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第六章 宇津田姫
第22話 春を呼ぶ黒姫
しおりを挟む具親は溜息をついた。
「京でも外祖父が政を執り仕切り、縁のある子を猶子にするはよくある話。だから私は何とも言えない。だが、大抵は裏の話し合いで血を見ずに済ませる京に比べて、鎌倉はもっと性急なように感じられる。所と人によって考え方が違うのは仕方のないことだろう。鎌倉ではそれが正であり義であるなら、私には口出し出来ない。何処に生きるかは大抵は選べぬもの。だが」
具親はそこで言葉を切ってトモを見た。
「お前は今なら京でも鎌倉でもどちらも選べる。お前は十四になった。京へ来て二年と少し。生まれとは違う環境に来て、精一杯学び、励んだ。大人になって良い頃だろう。何処で誰の元で元服し、どう生きるかはお前自身が選んで良いのではと私は思う。だが今夜は母上や弟らとよく話し合い、ゆっくりと考えて決めなさい」
具親の言葉にトモは丁寧に床に両手を付き、額を床に擦り付けて礼を取った。
「義父上、有難う御座います。そうさせて頂きます」
その姿を見てヒミカは悟った。トモは自分の手を離れたのだと。
その夜は、トモとシゲ、ヨリ、カグヤ。鎌倉から共に逃げてきた顔を揃えて過ごす。
「母上、俺は鎌倉に帰ろうと思います」
ヒミカは黙ってトモの目を見つめた。真っ直ぐな瞳。汚れなく意志の強そうな。
「父上の所に?」
訊ねたシゲに、トモは首を横に振った。
「いや、とりあえずは呼ばれた通りに名越のお祖父上の所に行って元服して、それから父上の所へ。でも俺は負けないから。祖父上や父上が何を考えていても、俺を利用しようとしていても、俺は俺だ。納得のいかないことには断じて従わない。だから母上、お願いいたします。私が鎌倉に戻るのをお赦しください」
先程と同じ丁寧な礼をするトモを見つめて、ヒミカは微笑んで頷いた。
「自分で決めた道なら、何があろうと乗り越えられましょう。大丈夫。貴方ならやりきれます。自信を持ってお行きなさい」
昔に言われた言葉。あの時、父もこんな気持ちだったのだろうかと考えて、胸がきゅうと締め付けられるように感じる。
ヒミカはトモの髪を整えてやり、褪せた青色の組紐を渡して黒の直垂を着せた。
「母上、これは?」
「あなたのお父上、江間義時殿の直垂と組紐です。直垂は京に入る時に母が羽織っていました。組紐はお預かりしていたもの。それらを父上に直にお返しして頂戴」
——御所でヒメコとヨリを隠そうとコシロ兄がそっと掛けてくれた黒い直垂。
トモは黙って頷くとシゲに向かった。
「シゲ。俺は鎌倉に行く。でも、きっとまた京に戻ってくるから、それまで母上とヨリ、カグヤ。それから義父上とタスケにジスケを頼んだぞ。俺がいなくなったらお前が一番の兄になるんだからな。もう泣きべそかくんじゃねぇぞ」
言ってシゲの肩を叩くとトモは立ち上がってヒミカに立礼した。
「では母上、鎌倉で見事勝利を収めて参ります」
ヒミカは床に手を付いて額を床に付けた。
「ご武運を」
何度、この言葉を口にしたことだろう。でも慣れない。無事でいて欲しい。笑顔でいて欲しい。武勲なんていらないから。
外では具親が馬の手綱を引いて待っていた。
「義父上」
声をかけたトモに具親は微笑んだ。
「行くのか」
「はい」
「お前は立派な大将になろう。母や弟らのことは私に任せ、存分に力を発揮して来い」
「はい!」
手渡された手綱をしっかと握り、ひらりと馬に飛び乗ったトモの華奢な後ろ姿と風に靡く黒い直垂の裾。それを見て、何故具親が自分を、黒の姫『宇津田姫』と呼んだのかが分かった気がした。
「義父上!」
トモが馬の首を廻らせて振り返る。
「俺、俯瞰のこと忘れないから!龍のことも。あと、刀を抜く時のことも!行って来ます!」
大きく手を振るトモに、具親は笑顔で大きく手を振り返して叫んだ。
「気ぃ付けて行きやぁ」
駆ける馬はすぐに遠く小さく見えなくなった。
直後、手を振っていた具親がその場に膝をつく。急いで具親に駆け寄ったら、具親は蹲りながら大粒の涙を流していた。
「行って欲しゅうありまへんでした。やのに言えんかった」
搾り出すように声を発した後、具親は叫んだ。
「トモ!」
そのまま、地に額を付ける。
「寂しゅうてならん!なして、なして行くなと言えんかったんや!」
ヒミカは具親の肩を抱いた。
「あの子には全て通じてますわ。あなたの寂しさも強い心も」
「そんなんどうでもええ。痛いんや。胸が苦しい。こんなん苦しいんか。哀しいて、寂しいて辛いんか。私は贅沢者の欲張りやったんやな。こんな苦しゅうて痛ぉて辛いの要らんわ。堪忍したってや」
その場に拳を押し付けて慟哭する具親の背をヒミカは黙ってさすることしか出来なかった。
その時、歌が聞こえた気がした。
——痛いのいたいの、飛んで行け。痛いのいたいの、飛んで行け。
シゲもカグヤも突っ立ったまま泣きじゃくっていて誰も歌っていない。なのに聴こえる。
——痛いのいたいの、飛んで行け。痛いの痛いの、飛んでいけってば!
ふわりとヒミカの背に当てられた小さな手。振り返れば 、静かに微笑むヨリの優しげな顔があった。その瞬間、ヒミカの目から涙がとめど無く零れ落ちた。
「ヨリ」
ヒミカはヨリを抱き締めると顔を上げて天の龍に祈った。
「どうぞ。どうぞ護ってやって下さいませ」
涙に滲んだ青い空には、西から東に向けて大きな虹が架かっていた。
「どうぞ鎌倉に、京に春を」
——皆が幸せでありますように。
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