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第五章 明石
第48話 燻る想い
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コシロ兄は真っ直ぐ前を見ながら、でもヒミカには目を合わさずに言葉を発した。
「ずっと佐殿の側に付き、そのあしらいを学び、また父のやりようを見ながら、時に思うことがあった。生温いのではないかと。表の枯れた枝を見るのではなく、もっと根底から抉り出さねば、腐ったこの世は変わらぬのではないかと」
「この世?」
「天の上の人々の話だ」
「天の上の人」
繰り返す。
——もしや、殿上人?
コシロ兄は自嘲気味に片方の口の端だけを上げて見せた。
「ひどく不遜で身の程をわきまえぬ、ふてぶてしい考えだろう?だが、俺は佐殿ならそれが出来るのではないかと思っていた。だが佐殿は居なくなってしまった。代わりになるのは姉しかいない。だから俺は姉に付く。姉の側で父の隙を探し、いつか父をひっくり返してやる。そう思った。だから比企を攻めることを承諾した。前線に居ながら、他の御家人らがどう動くかを見ていた。心と言葉と実際の行ないと、どれ程の食い違いを見せるものかと。信を置ける者は誰かを見定めていた」
言葉を発し続けるコシロ兄を、ヒメコは呑まれるようにして見ていた。内に燻る炭のようだ。その片鱗は確かに前も見たことはあった。そう、祖母の元でだったか。でもここまではっきりとその考えを言葉として発するのは初めてのように感じる。
「怖いか?」
問われてヒメコは首を横に振った。怖くはない。というより、どこか懐かしい。そんな不思議な感覚に浸りながらコシロ兄を見つめ続ける。でもコシロ兄はヒミカの視線を避けるように顔を下向けた。
「俺は怖かった。こんな俺であることをお前に曝すことが」
「私?」
「お前は俺にとって唯一の善で、佐殿が俺に託してくれた、この鎌倉の聖なる巫女。穢れを近付けてはいけない存在。生涯かけて護りたいと願った相手だから」
あ、と思う間もなく涙が溢れ落ちる。
ずっと大切に想ってくれていたのだ。
コシロ兄は涙を零すヒメコを静かに見つめた後に言った。
「触れていいか?」
ヒミカは黙ってその腕の中に飛び込んだ。
「離縁しても、私の心は生涯コシロ兄のものです。どこに居ても。何をしていても」
強く強く抱き締められる。
「俺の心もお前のものだ。ヒミカ」
黙ってコシロ兄の胸の音を聴く。骨を通して伝わってくる低い声を感じる。
——有難う。
今貰った言葉だけでこれから先、強く生きていける。胸の奥に消えぬ焔として抱くことが出来る。
コシロ兄の背に腕を回す。押し当てた胸から伝わってくる深い悲しみ、苦しみ。そして慈しみの情。
共に苦しみたかった。悲しみたかった。彼の負担を少しでも和らげたかった。
でも──。
やがて時が来る。藤五とフジに見送られ、屋敷を後にする。八幡姫や金剛らと笑って過ごした。コシロ兄に抱かれ、幸せな夜を過ごした。三人の子を産んだ。亡き父が訪れた。数々の思い出が胸に迫る。
でも、お別れ。戻ってこれる保証はない。ううん、恐らく戻れない。
魂を幾つかに分けることが出来るなら、ここに半分置いて行きたい。
さようなら。どうか、コシロ兄を護ってね──。
祈りを込めて柱を撫でる。
いつでも帰ってこいと柱が応えてくれたような気がした。
感謝の念を込めてヒミカは頭を下げた。
ありがとう。また、いつか──。
それからコシロ兄と共に馬を駆けさせ、江間へと向かう。真っ白に染められた美しい富士のお山が目の前に広がる。その美しさが今日は悲しい。隣で一緒に眺められるのはこれが最後なのだ。
「ずっと佐殿の側に付き、そのあしらいを学び、また父のやりようを見ながら、時に思うことがあった。生温いのではないかと。表の枯れた枝を見るのではなく、もっと根底から抉り出さねば、腐ったこの世は変わらぬのではないかと」
「この世?」
「天の上の人々の話だ」
「天の上の人」
繰り返す。
——もしや、殿上人?
コシロ兄は自嘲気味に片方の口の端だけを上げて見せた。
「ひどく不遜で身の程をわきまえぬ、ふてぶてしい考えだろう?だが、俺は佐殿ならそれが出来るのではないかと思っていた。だが佐殿は居なくなってしまった。代わりになるのは姉しかいない。だから俺は姉に付く。姉の側で父の隙を探し、いつか父をひっくり返してやる。そう思った。だから比企を攻めることを承諾した。前線に居ながら、他の御家人らがどう動くかを見ていた。心と言葉と実際の行ないと、どれ程の食い違いを見せるものかと。信を置ける者は誰かを見定めていた」
言葉を発し続けるコシロ兄を、ヒメコは呑まれるようにして見ていた。内に燻る炭のようだ。その片鱗は確かに前も見たことはあった。そう、祖母の元でだったか。でもここまではっきりとその考えを言葉として発するのは初めてのように感じる。
「怖いか?」
問われてヒメコは首を横に振った。怖くはない。というより、どこか懐かしい。そんな不思議な感覚に浸りながらコシロ兄を見つめ続ける。でもコシロ兄はヒミカの視線を避けるように顔を下向けた。
「俺は怖かった。こんな俺であることをお前に曝すことが」
「私?」
「お前は俺にとって唯一の善で、佐殿が俺に託してくれた、この鎌倉の聖なる巫女。穢れを近付けてはいけない存在。生涯かけて護りたいと願った相手だから」
あ、と思う間もなく涙が溢れ落ちる。
ずっと大切に想ってくれていたのだ。
コシロ兄は涙を零すヒメコを静かに見つめた後に言った。
「触れていいか?」
ヒミカは黙ってその腕の中に飛び込んだ。
「離縁しても、私の心は生涯コシロ兄のものです。どこに居ても。何をしていても」
強く強く抱き締められる。
「俺の心もお前のものだ。ヒミカ」
黙ってコシロ兄の胸の音を聴く。骨を通して伝わってくる低い声を感じる。
——有難う。
今貰った言葉だけでこれから先、強く生きていける。胸の奥に消えぬ焔として抱くことが出来る。
コシロ兄の背に腕を回す。押し当てた胸から伝わってくる深い悲しみ、苦しみ。そして慈しみの情。
共に苦しみたかった。悲しみたかった。彼の負担を少しでも和らげたかった。
でも──。
やがて時が来る。藤五とフジに見送られ、屋敷を後にする。八幡姫や金剛らと笑って過ごした。コシロ兄に抱かれ、幸せな夜を過ごした。三人の子を産んだ。亡き父が訪れた。数々の思い出が胸に迫る。
でも、お別れ。戻ってこれる保証はない。ううん、恐らく戻れない。
魂を幾つかに分けることが出来るなら、ここに半分置いて行きたい。
さようなら。どうか、コシロ兄を護ってね──。
祈りを込めて柱を撫でる。
いつでも帰ってこいと柱が応えてくれたような気がした。
感謝の念を込めてヒミカは頭を下げた。
ありがとう。また、いつか──。
それからコシロ兄と共に馬を駆けさせ、江間へと向かう。真っ白に染められた美しい富士のお山が目の前に広がる。その美しさが今日は悲しい。隣で一緒に眺められるのはこれが最後なのだ。
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