199 / 225
第五章 明石
第49話 訣れ
しおりを挟む「母上、その子誰?」
伊豆の江間の屋敷に入るなり、トモとシゲが一幡を取り囲む。
「神さまからの頂き物よ」
「いただきもの?」
「ええ」
ヒミカは頷いた。
「だから、生まれつきお口がきけないの。でも私たちの話すことは分かっているわ。これから兄弟の一人として仲良くして欲しいのだけど、出来るかしら?」
「ま、いいよ。じゃあ、シゲの下ってことだね。で、名前は?」
偉そうに踏ん反り返るトモに苦笑しつつ、答える。
「ヨリですよ」
「ヨリ?良い名だね」
シゲが人懐こい笑顔を見せる。
「シゲ。ヨリはお前と同い年だが、口がきけない。お前がヨリの口になって助けてやれ」
コシロ兄の言葉にシゲは素直に頷いた。
「うん、いいよ」
「じゃあ俺は?俺はヨリの何になればいい?」
問うたトモに、コシロ兄は少し考えてから答えた。
「何が出来ると思う?」
「ヨリは喧嘩強いの?」
声をかけられた一幡が首を傾げる。
「あんまり強そうじゃないね。じゃあ、俺は腕になって守ってやるよ」
「まぁ、トモ。偉いわ。すっかりお兄ちゃんね」
のほほんとした声に顔を上げれば、母が立っていた。
「ヒミカ。来たわね」
「母さま」
「比企のことは聞いてるわ。きっと貴女がここに来るだろうと思って待ってたの」
ほら、とクルリと回って見せる。背中には大きな包み。そして前にも。
「カグヤはここよ」
お腹の前に抱え込んでるらしい。
「母さま、有難う。ごめんなさい」
母はフンと顔を背けた。
「仕方ないでしょ。どんなに我儘で無鉄砲な子だって、可愛い娘なんだから」
「義母上様」
コシロ兄が母に声をかけて頭を下げる。
「申し訳ありません」
母は返事をしなかった。
「母さま」
母の袖を引っ張るが、母はツンと横を向いてしまう。ただ、お腹に抱えていたカグヤの顔を少しだけ覗かせて言った。
「この子に、この国で一番幸せな嫁ぎ先を探しなさい」
コシロ兄は深々と頭を下げて、承知しました、と答えた。
それからトモに向かう。
「トモ、父は鎌倉に戻らねばならん。お前は一番上の男児として、これから母と弟らを護って欲しい」
「父上は?もう一緒に居られないの?」
「ああ」
「どうして?」
「鎌倉で戦があった。そして、母を狙う悪い輩がまだ鎌倉にいる。だからお前たちは京へ逃げて、母を護ってくれ」
「ふぅん、分かった。でも、その悪いヤツらをやっつけたら、また鎌倉に戻れるんでしよ?」
「ああ、そうだな」
「どのくらいでやっつけられるの?」
「分からん。だが、トモ。お前が元服の頃までには何とかしよう。だから、それまで母と弟たちを頼むぞ」
「いいよ!」
コシロ兄は腰に着けていた一本の小刀をトモに手渡した。
「これは、いざの時まで使うな。ただし手入れは欠かすな。元服の時に返してもらう。その時には、かわりに立派な刀をやるからな」
「はい!」
「わぁ、兄上。いいなぁ」
声を上げたシゲに、トモは得意げに笑って言った。
「俺はこの中で一番上だからな。父上、こっちは俺にどーんと任せて。泰時兄上によろしく!」
「ああ」
軽く微笑みながら、コシロ兄はトモの腰に小刀をきつく結わえる。
「任せたぞ」
それからシゲに向かった。シゲは不思議そうにコシロ兄の顔を見ていたが、ふと思い出したように言った。
「ちちうえ、泰時兄上に新しいお歌をくださいと僕が言ってたって伝えてね」
無邪気な子どもらの様子を眺めながら、コシロ兄との別れの時が近付いているのを感じる。
コシロ兄はシゲの言葉に頷くと、その頭を撫でて、そっと告げた。
「シゲ。もし母が泣いた時には歌を歌って慰めてやってくれ。お前の歌う声は人の心をあっためてくれる。泰時はそう褒めていたぞ」
「はい」
——もし泣いたら。
その言葉を聞いた途端、涙が溢れそうになる。でも懸命に堪えた。コシロ兄はヒミカの前に立ち、口を開いた。
「急ぐから」
「え?」
「早く鎌倉に戻せるよう力を尽くす。だから、何としても生きてくれ。無事で」
「はい」
「京では先ず大江親広殿を頼れ。必要なものなど送る。子らを頼む」
「はい」
それからコシロ兄はトモ、シゲ、そしてカグヤの頭の上に順々に手を置いていった。
「皆、健やかに過ごせ。また会おう」
うわぁん、と大きな声で泣き出したのは意外にもシゲだった。トモは睨み付けるようにして口をひん曲げてコシロ兄を見上げている。
「ヒミカ」
コシロ兄の左手が伸び、ヒミカの頰に触れようとした。
だがその時、ふと風が動いた。
コシロ兄が身構える。そのすぐ傍に男が立っていた。その腕には白い鳥が止まって羽を休めてある。先日、頼家に攫われた時に助けてくれた若い男だった。
「何があった?」
「兄者らから伝達があった。二代目が縄を解いてまた抜け出したらしい」
——二代目、頼家殿が?
「シメて殺してしまってもいいか?と、そう聞いてきている。毒も薬もすぐに馴染む。化け物のような男だ。生かして閉じ込めておくのはもう限界だと」
コシロ兄は僅か黙った後に答えた。
「赦す」
抑揚のない、感情の消えた声。
「けして修善寺から外に出すな」
「承知」
これまた色のない声が答えて、白い鳥が飛び去る。
義時がヒミカを見た。
「修善寺はすぐあそこだ。急いでここを離れろ」
それから若い男に声をかける。
「三郎、お前は先に言った通り、彼女らを京まで送ってから戻れ」
「でも、兄者らだけでアレを抑えられますかね」
「俺が行くからいい。何とかする。彼女らを頼む」
「承知」
三郎と呼ばれた男が答えて、馬を引き出してくる。その馬に長い棒と車輪の付いた板が取り付けられ、荷車となった。
「殿」
不安になって声をかける。コシロ兄はヒミカをチラと振り返ると怒鳴った。
「早く行け!二代目や父がここに来てしまったら、今の俺ではお前たちを守り切れない。京まで逃げて、お前らしく生きろ」
──生きろ
昔、比企まで送り届けて貰う途中で野盗に襲われた。ヒミカを逃がす為に鏑矢を射て、行けと叫んだ。あの時も「生きろ」と言ってくれていたのだろう。
ヒミカを逃がし、自らは戦さ場に踏み止まろうとする人。いつも自分を護ってくれていた人。自分は彼の為に何か出来たのだろうか?
「此方へ」
声をかけられ振り返れば、三朗と呼ばれた若い男が無表情で立っていた。
「急がれよ。嫗と子らはその後ろの台の上に。あなたはご自分で騎馬出来ますな?」
問われ、頷く。
「では、参ろう」
言うなり、母を台の上へと引き上げ、続いて子らをどんどん乗せていく。それから、ひらりと馬に跨り手綱を握った。
——ドクン。
その時、急に胸が大きく高鳴り、喉の奥が大きく膨れて熱を持つ。
──待って。まだ、待って。
「義時様!」
ヒミカは叫んだ。向こうへ行きかけていたコシロ兄が馬の手綱を引いて振り返る。
「貴方なら出来ます!お父上を越え、また佐殿も成し得なかった、京にへつらわぬ武士の都を造り上げることがきっと出来ます!だから、どうか自信を持って下さい。自分こそが、貴方こそが善であると」
「善?」
問い返された時、ヒミカは我知らず両手を天に掲げて叫んでいた。
「将に胆有りて軍に踵無きものは善なり!」
コシロ兄はその場に留まって馬上からヒメコを暫し見つめたが、ややして目を細め、そっと口の端をもたげた。
「巫女殿、感謝申し上げる」
真っ直ぐで美しい笑顔。
──伝えられた。
彼にこれを伝えるのが、自分のお役目だったのかもしれない、とそう思った。
コシロ兄」
呼びかけに彼は「ヒミカ」と返した。
「今、この時をもって、お前との縁を切る。お前はもう江間とも北条とも関わりない。神罰は全て私が受ける。だからお前は生きろ。善のまま。穢れのないままに!」
「殿!」
叫んで追いかけようとしたヒメコを止めたのはトモだった。
「父上。母上とシゲ、弟妹たちは俺が守るから!」
コシロ兄は大きく片手を振ってから背を向け、そのまま駆け去って行った。その背は、その姿はすぐに見えなくなった。
やがて烏がひと声鳴いて山に向かって羽を広げて飛んでいくのが見えた。
母がパンと手を打つ。
「さぁ、ヒミカ。馬にお乗りなさい。北条の女衆の話では、そろそろ牧の方がお戻りになるそうよ。行き合わせたらいけないのでしょう?」
ヒミカは黙って頷き、馬の手綱を握った。
遠去かる伊豆の江間館に小さく手を振って、ヒミカは馬の手綱をしっかりと握り直した。
──いこう。生きよう。京で。強く。私らしく。
0
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
鎌倉最後の日
もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

凡人がおまけ召喚されてしまった件
根鳥 泰造
ファンタジー
勇者召喚に巻き込まれて、異世界にきてしまった祐介。最初は勇者の様に大切に扱われていたが、ごく普通の才能しかないので、冷遇されるようになり、ついには王宮から追い出される。
仕方なく冒険者登録することにしたが、この世界では希少なヒーラー適正を持っていた。一年掛けて治癒魔法を習得し、治癒剣士となると、引く手あまたに。しかも、彼は『強欲』という大罪スキルを持っていて、倒した敵のスキルを自分のものにできるのだ。
それらのお蔭で、才能は凡人でも、数多のスキルで能力を補い、熟練度は飛びぬけ、高難度クエストも熟せる有名冒険者となる。そして、裏では気配消去や不可視化スキルを活かして、暗殺という裏の仕事も始めた。
異世界に来て八年後、その暗殺依頼で、召喚勇者の暗殺を受けたのだが、それは祐介を捕まえるための罠だった。祐介が暗殺者になっていると知った勇者が、改心させよう企てたもので、その後は勇者一行に加わり、魔王討伐の旅に同行することに。
最初は脅され渋々同行していた祐介も、勇者や仲間の思いをしり、どんどん勇者が好きになり、勇者から告白までされる。
だが、魔王を討伐を成し遂げるも、魔王戦で勇者は祐介を庇い、障害者になる。
祐介は、勇者の嘘で、病院を作り、医師の道を歩みだすのだった。
ストーカー三昧・浪曲、小噺、落語
多谷昇太
大衆娯楽
これは既掲載の「人生和歌集 -風ー」内で数多く詠んだ、私に付いて離れないヤクザのチンピラストーカーどもを風刺、糾弾する意向で新たに立ち上げたものです。和歌では語り尽くせない、21世紀の現代に於て現れた、愚か極まりないこの一事象を、皆様に広くお伝えしたいが為に創作したものです。私とはPTOが違うかも知れませんがいま問題になっている「集団ストーカー」災禍と多々共通する点もあるかと存じます。その被害に遭われている方々にもぜひお目通しをして頂きたく、伏してご清聴のほどを御願い奉ります。では方々、開演いたしますので、どうぞご着席を…。

ハンリュウ! 〜隋帝国の野望〜
魔法組
歴史・時代
時は大業8(西暦612)年。
先帝である父・文帝を弑し、自ら隋帝国2代皇帝となった楊広(後の煬帝)は度々隋に反抗的な姿勢を見せている東の隣国・高句麗への侵攻を宣言する。
高句麗の守備兵力3万に対し、侵攻軍の数は公称200万人。その圧倒的なまでの兵力差に怯え動揺する高官たちに向けて、高句麗国26代国王・嬰陽王は一つの決断を告げた。それは身分も家柄も低い最下級の将軍・乙支文徳を最高司令官である征虜大将軍に抜擢するというものだった……。
古代朝鮮三国時代、最大の激戦である薩水大捷のラノベーション作品。

地獄の業火に焚べるのは……
緑谷めい
恋愛
伯爵家令嬢アネットは、17歳の時に2つ年上のボルテール侯爵家の長男ジェルマンに嫁いだ。親の決めた政略結婚ではあったが、小さい頃から婚約者だった二人は仲の良い幼馴染だった。表面上は何の問題もなく穏やかな結婚生活が始まる――けれど、ジェルマンには秘密の愛人がいた。学生時代からの平民の恋人サラとの関係が続いていたのである。
やがてアネットは男女の双子を出産した。「ディオン」と名付けられた男児はジェルマンそっくりで、「マドレーヌ」と名付けられた女児はアネットによく似ていた。
※ 全5話完結予定
さようなら竜生、こんにちは人生
永島ひろあき
ファンタジー
最強最古の竜が、あまりにも長く生き過ぎた為に生きる事に飽き、自分を討伐しに来た勇者たちに討たれて死んだ。
竜はそのまま冥府で永劫の眠りにつくはずであったが、気づいた時、人間の赤子へと生まれ変わっていた。
竜から人間に生まれ変わり、生きる事への活力を取り戻した竜は、人間として生きてゆくことを選ぶ。
辺境の農民の子供として生を受けた竜は、魂の有する莫大な力を隠して生きてきたが、のちにラミアの少女、黒薔薇の妖精との出会いを経て魔法の力を見いだされて魔法学院へと入学する。
かつて竜であったその人間は、魔法学院で過ごす日々の中、美しく強い学友達やかつての友である大地母神や吸血鬼の女王、龍の女皇達との出会いを経て生きる事の喜びと幸福を知ってゆく。
※お陰様をもちまして2015年3月に書籍化いたしました。書籍化該当箇所はダイジェストと差し替えております。
このダイジェスト化は書籍の出版をしてくださっているアルファポリスさんとの契約に基づくものです。ご容赦のほど、よろしくお願い申し上げます。
※2016年9月より、ハーメルン様でも合わせて投稿させていただいております。
※2019年10月28日、完結いたしました。ありがとうございました!
春暁に紅緋の華散る ~はるあかつきにくれなひのはなちる~
ささゆき細雪
歴史・時代
払暁に生まれた女児は鎌倉を滅ぼす……鶴岡八幡宮で神託を受けた二代将軍源頼家は産み落とされた女児を御家人のひとりである三浦義村の娘とし、彼の息子を自分の子だと偽り、育てることにした。
ふたりは乳兄妹として、幼いころから秘密を共有していた。
ときは建保六年。
十八歳になった三浦家の姫君、唯子は神託のせいで周囲からはいきおくれの忌み姫と呼ばれてはいるものの、穏やかに暮らしている。ひとなみに恋もしているが、相手は三代将軍源実朝、血の繋がりを持つ叔父で、けして結ばれてはならないひとである。
また、元服して三浦義唯という名を持ちながらも公暁として生きる少年は、御台所の祖母政子の命によって鎌倉へ戻り、鶴岡八幡宮の別当となった。だが、未だに剃髪しない彼を周囲は不審に思い、還俗して唯子を妻に迎えるのではないか、将軍位を狙っているのではないかと憶測を絶やさない。
噂を聞いた唯子は真相を確かめに公暁を訪ねるも、逆に求婚されて……
鎌倉を滅ぼすと予言された少女を巡り、義理の父子が火花を散らす。
顔に牡丹の緋色の花を持つときの将軍に叶わぬ恋をした唯子が選んだ未来とは?
小町のひとりごと
夢酔藤山
恋愛
小野小町。
後世に伝わる彼女の伝説には、生々しい苦悩と葛藤も隠れている。その心の声を綴りながら、人間・小野小町を四季に例えて描く。
春の日の若やいだ季節、夏の焦燥に燃える恋、秋の葉の如く散りゆく後悔と慕情、そして、凍てつく老いと恐れに震える冬。
そこには歌仙とは程遠い等身大の女性像があった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる