【完結】姫の前

やまの龍

文字の大きさ
上 下
192 / 225
第五章 明石

第42話 縛

しおりを挟む
 気付いたら、暗闇の中にいた。何が起きたのかわからない。

「やっと手に入れたぞ」

 耳元で聞こえるねっとりとした声に怖気が立つ。迂闊だった。胸元に入れていた護り刀に手を伸ばそうとするが、その手が捻じ上げられる。

「諦めよ。そなたは私の物。そして江間義時は晒し首だ」

——晒し首。何の罪で?

胸を焦がす怒りの念。

頼家への。そして迂闊な行動を取った自らへの。護り刀の鞘を口に咥え、無理矢理に引き抜く。

——穢されるくらいなら、自死するまで。

 だがその時、闇の一部がグニャリと溶け、声が聞こえた。

「お助けしよう。但し、後に私の願いを聞いていただく」

 聞いたことのない、まだ若そうな男の声。

——誰?

 問う間もなく気配は溶け消え、ヒメコを掴んでいた頼家の手が緩んだ。その機を逃さず、ヒメコは腕を取り戻す。

と同時に大量の光が射し込んだ。そしてなだれ込む人の気配。



「無事か?」

低い声と陽の光。吹き込む風。ヒメコに覆い被さっていた黒い影が揺らぐ。

「コシロ兄!」

 伸ばした手が掴まれる。強くあたたかな手に引っ張られ、夢中で抱き付く。

「殿!殿、ごめんなさい。私」

 しっかりと抱き寄せられ、やっと周りの風景が見えてくる。固く閉め切られていたらしい戸が開け放たれ、その向こうに幾人かの気配。


「おのれ、江間義時。そなた、自分が何をしているか分かっているのか?私は将軍だぞ」

 部屋の中央で頼家は肩で荒く息を繰り返していた。見れば、その背に何か細い銀の串のような物が刺さっている。頼家は腕をガクガクと揺らしながらもヒメコに向かって手を伸ばす。

「江間義時は謀叛の罪で晒し首だ。これでお前は私の物になる」

毒か薬が全身に回りつつあるのだろう。大きく身体を震わせながら嘔吐を繰り返す頼家の横に誰かが立った。

「二代目将軍家、源頼家。ぬしを捕縛し、連行する。悪ぅ思うなや」

 その声は、先程暗闇で聞いた若い男のもの。頼家が吼えた。

「江間義時!お前の命令か。従順な弟の顔をして母上を騙し、幕府を乗っ取るつもりだな?だが、そうは行かぬぞ。ここは比企の隠れ砦。すぐに弥四郎たちが駆け付ける。これで北条征伐の大義名分も揃ったわ。ざまを見ろ。北条時政、江間義時。そなたらは終いだ。これからは誰にも文句を言わさず、新しい鎌倉をつくってやる。この私の手で」

 そう言って、ゆらりと立ち上がる。その足はガクガクと震えているものの、恐ろしいばかりの殺気を放ったその肢体にヒメコは恐怖を覚える。

 自分は北条と比企の戦の火種を切ってしまったのだろうか?

だが、その頼家が真横に吹っ飛んだ。

——ダァン!

物凄い音を立てて壁にぶち当たる。

 蹴り飛ばしたのは、先の若い男だった。

「あぁん?比企の腰抜け共なら、今頃屋敷のお庭で仲良ぅねんねしてますわ。蹴鞠の会の夢でも見ながらね」

 ゆるゆるとした不思議な音程の声。東国の者ではない言葉回し。

 頼家がサッと右膝を立て、腰の太刀を抜き放った。銀の刀身が男の身を斜めに切り裂く、と思った刹那、男はその風に乗るようにして飛び上がってクルリと中空で回転し、頼家の背へと回ると、鎧通しで頼家の肩を刺し貫いた。響く叫び声。噴き出す赤い血。

——何が起きてるのか、鎌倉はどうなるのか、アサ姫は——。

 目を閉じることも出来ずにひたすら息を詰めるヒメコの耳に、やがて若い男の淡々とした声が届いた。

「はい、これで両腕ともしまいだ。では、私はこれにて。江間殿、後は任せる。兄者らによろしく」

 そんな言葉を残してその男は悠然と去って行った。

 後に残されたのは、コシロ兄とヒメコと庭の幾人かの気配。

「コシロ兄、いえ、殿。今のは?」

 ヒメコの問いにコシロ兄は答えず、ヒメコを抱え上げると外へと出る。

「尾藤太郎、次郎。将軍家を固く縛り上げ、修善寺へ。これは尼御台様の命である」


——え?

「尼御台様の命?」


アサ姫が頼家を縛るように言ったということ?

——信じられない。

 コシロ兄を黙って見上げるヒメコにコシロ兄は目を合わさず言った。

「屋敷に着くまで黙ってろ」

 いつもは心落ち着く低い声が、この時ばかりは恐ろしく冷たく固く感じた。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

南町奉行所お耳役貞永正太郎の捕物帳

勇内一人
歴史・時代
第9回歴史・時代小説大賞奨励賞受賞作品に2024年6月1日より新章「材木商桧木屋お七の訴え」を追加しています(続きではなく途中からなので、わかりづらいかもしれません) 南町奉行所吟味方与力の貞永平一郎の一人息子、正太郎はお多福風邪にかかり両耳の聴覚を失ってしまう。父の跡目を継げない彼は吟味方書物役見習いとして南町奉行所に勤めている。ある時から聞こえない正太郎の耳が死者の声を拾うようになる。それは犯人や証言に不服がある場合、殺された本人が異議を唱える声だった。声を頼りに事件を再捜査すると、思わぬ真実が発覚していく。やがて、平一郎が喧嘩の巻き添えで殺され、正太郎の耳に亡き父の声が届く。 表紙はパブリックドメインQ 著作権フリー絵画:小原古邨 「月と蝙蝠」を使用しております。 2024年10月17日〜エブリスタにも公開を始めました。

幕末レクイエム―士魂の城よ、散らざる花よ―

馳月基矢
歴史・時代
徳川幕府をやり込めた勢いに乗じ、北進する新政府軍。 新撰組は会津藩と共に、牙を剥く新政府軍を迎え撃つ。 武士の時代、刀の時代は終わりを告げる。 ならば、刀を執る己はどこで滅ぶべきか。 否、ここで滅ぶわけにはいかない。 士魂は花と咲き、決して散らない。 冷徹な戦略眼で時流を見定める新撰組局長、土方歳三。 あやかし狩りの力を持ち、無敵の剣を謳われる斎藤一。 schedule 公開:2019.4.1 連載:2019.4.19-5.1 ( 6:30 & 18:30 )

【完結】月よりきれい

悠井すみれ
歴史・時代
 職人の若者・清吾は、吉原に売られた幼馴染を探している。登楼もせずに見世の内情を探ったことで袋叩きにあった彼は、美貌に加えて慈悲深いと評判の花魁・唐織に助けられる。  清吾の事情を聞いた唐織は、彼女の情人の振りをして吉原に入り込めば良い、と提案する。客の嫉妬を煽って通わせるため、形ばかりの恋人を置くのは唐織にとっても好都合なのだという。  純心な清吾にとっては、唐織の計算高さは遠い世界のもの──その、はずだった。 嘘を重ねる花魁と、幼馴染を探す一途な若者の交流と愛憎。愛よりも真実よりも美しいものとは。 第9回歴史・時代小説大賞参加作品です。楽しんでいただけましたら投票お願いいたします。 表紙画像はぱくたそ(www.pakutaso.com)より。かんたん表紙メーカー(https://sscard.monokakitools.net/covermaker.html)で作成しました。

幕末レクイエム―誠心誠意、咲きて散れ―

馳月基矢
歴史・時代
幕末、動乱の京都の治安維持を担った新撰組。 華やかな活躍の時間は、決して長くなかった。 武士の世の終わりは刻々と迫る。 それでもなお刀を手にし続ける。 これは滅びの武士の生き様。 誠心誠意、ただまっすぐに。 結核を病み、あやかしの力を借りる天才剣士、沖田総司。 あやかし狩りの力を持ち、目的を秘めるスパイ、斎藤一。 同い年に生まれた二人の、別々の道。 仇花よ、あでやかに咲き、潔く散れ。 schedule 公開:2019.4.1 連載:2019.4.7-4.18 ( 6:30 & 18:30 )

7番目のシャルル、狂った王国にうまれて【少年期編完結】

しんの(C.Clarté)
歴史・時代
15世紀、狂王と淫妃の間に生まれた10番目の子が王位を継ぐとは誰も予想しなかった。兄王子の連続死で、不遇な王子は14歳で王太子となり、没落する王国を背負って死と血にまみれた運命をたどる。「恩人ジャンヌ・ダルクを見捨てた暗愚」と貶される一方で、「建国以来、戦乱の絶えなかった王国にはじめて平和と正義と秩序をもたらした名君」と評価されるフランス王シャルル七世の少年時代の物語。 歴史に残された記述と、筆者が受け継いだ記憶をもとに脚色したフィクションです。 【カクヨムコン7中間選考通過】【アルファポリス第7回歴史・時代小説大賞、読者投票4位】【講談社レジェンド賞最終選考作】 ※表紙絵は離雨RIU(@re_hirame)様からいただいたファンアートを使わせていただいてます。 ※重複投稿しています。 カクヨム:https://kakuyomu.jp/works/16816927859447599614 小説家になろう:https://ncode.syosetu.com/n9199ey/

陸のくじら侍 -元禄の竜-

陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた…… 

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

処理中です...