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第六章 宇津田姫
第13話 迷い道
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犬の吠え声と獣が駆け回る足音、男の悲鳴。邸内から飛び出してくる一つの小さな人影とその手に握られた銀色に光る刃。
「お前ら全て斬り刻んでやる!」
トモの声だと思った直後、肉を断つ鈍い音がした。飛び散る生温かいモノがヒミカの頰に跳ねる。
「トモ!」
叫ぶ。
「トモ!トモ、止めて!」
でもトモは動きを止めない。逃げようとする野盗の足を斬り、更にその首を狙うかのように刀を斜めに振り上げる。
——いやだ、見たくない。
顔を背けた時、ピュイーと甲高い不思議な音が聞こえた。野盗の周りを駆け回っていた犬達が駆けるのを止めて首をブルブルと振ると歩き出す。その行く先に白い人影が現れてヒミカは息を呑んだ。
——コシロ兄?
「トモ、もう平気ですよ。落ち着きなさい」
でも姿を現したのは白の夜着姿の具親だった。
「まだ居たか!」
トモが刀を構え直して腰を低く落とすのが見えてヒミカは悲鳴を上げた。
「トモ、止めて!」
でもトモは具親の他は何も見えない、聞こえないように彼に向かって一直線に駆けゆく。刀が大きく振りかぶられ、また振り下ろされたと思った刹那、具親がゆらりと動いた。
直後、トモの身体がその場でクルリと回転して地に転がり落ちる。それを追うようにして地に蹲る具親。
「トモ!具親様!」
駆け寄ろうとしたヒミカの前で具親は顔を上げるとヒミカの動きを目で制して立ち上がった。その右手にはトモが握っていた刀があった。トモは、ぱっと立ち上がってまた具親に掴みかかろうとする。その手が具親の右手に握られた刀に触れそうになる。刀が揺れる。
「危ない!」
叫んだ瞬間、
——パン。
手を打ち合わせるような音がして場が鎮まる。恐る恐る目を開けば、具親はぐったりしたトモを抱えていて、刀は具親の足下にその柄を踏まれて転がっていた。
具親はトモを両手で抱え直すとヒミカを見て苦笑した。
「やれやれ、猪突猛進という言葉の似合う子だ。身が軽いのが災いせぬ内に、周りをよく見ることをまず覚える必要がありましょうな」
具親はそう言うと、トモを抱いたまま
歩き出した。ヒミカは慌ててそれを追う。
「気を失わせただけです。怪我はしてない筈。直に目覚めましょう」
言って、具親はトモを隣の屋敷まで運んでくれた。中から様子を窺っていたらしい母が青い顔で出て来る。
「皆さまご無事ですか?夜盗が忍び込んだようです。でも、トモが退治してくれたのでご安心を。あとのことはこちらでやりますので」
そう言ってトモを寝かせて立ち上がる具親。
ヒミカはトモを母に頼むと具親の後を追った。
「あの!」
礼と謝罪をせねばと小走りに駆けるが、向こうから先程の犬達が走り寄ってくるのが見えて足が竦む。だが具親は気にせず歩き続けると犬達に向かって腕を伸ばした。
「よしよし、よくやった」
足元にまとわりつく犬らの頭を撫で、その背を軽く叩いて労いながら自分の屋敷へと導く具親の背をヒミカは立ち尽くして眺めた。やがて具親は戻って来て言った。
「あの子らは野犬ではありません。狩用に飼い慣らした私の相棒達ですのでご安心を。こんなこともあろうかと夜の間は放して見張らせておりました。犬がお嫌いかと思ったゆえにお伝えしてなくて申し訳ない。姫の前殿、お怪我は?」
問うてヒミカを見た具親は、僅か眉を顰めると白い単の袖を伸ばしてヒミカの頰を拭った。ゴシゴシと強い力で頰を拭われ、ヒミカは後退る。
「良かった。お怪我はないようですね」
有難う御座います、と具親への礼を口にしながら、ヒミカの心はひどく乱れていた。
——咄嗟の時に、コシロ兄ではなく具親の名を呼んでいた。
コシロ兄は居ないのだ。それをもうヒミカの心も身体も認めてしまっている。そして、身近で助けてくれそうな人に縋った。
今までずっと、自分は強いと思っていた。しっかりしていると信じていた。何事かあっても自分の力で何とか切り抜けられると。でも違った。いつの間にかひどく弱くなっていた。先に攫われかけた時、ヒメコなら、昔のヒミカなら自身で何とかしようとしていただろう。なのに今の自分は自ら動く前に人に助けを求めてしまうようになっている。
——なんて気弱で意気地なしな女。それが情けなくて、哀しく悔しくてヒミカは唇を噛み締めて月を見上げた。
——いつから?京に来てから?具親と会ってから?それとも——。
ヒミカの手の中には一通の文が握られていた。月に照らしても字は読めない。でも中身は全て覚えていた。阿波局からの文だった。
「ヒメコ様、源左兵衛佐具親殿の元に落ち着かれたとのこと、安心しました。此方は千幡君を父の手から取り返したわ。今は大姉上と小四郎兄上とで千幡君が将軍家として立派に独り立ち出来るよう、お支えしてご教育につとめています。中原兄弟が頼りになるわよ。今は戦も落ち着いてるし、京との繋がりを深めたいので、武官より文官の方が活躍してます。貴女が京に居てくれるのは心強いと大姉上も言ってたわ。
そう、小四郎兄上のことなのだけれど、伊賀朝光殿の姫を継室に迎えることになりました。前々から妾にという話が上がっていたし仕方なかったのかしら。
では、どうぞお元気で。貴女がお幸せでありますように——阿野全成 妻
源左兵衛佐 具親殿 ご内室様——」
「お前ら全て斬り刻んでやる!」
トモの声だと思った直後、肉を断つ鈍い音がした。飛び散る生温かいモノがヒミカの頰に跳ねる。
「トモ!」
叫ぶ。
「トモ!トモ、止めて!」
でもトモは動きを止めない。逃げようとする野盗の足を斬り、更にその首を狙うかのように刀を斜めに振り上げる。
——いやだ、見たくない。
顔を背けた時、ピュイーと甲高い不思議な音が聞こえた。野盗の周りを駆け回っていた犬達が駆けるのを止めて首をブルブルと振ると歩き出す。その行く先に白い人影が現れてヒミカは息を呑んだ。
——コシロ兄?
「トモ、もう平気ですよ。落ち着きなさい」
でも姿を現したのは白の夜着姿の具親だった。
「まだ居たか!」
トモが刀を構え直して腰を低く落とすのが見えてヒミカは悲鳴を上げた。
「トモ、止めて!」
でもトモは具親の他は何も見えない、聞こえないように彼に向かって一直線に駆けゆく。刀が大きく振りかぶられ、また振り下ろされたと思った刹那、具親がゆらりと動いた。
直後、トモの身体がその場でクルリと回転して地に転がり落ちる。それを追うようにして地に蹲る具親。
「トモ!具親様!」
駆け寄ろうとしたヒミカの前で具親は顔を上げるとヒミカの動きを目で制して立ち上がった。その右手にはトモが握っていた刀があった。トモは、ぱっと立ち上がってまた具親に掴みかかろうとする。その手が具親の右手に握られた刀に触れそうになる。刀が揺れる。
「危ない!」
叫んだ瞬間、
——パン。
手を打ち合わせるような音がして場が鎮まる。恐る恐る目を開けば、具親はぐったりしたトモを抱えていて、刀は具親の足下にその柄を踏まれて転がっていた。
具親はトモを両手で抱え直すとヒミカを見て苦笑した。
「やれやれ、猪突猛進という言葉の似合う子だ。身が軽いのが災いせぬ内に、周りをよく見ることをまず覚える必要がありましょうな」
具親はそう言うと、トモを抱いたまま
歩き出した。ヒミカは慌ててそれを追う。
「気を失わせただけです。怪我はしてない筈。直に目覚めましょう」
言って、具親はトモを隣の屋敷まで運んでくれた。中から様子を窺っていたらしい母が青い顔で出て来る。
「皆さまご無事ですか?夜盗が忍び込んだようです。でも、トモが退治してくれたのでご安心を。あとのことはこちらでやりますので」
そう言ってトモを寝かせて立ち上がる具親。
ヒミカはトモを母に頼むと具親の後を追った。
「あの!」
礼と謝罪をせねばと小走りに駆けるが、向こうから先程の犬達が走り寄ってくるのが見えて足が竦む。だが具親は気にせず歩き続けると犬達に向かって腕を伸ばした。
「よしよし、よくやった」
足元にまとわりつく犬らの頭を撫で、その背を軽く叩いて労いながら自分の屋敷へと導く具親の背をヒミカは立ち尽くして眺めた。やがて具親は戻って来て言った。
「あの子らは野犬ではありません。狩用に飼い慣らした私の相棒達ですのでご安心を。こんなこともあろうかと夜の間は放して見張らせておりました。犬がお嫌いかと思ったゆえにお伝えしてなくて申し訳ない。姫の前殿、お怪我は?」
問うてヒミカを見た具親は、僅か眉を顰めると白い単の袖を伸ばしてヒミカの頰を拭った。ゴシゴシと強い力で頰を拭われ、ヒミカは後退る。
「良かった。お怪我はないようですね」
有難う御座います、と具親への礼を口にしながら、ヒミカの心はひどく乱れていた。
——咄嗟の時に、コシロ兄ではなく具親の名を呼んでいた。
コシロ兄は居ないのだ。それをもうヒミカの心も身体も認めてしまっている。そして、身近で助けてくれそうな人に縋った。
今までずっと、自分は強いと思っていた。しっかりしていると信じていた。何事かあっても自分の力で何とか切り抜けられると。でも違った。いつの間にかひどく弱くなっていた。先に攫われかけた時、ヒメコなら、昔のヒミカなら自身で何とかしようとしていただろう。なのに今の自分は自ら動く前に人に助けを求めてしまうようになっている。
——なんて気弱で意気地なしな女。それが情けなくて、哀しく悔しくてヒミカは唇を噛み締めて月を見上げた。
——いつから?京に来てから?具親と会ってから?それとも——。
ヒミカの手の中には一通の文が握られていた。月に照らしても字は読めない。でも中身は全て覚えていた。阿波局からの文だった。
「ヒメコ様、源左兵衛佐具親殿の元に落ち着かれたとのこと、安心しました。此方は千幡君を父の手から取り返したわ。今は大姉上と小四郎兄上とで千幡君が将軍家として立派に独り立ち出来るよう、お支えしてご教育につとめています。中原兄弟が頼りになるわよ。今は戦も落ち着いてるし、京との繋がりを深めたいので、武官より文官の方が活躍してます。貴女が京に居てくれるのは心強いと大姉上も言ってたわ。
そう、小四郎兄上のことなのだけれど、伊賀朝光殿の姫を継室に迎えることになりました。前々から妾にという話が上がっていたし仕方なかったのかしら。
では、どうぞお元気で。貴女がお幸せでありますように——阿野全成 妻
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