あづま日記(頼朝と政子の出逢い

やまの龍

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第2話 小鷺

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 ふと横を見たら、少女もその様子を眺めていた。黙って。

 それは不思議と大人びた静かな横顔。だからつい、声をかけてしまった。


「驚かないのか」

 

 すると少女はちらと頼朝を見上げた。

「どうして?」

 何の不思議もないという顔。この辺りの村人にとって、この風景は当たり前なのか。

「あの白い鳥は自分を狙ってる大きな鳥に気付かなかったのよ」

 ビクビクと痙攣する小鷺を見つめる真っすぐで強い瞳。


 大鷹が狙っているのに気付かなかったのが悪い。

確かにそうだ。

 平治の乱。

 後白河院、二条帝という大鷹が、それぞれ互いの縄張りを争っていた。

 そして摂関家、藤原氏という貴族もまた、その中で蠢いていた。

 では、小鷺は誰だったのだ? 信西入道か?


 そんな中に武士である、父の源義朝と平清盛がいた。

 武士など、きっと蟹でしかなかったのだ。

 なのに、父・義朝はそれに気付かず、そそのかされて力を貸した。

 官位を授かり有頂天になって蜂起した。

そして自分は……。

 自分はその父のついでに官位を授かっただけ。何も考えず、言われるままに馬に乗り、東に西に移動していたに過ぎない。

 官位など。

 官位など何になる。

 頼朝は鳥から目を逸らした。



「馬さん。ほら、こっちを向いて」

 ふと少女を見たら、彼女はどこから取り出したのか人参を手にしていた。

 馬が僅かに目を動かす。

「そう。こっちよ、こっち」

 少女は馬の鼻面に向けて人参を差し出し、誘うように振る。

 馬は人参と少女の顔とを見比べているようだった。

 でも明らかに興味を引かれた様子で、脚こそ動かないものの、その目には光が戻ってきていた。

 その時、「あ」という声と共に、ぱたぱたと軽い足音が響いた。

「初ったらこんな所にいた。勝手に行っては駄目と言ったのに!」

 咎めるような口調の声が背後よりかかる。

 振り返れば、この少女より少し年かさの少女が籠を手にこちらに向かってきていた。

 でも頼朝の姿を見た途端にその少女は足を止め、籠をしっかりと胸に抱えて警戒の色を示す。

 思わず、頼朝は顔を背けていた。


「八重さま」

 幼い声が親しげに呼びかける。ぱたぱたと駆けていく足音。

「もう! 急にいなくなるから心配したのよ。勝手に動いては危ないでしょう?」

「だって、この人が困っているのが見えたんですもの」

「困って? どなたなの?」

「知らないわ。でも馬が脚を取られてしまったんですって」

 二人の会話が小さく聞こえる。


「あの」

躊躇ためらいがちにかけられる声。

 仕方なく首を軽く動かし、顔をそちらに半分だけ向けると、年かさの少女がおずおずと口を開いた。

「もしかして、みなもとのさきのうひょうえ……えーと……」

 驚いて目を上げる。

 少女は「えーと、えーと」と懸命に思い出そうとしていた。

 頼朝は口を開いた。

「源前右兵衛権佐頼朝」

「あ、そう、それです」

 年かさの少女は、パンと嬉しそうに手を合わせた。

「その頼朝様ですか?」

 身分の下の者が相手の名を直に呼ぶことは無礼に当たる。

 でも、この少女らはそんなこと知らない。

 頼朝は軽く首を下に曲げた。頷きにも否定にも見える曖昧な方向に。


「少し前に父が話をしていました。今度、都から客人が見えるのだと」

客?

 頼朝は驚いて目を見張る。

「客であるわけがない。罪人の間違いではないのか?」

つい、そう答えてしまう。

 それから、そんな自分が恥ずかしくなって顔をまた背けた。

「いえ、父はそう言っていました。さるお方からお預かりするのだと。長いお名前だが、決して言い間違えぬようにと繰り返し聞かされて。先に兄が迎えに出ていた筈なのですが、行き違ってしまったのですね」


「良かった」と心から嬉しそうに言葉を紡ぐ少女に、頼朝は言葉を返すことが出来なかった。

 耳が熱くなっていた。きっと顔も赤くなっている。

 恥ずかしかった。

 こんなにも心細く、自棄になっていた自分が。

 そして嬉しかった。

 自分という人間を知って、待ってくれている者の存在が。

 頼朝は涙が零れそうになるのを堪えて、遠く広がる風景を無言で見据えた。

 よくよく見れば、ここは川の中州のようだった。

 ひどいぬかるみの中にいたのだ。馬が脚を取られておかしくない。

 何故、自分はこんな所を歩かせたのだろう?


 小鷺はもう頭を上げなかった。大鷹はこちらのことなどまるで気にせずに小鷺の白い毛をくちばしでむしっている。


 頼朝は気恥ずかしさをごまかすように、ただ鳥の闘いを眺めていただけのように振る舞った。

「運のない蟹だ。もう少し逃げ延びていれば助かったものを」

 そう呟く。

 食された小鷺の一部になることもなく、意味も無く死んだ蟹。

 その惨めな姿は、本来自分が取る筈だった道のように思えた。

 皇族の、貴族同士の権力争いに巻き込まれ、ただ利用されて死んだ父。

 そのような事情も知らず、何も考えず、言われるままに初陣に出た自分。

 父と兄と共に討死するはずだったのに、はぐれて無様に生き延びた自分。

 でも。

 その時、頼朝の心をぎったのは、あの日、引き出された庭で見上げた六波羅殿(平清盛)の冷たい眼差し。

あれを思い出すと心が凍る。


 自分はもしかしたらこの伊豆の流刑地で人知れず殺されるのかもしれない。

 池禅尼の手前、京では殺せなかっただけなのかもしれない。

 そうだ。

 まだ油断してはならない。

「お預かりする」などと言って首を取られ、また首だけ都に帰るのかもしれない。

 そう、父が家臣の裏切りに遭って殺されたように。

 グッと奥歯を噛み締める。

 と、幼い方の少女が口を開いた。

「そうかしら。本当にあのカニは食べられてしまったのかしら?」

 

 
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