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第六章 宇津田姫
第17話 宇津田姫
しおりを挟む「さて。では先ず、私に聞きたいことがあると仰っていた、そのことについてお伺いしても宜しいでしょうか?」
トモを隣の屋敷に戻して具親と二人きりになるなり、具親が問うてくる。
あ、と思う。あの時は阿波局からの文の宛先が具親の内室となっていたのを、具親が六波羅にヒミカを妻にしたと嘘を伝えたのではないかと疑っていた。でもその疑いはもう晴れている。健人が先回りしただけ。
——どうしよう?あとは何を聞きたかったのだっけ。頭を巡らして、懸命に言葉を探す。ふわりと白檀の薫りが強くなった。甘く魅惑的な薫り。
「あ、あの。具親様はずっとお独りでいらっしたのですか?どなたかお相手はいらっしゃらなかったのでしょうか?」
口にしてからハッとする。真正面から明け透けに問うてしまった。もっとやんわりと、それとなく尋ねてみるつもりだったのに。
「ご、御免なさい。私ったらはしたない。大変失礼いたしました」
頭を下げる。耳が熱い。きっと真っ赤な顔をしてる。
具親はその大きな目を更に見開いてヒミカを見たが、すぐに答えてくれた。
「ええ、私はずっと独り身です。この屋敷を祖父から譲られてより、女人は下働きの者以外、屋敷内に上げておりません。妻にしたいと願ったのは貴女が初めてです。男としては恥ずかしい話なのかもしれませんが、そういうわけで妻子や妾などは全くおりませんので、その点はご安心ください」
具親はきっぱりとそう言うとヒミカに向かった。
「失礼だなどと。貴女が私のことを気にかけて下さっていたのだとわかって嬉しかったです。それに、そのように真っ直ぐに聞いていただけて、とても気持ちが良かった」
気持ちが良い?」
「ええ。貴女のそういう真っ直ぐで裏表の無いところにも私はとても惹かれている。京の町は狭くて縁戚ばかりだからでしょうか。言わずと察せられることも多く、ありのままに言葉を発することが厭われる。言葉の裏の意味を読み取れと言われ、また発する言葉も、意図するそのままではなく、相手にそれとなく伝わるくらいに留めるよう身に染み込まれています。でも私はそんなまどろっこしい遣り取りがずっと嫌でした。思うことと口に乗せる言葉の間に隔たりがあるのに憤りすら感じていた。表に出さぬ裏の意味を読めと強いられる。それは心という見えない感じられない不確かなものを詠みあげる和歌と同じくらい、私には遠く意味のないものに感じられた。 だから必要のない時には京言葉は使わないようにしています」
「それで具親様は京言葉を使ったり使わなかったりなさるのですね」
「ええ。こんな頑固で偏屈な性質が悪いのでしょう。気付くと周りの人達と距離を置こうとしてしまう。だから妻を娶るなど、何を考えているのかわからぬ他人と暮らすなど考えたこともなかった。自分一人、死なぬ程度に程々に生きていければ良いと考えていた。自分勝手でひどい男です。私は心を固く頑固に閉ざしていた。水が欲しい。温かい日の光を浴びたい。心の奥底ではそう望みながら、冷たい風しか吹かない寂しい冬の田のひび割れた土のようにじっと縮こまって冷めた目で生きていた」
自嘲気味に話す具親の言葉をヒミカは黙って聞いていた。
「初めて貴女を見た時、黒い冬の姫、宇津田ひめだと思いました」
「うつた姫?」
ええ、と頷いて具親は続けた。
「春の佐保姫、夏の筒姫、秋の竜田姫、そして冬の黒姫、宇津田姫」
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