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本編 『起』
第二章 ジャージヤンキー教師の頼み事(脅迫風味)
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「―――詰まる所、これはあんたの補習でもあるんだ。新見貴史」
「はぁ………」
諭すような教官の言葉に、気のない返事をしながらさてこれは面倒なことになったぞ、と少年―――新見貴史は思った。中肉中背の極一般的なモブスタイルに、やる気の欠片も見受けられない眠そうな眼。人によっては死んだ魚の眼と蔑視されるほど気怠い瞳を、ちらりと教官室の壁に掛けられた時計にやる。
時刻は16時前。
今週は入学したばかりの一年達の受け入れがあって教官達が忙しいおかげで、教練がほぼ自習状態だったのでのんべんだらりと教練を終えて、更に今日はバイトも休みなので、やはり家でダラダラしながら風呂入って飯食って寝るつもりだったのに、帰りしな馴染みの教官に呼び止められてこんな所に連行されてきたのだ。
さて、この時間といえば大体のコマが終わって教官で溢れかえっている時間帯だ。彼等の仕事はまだ続くのだろうが、そんな慌ただしい教官室の一角でこのように説教というか提案を受ける身になると好奇心のような野次馬視線が纏わり付いて身体が痒い。
さもありなん、と新見は思う。
そもそも、新見貴史という少年はこの鐘渡教練校に於いて問題児の扱いを受けている。彼の素行が問題なのではない。いや、若干を突き抜けたやる気の無さは問題は問題なのだが、少なくとも教練中に教官に無駄な反発をしたりとか盗んだバイクで走り出したりとか教練校中のガラス窓割ったりだとかそうした前世紀のような非行は行っていない。
単純に彼の持つ能力や些か変わった経歴に問題があった。そしてそれは非常にデリケートであり、単なるサラリーマン教師であるならばスルーしている程だ。
(いい教官だとは思うんだけどね、アカリちゃん)
若干憂鬱な吐息をして、目の前の女教官を見やる。
山口灯里。癖のある茶髪をポニーテルにまとめ、ジャージとサンダルを愛していると豪語している一見女を捨てているかのような教官だ。
でもきっちり化粧はしている。教官でなければ深夜までやっている総合ディスカウントストアに軽自動車で乗り付ける連中に見えなくはない。いや、むしろそのまんまだ。この教練校に教官として着任したのもここのOBである以上に教師の服が行事以外自由であるからではないかと密かに囁かれている。
着任してまだ数年の若い教官だが、ざっくばらんな姉御肌の癖に結構細かい所まで気を回す女性らしい部分もあるので、学年に関わらず生徒からは慕われている。ちなみに、新見にとっては前年度の担当教官だ。
おそらく、今回の件に関しても色々と気を揉んでくれたのだろう。ご苦労なことだ、と新見は思う。
「あんたももう2年だ。来年には実地研修が始まる。各駐屯地に振り分けるための考査自体は始まってるんだ。ここらで点数を稼いでおかないと厳しいぞ」
「まぁ、そうなんでしょうけども………ほら、僕自身、適合者としては」
「分かってるよ、殆ど異能が使えないことは。だから役立たずだなんて自嘲してるのも知ってる。でもあんた自身のポテンシャルはそこそこあるんだ。そこで補って評価を上げていくしかないだろ?だから問題児共の指導やってみろって言ってるの」
捲し立てる山口に新見はそれが面倒なんですけどー、と胸中で嘆息した。
確かに、ある一点を除き学徒としての新見の成績は悪くない。いや、体術や射撃などのフィジカル面に関して言えば高レベルで纏まっていて優等生とも言える。だが、適合者に求められるのはそこではない。
「あの、山口教官。僕、別に評価を上げなくってもいいですよ?適当にやって、適当な駐屯地に振り分けられても。就職先もエリートの国軍でなくて適当な圏軍でいいですし、なんだったら傭兵協会に登録してフリーの傭兵でも………」
「そぉかそぉか、適当でいいか。じゃぁ、あんたの3年時の実地研修は九州圏軍にしておこうか。あそこはあの脳筋軍団、花菱教練校出身者が大多数を締めている文字通り修羅が牛耳る圏軍だからなあ。ウチのような前世紀の風土引き摺ったのんびりとかゆっくりとかそういうヌルい考えは―――」
「やりますやらせてくださいアカリ様」
先程のやる気の無さから一転、新見は流れるような土下座による攻勢に出た。最早プライドなどいらぬ。安寧のためならば全裸にでもなろう。足を差し出されたならば躊躇いなく舐め上げる所存である。
しかし山口はその新見の姿を見てからにたぁ、と唇を歪めて。
「どぉしよっかなぁ………。今年の一年に加賀って優秀な子がいるしぃ、扱う獲物もライフルだからきっと他人に射撃教えるの上手いだろうしぃ、別にあんたでなくてもいいのよねぇ………」
「そ、そこをなんとか!射撃でも格闘でも!何でも、何でもしますので!」
そんな事を宣ってしまった新見に、事の成り行きを見守っていた周囲の教官たちはあっ、と静かに察していた。
「そーぉーかぁー。新見は何でもしてくれるのかぁ」
「あ、いや、何でもするのは言葉の綾でして………」
訂正しようとするが時既に遅し。山口はにまにまと鼠を甚振るような猫のような笑みを浮かべてそっと新見の肩を叩く。
「嫌なら、いいんだよ?嫌ならねぇ。でもぉ、来年一年間の実施研修は九州圏軍にしちゃうかもなぁ………。何でもぉ、新入りは新入り同士で潰し合いの死闘を行うのが通過儀礼なんだってぇ。蠱毒みたいで面白いよなぁ?きっと心が落ち着く時間なんか取れないんだろうなぁ。大変だぁ、一年間頑張ってな新見」
「お、お待ちを!せ、誠心誠意任務を遂行しますので是非に私めを御指名くださいっ!」
くっそちょっとでもいい教官だとか評価したのが間違いだったわこのドSぅ!と胸中で血涙を流しながらも頭を伏して新見は苦汁と靴を舐めることにした。
ここで下手に出なければ自分の将来が危うい。九州圏軍という肉食獣の巣窟に放り込まれたら最後、自分の安寧は失われてしまうだろう。九州圏軍は嫌だ、と何度も何度も唱えながらこうなったら焼いた鉄板の上での土下座も厭わない新見だった。
周囲の教官達は合掌していた。
そんな彼を足を組んで見下しながら山口はそうそう、と言った。
「そう言えばぁ、その問題児達を集めて特殊な班作ろうかって話もあるんだったぁ。でもそこの班長誰にするのって揉めててさぁ。あーあ、何処かに班長引き受けてくれる優秀でやる気のある生徒いないかなぁ」
このアマさり気なく仕事増やそうとしてるぞオイむしろこっちが本命か!と頭を下げたまま新見は女王のごとく振る舞う山口に心で中指を立てながらゴマを擦る。
「い、いやぁ、山口教官の優しさには頭が下がりますなぁ。優しさと美しさを兼ねそ備えた山口教官はまさしく女神。そんな女神様から私めはお慈悲を頂きたく………」
「そういうのいいから」
「はい………」
ヨイショ作戦は失敗に終わった。
「で、やるの?やらないの?」
「や、やらせていただきます………」
こうして新見は背景が問題児ばかりを集めた『特殊な連中集めて管理しよう班』、通称特班の班長となった。
●
立場ある者の部屋というのは、何処もそう大きく変わるものではない。まして来客を前提としている理事長室ともなると、レイアウトも似通ったようなものとなる。威圧を目的としているかのような大きな机に、対面用のソファ、それから調度品代わりの様々な賞状や盾、トロフィーなどだ。
私設の教練校となると華美に走る所もあるにはあるのだが、この鐘渡教練校は非常に特殊な成り立ちをしているため、設備こそ巨額を投資しているものの、ここの主である理事長長嶋武雄はそうした虚飾を好まない。
この部屋の主の席につく、年老いた男が苦笑いした。
「これはまた濃いメンツが揃ったもんだねぇ………」
総白髪となった髪をオールバックにした、椅子に座っていても長身だと分かる老人だ。温和な表情をしてはいるが、顔に刻み込まれた皺が歴戦のそれを思わせる風格を持っていた。
鐘渡教練校理事長兼校長という肩書を持つ老人―――長嶋武雄は山口から手渡された資料に目を通して、呆れのような感嘆のような、深い吐息をしてから自分の机越しに立っている彼女を見た。相変わらず色気のないジャージにサンダル姿だが、若干してやったりという表情をしているあたり、今日の昼に行った会議で押し付けられたことに対する意趣返しのつもりなのだろう。
だが、厳正なくじ引きと言う結果だ。ある程度の自由裁量も許したのだし、恨まれる筋合いはない。尤も、その自由の中に生徒の引き抜きもあって、まさか問題児ばかり集めるとは思わなかったが。
彼女の隣に立っている髪の薄い中年の男が眉根を寄せてしかめっ面をしている。教頭の水無瀬景昭だ。その気持はよく分かるし、あんまり悩むとまた髪が薄くなるよ?最近一段とバーコード頭になってるし、と長嶋が旧友を労しげに見やっていたら、その水無瀬が口を開いた。
「まぁ、まさか会議の決着方法がくじ引きになるとは思わなかったし、結果的に君に任せてしまった以上、今更口を出すのは野暮というものだが―――本当に、本当に大丈夫かね?」
「普通の班に混ぜても軋轢を生むでしょうし、下手しなくとも国際問題です。遅かれ早かれ衝突や問題は起こすでしょうし、だったらいっそ問題児は問題児で集めたほうがいいかと。少なくとも、新見はヘタレですし、三上って新入生は彼女持ちですし。追加の飛崎は理事長推薦でしょう?」
ついでに自由裁量特権で他の班の担当から外してもらいましたしね、と山口は事も無げに言い放った。転んでもただでは起きない娘だなぁ、と長嶋は感心混じりに喉を鳴らした。
鐘渡教練校の全校生徒は大凡二千人超。その内、三年の六百余名は一年間の実地訓練で既に正規兵に混ざっているため、実質2千人に届かない。通常であれば、それを五人から六人で班分けして、百名程度の教官で管理するので、一人の教官が担当する班は三組から多くても五組程度。教官としての能力によって扱う班数は変わるが、山口は今回、問題児を一手に引き受けることでその他雑事の免除を勝ち取ったのである。
見た目に反して意外と政治力があるなぁ、と長嶋は頷く。今日の昼に会議を行って、その日の夕方には話を纏めて来たのだ。おそらくは、普段から他の教官や生徒達に対して何かしらの弱み、もとい工作、ではなく話し合いを行ってコネを作っていたのだろう。
これはいい人材を知ったね、と長嶋は長嶋で強かな事を考えつつ手元の資料に眼を落とした。『特殊な連中集めて管理しよう班、略して特班の名簿』と書かれたそれには、事情を知っていれば頭を抱えざるを得ない名前が踊っていた。
「突然やってきた某国の姫君留学生とそのお付きのメイドに、ほぼ半世紀物のロスト・ワンな元傭兵に近接格闘以外取り柄がない臆病者、そしてそれを束ねるのは異能が使えない適合者か。本当に濃いメンツだ」
「臆病者と元傭兵に関して言えば我々の知己と言うのが頭の痛いところですな。と言いますか純粋に成績面での問題児が私の弟子だけというのが実に情けない限りでして」
「まぁ、しょうがないよ。三上君は三上君で同情の余地はある。彼は身体は大きいけれどまだ十五歳、今年で成人を迎えたばかりの少年だしね。大体、それを言い出したら私なんか傭兵として休業中のレン君にお姫様の身辺警護を依頼して、山口君にお願いしてねじ込んでるんだよ?本当は、私自身が護衛と教官を務めてもおかしくないのにね」
そもそもの話、事の発端は実は三週間前という極めて直近に起こった。
人格よりも背景の方が問題な問題児であるお姫様の留学が、割と唐突に決まった。本来なら、公賓として遇されるやんごとなき立場のお姫様である。普通、留学が決まっても数ヶ月―――場合が場合なら数年の余地がある。その間に各方面への折衝、式典行事関連の準備、直接関わるであろう学友の選定等々準備しなければならないことは多岐に渡る。
それら根回しを残らずすっ飛ばして、ごく普通の留学生のように来日して来ようとしたのだから最初にその話を姫の親で、自身の戦友でもあるI.Uの議長から聞いた長嶋は頭を抱えた。すぐさま知り合いの官僚経由で外務省と連絡を取り、そんな話は聞かされていないと騒然となるエリート達に、そりゃそうだよね私もプライベートの電話で初めて聞いたから、と長嶋は同情した。
そこからは上から下への大騒ぎである。降って湧いた賓客、しかも今や欧州に覇を唱えるウィルフィード公国、その主である覇王の娘ともなれば、公女。直截かつ分かり易い表現を用いれば姫。即ち公賓待遇だ。少しの粗相も許されない。少ない準備期間ではあるが、日本のおもてなし力を舐めるなとばかりに官僚達が気炎を吐いて準備に追われていた頃に、欧州覇王マティアス・フォン・R・ウィルフィードが首相経由で待ったを掛けた。
曰く、『今回の留学は国交を目的としてはおらず、適合者としては能力は高いがまだ心が未熟である娘の精神鍛錬を主としているので、公賓としての待遇は不要。故に我が盟友、タケオの運営する教練校にてごく一般の留学生として扱ってほしい』と頭を下げてきたのだ。
他国の姫を普通に留学生扱い。それこそ普通に無理筋である。異例に次ぐ異例の事態にてんやわんやになる官僚達を尻目に、長嶋は乾いた笑いをしていた。何しろ今回の留学の裏事情を覇王自身から語られているからだ。それを考えるだけでも頭が痛い。
結局、公賓待遇は取り止められ、表向きは普通の留学生として扱われることとなったものの、水面下では賓客として各方面の予定に組み込まれることになった。無論、その中には警備も含まれている。そして丁度2週間前、ウィルフィードが所有する超弩級空中戦艦でI.U軍の旗艦でもあるエカテリーナ級一番艦クイーン・エカテリーナに乗艦して来日した。戦艦でやって来た時点で普通の扱いなどできようはずもない。
覇王の要望、ということもありこの一週間は一般の教練校生と同じように身体測定や体力測定、異能検査や各種レクリエーションに放り込み、そして今日に至るというわけだ。
最初から喧々諤々で最後の最後、それこそ今日の今日まで決まるに決まらなかったお姫様班分け会議は、どうにか決着がついた。ここまで来ると、長嶋にしても水無瀬にしても山口にしても、そしておそらく他の教官連中にしても、もう成るように成れとしか思っていないだろう。
閑話休題。
「つきましては各人の資料を新見に渡しても?」
「構わないよ。班を纏めるのに必要だろうしね」
長嶋が頷いて頼んだよ、と告げると彼女は小さく肩を竦めた。
「まぁ、会議で決まった以上はやりますよ」
やる気があるのか無いのか、判断に困る発言だった。
「君のそういう面倒見の良さは買っている。だが、降りるなら今の内だぞ。手に余るようならば………」
「いえ別にそういうのいいんで。じゃ、私はこれで」
すかさず水無瀬が口を挟むのだが、彼女はそっけない態度で会話を打ち切ると回れ右をして理事長室を出ていってしまった。
苦言を呈し切る前に置いてけぼりを食らったような格好になった水無瀬は憮然と咳払いをする。その様子をニヤニヤと悪戯小僧のような表情で、長嶋が突っつき始めた。
「―――水無瀬君。彼女に嫌われているのかね?」
「自分が孫娘に邪険にされてるからって嬉しそうに言わないでください。まぁ、疎まれてはいるでしょうな。彼女が学徒だった頃から口酸っぱく説教してきたので。社会人になって戦場を経験してきてもまだ言うかこのハゲ、ぐらいは思っているでしょう」
「ま、まさか立場を利用して説教と言う名の狂育的指導を!?私もうら若き乙女にセクハラ指導したい―――!」
「理事長じゃあるまいし、するわけないでしょう」
しかし見下げた眼で反撃された。
「わ、私だって最近はあんまりしてないぞ!教育委員会が五月蝿いし!」
「ほう、昨日校内の食堂で何か騒ぎがあったようですが」
「静流さんの仕事が終わるの食堂で待ってて、暇だからって若い女給さんの乳と尻眺めてただけだ!」
「最低ですな」
「その後、視姦に気づいた静流さんにぶん殴られて気を失ったけども!」
「よく離婚を切り出されませんな」
「ラブラブだもんねー。―――今日の朝飯白米だけだったけども!」
「近い将来、虐待介護されそうなのでそろそろセクハラは控えましょう?」
セクハラは老い先短い老人のささやかな生き甲斐だ!女性を性的な目で見て何が悪い!人類一回滅び掛けてたんだから産めよ増やせよ地に満ちよ男達よ勃ち上がれ―――!と本当に老い先短いのか疑義を呈したくなるセクハラ老人の主張に、この上司の嫁さんに後で密告しておこうと水無瀬は心に誓った。
「で、彼女と昔何かあったのかね?」
「いえ、当時の彼女も面倒見は良かったのですが、こう―――ダウナー系の癖に割とノリと勢いで生きて突っ走る無鉄砲主義でしたので。もう少し落ち着けと事あるごとにマジ説教を。実戦を経験して、教官職に就いてからは落ち着いたかなとも思いますが、三つ子の魂百までとでも言うべきでしょうか。根っこの部分はあまり変わってないようですし」
「あー。特班の話を纏めて来たのもそんな感じがするねぇ。教官なんて別に出世気にする職業でもないんだし、もっと気楽にゆっくり生きればいいのに」
「仮にも組織の長がそんな事言わないでください」
「だから、だよ。私だってもう引退したいんだから。どうよ?次の理事長やってみる?」
「遠慮しておきますよ。後十年と少しで定年ですから。余生は釣りでもして過ごしますよ私は」
「ねぇ、私、来年で古希なんだけど………?」
「大変ですね。英雄っていつまでも引退できなくて」
「くっ。君も似たようなものの癖に………!」
「おや、では言い直しましょう。―――大変ですね、救世主って」
「くぅぉおぉぉおぉお!その呼び名は止めて!ひぃっ!背中が痒い!じ、蕁麻疹が!!」
このセクハラで暴走して、救世主と呼ばれて身悶える老人に人類が一回だけでなく何度も救われたなどと、一体誰が信じるだろうかと水無瀬は辟易する。外面はまだまともなのに、一皮剥いたらこの有様だ。
しかし、この馬鹿が本当に世界を救った英雄の一人であること知っている水無瀬は、ため息交じりにこう思う。
世も末だな、と。
「はぁ………」
諭すような教官の言葉に、気のない返事をしながらさてこれは面倒なことになったぞ、と少年―――新見貴史は思った。中肉中背の極一般的なモブスタイルに、やる気の欠片も見受けられない眠そうな眼。人によっては死んだ魚の眼と蔑視されるほど気怠い瞳を、ちらりと教官室の壁に掛けられた時計にやる。
時刻は16時前。
今週は入学したばかりの一年達の受け入れがあって教官達が忙しいおかげで、教練がほぼ自習状態だったのでのんべんだらりと教練を終えて、更に今日はバイトも休みなので、やはり家でダラダラしながら風呂入って飯食って寝るつもりだったのに、帰りしな馴染みの教官に呼び止められてこんな所に連行されてきたのだ。
さて、この時間といえば大体のコマが終わって教官で溢れかえっている時間帯だ。彼等の仕事はまだ続くのだろうが、そんな慌ただしい教官室の一角でこのように説教というか提案を受ける身になると好奇心のような野次馬視線が纏わり付いて身体が痒い。
さもありなん、と新見は思う。
そもそも、新見貴史という少年はこの鐘渡教練校に於いて問題児の扱いを受けている。彼の素行が問題なのではない。いや、若干を突き抜けたやる気の無さは問題は問題なのだが、少なくとも教練中に教官に無駄な反発をしたりとか盗んだバイクで走り出したりとか教練校中のガラス窓割ったりだとかそうした前世紀のような非行は行っていない。
単純に彼の持つ能力や些か変わった経歴に問題があった。そしてそれは非常にデリケートであり、単なるサラリーマン教師であるならばスルーしている程だ。
(いい教官だとは思うんだけどね、アカリちゃん)
若干憂鬱な吐息をして、目の前の女教官を見やる。
山口灯里。癖のある茶髪をポニーテルにまとめ、ジャージとサンダルを愛していると豪語している一見女を捨てているかのような教官だ。
でもきっちり化粧はしている。教官でなければ深夜までやっている総合ディスカウントストアに軽自動車で乗り付ける連中に見えなくはない。いや、むしろそのまんまだ。この教練校に教官として着任したのもここのOBである以上に教師の服が行事以外自由であるからではないかと密かに囁かれている。
着任してまだ数年の若い教官だが、ざっくばらんな姉御肌の癖に結構細かい所まで気を回す女性らしい部分もあるので、学年に関わらず生徒からは慕われている。ちなみに、新見にとっては前年度の担当教官だ。
おそらく、今回の件に関しても色々と気を揉んでくれたのだろう。ご苦労なことだ、と新見は思う。
「あんたももう2年だ。来年には実地研修が始まる。各駐屯地に振り分けるための考査自体は始まってるんだ。ここらで点数を稼いでおかないと厳しいぞ」
「まぁ、そうなんでしょうけども………ほら、僕自身、適合者としては」
「分かってるよ、殆ど異能が使えないことは。だから役立たずだなんて自嘲してるのも知ってる。でもあんた自身のポテンシャルはそこそこあるんだ。そこで補って評価を上げていくしかないだろ?だから問題児共の指導やってみろって言ってるの」
捲し立てる山口に新見はそれが面倒なんですけどー、と胸中で嘆息した。
確かに、ある一点を除き学徒としての新見の成績は悪くない。いや、体術や射撃などのフィジカル面に関して言えば高レベルで纏まっていて優等生とも言える。だが、適合者に求められるのはそこではない。
「あの、山口教官。僕、別に評価を上げなくってもいいですよ?適当にやって、適当な駐屯地に振り分けられても。就職先もエリートの国軍でなくて適当な圏軍でいいですし、なんだったら傭兵協会に登録してフリーの傭兵でも………」
「そぉかそぉか、適当でいいか。じゃぁ、あんたの3年時の実地研修は九州圏軍にしておこうか。あそこはあの脳筋軍団、花菱教練校出身者が大多数を締めている文字通り修羅が牛耳る圏軍だからなあ。ウチのような前世紀の風土引き摺ったのんびりとかゆっくりとかそういうヌルい考えは―――」
「やりますやらせてくださいアカリ様」
先程のやる気の無さから一転、新見は流れるような土下座による攻勢に出た。最早プライドなどいらぬ。安寧のためならば全裸にでもなろう。足を差し出されたならば躊躇いなく舐め上げる所存である。
しかし山口はその新見の姿を見てからにたぁ、と唇を歪めて。
「どぉしよっかなぁ………。今年の一年に加賀って優秀な子がいるしぃ、扱う獲物もライフルだからきっと他人に射撃教えるの上手いだろうしぃ、別にあんたでなくてもいいのよねぇ………」
「そ、そこをなんとか!射撃でも格闘でも!何でも、何でもしますので!」
そんな事を宣ってしまった新見に、事の成り行きを見守っていた周囲の教官たちはあっ、と静かに察していた。
「そーぉーかぁー。新見は何でもしてくれるのかぁ」
「あ、いや、何でもするのは言葉の綾でして………」
訂正しようとするが時既に遅し。山口はにまにまと鼠を甚振るような猫のような笑みを浮かべてそっと新見の肩を叩く。
「嫌なら、いいんだよ?嫌ならねぇ。でもぉ、来年一年間の実施研修は九州圏軍にしちゃうかもなぁ………。何でもぉ、新入りは新入り同士で潰し合いの死闘を行うのが通過儀礼なんだってぇ。蠱毒みたいで面白いよなぁ?きっと心が落ち着く時間なんか取れないんだろうなぁ。大変だぁ、一年間頑張ってな新見」
「お、お待ちを!せ、誠心誠意任務を遂行しますので是非に私めを御指名くださいっ!」
くっそちょっとでもいい教官だとか評価したのが間違いだったわこのドSぅ!と胸中で血涙を流しながらも頭を伏して新見は苦汁と靴を舐めることにした。
ここで下手に出なければ自分の将来が危うい。九州圏軍という肉食獣の巣窟に放り込まれたら最後、自分の安寧は失われてしまうだろう。九州圏軍は嫌だ、と何度も何度も唱えながらこうなったら焼いた鉄板の上での土下座も厭わない新見だった。
周囲の教官達は合掌していた。
そんな彼を足を組んで見下しながら山口はそうそう、と言った。
「そう言えばぁ、その問題児達を集めて特殊な班作ろうかって話もあるんだったぁ。でもそこの班長誰にするのって揉めててさぁ。あーあ、何処かに班長引き受けてくれる優秀でやる気のある生徒いないかなぁ」
このアマさり気なく仕事増やそうとしてるぞオイむしろこっちが本命か!と頭を下げたまま新見は女王のごとく振る舞う山口に心で中指を立てながらゴマを擦る。
「い、いやぁ、山口教官の優しさには頭が下がりますなぁ。優しさと美しさを兼ねそ備えた山口教官はまさしく女神。そんな女神様から私めはお慈悲を頂きたく………」
「そういうのいいから」
「はい………」
ヨイショ作戦は失敗に終わった。
「で、やるの?やらないの?」
「や、やらせていただきます………」
こうして新見は背景が問題児ばかりを集めた『特殊な連中集めて管理しよう班』、通称特班の班長となった。
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立場ある者の部屋というのは、何処もそう大きく変わるものではない。まして来客を前提としている理事長室ともなると、レイアウトも似通ったようなものとなる。威圧を目的としているかのような大きな机に、対面用のソファ、それから調度品代わりの様々な賞状や盾、トロフィーなどだ。
私設の教練校となると華美に走る所もあるにはあるのだが、この鐘渡教練校は非常に特殊な成り立ちをしているため、設備こそ巨額を投資しているものの、ここの主である理事長長嶋武雄はそうした虚飾を好まない。
この部屋の主の席につく、年老いた男が苦笑いした。
「これはまた濃いメンツが揃ったもんだねぇ………」
総白髪となった髪をオールバックにした、椅子に座っていても長身だと分かる老人だ。温和な表情をしてはいるが、顔に刻み込まれた皺が歴戦のそれを思わせる風格を持っていた。
鐘渡教練校理事長兼校長という肩書を持つ老人―――長嶋武雄は山口から手渡された資料に目を通して、呆れのような感嘆のような、深い吐息をしてから自分の机越しに立っている彼女を見た。相変わらず色気のないジャージにサンダル姿だが、若干してやったりという表情をしているあたり、今日の昼に行った会議で押し付けられたことに対する意趣返しのつもりなのだろう。
だが、厳正なくじ引きと言う結果だ。ある程度の自由裁量も許したのだし、恨まれる筋合いはない。尤も、その自由の中に生徒の引き抜きもあって、まさか問題児ばかり集めるとは思わなかったが。
彼女の隣に立っている髪の薄い中年の男が眉根を寄せてしかめっ面をしている。教頭の水無瀬景昭だ。その気持はよく分かるし、あんまり悩むとまた髪が薄くなるよ?最近一段とバーコード頭になってるし、と長嶋が旧友を労しげに見やっていたら、その水無瀬が口を開いた。
「まぁ、まさか会議の決着方法がくじ引きになるとは思わなかったし、結果的に君に任せてしまった以上、今更口を出すのは野暮というものだが―――本当に、本当に大丈夫かね?」
「普通の班に混ぜても軋轢を生むでしょうし、下手しなくとも国際問題です。遅かれ早かれ衝突や問題は起こすでしょうし、だったらいっそ問題児は問題児で集めたほうがいいかと。少なくとも、新見はヘタレですし、三上って新入生は彼女持ちですし。追加の飛崎は理事長推薦でしょう?」
ついでに自由裁量特権で他の班の担当から外してもらいましたしね、と山口は事も無げに言い放った。転んでもただでは起きない娘だなぁ、と長嶋は感心混じりに喉を鳴らした。
鐘渡教練校の全校生徒は大凡二千人超。その内、三年の六百余名は一年間の実地訓練で既に正規兵に混ざっているため、実質2千人に届かない。通常であれば、それを五人から六人で班分けして、百名程度の教官で管理するので、一人の教官が担当する班は三組から多くても五組程度。教官としての能力によって扱う班数は変わるが、山口は今回、問題児を一手に引き受けることでその他雑事の免除を勝ち取ったのである。
見た目に反して意外と政治力があるなぁ、と長嶋は頷く。今日の昼に会議を行って、その日の夕方には話を纏めて来たのだ。おそらくは、普段から他の教官や生徒達に対して何かしらの弱み、もとい工作、ではなく話し合いを行ってコネを作っていたのだろう。
これはいい人材を知ったね、と長嶋は長嶋で強かな事を考えつつ手元の資料に眼を落とした。『特殊な連中集めて管理しよう班、略して特班の名簿』と書かれたそれには、事情を知っていれば頭を抱えざるを得ない名前が踊っていた。
「突然やってきた某国の姫君留学生とそのお付きのメイドに、ほぼ半世紀物のロスト・ワンな元傭兵に近接格闘以外取り柄がない臆病者、そしてそれを束ねるのは異能が使えない適合者か。本当に濃いメンツだ」
「臆病者と元傭兵に関して言えば我々の知己と言うのが頭の痛いところですな。と言いますか純粋に成績面での問題児が私の弟子だけというのが実に情けない限りでして」
「まぁ、しょうがないよ。三上君は三上君で同情の余地はある。彼は身体は大きいけれどまだ十五歳、今年で成人を迎えたばかりの少年だしね。大体、それを言い出したら私なんか傭兵として休業中のレン君にお姫様の身辺警護を依頼して、山口君にお願いしてねじ込んでるんだよ?本当は、私自身が護衛と教官を務めてもおかしくないのにね」
そもそもの話、事の発端は実は三週間前という極めて直近に起こった。
人格よりも背景の方が問題な問題児であるお姫様の留学が、割と唐突に決まった。本来なら、公賓として遇されるやんごとなき立場のお姫様である。普通、留学が決まっても数ヶ月―――場合が場合なら数年の余地がある。その間に各方面への折衝、式典行事関連の準備、直接関わるであろう学友の選定等々準備しなければならないことは多岐に渡る。
それら根回しを残らずすっ飛ばして、ごく普通の留学生のように来日して来ようとしたのだから最初にその話を姫の親で、自身の戦友でもあるI.Uの議長から聞いた長嶋は頭を抱えた。すぐさま知り合いの官僚経由で外務省と連絡を取り、そんな話は聞かされていないと騒然となるエリート達に、そりゃそうだよね私もプライベートの電話で初めて聞いたから、と長嶋は同情した。
そこからは上から下への大騒ぎである。降って湧いた賓客、しかも今や欧州に覇を唱えるウィルフィード公国、その主である覇王の娘ともなれば、公女。直截かつ分かり易い表現を用いれば姫。即ち公賓待遇だ。少しの粗相も許されない。少ない準備期間ではあるが、日本のおもてなし力を舐めるなとばかりに官僚達が気炎を吐いて準備に追われていた頃に、欧州覇王マティアス・フォン・R・ウィルフィードが首相経由で待ったを掛けた。
曰く、『今回の留学は国交を目的としてはおらず、適合者としては能力は高いがまだ心が未熟である娘の精神鍛錬を主としているので、公賓としての待遇は不要。故に我が盟友、タケオの運営する教練校にてごく一般の留学生として扱ってほしい』と頭を下げてきたのだ。
他国の姫を普通に留学生扱い。それこそ普通に無理筋である。異例に次ぐ異例の事態にてんやわんやになる官僚達を尻目に、長嶋は乾いた笑いをしていた。何しろ今回の留学の裏事情を覇王自身から語られているからだ。それを考えるだけでも頭が痛い。
結局、公賓待遇は取り止められ、表向きは普通の留学生として扱われることとなったものの、水面下では賓客として各方面の予定に組み込まれることになった。無論、その中には警備も含まれている。そして丁度2週間前、ウィルフィードが所有する超弩級空中戦艦でI.U軍の旗艦でもあるエカテリーナ級一番艦クイーン・エカテリーナに乗艦して来日した。戦艦でやって来た時点で普通の扱いなどできようはずもない。
覇王の要望、ということもありこの一週間は一般の教練校生と同じように身体測定や体力測定、異能検査や各種レクリエーションに放り込み、そして今日に至るというわけだ。
最初から喧々諤々で最後の最後、それこそ今日の今日まで決まるに決まらなかったお姫様班分け会議は、どうにか決着がついた。ここまで来ると、長嶋にしても水無瀬にしても山口にしても、そしておそらく他の教官連中にしても、もう成るように成れとしか思っていないだろう。
閑話休題。
「つきましては各人の資料を新見に渡しても?」
「構わないよ。班を纏めるのに必要だろうしね」
長嶋が頷いて頼んだよ、と告げると彼女は小さく肩を竦めた。
「まぁ、会議で決まった以上はやりますよ」
やる気があるのか無いのか、判断に困る発言だった。
「君のそういう面倒見の良さは買っている。だが、降りるなら今の内だぞ。手に余るようならば………」
「いえ別にそういうのいいんで。じゃ、私はこれで」
すかさず水無瀬が口を挟むのだが、彼女はそっけない態度で会話を打ち切ると回れ右をして理事長室を出ていってしまった。
苦言を呈し切る前に置いてけぼりを食らったような格好になった水無瀬は憮然と咳払いをする。その様子をニヤニヤと悪戯小僧のような表情で、長嶋が突っつき始めた。
「―――水無瀬君。彼女に嫌われているのかね?」
「自分が孫娘に邪険にされてるからって嬉しそうに言わないでください。まぁ、疎まれてはいるでしょうな。彼女が学徒だった頃から口酸っぱく説教してきたので。社会人になって戦場を経験してきてもまだ言うかこのハゲ、ぐらいは思っているでしょう」
「ま、まさか立場を利用して説教と言う名の狂育的指導を!?私もうら若き乙女にセクハラ指導したい―――!」
「理事長じゃあるまいし、するわけないでしょう」
しかし見下げた眼で反撃された。
「わ、私だって最近はあんまりしてないぞ!教育委員会が五月蝿いし!」
「ほう、昨日校内の食堂で何か騒ぎがあったようですが」
「静流さんの仕事が終わるの食堂で待ってて、暇だからって若い女給さんの乳と尻眺めてただけだ!」
「最低ですな」
「その後、視姦に気づいた静流さんにぶん殴られて気を失ったけども!」
「よく離婚を切り出されませんな」
「ラブラブだもんねー。―――今日の朝飯白米だけだったけども!」
「近い将来、虐待介護されそうなのでそろそろセクハラは控えましょう?」
セクハラは老い先短い老人のささやかな生き甲斐だ!女性を性的な目で見て何が悪い!人類一回滅び掛けてたんだから産めよ増やせよ地に満ちよ男達よ勃ち上がれ―――!と本当に老い先短いのか疑義を呈したくなるセクハラ老人の主張に、この上司の嫁さんに後で密告しておこうと水無瀬は心に誓った。
「で、彼女と昔何かあったのかね?」
「いえ、当時の彼女も面倒見は良かったのですが、こう―――ダウナー系の癖に割とノリと勢いで生きて突っ走る無鉄砲主義でしたので。もう少し落ち着けと事あるごとにマジ説教を。実戦を経験して、教官職に就いてからは落ち着いたかなとも思いますが、三つ子の魂百までとでも言うべきでしょうか。根っこの部分はあまり変わってないようですし」
「あー。特班の話を纏めて来たのもそんな感じがするねぇ。教官なんて別に出世気にする職業でもないんだし、もっと気楽にゆっくり生きればいいのに」
「仮にも組織の長がそんな事言わないでください」
「だから、だよ。私だってもう引退したいんだから。どうよ?次の理事長やってみる?」
「遠慮しておきますよ。後十年と少しで定年ですから。余生は釣りでもして過ごしますよ私は」
「ねぇ、私、来年で古希なんだけど………?」
「大変ですね。英雄っていつまでも引退できなくて」
「くっ。君も似たようなものの癖に………!」
「おや、では言い直しましょう。―――大変ですね、救世主って」
「くぅぉおぉぉおぉお!その呼び名は止めて!ひぃっ!背中が痒い!じ、蕁麻疹が!!」
このセクハラで暴走して、救世主と呼ばれて身悶える老人に人類が一回だけでなく何度も救われたなどと、一体誰が信じるだろうかと水無瀬は辟易する。外面はまだまともなのに、一皮剥いたらこの有様だ。
しかし、この馬鹿が本当に世界を救った英雄の一人であること知っている水無瀬は、ため息交じりにこう思う。
世も末だな、と。
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