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体験版

ある少年の復讐と野望・後編

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 思えば五十年前、あの『大崩壊』直前に生まれた自分は運が良かったのだろうとジェフリー・フリーウッドは思う。

 あの世界史に残る事件、1999年8月16日に起きた『大崩壊』。あるいは『消却事変』と呼ばれる災害は多くの人類を死に至らしめ、そして生存圏を著しく衰退させた。それは島国である英国も例外ではない。

 今でこそ英国全域が生存可能領域だが、一時はマンチェスター・リバプール戦線以南にしか人類が住める領域がなかった。それでも、まだ英国は国土が狭いお陰で助かった部分がある。

 後年、米国は生存可能領域を求めて国内東西で分かれて内戦が勃発し、最終的には自国に核を落とし、国そのものが住めなくなりいつかの北アメリカ植民地戦争を今度は南米で起こした。同じ頃にロシアや中国も内乱こそ起きなかったものの、土地の一部が禁域化して生存可能領域が著しく縮小し、それ故に混乱期とに乗じて多方面へ侵攻を行った。

 しかしその隙を新興国であるウィルフィードを盟主とする連合であるI.Uに抑え込まれ、ただでさえ狭くなった国土を緩衝地代わりにせざるを得なくなった。アフリカ大陸は前世紀と変わりなく内戦を続けており、おそらくこの時期比較的平和だったのは東南アジア諸国連合の南方と、オーストラリアぐらいである。それでも禁域の出現で生存可能領域は大きく減らされているが。

 それはともかく。

 そんな人類史が大きく動くターニングポイントとなった日の一ヶ月前にジェフリーは生まれている。これが一ヶ月遅ければ『消却事変』が始まっており、出産どころではなかっただろう。いや、赤子の世話などそんな混乱期に出来るわけもなく、それを言えばロンドンで生まれたことが運が良かった。少なくとも、ロンドンは『消却事変』から一度も『消却者』に土地を完全には奪われたことがない。

 親が裕福だったというのも大きい。比較的安全な所で、物資が乏しい中、金に任せてすくすくと育つことの出来たジェフリーは同世代の人間から見れば紛うことなき勝ち組であった。きちんとした教育も受け、徴兵もされた。と言っても安全な場所で育ったためか消却者に対抗し得る『適合者』としてではなく一般の徴兵で、任期が明けると保安部に推薦を受けそこで腰を落ちつけた。

 今にして思えば、野心が生まれたのもその頃だったかもしれない。

 保安部での出世は比較的楽だった。と言っても、ただ勤勉に勤め上げればいいと言うものでもない。他人を蹴落とすぐらいは普通だし、賄賂や横流し、果てまたそれなりに後ろめたい過去と今を抱える連中への支援等など、凡そ公務員としては正しい姿ではなかっただろう。

 ただ、世の中というのは得てして白か黒かでは割り切れないものだ。だからジェフリーは敢えて灰色を望んだ。白い部分に所属しつつ、黒い部分と繋がりを持ちある程度のコントロールを可能とする。

 そしてジェフリーは権力者達との繋がりを得た。権力者達は自らの利益のために黒い連中との繋がりを欲していたが、立場がそれを許さない。であるために、ジェフリーを窓口にしたのだ。勿論、ジェフリーもそれを望んでいた。

 表と裏に顔が利き、その両方の利益を享受できる身分を。それを突き詰めていけば、いずれこの国を支配する層に身一つで食い込むことも出来るだろうし、よしんば上手く行かなかったとしてもその時にコウモリを止めてどちらかに着けば最悪は免れれる。

 そうした活動を続けた結果、彼は四十という若さでJ.T.A.C―――Joint Terroorism Analysis Center―――即ち、統合テロリズム分析センターの所長となった。

 あるいはだから、と言うべきか。

 二十数年掛けたこの試みは、ある日突然破綻の兆しを迎えた。

 かつての部下が、自分を呼び出し警告したのだ。

 ロナルド・アンダーソン。

 保安部時代、ジェフリーは移民として流れてきた彼をヘッドハンティングした。アメリカ内戦から崩壊までCIAとして活動していた彼の手腕は、自分がのし上がっていくのに必要だったからだ。移民であるが有能なロナルドを、ジェフリーはとかく目を掛けた。有能だったのもあるが、それと同時に根っこの部分では甘い人間だったからだ。おそらく、有能な彼は自分の黒い部分に気づくこともあるだろう。しかし、自分の恩人に対し弓を引くことは出来ない、と。だから恩を売った。良き上司であり続けた。私生活にまで気を使い、楔として当時自分の部下であったキャサリン・テイラーと引合せた。ある程度誘導したのは確かだが、僅か一週間で恋仲になるとは思わなかったが。

 ジェフリーを呼び出したロナルドは言った。


『ジェフリー。JUDASとは手を切って下さい』


 裏切り者、などという名前を掲げるだけあってジェフリーから見てもJUDASと言う宗教は碌な組織ではない。

 教義としては、消却者と呼ばれる化物に喰われて命を落とすことによって新たなステージ―――彼等が言うところの天使―――として生まれ変わることが出来る、と言うのが彼等の信仰だ。なら自分達で勝手に喰われてろ、と言うのが一般人の見解なのだが、自分達は世界を導く使命があるので世界中の人間を全て天使に転生させ、人の創りしものの尽くを破壊し尽くし地上を浄化してから神に引き渡し、最後に転生を行うと言って日夜テロ活動に勤しんでいる。

 信者以外には全く以て理解に苦しむ教義と信仰、そして実害故に世界各国から人類に対するテロ組織として認定されている。

 設立されてから既に五十年近くになるらしいが、世界各国から悪質な宗教として認定されているのにも関わらず、それでも尚生き残っているのは理由があった。

 JUDASは一般人から見れば『悪』だ。

 人を消却者に喰わせて殺す事を教義とするなど、命に対する冒涜であり、殺人である。だからJUDASは『悪』。そう、分かりやすく明確な『悪』なのである。だから使い道があるのだ。たかが一宗教だ。それもキリスト教のように何千年も信仰されているものでもない。人類がその叡智を本気で結集すれば容易く屠れる。それでいて、批難出来る悪事を定期的に働いてくれるので、衆愚を誘導するのに適したツールであるのだ。

 何時でも潰せる、便利な舞台装置。支持率が下がった時に適当な所でテロを起こしてもらい、その被害者を適当に慰撫するだけであら不思議、支持率が上がっていくのだ。これは別に英国だけに限らない。JUDASはどの国にでも根を張っている。故にこそ、彼等は『悪』であるにも関わらず必要悪として世界中の権力者達にある意味で保護されている。

 それが権力者達がJUDASに求めた役割である。その役割を果たすためには簡単に潰れてもらっても困る。だからこそ、支援する必要がある。その窓口と調整がJTAC所長となったジェフリーに求められた役割だ。

 ロナルドは、部下であった時もジェフリーの暗部を知っていたそうだ。狙った通り、恩を感じて見て見ぬふりをしていたらしい。JTAC所長となった時も、JUDASと権力者達の窓口となった時も黙っていたらしい。だが、新しい保安部所長がJUDAS殲滅の計画を打ち出し始めたとロナルドは言った。



『遠からず、我々は貴方に辿り着きます。―――対応を』



 どのような、とは言わなかった。

 権力者達にそのことを相談した際、彼等も苦い顔をしていた。どうにも、その新しい保安部所長と言うのが軍からの叩き上げであまり政治や政争に明るくない人間らしい。ジェフリーも同じ軍の出では在るが、彼は政治センスと言うか、清濁併せ呑む胆力と野望を基本骨子にした柔軟さがあった。新しい保安部所長はコツコツと勤勉に積み上げてきた、所謂頑固で融通がきかない軍人であった。権力者達が言うには非常に使いにくいとのことだ。就任して間もないのに、既に軋轢があるという。

 だから、と言うべきか。

 彼等が望んだのは所長の排除だった。それもJUDASを使った。

 そして去年のことだ。JUDASの隠れ家の情報を保安部に流した。当然、JUDAS側にも襲撃が予想されると情報を流して。結果として、双方どころか民間人にまで死傷者が出る酷い市街戦となった。

 権力者達は喜々としてこの悲惨な事件を利用して保安部の勢力を削り、また怪我人や遺族に手厚い政策を打ち出すことによって自分達の支持率を高めた。所長は即座に更迭され、自宅で拳銃自殺している所を発見された。勿論、ジェフリーが手配した暗殺者の仕事である。

 もしも予想外があったとするならば、だ。

 その仕事の現場にロナルドがいたことだろうか。仕事を終えた暗殺者が撤退する際に偶然鉢合わせたらしい。後で分かったことだが、どうも所長に呼び出されていたようだ。ロナルドが保安部の次期所長に内定していたので、おそらくは引き継ぎがどうのという呼び出しだったのだろう。

 目撃者となったロナルドは、暗殺者に殺された。翌日、付近の公園側の池で遺体となって発見されている。

 もしもこの時、ロナルドが目撃者となっていなければ、あるいはジェフリーの命運は尽きることはなかったのだろう。いや、所長を死に追いやる際に暗殺者を使ったのがいけなかったのか。何れにせよ、ロナルドの死がジェフリー破局の起点であった。

 そこから先は最早怒涛と言うべき悪夢だった。

 保安部所長、そして次期所長が同時に死んだとあっては保安部も威信をかけて捜査に乗り出す。どうにか工作をして所長の死は自殺で片付けることは出来たが、ロナルドに関しては難しかった。彼は部下の信も厚かったのも手伝って、ジェフリーは保安部の妨害工作をどうするべきか頭を悩ませた。そうしている内に全く別の、いや、ある意味ではまさしく正道から攻撃が来た。

 妻のキャサリン・アンダーソンだ。

 キャサリンは元々優秀な情報統制官で、現役であった。そして夫がそうであったようにジェフリーの黒い部分を知っていた。だから当たりをつけていたのだろう。

 嗅ぎつけられた。
 運良く感づけた。
 だから始末した。

 同居人である息子の不在とキャサリンの在宅時を狙って、警備システムに仕掛けて落とし、浮浪者を雇いアンダーソン宅を襲撃。強盗殺人に見せかけるため、浮浪者達がキャサリンを輪姦している間、証拠のデータを破壊し、彼女が絶命するのを確認した。その後で、下手人も始末した。証拠はこれで消した。やっと安息を手に入れた―――はずだった。

 消したはずのデータが、バラ撒かれていた。証拠と言うには弱いものだが、疑念を植え付けるには適したものだった。周囲の空気が悪くなっていく。当然、弁明する傍らジェフリーも権力者達の伝手を使って調査する。

 犯人は、ロナルドとキャサリンの一人息子であるデヴィットだった。かつてデヴィットが生まれてきた頃、この手で抱き上げたこともある。誕生日にはプレゼントを毎年送っていた。第三世代適合者であり、珍しい早期覚醒者。電脳界に対して天才的な適性もあったことからエリート情報統制官として大成させるための教育を、アンダーソン夫妻に勧めたのも自分だ。あんな小さくて、柔らかくて、無邪気な子供だった彼が今、父と母の仇として自分に牙を剥いた。

 アンダーソン家は自分に祟る、と思い込めたならどれほど良かったことか。それでも最早引き返せないジェフリーはデヴィットに暗殺者を差し向けた。しかし一体何をどうやったか、彼は凶手の尽くを躱し、遂には姿を晦ませた。

 ロナルドの死から、ジェフリーが打つ手打つ手が悪手だった。全てが裏目に出ていく。まるで転がるように状況が悪くなっていく。

 どうしてこうなった。こんなはずではなかった。ジェフリーの胸中で後悔が渦巻く。

 そして。

「よぉーう。―――お前さんがジェフリー・フリーウッドだな?」

 紫瞳の悪魔が、メイドさんと一緒に現れた。


   ●



 時間は、少しだけ遡る。

 襲撃場所は『奴』―――ジェフリー・フリーウッドの所有する別荘だ。ジェフリーは自身の悪事を揉み消すために権力者達を頼っている。無実の証拠が権力者達によって捏造されるまで表向きは謹慎処分を受けて、その別荘に引き篭もっているのだ。

 そこを襲撃して身柄を確保する、と言うのが最終目標となる。

 だが、障害が大きく分けて3つある。

 まずは別荘自体の警備システム。その別荘は元々は権力者達の物で、密会などの関係上ジェフリーが保持した方がやりやすいと彼に譲られたのだ。であるからして、かなり厳重な警備システムを組まれている。忍び込むのはかなり骨だ。よしんば忍び込めたとしてもジェフリーを確保し、再び警備システムを掻い潜って連れ出すとなると現実的ではない。

 2つ目はジェフリー宅周辺にいる警備部隊だ。どうやら権力者達が気を利かせて、英軍の一部を動かしたらしい。常時一小隊50人の二小隊が昼夜交代で周辺警護している。これらの目を盗んで身柄を確保すると言うのは、正直不可能に近い。

 3つめは上記2つの複合だ。警備システムによる通報と、周辺警備部隊の通報。前者は15分以内に警備会社が到着するし、後者もブライズ・ノートン空軍基地が西に60キロ程度しか離れていない。ヘリを飛ばせば警備会社と同じぐらいの時間で警備会社よりも厄介な正規軍の増援部隊が展開する。最悪なことに空軍基地にはあの有名な特殊部隊も駐屯している。国軍最精鋭が増援として到着すればイコール詰みなりかねない。

 以上、3つの理由によりばれずにこっそりジェフリーを確保するという作戦は棄却された。幾らなんでも難易度が高すぎる。

 ではどうするか。


 強引に制圧して悠々と確保すればいいのである。


 正直、デヴィットは最初にこれを聞いた時、目眩を覚えた。何その力押し、と絶句した。ひょっとして元自殺志願者の自分よりも彼等は自殺志願者なのではないのだろうかと思ったほどだ。しかしながら、別に捨て鉢になったわけでもカミカゼの如き特攻に一縷の望みをかけたわけでもなかった。同時に、奇を衒ったわけでもウルトラCを決めようとしたわけでもなかった。

 警備システムと警備部隊を含めた周辺の通信システムを掌握し、時間を作りつつシステムを逆用して哨戒部隊の行動を把握。後にふた手に分かれて哨戒部隊を潰していき、別荘を強襲。ジェフリーの身柄を確保して逃走する。

 大丈夫なのかその作戦、と思わず突っ込んでしまったデヴィットを責めることは出来ないだろう。細かな部分に目を瞑ったとして、問題点があるとすれば大きく2つ。

 果たして周辺の通信システムの掌握などが出来るのか。

 紛いなりにも国軍の正規部隊を相手にして傭兵が少数で制圧できるのか。

 疑問を不安も尽きない。だが、彼等はやれると言った。そしてこうも言った。



『傭兵ってのは自分の命を切り売りして金に変える生き方だ』



 だから最初に覚えるのは命の使い時と弁え方だ、と。逆説的に言えば、この程度の作戦など命全てを投げ打つに値しないという自信の表れであった。

 故にデヴィットはそれ以上何も言わなかった。元より彼が最初に立てた計画は頓挫している。だからこそ彼等に仇の身柄の確保を任せたのだ。もはや身柄奪取に関しては傍観すると決めたのだから、これ以上口を出すのは筋違いだと判断した。

「流石に金持ちは違うね」

 デヴィットはキャンピングカーを改造した通信指揮車の中を興味深そうに見渡しながらそう呟いた。

 この車の改造者兼運転者のステファニーに聞いた話では、四方五キロに渡って限定的に電波障害を引き起こす装置と、電脳界フルダイブ用のネットカプセルを積んでいるとの事だ。

 電波障害装置に関しての値段は分からないデヴィットではあるが、車内にでん、と置かれた鉄棺―――ネットカプセルの良し悪しは分かる。ARCS社製の最新製品だ。確か二ヶ月前に出たばかりのモデルだ。カタログと少々趣が異なっているので、ひょっとしたらかなりいじっているかもしれない。元の値段と弄った費用を考えると、そこそこの家が一軒建つだろう。

「傭兵はそれほど儲からない。結構経費で飛んでいく」

 鉄棺と電波障害装置の配線を組みつつ、虚空をポチポチとA.R操作をしている金髪ツインテのロリメイドさんであるシンシアがデヴィットの呟きを拾った。

 今回、指揮車両に鉄棺を積んでいるので有線ではなく無線だ。となると彼女は今、おそらく自分のネットカプセルが電波障害装置の影響受けないようにセッティングしているのだろう。会話しつつも配線とA.R操作の手は淀み無い。それでもデヴィットの相手をしているのは、飛崎から片手間でいいから雑談に付き合ってやれと指示を受けているからだ。

「そうなの?でも、レンジは君達を雇えるぐらい稼いでるんでしょ?しかも、まだ他にメイドや執事までいるって言ってたじゃないか。それに、この機材だって並じゃない」

 何度か交わした雑談の中で、デヴィットは飛崎のメイド隊が他にまだいることを知った。どうやら、何処かの島一つを所有しているらしく、そこに自分の屋敷を建てて使用人達に財産やら何やらを管理させているらしい。

「レンはあくまで遺産を相続しただけ。その財産を転がして増やしているメイドがいるから使っても使い切れないお金はあるけど、それに比べたらレンが二年間傭兵として稼いだお金は雀の涙。傭兵家業していた南米は物価が安いけど、それでもこの機材を1個も買ったら破産」
「そんなスーパーメイドがいるの?」
「スーパーでスペシャル。侍女長………ティアもそうだけど、副侍女長と執事長はちょっとおかしい」

 リースティアさんおっとりしたメイドさんだがメイド長である以上凄いのかないやあの乳は確かに凄かった、等と思いつつデヴィットは首を傾げる。

「と言うか君、レンジがご主人様じゃないの?」

 どうにもこのロリメイドさんは主である飛崎に対して随分気安い。その態度に不思議に思って尋ねてみると、シンシアは配線とA.R操作を一瞬だけぴたり、と止めてこう言った。

「レンは………ご主人様だけど、お兄ちゃんでお父さん」
「なにそれ羨ましい!」

 心の叫びだった。

 『ご主人様でお兄ちゃんでお父さん』とか何そのパワーワード。男の夢のバーゲンセールでよくばりセットだ。デヴィット評論家が真剣に飛崎に弟子入りを考えていると、シンシアが埃を払いながら立ち上がってネットカプセルに身を横たえた。プシュ、と軽い空気音を立てて鉄棺のカバーが下がっていく。

「―――準備OK。レン達ももう配置につくみたい」
「一応聞くけど、この会社の警備システム硬いよ?僕も手伝ったほうが良いんじゃ………?」
「大丈夫。此処から先は子供の領分。貴方はお客様。お客様はお客様らしくお行儀良くしてて。ジャックは貸してあげるから、有線でも無線でも好きにリンクして。許可は出しておく。手出しはできないけれど、特等席で観戦はできる」

 シンシアはそう言い切って目を瞑った。どうやら電脳界に没入したようだ。

 仕方なしに、デヴィットは背中のリュックを下ろして自前のデヴァイスを取り出す。前世紀にあったようなゴツいヘッドフォンのような見た目をしたそれは、第三世代ニューロフィードバックシステムを搭載したデヴァイスだ。

 少々値の張るものだが、有線でも無線でも使用可能で、且つ内蔵容量と処理速度が据え置きであるネットカプセルに比べ若干下がる程度にまで迫っている為、暗殺者からの逃亡生活ではとても役立った。文句があるとするならば同世代機は既にI.H.S並に小型化されているのに比べ、ゴツくて重いぐらいか。その分性能や耐久性は上がっているので、名機と言っても差し支えないが。

 閑話休題。

 デヴィットは左のスピーカー部分からジャックを引き出して自分の首筋のニューロンジャックと、シンシアが眠るネットカプセルの外部端子に差し込んだ。他に座る場所もないのでネットカプセルを背もたれにして床に座ると、デヴァイスを起動。A.Rを操作して没入する。

 瞬間、電気を落とすように視界が暗く染まり、次に白い空間が現れ世界が構築されていく。

 視覚化された電脳界だ。

(………随分と牧歌的な)

 視界に広がったのは草原―――いや、高原だった。アルプスやチベットを彷彿とさせる限定エリアだった。

 おそらく、これはシンシアの固有領域だ。勝手に出歩かないように外部ジャック経由で没入ポイントを指定されたのだろう。通常なら、最初は自分の固有領域になる。デヴィットならかつて映画で見た日本の電気街だ。あの雑多でカオスな感じが好きなのだ。

 自分の体を見る。勿論肉体ではない。金属の塊だった。棘付きの杖を持つ王を象った、鋼の電子甲冑。デヴァイスにインストールしておいたデヴィットの電脳界に於ける姿である。それが無ければ肉体のデフォルメを仮想再現するのだが、彼に限らず電脳界に入り浸る人間は大体電子甲冑だ。この電子甲冑とも付き合いが長い。9歳の頃に基礎を作ってもう5年近く改修と改造を加え続けた。ベースとなった電子甲冑とは最早別物である。

 電脳界は、基本的に一般人が入ることは出来ない。異能を持つ存在である適合者―――その中でも、特に情報処理に特化した思考並列加速と呼ばれる異能を持つ人間にしか不可能である。

 そもそも電脳界とは何か、と問われれば世界最初の思考並列加速者であるスタンリー・ジェイブスが、稀代の天才科学者であるアルベルト・A・ノインリヒカイトと共に旧来のインターネットをもっと視覚的、直感的にニューロフィードバックシステムを用いて扱えるように構築した、言ってしまえばクラウドOSである。

 これにより従来の情報処理とは比較にならないほど高度且つ自由性、速度性のある新たな仮想世界―――即ち、電脳界が生まれた。だがあまりに高機能であったそれは、一般人が何ら制限もなく没入するとその膨大な情報を処理しきれずに悪くすれば発狂、あるいは廃人化すると言った危険性があった。処理能力の多寡によって現実と仮想の認識の境界性を引けない一般人は、電脳界で怪我を負うと脳が現実だと判断して肉体にフィードバックを起こしてしまうのだ。

 言うならば強烈なプラシーボ効果で、場合によっては死に至る。余程運が良くても結構重度の知恵熱を出してしまう。当然と言えば当然だ。元はスタンリーが自らのスペックを全力で振り回してより自分が使いやすいように、と作り出した世界なのだから。有象無象が入り込む余地はないのだ。

 例えるなら、F1ドライバーが企画、天才技術者に頼んで制作したF1ドライバーの為のベースマシンなのである。あくまでベースマシンとは言え、それをペーパードライバーが予備知識もなく教習所感覚で扱おうとすれば発進と同時に事故りかねない。故に、一般人が入る時にはデヴァイスにリミッターを効かせて没入するのが普通だ。電脳界の恩恵を最大限に受けるならば、その膨大な情報量をオーバーヒートすること無く処理できる能力が必要なのである。

 その為、電脳界にて高度な作業や情報収集を主としたハック、DoS攻撃を始めとするクラックなどを行う情報統制官は思考並列加速の異能を持つ適合者と決まっている。

 デヴィット・アンダーソンは、そんな情報統制官―――その卵であった。

(えっと、あの娘は………)

 周囲を見回してみる。

 すると、羊の群れがあった。第一世代の電子ドローンだ。非力で耐久性もない。利点があることと言えば、処理能力を殆ど喰わないぐらいにコストが軽いので物量戦には使えるぐらいか。その羊達の中央に、狼を足元に侍らせた鉄の少女がいた。おそらく、あれがシンシアだ。白金色に輝く鋼のケープを、再現された高原の風に靡かせた少女を象った電子甲冑は、手にした羊飼いの杖を翳した。

 デヴィットの周囲に幾つもの映像ウィンドウが展開した。どうやら、飛崎達が装備しているI.H.Sの視界情報などを共有しているらしい。

 ややあって、シンシアの声が響いた。

『こちらCP。全部隊が配置についたことを確認しました。―――ツギハギ01。合図を。今から広域ジャミングを展開し、四十八秒で警備システムを掌握します。掌握隠蔽時間は十五分。システム異常からの警備部隊到着予想時間は三十分』
(えっ………?)

 宣言された時間にデヴィットは絶句する。

 ジェフリー宅を守っているのは国内でも有数の警備会社だ。民間とは言え、いや、ある意味でだからこそ結構な金をつぎ込んでてかなり評価の高いシステムを組んでいる。デヴィットですら速度重視、足がつくのを前提で本気で挑んでも三分は欲しい。それを三分の一以下でやる、と言うのだこの少女は。

 鋼鉄の少女が手にした羊飼いの杖を掲げる。すると、足元で侍っていた狼がやおら立ち上がり、遠吠えをした。

 直後。

 羊達が四方八方へ駆け出した。それだけではない。何もない空間から次々次々と羊達が呼び出され、際限なく溢れてその端から消えていく。

 おそらく、ネットワークを介した転送だ。目の前のウィンドウには羊達の視点が展開された。その数は数え切れない。十万二十万では効かないのではないだろうか。彼等は幾何学模様の壁に向かって体当たりを繰り返している。まるで津波か何かだ。あれはおそらく、警備会社のサーバーだろうか。こんな出鱈目なドローンでの物量戦など見たこと無い。

 力押しも力押し、出鱈目なDoS攻撃だ。

(ちょっ………!?マジかよ!?何だこの処理速度!?何で維持できるんだ!?って、待て待て待て!使ってるドローンが羊って、まさかこの娘―――!)

 嘗て無い常識はずれのDoS攻撃に顔を引き攣らせながらデヴィットは思い出す。

 リアルの世界で生きた伝説扱いされているネームドの適合者が何人かいるように、電脳界隈にもある。デヴィットの母もそんなネームドの一人だったせいもあって、よく調べては憧れたものだ。その中で、此処最近になって急に名を挙げてきた情報統制官が何人かいる。

 その中の一人、『小さな羊飼い』。

 南米を拠点に置く、ARCS社子飼いの情報統制官。拾えた情報は、確か無人機制御を得意するスタンダードな支配型電子甲冑を操ることと、此処数年で急に有名になってきたことからまだ年若いと推察できることぐらいだ。

『こちらツギハギ01、了解』

 呆然とするデヴィットの事など気にも止めずに飛崎が返事を寄越してくる。彼は今、メガネメイドのユミルと組んで、ジェフリー宅の右翼側に身を潜めている。

『さて、お前さん等。仕事の時間だ。相手は兵士、標的は外道。何とも気楽な戦場じゃないか。何しろ民間人と違って、戦場が仕事場の連中だ。容赦や手加減の必要がない。傭兵の流儀で好きにやれる』

 飛崎はどこか楽しげな声で皆に呼びかけた。

『これは本来、儂等には関係のない復讐だ。だが、儂等の復讐に至るための復讐だ。ならばこそ、儂はこの復讐を肯定し、儂の美学に従って行動に移す。お前さんらはどうよ?』
『こちらツギハギ02。マスターの御意志に従うのが、侍女長としての美学で御座いますれば』
『ツギハギ03。異論はありません。早く片付けて次の国へ行きましょう。この国の食材は好きではありません』

 左翼側に展開しているリースティアとアシュリーがいつもと同じ声音で返してきた。

『ツギハギ04ー。この国の車は嫌いじゃないけどな』
『こ、こちらツギハギ05。大丈夫です!やりましゅ!』

 作戦終了後の撤退を担う為、指揮車両の運転席で今は寛いでいるステファニーが戯ければ、飛崎の背後を預かるユミルはいつもの様に噛みながら威勢よく返事をした。

『いい返事だ。まぁ、とっとと片付けて本業に戻るとしようや。じゃぁ―――』

 飛崎の言葉と同時、羊達が大挙してサーバーの防壁をダウンさせ、シンシアは即座に内部システムを掌握を開始、そして完了する。

『こちらCP。警備システムの防壁突破、システム掌握しました。哨戒部隊の現在地特定。I.H.Sにアップロード。ナビに従って制圧を開始して下さい』
『―――復讐の手伝いを、始めよう』

 蹂躙が、始まった。



   ●



 ウィンドウに流れる情報をデヴィットは驚愕とともに見ていた。

 作戦が開始され、僅か三分。周辺を哨戒している15ユニット三十人を、飛崎達は瞬く間に制圧した。陣羽織が舞い、メイドスカートが閃く。そう、それは紛れもなく。

「NINJAじゃねーか………!」
『忍者じゃない。ご主人様とメイド』

 感嘆の声を上げるデヴィットにシンシアが飛崎達に随時ルート案内を熟しつつ突っ込みを入れた。

「何故日本人はメイドを戦わせたがるんだ………」
『戦闘技能は必須ってティアが言ってた』
「何そのバトルメイド怖い」
『因みに執事長は「Battlerと言うぐらいですから戦えませんと」って言ってた。ステゴロが得意だって』
「ちょっと脳筋過ぎない?飛崎家」
『力こそパワーって、わたしのお母さんが言ってた』
「正しいけどさ。軍事的にはこの上なく正しいけどさ。メイドって何さ。執事って何さ………」

 そうこうしている間に飛崎達はジェフリー宅へ侵入を試みた。

 いや、むしろ強行突入だった。出入り口を警護している兵士二人の足が突然氷漬けにされ、身動きが取れなくなった所でユミルとアシュリーが裸絞して意識を刈り取る。デヴィットは少しだけ羨ましく思った。

「レンジ達は適合者なの?」

 あの氷は自然現象ではない。となると、異能に拠るものだ。

 情報統制官であるデヴィットやシンシアとは方向性が違う、リアルでの戦闘に特化した適合者だ。そう、異能だ。『消却事変』後に出現した適合者のみが使える、人ならざる力。あるいは、新人類が獲得した適者生存の象徴。呼び方や定義は色々ある。

『傭兵は大体そう。そうでない人達も、長く傭兵を続けていれば大体「成る」。ただ、レンの場合は………ロスト・ワン』
「ロスト・ワンって………長く凍結した第一世代適合者のことだっけ?今の時代、少ないとは聞くけど」
『そう。だからちょっと、ヘンテコな適合者』

 適合者は消却者と呼ばれる異形達に接触することによって遺伝子変異を起こした、言わば新人類種だ。

 接触と言うと簡単に思えるが、実際には命に関わる怪我を指すことが多い。それは第一世代の半数以上が義手や義足など、何らかの機械部品や生体義体で身体を補っていることからも分かるだろう。加えて、適合するのに適切な処置を行わなければ長い時間を要することがあり、凍結状態―――時間を止めたかのように非常に代謝が落ちた状態―――で下手をすれば何年、十数年も眠ることがある。

 その失われた時間、そして社会的にも適合者の損失時間を踏まえ、失われた第一世代、即ちロスト・ワンと呼称することがあるのだ。

 飛崎はそれなのだと教えられデヴィットが彼に視線を向ければ、扉に向かって刀を抜き打っていた。文字通りの剣閃が疾走り、木製の扉が袈裟斬りに両断された。

 その鮮やかとも言える手並みにデヴィットは若干興奮気味に。

「おぉ、バットウジツ!」
『イアイって言わないの?大体の人は勘違いすると聞くけど』
「I・A・Iとバットウジツの違いぐらいは分かるさ。でもレンジは何であんな接近戦に拘って―――あっ!」

 疑問を口にしていると、両断された扉の奥から突撃銃の発砲があった。しかし飛崎が左手にした変わった形の鞘を、まるでトンファー使いがそうするように盾の如く掲げて半身になると。

「―――嘘だろ?」

 飛来した弾丸がそこを起点に弾け飛び、彼とその後ろのメイド達を守った。そして敵が驚いた間隙を縫うようにして、三人のメイドが疾駆する。壁や天井を足場に三次元跳躍をして敵の照準を撹乱しながら接敵、次の瞬間には制圧していた。

『局所的に電磁場を形成して弾道を逸したの。狙撃とか地雷とかの不意打ちならともかく、真正面からの弾幕じゃレンの防御を超えれない。大規模な火力を使えない室内戦なら尚更』
「つまりローレンツ力を使った電磁バリアって事?いくら適合者だからってSFし過ぎじゃないかなぁ………?」
『レンの適合者クラスはEx。同じ適合者ならその意味が分かるでしょ?』
「理外―――所謂『法則崩れ』って奴か。確かに『武神』の赦炎は白い炎なのに青い炎よりも熱量が高いとか、『砲撃淑女』は地球の裏側まで指定したものを取り寄せたり出来るとか、『蒼眼の死神』に至っては時間さえ操れるとか噂を聞くけどさ」
『物理法則さえ捻じ曲げるビックリ人間達相手に、理論的なものを求めても無駄。SFって実は少しファンタジーの略だと思うの』

 シンシアの言葉にデヴィットはそうかもしれない、と頷いた。

 戦闘系適合者の戦闘を実際に見るのはこれが初めてだが、確実に前世紀の兵士達の動きと戦術とは異なっている。そもそも、適合者の『異能』とは即ちこの世の理ではなく消却者の世の理を無理矢理現実世界にエミュレートしているに過ぎない、というのが定説だ。

 適合係数の高い適合者の最上位、クラスExの適合者はこの世の理―――物理現象を飛び越えて概念干渉さえ可能とすると言われている。そんな連中に既存の科学理論を当て嵌めたり押し付けても意味は無い。科学的に証明できない現象を起こすのは勿論、証明されていることでさえ捻じ曲げてくるのだから。

『因みに、あの変な形の鞘と刀はそれぞれ別個の霊装。特に鞘は重式多重増幅霊装と言って、少し前の霊刃刀や今ある霊光剣に代表されるトリガーシステムの走りで、ブースターのようなもの。レンにとって鞘は増幅器であり盾』

 シンシアがそう口にした所で画面の中、飛崎がその鞘で敵兵士を打擲して制圧していた。

「………今、その増幅器でぶん殴ってるけど、大丈夫?」
『ついでに打撃武器。―――シールドバッシュと考えれば不思議じゃない』

 ぷい、とそっぽを向いて彼女は言い切った。

「しかし今考えればウチのドアを溶断したのもそれか………。電離を加速させてるのかな?そこで発生した電磁場を使って荷電粒子砲の真似事?霊素粒子を光に変換、SAYAの増幅器内で運動加速させ発振器代わりにして、KOIKUCHIが射出口を代わりにする。となるとKATANAは射出誘導器ってことか。抜き放つことでビームが誘導射出され、剣閃の軌跡をなぞって射程内なら溶断するわけだ。―――少し不思議だからって科学舐めすぎだと思うが」
『頭が良いと理解が早いね。レンは師匠にそれを教わった時、「ガキの頃憧れたなぁ。ア○ンストラッシュとか魔○剣とか剣閃飛ばすの。ちょっと違うところなら○公望の打○鞭とかな。クラスメイトと一緒に傘で練習したわ。今度ちっチッ疾ィッとかやってみよう。なんという浪漫の塊。―――つまり美学だ!」とかよく分かんないこと言ってた。浪漫は大事らしいけど、そうなの?』
「男の浪漫は物理法則を超越するよ、魂の合体とか根性の変形とか宇宙飛ぶ大艦巨砲主義とか。男の子にとっては、血が熱くなるってある意味生き死により大事。―――自殺未遂者の僕が言うのも何だけど」

 男は何時までたっても子供心を忘れないものだ、と現役十四歳の少年は遠い目をして頷いた。

「しかし………こんな簡単に制圧できるものなの?僕、リアルでの荒事は昔からてんで駄目だったから分からないんだけど。相手正規兵なのに」

 雑談している間に妙にサクサク進んでいく制圧戦に、デヴィットは最早心配することもなく疑問を投げかけた。作戦開始して早十分。内部の制圧劇も終端が近い。

『レンとティアの適合係数はクラスEx。アシュリーはクラスA。ユミルはクラスBだけど体術がちょっと反則染みてるから状況によってはクラスExにも勝てる。それに、レンとティアに至っては屠竜勲章持ちの文字通り竜殺し―――正直、相手が雑魚すぎる』
「ウチの国の兵士なんだけど………。しかも正規兵………」
『レンとメイド隊を足止めしたいなら、この十倍を持ってこないと駄目。最低でも適合者入りの特務部隊は必須』
「十倍持ってきても傭兵を足止めしかできないのかよ」

 駄目出しされてデヴィットは呆れたように肩を竦めた。

『南米、特に私達が拠点にしていた旧プエルトマルドナド………今の悪徳都市エルナドは新合衆国と南州連合に挟まれた内戦と消却者の坩堝。そこで生き残るように戦ってれば嫌でも強くなってる』
「エルナドって、文字通りSYURANOKUNIって奴じゃないか………」
『そもそも、国防を基本とする軍と、常日頃から命を対価に実戦を積んでいる傭兵では潜る修羅場の数も質も違う。大規模な人数を動員する戦略レベルでならともかく、少数精鋭の限定的な局地戦だけで言えば、経験値が高い方が有利。ましてこっちは奇襲をかける側だし』

 新合衆国と南州連合の小競り合いはデヴィットも知っている。もう二十年以上やっているらしい。父ロナルドが英国に移民として流れてきた時期からだ。

 北アメリカが禁域と核の放射能汚染でほとんど人が住めない大地になってから、残った合衆国民が難民となって南下したのだ。それだけならば反発もあっただろうがそこまで大事にならなかった。しかし、不思議な表現となるが国土を失ってもアメリカは国力が高い国だった。結果、かつての北米植民地戦争ではなく―――言うならば南米植民地戦争を引き起こした。パナマ運河南部を起点としてベネゼエラ、コロンビア、ペルーを併呑して新合衆国を築いた。それに対抗するように、ブラジル、ボリビア、チリ、アルゼンチンが連合を組んで南州連合となって対抗した。

 そしてその2大勢力の主戦場の一つが旧プエルトマルドナド、今のエルナドである。市街戦こそ互いの協定もあって起こらないものの一歩町の外に出れば砲弾と異能が飛び交う戦場となる。そして夜になって疲弊すれば、エルナドの酒場で両陣営の兵士が酒を飲んでいるのだから変わった場所である。対消却者戦もあって、傭兵が自治権を持っている影響もあるのだろう。故に、エルナドは傭兵と裏取引と兵器実験が蔓延る悪徳都市―――あるいは混沌都市などと呼ばれている。

『ここだけの話、戦う術を身につけるまでレンは駄目な子だった』
「え?そうなの?」
『色々事情があって、戦いとは無縁の世界で生きてた。なのに、いきなりそんな地獄に放り込まれたから』
「そりゃ強くなる訳………」

 言いかけてデヴィットは気づく。

 飛崎は第一世代適合者である。
 飛崎は凍結状態を迎えたロスト・ワンである。
 飛崎は六十九歳でありながら、二十歳前の外見をしている。
 消却者が現れたのは『消却事変』以降―――つまり、五十年前である。

「―――そうか。あの見た目で、第一世代適合者で、六十九って………え?世界最長?」
『やっと気づいた?』

 シンシアは少しだけ戯けながら首を傾げた。

『だから、ヘンテコなの』

 映像の先では、半世紀近い時を超えた、現存する最古レベルの適合者がジェフリーを追い詰めていた。



   ●



「こうもあっさり捕まると、僕が今までしてきたことってなんだったのかって頭を抱えたくなるよ」

 場所を移してベイリーストリートにある雑貨屋の地下に戻ってきたデヴィットは、軽く肩を竦めながらそう言った。

 あれからジェフリーの身柄を確保した飛崎達はステファニーが駆る指揮車両に乗り込み、途中で何台か車を乗り換えてここに戻ってきた。抵抗されれば手足の一本はやむを得ないと思っていたが、そうしたこともなくさっさと意識を刈り取って拘束して連れてきた。

 今、ジェフリーは地下室の一室に繋がれている。室内管に手錠を着けられ、足も拘束され、目隠しと猿轡もされている。意識を取り戻した時は少し慌てて暴れていたが、自分が拘束されていると理解したら大人しくなった。

「一人では高が知れるさ。儂だって一人だけだったらここまで楽に仕事はできん」
「まるっきり出来ない、とは言わないんだ………」
「目標ごと叩っ斬っていいなら一振りで終わった」
「なにそれ怖い」

 飛崎がジェフリーの館をあのビーム砲ならぬビーム斬りで両断する所を幻視したデヴィットは慄いた。

「その後死亡確認したり逃げたり敵の増援とか考えなきゃいけないから、やっぱり一人じゃ難しいだろうよ。相手が一般兵でも犠牲無視の物量戦を仕掛けられりゃ、どんな奴だっていつかは力尽きる」

 どんだけ馬火力があってもまともに運用できる環境がなけりゃロクに使えたもんじゃねーよ、と飛崎は肩を竦めながら懐から鉄の塊を取り出し、デヴィットに手渡した。

「ほれ」
「これは………」
「お前さんだって情報統制官の卵なら使ったことぐらいはあるだろう?貸してやる」

 鉄の塊―――自動拳銃であった。かつてこの国でも使われていた骨董品だ。火力と信頼性が高いと有名な傑作自動拳銃。

 確かに情報統制官として基礎実習には銃器取扱の訓練はあったが、プライベートで持ったことはない。恐る恐る確認作業をする。マガジンを取り外して中をチェック。チェンバーもチェック。安全装置を外し、掛け直す。マガジンを戻して、スライドを引いて初弾を装填。後は安全装置を外して引き金を引けば、撃てる状態になった。

 デヴィットが銃の確認作業をしている間に、飛崎はジェフリーの目隠しと猿轡を解いていた。

「デヴィットか。………やるじゃないか」

 鋭い視線を向けて来るジェフリーに、デヴィットは胸中で渦巻く感情を捻じ伏せて言葉を吐き出した。

「―――僕の力じゃない」
「それを自ら認められて行動に移せるなら、もう一端の男だ」

 どこか楽しげなジェフリーの声音に、デヴィットは大きく息を吐きだした。

「レンジ。二人だけにしてくれないか」
「………」

 その上で、恩人に頼みを言ってみる。しかし、普段の飛崎らしくなく彼は沈黙したままデヴィットをじっと見ていた。何となくではあるが、その眼差しの理由は分かる。心配しているのだろう。だから安心させるように頷くことにした。

「大丈夫だ。ここからは僕の領分だし、もう死のうとしたりしないさ」
「―――うむり。あい分かった。ティア達に飯の準備をさせておく。終わったら一緒に食おう」
「あぁ、ありがとう」

 礼を告げると、飛崎は静かに地下室を後にした。

 両親の仇と、二人きりになる。近寄ったりはしない。一定の距離を保って、じっと見下ろす。

「先程の彼は?」
「アンタが知る必要はないだろう」
「まぁ、大体予想がつくがね」

 ジェフリーの言葉にデヴィットは眉を顰めた。飛崎については分からないことが多い。調べている暇もなかったというのもある。それ以上に、出鱈目な資金力と腕っ節と人脈を持っていて、見ず知らずにも関わらず自分の味方であったと言うのも手伝って、信頼していたのもあった。

 何に対しても疑って掛かるべき情報統制官としては失格だなとも思うが、少なくとももうこの国ではそれを生業にすることはないと心にも決めている。

「何だ?知りたいのか?」
「別に」

 だから挑発するようなジェフリーの言葉にも動揺せず返せた。しかし、彼はどう思ったのか飛崎に関して語り始めた。

「まぁ、いい。教えてやるさ。黒い髪に紫の瞳。それにメイド達を複数引き連れたSAMURAIで、名前がレンジ。となれば私が知る限り一人だけだ。南米では最近有名になったらしいぞ、彼―――ツギハギは」
「ツギハギ………?」
「ああ、どうしてそんなTACネームが付いたか知らんが………彼はあの『不死王』を殺した不死殺しの生き残りだ」

 『不死王』。

 理外に至った有名なクラスEx適合者だ。異常な再生能力を持っているらしく、曰く『肉片の一片でも残っていればそこから再生する』と言う化物もかくやと言わんばかりの反則存在である。死なないせいもあってか、享楽的で刹那的な性格をしているらしく、その残虐的な嗜好から数々の非人道的な事件を起こし、特級国際監視対象―――『歩く天災』の一人に数えられている。デヴィットに取ってはお伽噺のように遠い国の話だったが、それに飛崎が関わっていたらしい。

「三ヶ月前だったかな。JUDASの南米支部に食客として迎えられていた彼の『不死王』、オーウェン・ガブリエルをレンジ・ヒサキの所属するARCS社の非公式部隊が襲撃し、死闘の末に大損害を出しながらも彼の者を灰に帰したと情報が流れた。噂ではどうやったか知らんが『不死王』の不死を象徴する出鱈目なまでの再生能力を奪った結果、自己崩壊を起こしてそのまま灰になったらしい。『不死王』は『無貌』や『蒼眼の死神』に匹敵する『歩く天災』だからな、上層部の連中がその報告を聞いて喜んでたのをよく覚えている」

 クラスExは理外に到達し得る存在だ。そのクラスExの『不死王』を殺し得るのは、やはり同じくクラスExの適合者に限られるだろうが、飛崎は一体どうやってそれを成したのだろうか。

「そんな男の協力を得たんだ。誇ると良い」
「―――何でそんなに堂々としてるんだよ」
「状況をよく理解しているからだ」

 何かを企んでいるのだろうか、と訝しがるデヴィットにジェフリーは首を横に振る。

「何も企んではいないさ。こうなることを避けるために君を殺すまでは自宅に引き篭もっているつもりだったし、上層部に掛け合って正規軍の一部を回してもらった。後は、雇った殺し屋が君を始末すれば私の勝ちだった。だが、その尽くを覆された。文字通り万策尽きたよ」
「足掻けばいいじゃないか。みっともなく」
「情けない命乞いを御希望かね?それは残念だ。私は常に他人を蹴落とす人生を送ってきた。転じて、誰かに蹴落とされることも承知している。どの道まともな死に方は望めないと、覚悟ぐらいはしているのさ。―――悪党にだって、悪党なりの矜持がある」

 こちらを見据える碧眼は諦観でも絶望でもなく、毅然としたものだった。

「私を殺すと良い、デヴィット・アンダーソン。ロナルドとキャサリンの息子よ。君にはその資格と義務がある」

 とても死刑執行を待つ身のものではない。

 明確な強い意志。ジェフリー・フリーウッドはそれを持った男だ。だから、ならばこそ聞かねばならない。

「―――どうして、母さんを殺したんだ?」
「ロナルドのことは聞かないのかね?」
「あれは事故だ」
「………そう、思えるのかね?」

 少しだけ面を食らったような表情を浮かべたジェフリーに、デヴィットは静かに告げる。

「アンタは気付かなかったようだけど、母さんはちょっと変わった癖があってね。情報将校の癖に、データ保存だけじゃなくて紙媒体でのアナログ保存もしてたんだよ。日記なんかこのご時世にわざわざ手書きなんだ。僕が子供の頃作った電子甲冑はそうしたアナログ保存されてたアイデアを実現可能なレベルでフィードバックしたものだし、政府通信本部の防壁破りだって母さんが指摘してたセキュリティホールを突いたんだ」

 母の死後、ジェフリーの追撃が掛かる前にデヴィットは一度家に戻って荷物をまとめた。その中に、母の日記が隠してあった。そこには妻としての苦悩と、国に仕える情報統制官の苦悩があった。

「母さんは気づいていたんだ。アンタの雇った殺し屋と父さんが運悪く鉢合わせした結果の事だと。感情では納得していなかったけれど、母さん自身も政府に深く関わっていたから理解はしていた」

 今の英国内はよく纏まっている。比較的安定していると言っていい。

 例えばキャサリンが復讐と称し感情に身を任せて、ジェフリーや上層部の悪行を国内にばら撒けば確かに彼等の身は破滅する。しかし代わりに政界は波乱の潮目が出来始めるだろう。今は乱世でこそ無いものの、前世紀のように安定しているわけでもない。欧州だって南米ほどでは無いが揉めている。弱い部分が可視化されれば他国に付け込まれる可能性も生まれる。そんな中で、首脳陣の退陣や政権交代など大きな混乱を呼ぶ要素を自らが起こして良いものか―――それを母は悩んでいた。

 そしてそれは、デヴィットも同じだ。だから、権力者達では無くジェフリーだけを狙い撃ちにするように行動していた。

「僕自身も同じだ。事故だし、運が悪かったのも認める。納得は出来ないし感情では恨んでいるけれど、理解出来ない訳じゃない。僕はまだ十四の小僧だけど、長く政府の教育を受けてきたし情報将校としての心構えも教えてもらった。電脳界も長く入り浸っていたから国を守るだなんて、綺麗事だけじゃ上手く行かないのは知っている。けれど………!」

 だから問いたかった。

 安易に復讐に身を投じる事無く、苦悩しながらも冷静に正しい判断を求めていた母を殺した彼に。

「母さんまで殺す必要があったかっ!?それもあんな酷い殺し方でっ!!―――なぁ、ジェフリー・フリーウッド!!」



   ●



 糾弾し、銃口をこちらに向けるデヴィットにジェフリーは静かに告げる。

「―――言い訳はしない。真実を知った以上、その心がどうであれ彼女は不発弾だった。例え国家に忠誠を誓った者であっても、だ。何時爆発するか分からない爆弾を、抱え込むわけにはいかなかった。私も、上層部もな。だから殺した。出来るだけ自然に見せるように。ただ、それだけだ」

 冷淡に、淡々と事実と自分が取るべき態度を決める。

「私は弁明も謝罪もしないよ、デヴィット。もう、私にはその資格さえない」

 そうだ、とジェフリーは自答する。

 友人であろうとしたロナルドを死なせてしまった。真実に辿り着いたキャサリンを殺した。言い訳など出来ようはずもない。きっかけは不運だったかもしれないが、その後を決めたのは自分だ。友誼を汚したのは自分で、ならばこの状況こそが自業自得の結果だ。後悔を口にすることさえ烏滸がましい。

「最初は、手駒だったんだ。二人共な。キャサリンは当時から有能だが使い難い性格をした部下でね。少し遅れて拾ったロナルドに橋渡しを頼んだんだ。あわよくば二人がくっつけば、色々と世話を焼いて恩を売って、多少使いやすくなるだろうと思ったよ。―――まさか出会って一週間で恋仲になるとは予想できなかったが」
「―――ああ、二人は、息子の僕が砂糖を吐くほど仲が良かったさ」
「職場でもだ。私を含めた独身達の目の毒だったな」

 くく、と喉を鳴らして昔を思う。

 あの頃は今と変わらず忙しかったが、同時に楽しくもあった。ひたすら上を目指して、がむしゃらに働いていた。確かに野心はあったし、ロナルド達を冷めた目で見ていたが―――それも心地良と感じていた。

「なぁ、デヴィット。友人は大事だぞ。私は、野心に目が眩んで友人に出来たはずの部下を、ただの手駒と割り切って切り捨ててしまった。こうして自分の身から何もかもを剥ぎ取られて初めて分かった。あの時、私に忠告してきたロナルドこそ手駒ではなく友人だったのだろう。少なくとも彼はそうであろうとしていたんだ、きっとな。彼の警告に従っていれば、出世は出来なくなったかもしれないがそれ以上に大事なものは失わずに済んだかもしれんな」

 いつからだろうか。何というか、物事に対して熱量が低くなったのは。昔はもっと、良い方にも悪い方にも情熱的だったはずだ。それを若さと言うには簡単に過ぎるが、もっと大事なものの気がする。

「今にしてみれば、何故私は出世を望んだのか。確かに金は稼いだが、別に結婚したわけでも子供を作ったわけでもない。趣味らしい趣味もないし、吹けば消える地位と名声に、一体何の魅力があったのだろうな」

 もうそれすらも分からない。

 ただ一つ言えることは、自分は決定的に間違ってしまったのだとジェフリーは思った。どこから、ではない。あるいは最初からだ。だから、彼はデヴィットに尋ねてみた。

「デヴィット、私は哀れか?」
「ああ、この上なく」

 カチリ、と向けられた銃の安全装置が外される。

「そうだよな。しかし、それに関して私はもう後悔さえ許されんのだ。だからせめて―――俺のようになるなよ、デヴィット坊や」

 やや静寂があった後、何発もの銃声が地下室に響いた。



「―――さよなら。ジェフおじさん」



 連続して身に受ける衝撃と乾いた発砲音に紛れて、薄れゆく意識の中でジェフリーはそんな声を聞いた気がした。

 何処か悲しみと涙が混じった声音だった。



   ●



 空を渡る、海を渡る。

 前世紀では比較的容易な渡航方法も、2049年現在では少し難しいものがある。消却者と呼ばれる異形達は、海や空にも現れるからだ。それでも人類は輸送手段における安全獲得に腐心し、ある程度の成果は得た。

 その一つが空飛ぶ戦艦。霊素粒子機関を搭載した飛空戦艦である。

 旧世代のジェット機に比べれば速度こそ劣るものの、より大容量かつ充実した対空設備を乗せることが可能になった為、安全な輸送と言う面では単体飛行能力においても前世紀を凌駕した。三十年ほど前から徐々に各国に空港が出来始め、現在では一般的な渡航手段はこれである。

 その空港のエントランスに、デヴィットと飛崎がいた。デヴィットが復讐を果たしてから一週間後のことだ。

「しかし、本当に良いのか?」
「いいさ。確かにここは僕の故郷だけど、この国に会いたい人はもういないし」

 両親を失い、自殺未遂を起こし、仇を討ったデヴィットは母国を離れることにしたのだ。

「それより、悪いね。まだ厄介になるよ」
「構わん。お前さんももう頼るところもないだろうし、乗りかかった船だ。自立するまでは面倒を見てやる。屋敷のある島はそこそこ広いし、そこで鍛えたいと言うなら執事長のローガンも付き合ってくれるだろう」

 デヴィットは飛崎が所有する島に厄介になることにした。そこで心身ともに鍛え直そうと思ったのだ。国に頼めば一般兵としての教育カリキュラムも組んでくれるだろうが、間接的に両親の死に関わった今の政府に頼りたくはないし、表向き行方を晦ませた事になっているジェフリーから自分に辿り着くかもしれない。いや、もう辿り着いているだろう。となると、国内にいれば時間を置かずして消されることになる。

 だからもう少しだけ飛崎に甘えることにしたのである。

「これからは身体も鍛えることにする。今回の件で骨身に染みたよ。だから身体を鍛えてリアルでも強くなって―――メイドさんハーレムを作る!それが僕の野望だ!」
「下心しか無いな。雄としては正しいが。―――ローガンも楽しみにしてるって言ってたよ」
「シンシアが言ってたけど、ローガンって執事長、凄いんだよね?」
「ああ、強いぞ。何しろユミルの師匠だからな」
「え?KUNOICHIの師匠ってことはNINJA?NINJAなの?」

 ひょっとして僕もNINNJYUTUとか使えるようになっちゃうっ!?と少し興奮気味にはしゃぐ少年に飛崎は苦笑した。

「お前さんホントにそれ好きだなぁ。確かに神出鬼没だし、忍者っぽいが儂自身あやつの経歴を良く知らんのだ。昔傭兵だった、と言うのは聞いたがな」

 ジャパニーズファンタジーだよ浪漫だ浪漫!君達が中世ヨーロッパ系ファンタジーとか好きなのと一緒!とひとしきり騒いでからデヴィットは落ち着きを取り戻した。

「―――レンジは、自分の屋敷に戻らないんだよね」
「ああ。お前さんのくれたデータのお陰で次に行くべき場所が決まった。―――まさかこのタイミングで母国に里帰りするハメになるとは思わなかったが」

 デヴィットから報酬としてデータを受け取った飛崎はシンシアに頼み解析して貰い、自らの仇の現在拠点を絞り込んだ。今は日本での活動拠点の選考と英国からの撤収準備を忙しく行っている。主にメイド達が。なので見送りが暇な飛崎だけなのだ。

 少し寂しいとデヴィットは思ったが、あのメイド達が空港に集ったらそれはそれで目立つだろう。今後国に追われる立場になるであろうデヴィットが目立つのはあまりよろしくない。現在、パスポートでさえ偽造しているのだ。

「日本かぁ………いいな、僕も行ってみたい」
「じゃぁ一緒に来るか?」
「止めておくよ。今の僕じゃ、君の役に立てないどころか、きっと足を引っ張る。だから日本には、いつか自分の力で行くよ」
「一端の男の顔をするようになったじゃねぇか。死に損なった甲斐があったな」
「どうかな。少しは成長したといいんだけれど」

 ぽん、と空港のアナウンスがエントランスに鳴り響いた。どうやら自分が乗る便の搭乗が開始されるようだ。

「さて、と。じゃぁ、僕は行くよ。次に直接会う時は、きっとレンジの復讐も終わってるだろうね」
「ああ、元気でな。屋敷の皆にも宜しく言っといてくれや」

 その頼みに分かったよ、とデヴィットは快諾すると背を向けて歩き出した。

「―――なぁ」

 その背中に声が掛けられる。

「復讐を果たした、今の気持ちはどうだ?」

 その問いかけに、デヴィットは何と答えるべきか迷った。

 確かに、心に区切りは着けれた。だが、同時にそれは新たな傷になった。ジェフリーの事は昔から知っていたのだ。彼がJTAC所長になるまでは家族ぐるみで付き合いがあったのだから。それ以降も、時々会うことがあった。

 ちょっと見た目が怖いけど、誕生日にはいつもプレゼントをくれる優しいジェフおじさん。きっと彼にとっては、ロナルドとキャサリンの繋がりを持ち続けるための行動だったのだろう。それでも、その行動は嘘ではなかったのだ。

 両親の仇とは言え、デヴィットはそれを殺したのだ。手にした銃が弾切れでスライドロックするまで引き金を引いた。全弾を打ち尽くした後、涙が溢れた。両親の仇を討ったことに拠る安堵の涙か、それとも家族ぐるみで付き合いのあったおじさんをこの手で殺した事による悲しみの涙か。今でもその答えは出ない。

 あの日から一週間立ったが、あの光景を毎夜、夢に見る。

 復讐は終えた。だが、この心に残る郷愁は何だろうか。後悔ではない。両親を想ってでさえなかった。この感情を、この戸惑いを、この喪失感を今のデヴィットには言葉にすることはできなかった。   

 しかしそれでもこれはデヴィットが望み、飛崎が叶えた結末だ。そしてこの先、飛崎自身の復讐が待っている。ならばこそ、ここでこの言葉に出来ない感情を知らせることは彼の決意を鈍らせる結果になるかもしれない。



 ―――なぁ、デヴィット。友人は大事だぞ。



 頭の何処かで、ジェフリーの言葉が反響する。

 だからデヴィットは決断した。親指を立て、復讐に身を投じる友人に向かって最高の笑顔を向ける。

「―――サイッコーの気分だねっ!!」

 歳の離れたこの友人が、せめて事を成すまで迷ったりしないように。

 それが恩人に対して、今できる最大の恩返しだと信じて。
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晴羽照尊
ファンタジー
※本作は他の小説投稿サイト様でも公開しております。 ※エンディングまでだいたいのストーリーは出来上がっておりますので、問題なく更新していけるはずです。予定では400話弱、150万文字程度で完結となります。(参考までに) ※この物語には実在の地名や人名、建造物などが登場しますが、一部現実にそぐわない場合がございます。それらは作者の創作であり、実在のそれらとは関わりありません。 ※2020年3月21日、カクヨム様にて連載開始。 あらすじ 2020年。世界には776冊の『異本』と呼ばれる特別な本があった。それは、読む者に作用し、在る場所に異変をもたらし、世界を揺るがすほどのものさえ存在した。 その『異本』を全て集めることを目的とする男がいた。男はその蒐集の途中、一人の少女と出会う。少女が『異本』の一冊を持っていたからだ。 だが、突然の襲撃で少女の持つ『異本』は焼失してしまう。 男は集めるべき『異本』の消失に落胆するが、失われた『異本』は少女の中に遺っていると知る。 こうして男と少女は出会い、ともに旅をすることになった。 これは、世界中を旅して、『異本』を集め、誰かへ捧げる物語だ。

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