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第六章 宇津田姫
第10話 鳳凰の間
しおりを挟むある昼下がり、仙洞御所から戻った具親はどこか厳しい顔をしていた。
何事かあったのかと尋ねたヒミカに具親は辺りをキョロキョロと見回し、声を潜めて言った。
「姫の前殿、私が大層美しい女人を囲っていると噂になってしまっているようです。大方、慈円殿が漏らしたのでしょうが、それを聞き付けた者らがこの屋敷を覗きに来るやも知れません。どうぞあまり端近にはお寄りになりませんよう。私もなるべく此方に詰めるようにします」
「まぁ、それはお手数をおかけしてしまい、重ね重ね申し訳ありません」
ヒミカはそっとため息をついた。京の都はまだ源氏物語の世界の中にあるのだろうか?東国では領土や覇権を巡って争いが起きているのに。そしてそれを止めることの出来る将軍は、まだ齢十二の優しげな少年。その将軍を支えるのは、母であるアサ姫と外祖父である北条時政。そして——コシロ兄。
「しょんない、やるか」
耳に残る低い声を思い出す。彼は今頃どうしているのだろうか。
京は寒さが厳しいと聞いていたけれど想像以上だった。元来、寒さには強いと思っていたヒミカだが、火鉢の傍から離れられなくなる。屋敷が広いせいもあるのかもしれない。
帰ってきた具親も寒い寒いと言いながら、火鉢の傍に寄ってくる。
「すみません、一緒にあたらせてください。外は凍えそうだ」
「お帰りなさいませ。大変でした」
言って、火鉢を具親の方に寄せる。
と、具親は「ああ、そうだ」と立ち上がり、棚の上に乗せられていた笙の笛を取ってきて胡座をかいた。
「折角なので、前にお約束した笙の笛の吹き方をお教えしましょう」
そう言って、笙の笛を火鉢の上にかざす。
「笙の笛は、まずこうやって火鉢の上でクルクルと回して温めてから使うのです。水気に弱いので、度々こうやって乾かしながら吹きます」
そう言って、大きな掌の中で笛をクルクルと回して見せる具親。
「音を鳴らす時は、この吹き口に口を当てて息を吹き込んだり吸い込んだりします。コツを掴めば簡単なものですよ」
そう言って、ヒミカに笙の笛を渡す。受け取って具親のように火鉢の上でクルクルと回していたら笑みが溢れた。
「どうかしました?」
問われ、
「可愛いですね」
そう答えたら、
「え、えぇっ?」
具親が大仰に驚いたのでヒミカも驚く。
「な、何がですか?」
心なしか声が裏返っている。
「え、この笙の笛が小鳥のように見えたので可愛いな、と思って」
そう伝えたら、具親はああ、と気付いたように頷いて、それから顔を赤くした。
「ああ、驚いた。私のことかと思って」
懐から小布を出して頻りに額を拭う。ヒミカが目を瞬かせていたら、あ、いやと弁解を始めた。
「おかしなことを言って済みません。いえね、宮中には変わった趣味の輩も居て、私などはよくからかいのネタにされるので、つい思い違いを。大変失礼しました」
そう言って扇を取り出してハタハタと仰ぐ。火鉢の炭がホロリと崩れ、パッと橙に光って具親の顔を照らした。整っていて柔げな表情。確かに、頼朝だったら可愛いと気に入りそうだと思ったりして少し可笑しくなる。具親は暫く扇で仰いでいたが、やがて場を取り繕うように背を伸ばして言った。
「笙の笛は鳳凰だと言われています。だから小鳥というのはあながち間違いではないですよ。さ、そろそろ吹いてみませんか?」
促され、ヒミカは吹き口と思われる所に口をあてがった。息を吹き込んでみる。でもうんともすんとも言わない。強く吹き込めば僅かに音がした気がした。うーんと力を込めてみる。でも──
「ごめんなさい。私には難しそうです。具親様、吹いていただけませんか?」
請えば、具親は笛を受け取ってそのまま口にあてがった。やがて耳に届く不思議に重なり掠れた音色。頼朝は天上の音と言っていた気がする。静かに吹き続ける具親をヒミカは黙って見つめた。
不思議な人。何故か懐かしさを感じてしまうのは、父に似ていると母が言ったせいだろうか?
でも、好ましい人物だと思う。恐らく、あの慈円という僧も、それから宮中で彼をからかう公卿らもきっと彼を好ましく思っているのだろう。そして院も。人好きのする人。でも本人はそれを厭うかのように見える。何を考えているのか、分かるような、分からないような、そんな不思議な人。
音が止んで具親が笛をまた火鉢にかざす。それをヒミカはぼんやりと眺めていた。静かな間が場を満たす。
でもその時、パタパタと小さな足音がしてトモが飛び込んできた。
「ねぇ、佐殿いる?」
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