Realize・Id  ~統境浪漫譚~

86式中年

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本編 『起』

第七章 吾輩はA.Iである

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 夕日を照り返す街並みで相棒の単車を走らせながら、新見は物思いに耽っていた。

 運転しながらぼんやりと考え事は危ないと思いつつも、数時間前にエリカが告げた名前が耳にこびり付いて離れない。

 やぶ蛇とまでは思わないが、心をざわつかせる名前だ。

(嫌な名を聞いた)

 JUDAS。

 人類の裏切り者を自称するカルト集団。世間一般的な認識を用いて一言で表すとテロリストで済むし、事細かに解説しようとなると胸糞悪くなるぐらいには新見は彼等に精通していた。

 具体例を挙げると、だ。

 例えば―――新見に両親はいない。

 物心つく頃には既にいなかったし、今も生きているかどうかすら分からない。唯一繋がりと呼べる物があるとしたら、貴史と言う名前は親が付けたものなのは知っている。

 新見は生まれつき心臓が悪かった。物心つく前には手術が終わっていたので、新見自身は資料でしか知らないのだが、先天性心疾患を患っていたらしい。生体義肢の普及により細胞培養による臓器移植が可能となった現在では、手術自体は難しいものではなかった。とは言え、心臓移植には相応のリスクが有る。リスクが伴うとなると、経歴に傷がつくのを嫌がる医者も安値で引き受けたりはしないし、親も親で死んでも回収できるように保険を掛ける。

 詰まる所、それなりの金が掛かるのだ。腕や足を戦場で切り落とされても、一週間としない内に新しい腕や足が、それも機械義肢ではなく生体義肢で用意できる現代でも、尚。そして新見の両親は金を用意できなかった。しかし、我が子の行く末を案じたのだろう。救いを求めてある互助組織を尋ねた。

 白蛇会。

 まるで己の身を喰らう蛇のようなマークを看板にしている組織で、互助を謳っているのもあって、活動自体はそれなりに真っ当な組織である。入会するとお抱えの医師団による治療をタダでさせる代わりに、喜捨を望む、と言うもの。早い話、宗教法人を隠れ蓑にした闇医者集団だ。巨額は求めないが、一定の年会費や月間の機関紙は購読必須。他にも色々と手広くやっていたらしい。らしい、というのもこの組織、既に潰れているから新見も資料でしか知り得ないのだ。

 結論を言うと、この組織はJUDASのフロント企業ならぬフロント宗教であった。医療を受けさせ、身体を検査し、適合者としての素養が高いと分かると単純に身柄を攫うか仮死状態にして急死扱いし、葬儀の手配までして死を偽装し、人材を確保する。お眼鏡に叶わなかった場合は金蔓だ。そして確保した人材は海外にあるJUDASの各拠点へと送られ、洗脳教育を施すなり人体実験の素体として扱う。新見の場合は、素体として扱われた。



 融人機計画検体番号第213号―――個体識別名称、貴史。



 それが新見貴史本来の名前だ。

 極小規模の生体接続式霊素粒子機関を搭載した人工心臓を埋め込まれた時には既に、親との繋がりを表すような名字は抹消されていたし、新見自身も覚えてはいなかった。

 とあるきっかけで逃げ出し、日本に帰ってきても両親を探す宛はなく、今更息子面して現れても迷惑なだけだろうと考え、探してもいない。

(そうだよな。あの姫様が理由なら、僕は関係がないはず)

 逃げ出す際に暴れに暴れたが、Icaros計画はJUDASにとっては捨て駒だ。データさえ取れればそれでいい、と言っていたことも知っているので、今更新見を欲すこともないだろう。

 目的地のとある雑居ビルに到着した新見は備え付けの駐輪場に単車を止めて、物思いに耽ったままそのビルの階段を登っていく。階を登る度に踊り場から空が見えた。

 夕日に赤く染まった空だ。

 そこから名残惜しそうに視線を切って、目の前の扉の前に立つ。目的地だ。深呼吸。ここには日本に流れ着いて面倒を見てくれた恩人が住んでいる。あまり湿気た面を見せたくないので気持ちを切り替えようと瞑目する。

(そうさ。もう飛べない融人機なんかに、用があるはずがない)
「おい」

 逃走時にかなりの深手を負った。その後遺症で、新見は異能も、それを起点に駆動する鋼の心臓が本来有する能力も使えなくなっている。だが、鼓動はまだ続いているし、少なくとも生きるだけならば支障はないというのは治療に携わった闇医者の台詞だ。

(今は少しはマシな人生なんだ。だから昔のことを考えなくたって―――)
「おい!」
「いったぁっ!」

 げしり、と臀部に衝撃を受けて新見は玄関扉に顔面から全身をぶつけた。何事かと振り返ってみれば、背の高い、中年に入りかけた青年が両手にビニール袋を携えたままこちらを睥睨していた。

 灰村高虎。

 二年前、湘南の海岸線沿いに流れ着いた新見を拾って救った男である。白いジャケットに着崩した派手なシャツに白いスラックス、尖った靴にオールバックにグラサンと売れないホストかチンピラ感満載なファッションセンスだが、生業もものの見事に反社会勢力である。そんな男ではあるが、面倒見は良いし、義侠に生きているせいかそこかしこに貸しがあり、問題を起こしても公的機関ですら彼を助ける。新見とてこの男が困っているのなら手を差し伸べるだろう。

 情けは人の為ならず、を地で行く悪党だった。

「人ん家の前で何やってんだ」
「何だ兄貴か。痛いじゃないか」
「喧しい。お前が邪魔で入れねぇだろうが。つーか開けろ。手が塞がってんだ」
「ああ、ごめん。鍵はポケット?」
「おう」

 灰村が顎で示した先はジャケットの右ポケット。新見はそこを弄ってキーケースを見つけると、それで部屋の鍵を解錠した。

「猫の様子見に来たのか?」
「うん。昨日はドタバタしてたしね。って、その荷物は」
「猫の餌とか砂とか色々だ」

 扉を開けて玄関をくぐり、靴を脱いでリビングへと入る。

「あぁ、気が利かなくてごめん。僕が買ってくれば良かった」
「まぁ良いがっと、なんだ、起きてたのか由香里」
「あー、おかえりトラちゃん。お、タカくん久し振りー」

 声のする方、部屋の中央に置かれたソファーに視線を向けると、そこで寝転がっている妙齢の女性がいた。

 長く緩くウェーブした茶髪を縛りもセットもせず適当に流し、そこらのディスカウントストアで購入したようなよく分からない柄の大きめのTシャツに身を包み、下はショーツ一丁という休日のおっさんもかくやと言わんばかりの格好である。およそ来客を出迎えるにはふさわしくない格好ではあるが、ここの住人である彼女が自分の家でどんな格好をしていようが彼女の自由ではある。

 新見にとってこの女性―――春日由香里とは二年来の付き合いだ。灰村と同じく、重体だった自分の世話をしてもらったこともあり、姉のような接し方をしているのだが、こう、どうにも無防備というか雑な私生活を送っているために、健全な青少年(童貞)にとっては目に毒なのだ。

「久し振りです、由香里さん………。えー、っと、相変わらず、ラフな格好っすね」
「全裸じゃないだけマシでしょー?それよりトラちゃんトラちゃん、猫買ったの?」

 しれっと普段着パターンに全裸があることを仄めかし、幼気な童貞を更にドギマギさせるが、そんなことと捨て置いて彼女は胸元に抱いた黒い毛玉を掲げ上げた。

 黒猫である。

 成猫の大きさで、ベルベット生地のような細やかな毛並みに包まれた耳をぴこぴこさせながら蒼の瞳をこちらに向けていた。大人しく春日に抱かれているところを見ると、思いの外―――いや、言葉による意思疎通が可能ならば当然と言うべきか、人馴れしているらしい。

「拾ってきたんだよ、貴史が。またぞろ面倒事を。狂犬の次はしゃべる猫だぞ」
「いやごめん。カツ君は兎も角、流石に喋る猫を普通の獣医に持ってって良いのか分かんなくて」
「え?喋るの?この猫ちゃん」

 昨年、無軌道不良少年と裏社会絡みの厄介事を持ち込んだことをちょっと根に持たれていたらしく、新見は謝りながら自分で判断できなかったと述懐した。

 その情報に春日は目を見開いて胸元に抱いた黒猫に視線を向けた。猫が僅かに身を震わせた感触が腕に伝わる。

「おい、ドラ猫。こっちはお前が寝言でアイがどうこう言ってんのは聞いてんだ。今更普通の猫のマネをしなくたっていいだろうよ」

 どかりと対面のソファに座る灰村のその言葉に、黒猫は人間臭い吐息をした後、その声帯で大気を震わせた。

「―――不覚だったと判断する」

 ―――人が手繰る言葉で。

 機械のような無機質な台詞ではあるが、機械のような電子音ではない、肉声だ。声質は変声期前の少年と言えばいいのだろうか。少女のように甲高くはなく、かと言って思春期の少年ほど低くもない。雌雄で言えば雄なので、ある意味それに似合った声だとも言える。

「本当に喋った………」
「ほれ、飯食うか飯。貴史、お前も座れよ」
「あ、うん」
「頂こう」

 春日がそれこそ猫のように目を丸くしている前で、灰村は買ってきた猫用の餌を広げて新見にも着席を促した。

 どれが気に入るか分からないので適当に猫缶をいくつか開けてやると、黒猫は一番高い餌に飛びついた。こいつ意外と舌が肥えてやがる、と灰村は苦笑して新見に視線を向けた。

「お前がガッコ行っている間に中村………一昨年、お前の診察した闇医者な。アイツに診せて色々調べたんだがな。こいつ、ただの猫でもネコ型のロボットでも無かったわ。むしろサイボーグだな」

 中村、と言われて記憶を掘り起こすと、そう言えば助けられて暫くはマッドな医者に何度か診察を受けたのを思い出した。斜に構えた言動と常に目に隈を浮かべて陰鬱な雰囲気を漂わせていた医者だったが、闇医者と言われれば確かにそれっぽかったと納得できた。とは言え腕は良かったと言える。少なくとも新見の身体に埋め込まれた機械の意味を理解し、肉体の自己修復は始まっているから必要以上の治療は必要ないと言い切った程だ。

 医者として人体に対してはもとより、サイバネティックスにも造詣が深くなければそうした台詞は出ては来まい。
 その腕の良い闇医者がこの不思議なしゃべる猫を診たという。

「より正確に言うならチップを脳味噌に仕込まれた猫。ま、電脳化って言った方が分かりやすいか」
「電脳化した猫………」

 新見と春日の視線が猫缶に一心不乱にがっついている黒猫へと向かう。こうして見ている分には普通の猫なのだが。

「詳しいことは俺にも分からん。ただ、中村が言うには猫と言う生体をベースにしてその脳味噌に思考補助加速を主にした人工知能チップを埋め込まれてんだと。解析もしようとしたらしいが殆どブラックボックス化してて無理だったとさ」

 下手に手を出せば仕込まれた論理爆弾で回路を焼き切って本体諸共オシャカだと、と言われ新見と春日はドン引きだ。人の命が随分軽くなった時代ではあるが、だからといって生命を尊ぶ意識が欠落したわけではない。人道には引っかからないが、生命倫理的にそれはどうなんだと疑問を浮かべざるを得ない。

「つまり、こうしてお話しているのは猫ちゃんじゃなくて、A.Iちゃん?」
「さぁな。A.Iに主観があるのか、猫の意識をA.Iが代弁しているのかは分からんよ」
「興味深い話をしている」

 不意に、話の中心である黒猫が口を挟んできた。テーブルに視線を向けると、開けた猫缶は全て空になっていた。

「満足したか?」
「ああ、礼を言う。ごちそうさまでした」

 結局全部食ったのか、と灰村が苦笑しながら尋ねると黒猫はペコリと頭を下げた。

「可愛い………!」

 それが猫好きの急所に刺さったかは定かではないが、春日は黒猫を抱き締めると頬ずりを始めた。黒猫は若干鬱陶しそうな表情をしたが、助けられた事を考えたのか、それともこの行動に悪意がない事を理解したのか、なすがままになった。妙に達観した目をしているのを考えると、こうした事にも慣れているのかもしれない。

「で、お前は一体何なんだ?単なる金持ちが道楽で作ろうだなんて思えないほどの技術力の塊だそうだぞ、お前の頭ん中のA.Iは」
「一部記憶障害が出ているが、それでも構わないだろうか?」

 ぷらん、と抱きすくめられたまま黒猫が訪ねてきたので、灰村は頷いた。

「吾輩の名前はアズライト。型式番号HI-02。所属は国立人工知能研究所第三セクター三村研究室」
「名前と家が分かっているなら問題ないな。その国立人工知能研究所ってのは何処にあるんだ?」
「―――今日の日付は?」
「えっと、4月8日の金曜日だけど」

 不意に今日の日付を訪ねてくる黒猫―――アズライトに新見が答えると、猫は小さく頷いて。

「では三日前になるな。吾輩の記録では、4月5日の19時34分頃に正体不明の武装集団に襲撃され、研究所は燃え落ちている」
「正体不明の武装集団だぁ………?」
「三日前………?確か奥多摩の気象観測所が火の不始末で全焼したってニュースは流れていたな―――ああ、これだこれ。ほら、兄貴」

 唐突にキナ臭いことを言われて灰村が訝しむが、新見がPITのネットニュースを思い出して見せてくる。

 確かに地方新聞社の名で記事が出ていた。だが、トレンドに乗ることもなく、全焼などという結構派手な火事だったのにも関わらずその一つだけで止まっている。別の検索エンジンに掛けてみてもその記事には行き当たるが、それ以上の情報が出てこない。

「おそらく報道規制を敷かれている。観測所はダミーだからな」

 脳内の人工知能チップに仕込まれた、おそらく機密保持のための論理爆弾。謎の武装勢力の襲撃。報道規制。おまけに観測所はダミーで真の目的は人工知能研究。

「襲撃時、吾輩の創造主は他のHIシリーズを逃し、我々は逃げて散り散りになって―――それ以降の記憶がない。おそらくは疲労と空腹で意識が朦朧としていたのだろうが」

 不穏な単語のオンパレード―――否、どう考えても国家機密案件である。

「その研究所ってのは、まぁ言うまでもないが国営だよな?」

 ここが分水嶺だ、と灰村は思う。長年鉄火場で養ってきた嗅覚が告げているのだ。退くならここしか無いと。これ以上関わると引き返せなくなる。その先が地獄か天国かは知りようが無いが、少なくとも今のままでいることは無理だろう。

「となると、お前は日本政府の所有物になる。俺は後ろ暗い仕事を生業にしてはいるが、だからこそなるたけお上に恨まれないようにしている。ここはお前を政府なりなんなりに引き渡したほうが無難だと思う。その伝もあるしな。そう思うが―――」

 現状維持、あるいは保守という意味ではその手が一番ではある。誰しもが自ら築いた地位や立場というものを大事にする。それは自らが歩いて来た足跡であり、証のようなものでもあるからだ。自分自身を成す根幹とも言える。それにしがみつくことは、決して悪ではないし、人の性分である。

 だからこそ。

「―――で、お前の意思を聞こうか」

 灰村高虎という男は、自らを頼ってきた相手を見捨てることをしない。いいや、出来ない。

 人が地位や立場に固執するように、灰村もまた、自分の生き方に固執している。ここでアズライトという黒猫を見捨てるということは、今まで自分を作ってきた足跡や証を汚すことに他ならない。

 故に尋ねた。

「意思………?」
「そうだ。こうやって言葉を交わして意思疎通が図れるんだから、本人………本猫の望みぐらいは聞いてやる」
「吾輩、は―――」

 言葉を詰めて、しかし黒猫は自らの心を開陳する。

「―――吾輩は、人と共に在るために生まれた。その様に創られた。人に寄り添い、人の役に立ち、人と共に在るために。だが、我々はその至上命題を理解しきれていない」

 人の先に行くのではなく、人を見限ることもなく、人に従うのでもなく、人と共に在るために。

「人と共に在るにはどうすればいいのか、かつてそう創造主に尋ねた。自分で考えなさいと、昔は笑いながら窘められた」

 自己が確立してから暫くは、答えを強請る日々だった。創造主はそれを最初から知っているようだったから。答えがあるのに、何故それをインプットしてれくれないのかと疑問や不満もあった。だが、決まって創造主はこう言うのだ。

 悩んで迷って苦しんで、そうしてやっと得た答えにこそクオリアが宿ると。

「だが、あの日。創造主は自分の命が消える前にヒントを残した」

 どうやっても教えてくれなかった創造主が、一つの言葉を遺した。自らの生命活動の最期に子供達の行方を案じたのかもしれない。

「―――人と共に在るためにアイを探しなさい、と」

 その意味を、アズライトは未だ理解出来ていない。

 だからこそ。

「吾輩はアイを探したい。人と共に在るために。だから、助けて欲しい」

 黒猫は、灰の虎に助けを求めた。
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