あづま日記(頼朝と政子の出逢い

やまの龍

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第1話 遠流

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 茫然ほうぜんと空を見上げる。

「ここは、どこだろうな」

 戦に負けて都を出て。

 父や兄ともはぐれて、雪の中でただ一人、馬と会話していたあの日と同じ。

 みなもとの  前さきの 右兵衛うひょうえ 権佐ごんのすけ 頼朝。

 後に鎌倉幕府を開く源頼朝は、その運命の時よりも二十年も前、流刑地である伊豆国に向かう途中で途方に暮れていた。



 勇猛果敢な長兄に比べて弓は今ひとつ、馬も下手。

 でも母の血筋から、三男である自分が嫡男だと言われ育ってきた。

 それが重荷にならなかったとは言わない。

 でも、だから、せめても学問くらいはと幼い頃より励んで来たのだが、そんなもの、あの日のあの戦においては何の役にも立たなかった。

 そして今も。

 空は高く、無駄に良い天気。

 だが、気は霞んで陽の光を乱反射させ、熱が身体に届かない。

 風は生温くさわさわと頬を撫で掠めるが、じわじわと真綿で首を絞められているような閉塞感が増すばかりだった。


「そなたも腹が空いたよな。どこか、村のものに食べ物を貰いに行こうか」

 馬の首筋を撫でて話しかける。

 でも、馬はもう一歩も脚を前に踏み出さなかった。

 ぬかるみに脚を取られ、幾度か持ち上げはしたものの、今はもう諦めて、ただ脚を突っ張っているばかり。

 遠い京から遠流先の伊豆までの長い旅。疲れ切って、まるで気力を無くしていた。

 撫でても宥めすかしても、もう目すら合わない。

 既に日は緩やかに西に傾きかけていた。直に辺りは闇に包まれるだろう。

 どこか屋根のある所を探さなくてはいけない。

 なのにどこに行っていいのか、当てすらなかった。

 京からここまで連れて来てくれた者とはぐれ、頼朝はただ一人、馬と共に野盗に殺されるのを待つ運命にあった。

 どうせならあの時、殺してくれれば良かったのに。

 そんなことを考えてしまう。

 敗者として首を落とされた方が、野盗に嬲り殺しにされるより、ずっと名誉なこと。

 腰の刀に手を伸ばす。

 そうすれば、この源氏の名刀「髭切ひげきり」も賊の手に落ちずに済んだ。

 何故、六波羅殿(平清盛)は自分にこの刀を戻したのか。あの時、取り上げられて不思議なかったのに。

 なのに、何故……。




「何してるの?」

 尋ねる声に、びくりと肩を震わせ振り返る。

 そこには黒々とした大きな目を見開いた少女が立っていた。

 まだ年幼い少女。
賊の類ではないことに、頼朝はほっとしながらも、そんな気弱な自らを恥じて口を引き結んだ。

「どうしたの?」

 重ねて問われるが、頼朝は無言のまま少女を見返した。

 どう答えていいのかわからなかった。

 ずっと貴族として守り育てられてきた。身分の下の者から、このように話しかけられたことなどない。

「ずうっとそこに立ってるでしょ。困ってるんじゃないの?」

 しつこい。でも、代わりに口を聞く供の者はいない。

 仕方なく頼朝は口を開いた。

「馬が脚を取られたのだ」

それ以上話しかけるな、とぶっきらぼうな言い方で。

 でも少女は物怖じせずに却って近付いてきた。

「そう。あなたも?」

頼朝は眉を寄せた。

 自分が足を取られた? そんなことあるものか。

 頼朝は問いには答えず、足をぬかるみから持ち上げると側にあった岩の上に上がり、腕を組んでぷいと横を向いた。

「良かった。あなたは平気なようね」

 少女は笑顔を見せた。

「ねぇ、お腹が空いたのではない?」

 親しげに話しかけてくるが、頼朝は返事をしなかった。

 確かに腹は空いていたが、この少女にそんなこと気取られたくもない。

「平気だ。去れ」

短く、小さく言い捨てる。

 こんな、身分も低く、年幼い少女に憐れまれる自分が惨めでたまらなかった。

 そんな頼朝の足元のぬかるみを蟹がハサミを上げて通っていく。ゴカイがぬめぬめと蠢いて泥の中に隠れていく。

 サカサカと横に走る蟹の行く先をぼんやりと眺めていた頼朝の視界の中に一羽の白い小鷺こさぎがさっと舞い降り、黒いくちばしで蟹を啄んだ。頼朝は驚いて頭を上げた。しかし、その頼朝の目の前でもっと驚くべきことが起きた。

蟹を呑み込んだ小鷺が羽を開き、また飛び立とうとした瞬間、その上空から一羽の大鷹が小鷺の上にばさりと舞い降りたのだ。大鷹は小鷺の白い両肩にその長く鋭い爪を食い込ませ、小鷺を地に縫い留める。

 肩を押さえつけられながらも必死に首をもたげ、くちばしを鷹に向けて何とか逃れようとする小鷺。

 だが大鷹は、その鋭く尖った嘴で小鷺の頭を強く突つき、一切の抵抗を許さなかった。

 一瞬の間に起きたその一連の出来事と勝敗の決着を、頼朝は声も出ずに見守った。

 
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