Realize・Id  ~統境浪漫譚~

86式中年

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本編 『起』

第一章 珍客、来たりて

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 灰村高虎にとって、寝起きというのは重要な物だ。

 タバコと酒とカフェインに係る不摂生に因って、中年に差し掛かりつつある今は多少なりに高血圧になりつつあるが、もっと若い頃の彼は低血圧気味でありその頃の慣習というのは中々抜けない。

 比較的眠りが浅いせいか断続的な睡眠を長時間取る傾向にあり、その過程を邪魔されるのをとかく嫌う。いきなり暴れだすほどではないが、用もなく起こされたなら一発殴っても文句は言われないだろうと考えて躊躇いなく実行する程度だ。

 有り体に言えば、寝起きが悪い。

 そんな彼だが、状況によっては不機嫌オーラを出す程度で済むこともある。前述の通り、用があればいいのだ。と言っても、しょうもない用では駄目だ。その辺りの見極めは付き合いの長さが必要だ。

 であるからこそ。

「お客さん。仕事の依頼だってさ」

 身体だけの関係とは言え、馴染みの女に仕事だと起こされれば、不満ながらも身を起こさざるを得ない。

「………今、何時だ?」
「12時前。あたし、今日出勤だからもう少し寝とくねー」

 入れ替わるようにして下着姿の女がベッドに沈んでいった。化粧は落としてありド素っぴん。寝起きも手伝って緩く長い茶髪はボサボサ。香水の香りも飛んで、情事の後の匂いが部屋に漂っていて彼女も纏っていた。

 せめてもの気遣いなのか下着は身につけて客を迎えたようだが、来客に対するまともな対応ではない。

(―――まぁ、俺の客なんざ、まともな奴はいねぇが)

 灰村自身、商売柄アングラな連中との付き合いが多いとは自認している。

 堅気の付き合いもあるにはあるが、ほぼ同棲状態にあって知り合いがほぼ共通している彼女が客の名前を告げなかったことから、その線ではないだろう。

 朝っぱらから何処のどいつだ、と昼の11時半を過ぎた時計を睨めつけ、灰村はベッドからのそのそと抜け出し、フローリングに放り出した衣類を回収して身につけた。と言っても寝起きの不機嫌さもあってか、白のスラックスに黒のワイシャツを袖に通しただけのラフな格好だ。最後に部屋の姿見で寝癖を手櫛で押さえつける。

 鏡に写るのは二十八年連れ添った自分自身だ。言い表すなら恵体の二文字。

 生まれ持った長身と若い頃に鍛えた筋肉は荒事に重宝するし、幼い頃はコンプレックスだった鋭い双眸も相手を威圧するのに役に立つ。昔、対立した極道の長相手に殴り込みかけた時『虎みてぇに無駄のない身体してんな』と褒められたのを思い出す。

 適当に身だしなみを整えると、のんきにすぴょすぴょ寝息を立て始めた女を一瞥して、起こさないように部屋を出た。

 賃貸の雑居ビルだ。大した間取りではないので、扉を開けてすぐが仕事場兼事務所兼リビングになっている。

 そして応接間代わりにしているソファ周辺に、三人の影を認めた。

「―――いつから俺の家はコスプレ喫茶になったんだ?」

 ソファに足を組んで座っている青年と、その背後に控えるメイド二人。それが三人の内訳だった。

 そう、メイド二人である。丈が短く露出の高いお色気優先のフレンチメイドでは無く、由緒正しきヴィクトリアンメイドである。フリルなどの装飾で見る方にも寄せてはあるものの、実務寄りだった。片方は十代半ばぐらいの金髪を巻き上げた少女、もう片方は長身で、長い赤毛が特徴的な女だ。どちらも日本人ではない。

 おそらくそれだと判断できるのは青年の方だ。紺のスーツに身を包んだその青年の容貌は東洋人だと判断できるが、瞳だけが紫色だ。カラコンならば痛々しいコスプレで済むが、その姿を捉えるだけで灰村の首筋がチリと疼く。アングラな世界に身を置いて、今まで五体満足でいられたのはこうした危機察知能力に依る部分が大きい。

 鉄火場に馴染んだ匂いが、この青年とメイド二人からする。

(適合者―――だ、な。恐らく。歳から考えれば教練校生でもおかしかねぇが、どうにもそうした緩さが無ぇ。空気が締まるような雰囲気と圧迫感。見た目の年齢を考えれば、傭兵か………?)

 胸中で客の素性を考察する灰村を面白がるようにして、少年がくっくと喉を鳴らす。

「おいおい、儂等のことをどうこう言えんのか?受付のねーちゃんからして下着姿なのに?」
「ありゃ受付じゃなくて単なる同居人だ。手前ぇん家でそいつがどんな格好してようがそいつの勝手だろうが」
「であらば私達がマスターにこの服装で傅くのも勝手ですね。なぜなら私達はマスターのメイドですので」

 至極まっとうな正論で返してやると、金髪のメイドが割って入ってきた。

「アシュリー」
「出過ぎた真似を。ご容赦くださいマスター」

 こちらが何かを言う前に赤毛のメイドがそれを掣肘し、金髪のメイドは主人であろう青年に頭を下げた。青年の方は一瞥もせずひらひらと片手を振って鷹揚な態度でこちらを見ていた。

 人の上に立つことに慣れている、と灰村は思った。あまり見た目通りの年齢と思わないほうがいいのかもしれないと警戒していると、青年の方から口火を切った。

「悪いな。アポもなしに突撃しちまって」
「全くだ。俺は惰眠を貪るのが唯一の楽しみなんだよ。それを邪魔されたとあっちゃぁ機嫌も悪くならぁよ。相手が客だろうとな。覚えとけ傾奇者」
「儂自身、傾いてるつもりはねぇんだがなぁ。それにしてもお前さん、年の割に随分と老け込んだ趣味だな」
「うるせぇよ。で、一体どこの誰から俺の話聞いた?ウチは一見さんお断りだ。紹介なけりゃ仕事は受けねぇぞ」

 灰村が扱う仕事というのは俗にいう裏稼業だ。法律に抵触どころか真っ向から反逆している。であるからこそ、信用こそがモノを言う。皮肉なことだが、互いに脛に傷を持つからこそ、クレジットヒストリーやヌルい友誼よりも信用ができる。金や友情は裏切りがあるが、共通の足枷は裏切らないが灰村の信条であった。

 文字通りの『便利屋』。最近は歓楽街の用心棒ぐらいしかしていないが、悪党相手の闇討ちや極道相手に殴り込みぐらいは過去にはしてきた。その影響か知己は広く、情報屋の真似事もできる。

 それを察したのか、青年は懐から端末を取り出して投げて寄越してきた。灰村はそれを受け取ると、その時点で誰の紹介なのか察したがそのままスイッチを入れてパスワードを入れる。

 ある人物とのやり取りだけに持たせてある特注の個人用統合端末―――PITだ。メールなどの電子だけでのやり取りだけではセキュリティ上問題がある、と指摘したら『じゃぁアナログを混ぜようぜ』と言い出したのが始まりだった。パスワードは互いしか知らず、最低限の紹介内容と顧客情報を記して客をメッセンジャー替わりに運ばせる。

 言ってしまえば手形のようなものだ。

「LAKIからだ。この界隈でアングラな部分に物理的に探り入れるなら、ハイドラ―――『便利屋』のお前さんに頼むのが一番だと聞いた」
「アイツか。あの引き篭もりとよく接触できたな。アイツに接触したがるやつは多いし、大抵は俺が仲介するが、その逆は初めてだ」

 紹介元はPITを受け取った時点で分かっていたが、敢えて素知らぬ顔で灰村はそういった。

「儂の手勢に電脳界特化のメイドがいてな。詳しくは知らんのだが、そっちの界隈じゃLAKIに勝るとも劣らないぐらい有名なんだと。その伝手で頼ったら、借りもあるからと結構素直に紹介してもらえたぞ」

 ほぅ、と軽く頷いてみせる灰村だが、内心ではなかなか驚いていた。

 LAKIと呼ばれる人物は少々人格というか人間性というか、そうした部分に若干問題を抱えている。決して悪人ではないものの、コミュニケーション能力―――いや、性格に軽度の問題があるため、アレを説き伏せて誰かを紹介させるとなると、その時点で結構な難易度が高いし、身元を割るとなると無理筋レベルになる。少なくとも対電脳界能力がずば抜けた人材でなければ接触も出来ないだろう。

(名前は飛崎連時。元傭兵で現鐘渡教練校生?しかも所属が第一班配属予定だったが事情不明で白紙に戻った?第一班といやぁ、基本的に適合クラスExで構成される文字通りのエリートじゃねぇか。何でそこを跳ねられてんだ?というかそんな奴が一体何の用で………人探し、だぁ………?)

 さりげなくPITに視線を巡らせてLAKIが記した情報を収集する。その最後には、特大案件の為相談必須と記されていた。

(つまり先走って一人で決めるなと。―――明日は槍でも降るのか?)

 相手が目下というのもあって、LAKIの面倒を何年も見ている為か、灰村は某からは兄のように慕われ頼られている。これは自惚れではなく自覚だ。であるからこそ、LAKIは今まで一度として灰村の仕事に口を挟んだことはない。フォローやサポートを頼んだことはあるが、こちらが頼まなければ決して手を出さないのだ。裏を返せばそれはこちらがヘマをしないという信頼の証であった。

 にも関わらず、今回に限っては必ず相談しろと言って来ている。

「因みに向こうにも仕事を頼んである。今回の件はあいつとの共同だな」
「で、内容は?」
「お?引き受けてもらえるのか?」

 のほほんと返してくる青年―――飛崎に対し、灰村は胸中の警戒を悟られないように至って平静に言ってみせる。

「聞いてからだ。因みに、聞いたら引き返せないとか吐かすようなら俺はここで降りる」
「強気だなぁ」
「これはビジネスだ。つまり対等な関係で話を詰めるべきだろうが」
「そりゃそうだが―――旧世紀のサラリーマンに聞かせてやりたい台詞だわ」
「個人事業主と勤め人を一緒にすんなよ。こちとら社会的に保護されない代わりに好き勝手やってるだけだ」

 そんなもんかね、と肩をすくめた飛崎は軽い調子で喋りだした。

「永田建設って会社に聞き覚えは?」
「聞き覚えも何も、ありゃぁ辻広会のフロント企業………また面倒な名前が出てきたな」

 現在、統境圏の裏社会は3つの勢力で均衡を保っている。辻広会はその中の一つだ。灰村が懇意にしている反社会勢力の敵対組織である上、灰村自身もそこそこ因縁がある組織なので馴染みは深い。同時に、憂鬱になる名前でもあった。

「勘がいい。と言っても、辻広会に手を出せって話じゃない。そいつらの資金源の方を知りたくてな」
「資金源?奴らは手広くやってるが、メインの資金源は複数の会社の経営と地上げや密漁関係だぞ。こう言っちゃ何だが、比較的真っ当だ」
「最近になって薬にも一つルートを増やしてんだよ。ブルーブラッドってLSDを聞いたことは?」
「この頃ガキどもの間で流行ってるペーパーアシッドか。格安でそこら中にバラ撒いてるから販路が複雑で大本がどこか分からなかったが、そうか、辻広会が元締めかよ」

 確か出回り始めたのはここ二、三ヶ月前だったと灰村は記憶している。

 こうした違法薬物は大体が海外発で、ある程度の噂が出てからゆっくりと浸透していくのが常であるが、ブルーブラッドに関して言えばそんな噂も前兆もなく、いきりなりぽっと現れ、一気に広まった。使用者に曰く、副作用も中毒性も無く且つ格安でブッ飛べる手軽さがウリだそうだ。どう考えても怪しさ満載である。

 最近、それ絡みの騒動が増えた。圏警も圏軍も対処に追われているが、こうまで爆発的に供給されると収束に至れないらしい。

「いや、調べてほしいのは正確には卸業者の方だ。実際に調合して納品しているのは別の組織になる」

 飛崎の言葉に灰村は思考を巡らせる。

 薬物精製の能力と設備と資金力を持っていて、且つ関東一円の三大勢力を仲介業者に出来る程の力を持つ組織。そんなものは自ずと限定される。

「海外勢力か………」

 正答を言い当てた灰村に、飛崎はやっとその名を出した。

「JUDAS。儂が知りたいのはそいつらの情報だ」
「テロリストじゃねぇか!」

 国際テロ組織の中でも誰しもが狂信者と評価を下すカルト教団だ。

 裏切り者、と言う名が示す通り人類種の裏切り者を自称しており、天使なる存在に昇華するために日夜世界中でのテロ活動に余念が無いはた迷惑極まりない集団である。

 1999年の『大崩壊』以降、徐々に台頭し、半世紀後の現在では世界各国に拠点まで拵えている大規模な組織に成長しているグローバルカルト。彼等はそんな存在であった。

「個人的に連中とは因縁があってよ。本来の目的は別にあるんだが、儂の目的とJUDASは連動してるようでな。だからJUDASを追ってけば目的にも自然と近づくだろうと判断した」
「正直関わりたくねぇな」

 一体どんな因縁かは知らないが、口をついて出た言葉が灰村の本音だった。飛崎はだろうな、と肩をすくめて。

「日本みたいに神道仏教の宗教観が土着しきって殆どほぼ意識しないレベルで、信仰してる宗教はと問われても無宗教ですって言っちまうような緩い連中ならともかく、世界の宗教勢力はガチだからな。信仰の名の下に聖戦と言う名の虐殺するぐらいには」
「異教徒や異人種は畜生だから何しても良いって本気で言うからな、海外の宗教家ってのは。面倒だ」

 世界最大の宗教でさえ過去には迫害や虐殺を引き起こしている。長い歴史を持つ宗教でさえ自浄作用が効かないレベルで暴走することもあるのだから、設立半世紀も立たない未成熟な新興宗教など何をいわんや、だ。

 尤も、その暴走が既に半世紀続いているのは極めて根深い問題なのだが、そこは政治家でも役人でもない二人には関わり合いのない話だ。カルト如何に拘わらず宗教は面倒、その共通認識があればいい。

「で?そいつらの何を洗えばいい?」
「やりたくないとも出来ないとも言わんのだな」
「やれるやれないは内容を聞いてからだ。こちとら定収入があるわけでもないからな。金払いのいい依頼なら多少のリスクは負うし、リスクとリターンが釣り合わなければやらねぇ」

 世の中、ノーリスクな仕事などは有りはしない。デスクワークでさえ減俸や左遷、解雇や倒産といったリスクを潜在的に抱えている。どんな仕事でもリスクに似合ったリターンを設定できるかどうかが肝要なのだ。

 そして灰村の勘は、この客はリターンの払いだけはいいと告げている。

「JUDAS内部に食客として招かれている奴がいるはずだ。そいつの情報が知りたい」
「今そいつに関する情報はどこまで持ってる?」
「ほぼ無い。儂も独自にJUDASを調べてみてな。物資や機材、資金の流れと目撃証言からおそらくその中に匿われているであろうことは突き止めたのだが―――元々が謎の多い奴でな。確定している情報といえば、そいつの通り名ぐらいか」
「有名人か。その名は?」

 灰村は訪ねた瞬間、空気が凍った音がした。

 幻聴だ。幻聴だが、今、確実に目の前の青年の雰囲気が変わった。そしてその真意を悟る前に。

「―――『無貌』」

 飛崎は静かに、厳かに言い放つ。

 確かな殺意の熱量を以て、紫の瞳が妖しく輝いた。
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