【完結】姫の前

やまの龍

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第五章 明石

第49話 訣れ

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「母上、その子誰?」

  伊豆の江間の屋敷に入るなり、トモとシゲが一幡を取り囲む。

「神さまからの頂き物よ」

「いただきもの?」

「ええ」

ヒミカは頷いた。

「だから、生まれつきお口がきけないの。でも私たちの話すことは分かっているわ。これから兄弟の一人として仲良くして欲しいのだけど、出来るかしら?」

「ま、いいよ。じゃあ、シゲの下ってことだね。で、名前は?」

 偉そうに踏ん反り返るトモに苦笑しつつ、答える。

「ヨリですよ」

「ヨリ?良い名だね」

 シゲが人懐こい笑顔を見せる。


「シゲ。ヨリはお前と同い年だが、口がきけない。お前がヨリの口になって助けてやれ」

 コシロ兄の言葉にシゲは素直に頷いた。

「うん、いいよ」

「じゃあ俺は?俺はヨリの何になればいい?」

 問うたトモに、コシロ兄は少し考えてから答えた。

「何が出来ると思う?」

「ヨリは喧嘩強いの?」

 声をかけられた一幡が首を傾げる。

「あんまり強そうじゃないね。じゃあ、俺は腕になって守ってやるよ」

「まぁ、トモ。偉いわ。すっかりお兄ちゃんね」

 のほほんとした声に顔を上げれば、母が立っていた。

「ヒミカ。来たわね」

「母さま」

「比企のことは聞いてるわ。きっと貴女がここに来るだろうと思って待ってたの」

 ほら、とクルリと回って見せる。背中には大きな包み。そして前にも。

「カグヤはここよ」

 お腹の前に抱え込んでるらしい。

「母さま、有難う。ごめんなさい」

 母はフンと顔を背けた。

「仕方ないでしょ。どんなに我儘で無鉄砲な子だって、可愛い娘なんだから」

「義母上様」

 コシロ兄が母に声をかけて頭を下げる。

「申し訳ありません」

 母は返事をしなかった。

「母さま」

 母の袖を引っ張るが、母はツンと横を向いてしまう。ただ、お腹に抱えていたカグヤの顔を少しだけ覗かせて言った。

「この子に、この国で一番幸せな嫁ぎ先を探しなさい」

 コシロ兄は深々と頭を下げて、承知しました、と答えた。

 それからトモに向かう。

「トモ、父は鎌倉に戻らねばならん。お前は一番上の男児として、これから母と弟らを護って欲しい」

「父上は?もう一緒に居られないの?」

「ああ」

「どうして?」

「鎌倉で戦があった。そして、母を狙う悪い輩がまだ鎌倉にいる。だからお前たちは京へ逃げて、母を護ってくれ」

「ふぅん、分かった。でも、その悪いヤツらをやっつけたら、また鎌倉に戻れるんでしよ?」

「ああ、そうだな」

「どのくらいでやっつけられるの?」

「分からん。だが、トモ。お前が元服の頃までには何とかしよう。だから、それまで母と弟たちを頼むぞ」

「いいよ!」

 コシロ兄は腰に着けていた一本の小刀をトモに手渡した。

「これは、いざの時まで使うな。ただし手入れは欠かすな。元服の時に返してもらう。その時には、かわりに立派な刀をやるからな」

「はい!」

「わぁ、兄上。いいなぁ」

 声を上げたシゲに、トモは得意げに笑って言った。

「俺はこの中で一番上だからな。父上、こっちは俺にどーんと任せて。泰時兄上によろしく!」

「ああ」

 軽く微笑みながら、コシロ兄はトモの腰に小刀をきつく結わえる。

「任せたぞ」

 それからシゲに向かった。シゲは不思議そうにコシロ兄の顔を見ていたが、ふと思い出したように言った。

「ちちうえ、泰時兄上に新しいお歌をくださいと僕が言ってたって伝えてね」



 無邪気な子どもらの様子を眺めながら、コシロ兄との別れの時が近付いているのを感じる。


 コシロ兄はシゲの言葉に頷くと、その頭を撫でて、そっと告げた。

「シゲ。もし母が泣いた時には歌を歌って慰めてやってくれ。お前の歌う声は人の心をあっためてくれる。泰時はそう褒めていたぞ」

「はい」

——もし泣いたら。

 その言葉を聞いた途端、涙が溢れそうになる。でも懸命に堪えた。コシロ兄はヒミカの前に立ち、口を開いた。

「急ぐから」

「え?」

「早く鎌倉に戻せるよう力を尽くす。だから、何としても生きてくれ。無事で」

「はい」

「京では先ず大江親広殿を頼れ。必要なものなど送る。子らを頼む」

「はい」

 それからコシロ兄はトモ、シゲ、そしてカグヤの頭の上に順々に手を置いていった。


「皆、健やかに過ごせ。また会おう」

 うわぁん、と大きな声で泣き出したのは意外にもシゲだった。トモは睨み付けるようにして口をひん曲げてコシロ兄を見上げている。

「ヒミカ」


 コシロ兄の左手が伸び、ヒミカの頰に触れようとした。

 だがその時、ふと風が動いた。

 コシロ兄が身構える。そのすぐ傍に男が立っていた。その腕には白い鳥が止まって羽を休めてある。先日、頼家に攫われた時に助けてくれた若い男だった。

「何があった?」

「兄者らから伝達があった。二代目が縄を解いてまた抜け出したらしい」

——二代目、頼家殿が?

「シメて殺してしまってもいいか?と、そう聞いてきている。毒も薬もすぐに馴染む。化け物のような男だ。生かして閉じ込めておくのはもう限界だと」

 コシロ兄は僅か黙った後に答えた。

「赦す」

抑揚のない、感情の消えた声。

「けして修善寺から外に出すな」


「承知」

 これまた色のない声が答えて、白い鳥が飛び去る。


 義時がヒミカを見た。

「修善寺はすぐあそこだ。急いでここを離れろ」

 それから若い男に声をかける。

「三郎、お前は先に言った通り、彼女らを京まで送ってから戻れ」

「でも、兄者らだけでアレを抑えられますかね」

「俺が行くからいい。何とかする。彼女らを頼む」

「承知」

 三郎と呼ばれた男が答えて、馬を引き出してくる。その馬に長い棒と車輪の付いた板が取り付けられ、荷車となった。

「殿」

不安になって声をかける。コシロ兄はヒミカをチラと振り返ると怒鳴った。

「早く行け!二代目や父がここに来てしまったら、今の俺ではお前たちを守り切れない。京まで逃げて、お前らしく生きろ」

──生きろ

昔、比企まで送り届けて貰う途中で野盗に襲われた。ヒミカを逃がす為に鏑矢を射て、行けと叫んだ。あの時も「生きろ」と言ってくれていたのだろう。

 ヒミカを逃がし、自らは戦さ場に踏み止まろうとする人。いつも自分を護ってくれていた人。自分は彼の為に何か出来たのだろうか?



「此方へ」

 声をかけられ振り返れば、三朗と呼ばれた若い男が無表情で立っていた。

「急がれよ。おうなと子らはその後ろの台の上に。あなたはご自分で騎馬出来ますな?」

 問われ、頷く。

「では、参ろう」

 言うなり、母を台の上へと引き上げ、続いて子らをどんどん乗せていく。それから、ひらりと馬に跨り手綱を握った。



——ドクン。

その時、急に胸が大きく高鳴り、喉の奥が大きく膨れて熱を持つ。


──待って。まだ、待って。

「義時様!」

 ヒミカは叫んだ。向こうへ行きかけていたコシロ兄が馬の手綱を引いて振り返る。


「貴方なら出来ます!お父上を越え、また佐殿も成し得なかった、京にへつらわぬ武士の都を造り上げることがきっと出来ます!だから、どうか自信を持って下さい。自分こそが、貴方こそが善であると」

「善?」

 問い返された時、ヒミカは我知らず両手を天に掲げて叫んでいた。

「将に胆有りて軍にきびす無きものは善なり!」

 コシロ兄はその場に留まって馬上からヒメコを暫し見つめたが、ややして目を細め、そっと口の端をもたげた。

「巫女殿、感謝申し上げる」

 真っ直ぐで美しい笑顔。

──伝えられた。

 彼にこれを伝えるのが、自分のお役目だったのかもしれない、とそう思った。

コシロ兄」

 呼びかけに彼は「ヒミカ」と返した。
「今、この時をもって、お前との縁を切る。お前はもう江間とも北条とも関わりない。神罰は全て私が受ける。だからお前は生きろ。善のまま。穢れのないままに!」

「殿!」

  叫んで追いかけようとしたヒメコを止めたのはトモだった。

「父上。母上とシゲ、弟妹たちは俺が守るから!」

 コシロ兄は大きく片手を振ってから背を向け、そのまま駆け去って行った。その背は、その姿はすぐに見えなくなった。



 やがて烏がひと声鳴いて山に向かって羽を広げて飛んでいくのが見えた。


 母がパンと手を打つ。

「さぁ、ヒミカ。馬にお乗りなさい。北条の女衆の話では、そろそろ牧の方がお戻りになるそうよ。行き合わせたらいけないのでしょう?」

 ヒミカは黙って頷き、馬の手綱を握った。

 遠去かる伊豆の江間館に小さく手を振って、ヒミカは馬の手綱をしっかりと握り直した。

──いこう。生きよう。京で。強く。私らしく。


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