても今を生き抜くと、装備、機材、情報、食料から人員―――持てる全ての一切を日本に提供すると当時の司令官が宣言し、布告通りに当時の自衛隊の指揮下に入った。

 その決断がどれほど異例の―――いや、第二次大戦以降の日米の在り方を鑑みれば全く以てあり得ない選択か、当時を生きた日本人は知っている。そして同じ釜の飯を食い、背中と命を預けあった。信仰する宗教も思想も生活様式も人種さえも違う人間達が、迫る艱難辛苦に前に全てをかなぐり捨てて立ち向かったのである。

 なんて出来の悪いバディドラマだハリウッドにもこんなの無いぞ、と当時を生き抜いた者達は皆、笑いながら揶揄するという。

「ショージはその第7艦隊出身者のお孫さんなんですよね」

 顔合わせの折、三上正治について理事長である長嶋武雄が昔を懐かしむように触れていたのは、そうした経緯もあったのだ。彼がその時語ったとあるコック長もまた、生き残るために全てを賭して戦い、その成果は日本を存続させるために帰依したのだろう。

 当時の第7艦隊は既に解体され存在しない。だが、その畏敬の念は未だに残っており、例えば現在の日本軍に於ける7番目の艦隊は欠番扱いだ。忌避しているのではなく、野球で言う永久欠番と同じ栄誉と栄光を称えるための扱いになっている。

 それほどまでに現代日本では第7艦隊は英雄視されている。

「おや―――噂をすれば影って奴かな?」

 そんな英雄達の孫世代である三上正治の姿を、三人は見かけた。

 今日はよく班員とばったり会う日だなぁ、と新見が思っていると、彼の隣にいる美少女を見つけた。何だか楽しそうに会話している。

 童貞は一気に気色ばむ。

「女連れ、だとぉ………!?」
「デート………!デートでしょうか!?」
「正治ィ、君はきっと僕と同じ側だと思っていたのに―――裏切ったね?ショージィ………」
「班長班長。―――男の嫉妬は見苦しいと思いますわ」
「面白そう………!追っかけてみましょう!」
「出歯亀ですわね」

 野次馬根性丸出しな三人は、気付かれないように尾行を始めた。
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