【完結】姫の前

やまの龍

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第五章 明石

第37話 人穴

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 コシロ兄はその夜は戻らず、翌日の昼前に戻った。入れ替わりで御所へと向かおうとした阿波局を止めて言う。

「将軍様が尼御台様に、阿波局を出せ。尋問する、と比企四郎を遣わして迫った。尼御台様はそれを撥ね退けられて、逆に将軍様と比企四郎をお責めになったが、比企四郎は黙ったまま比企ヶ谷の小御所へ戻って行った。今はまだ隠れていた方がいい。拉致されて罪をでっち上げられたら、それこそことだ」

 阿波局は返事をせずにタンポの背を撫でていた。次にコシロ兄はヒメコに向かった。

「明朝早く、二人で伊豆の江間へ向かってくれないか?」

 ヒメコは僅かに迷ったが頷いた。

「承知いたしました」

 月のモノが止まっていた。本当は動きたくなかった。でもタンポを撫でる阿波局の横顔を見て覚悟を決める。阿波局の手をそっと握って言った。

「行きましょう。江間へ」

 江間では母がのんびりと暮らしていた。

「まぁ、北条の三の姫様なのね。牧のお方はお変わりない?」

「ええ、お陰様で。姫御前様よりお話はお聞きしてましたが、さすがお血筋ですね。お母様、お若くてお綺麗でいらっしゃる」

卒なく笑顔を向ける阿波局。

「あら、まぁ。嬉しいわ」

 お世辞を真正直に受け止める母に苦笑する。とりあえず暫く大人しく身を隠しているより他はない。阿野全成殿のことが気になるが、アサ姫とコシロ兄が鎌倉に居てくれるのだ。その邪魔にならないように隠れているのが今出来る精一杯だった。


 だが江間へ来て十日程経ったある日、馬が駆けつけて、男の声が呼ばわる。

「この午後、将軍様が狩の途中にお寄りになる。食事などで饗応いたせ」

——将軍が?阿波局を探しに来たのだろうか?

  シンペイとシマの慌てる声も聞こえてくる。ヒメコは立ち上がると、予め用意していた小屋へ阿波局を隠し、シマを呼んだ。

「隣の北条へ行って事情を話し、食料を分けていただいて。また大鍋や人手も借りて来てちょうだい」

 と、母が声を上げた。

「あら、それなら私が行ってくるわ。北条の女衆とは仲良くしてるからすぐよ。待っていて」

  言って、軽やかに駆けて行く母。その後ろ姿を頼もしく見送りながら、ヒメコは襷をかけ、湯巻きを巻いて髪を括った。

とにかく今は江間の女主として出来るだけのことをしなくては。

 やがて、庭が騒々しくなった。一行が到着したのだろう。阿波局の居る小屋は、今は殆ど使っていないひどく古びた掘立て小屋。中につっかえ棒を入れて、立て付けが悪いように見せかけているが、男達が壊そうと思えば、すぐに取り外されてしまうだろう。ビクビクしながら準備を進める。だが下馬した男たちからは、誰かを探しているような素振りが見られない。本当に狩の途中に立ち寄ったようだった。でも、と思う。頼朝は下野や駿河の狩の前には御家人らを派遣して宿所などを準備させていたのに、何故今回はこんな突然に何の前触れもなくやって来たのか。

 その時、戸を乱暴に開けて入って来る人の気配がした。

「邪魔するぞ」

 頼家の声に、頭を下げて出迎える。

「おお、姫御前。やっと顔が見られたな」

 答えずに、ただ頭を下げる。

「申し訳ございません。急なお出でで仕度がまだ整っておりません。此方で暫しお待ちください」

 言って立ち上がり、屋敷の外に出て同行していた郎等らを屋敷のなかに招き入れる。ドヤドヤと上がり込んで来る男たち。その時、不意に覚えのある香りが鼻をついて、ヒメコは思わず顔をしかめた。

——これは、あのキノコの香り。

 比礼御前はあのキノコをまだ使っているのか。でも何故?

「そう言えば、姫御前。伊東崎の人穴を知っておるか?」

 唐突に頼家が話し出す。

 ——人穴?

「ここに来る前に寄ったのだが、中には大蛇が居ったそうな。胤長が見事斬り捨ててくれた。まこと比礼御前の言う通りであった。次は駿河に向かう予定だが、その途中で立ち寄らせて貰った。そなたが此方にいるのではと思ってな」

 ヒメコは黙ったまま、頼家に渡した杯に酒を注ぐ。頼家は上機嫌で話し始めた。

「実はこの正月に、八幡宮の巫女が不吉なことを申した。一幡が家督を継いではならぬというのだ。腹が立ったから、斬り捨ててやったが、比礼御前が言うには、それは呪いだと。呪いを解くには、伊東崎と富士の人穴を探れとの神託が出たと言うので、狩のついでに寄ったのだ」

 そこで頼家はズイと顔を前に出した。

「しかし大蛇が出るとは、まこと呪いであったのだろうな。誰の仕業やら。それも伊東と富士とは、北条の土地間近ではないか。阿野全成の件もある。姫御前、そなたはどう思う?」

 ヒメコは頼家から漂うキノコの匂いに息を詰める。同時にヨリカの狙いが分かった気がした。正月に一幡君が家督を継いではならないという神託が出たのなら、ヨリカはそれを打ち消したいと思っただろう。そして、それを呪いと称して北条の土地に因果をなすりつけようと思ったのではないか。その為に幻を見やすいキノコを食させて鎌倉から出したのでは?もしそうだとすると、八幡宮の巫女の神託の方が真なのではないだろうか。
でも、またもう一つ。逆の可能性にも気付いてしまう。正月の神託が、一幡君を追い落として千幡君を後継にと狙った北条の差し金だとしたら?偽の神託を出させるなど、そんなことが出来るかは分からない。でも、巫女とて、もし親兄弟などが人質が取られたりしていたら、偽の神託を出すことに抵抗出来ないのではないか?そこまで考えて、ヒメコは頭を振った。北条と比企の間柄はもうそこまで追いつめられているのかも知れない。阿野全成殿はそれらに巻き込まれて謀叛の疑いをかけられたのではないだろうか。そして、同じその狭間に自分とコシロ兄はいる。

 ヒメコは慎重に言葉を選びながら頼家に向かった。

「伊東崎は存じませんが、富士の人穴は太古よりの聖域。富士山本宮浅間大社の御在所と聞いております。外からそっとご参拝されるのは良いかと思います。足を踏み入れない方が良いかと思います」

「だが、それでは呪いを祓えないではないか」

「もし真に富士の聖域にて呪いをかけようとしたのであれば、逆に呪い返しに遭っているかと思います。神は呪いをお喜びにはなりませんから」

「ふうん」

 頼家は平伏するヒメコを眺め下ろしながら一つ唸った。

「では、姫御前。そなたが人穴へ入って確かめて参れ」

 思いもよらぬ言葉に顔を上げてしまう。

「え、私が?」

「そなたは巫女であろう。神域でも巫女なら入れるのではないか?」

「私はもう巫女ではありません。それに神域に入って良いのは、きちんと禊祓いをして、予め赦しを得た者だけ。此度の来訪が呪いに関わっているとするなら、尚のこと近付くべきではございません。何卒ご容赦下さいませ」

 頼家はヒメコをじっと見ていたが、やがて片方の口の端を上げて言った。

 
「ふうん。断るつもりか。将軍の命だぞ」

「どなた様の命であっても、私は間違っていると思うことには従えません」

「こやつめ、無礼な!」

 脇に控えていた男が凄むのを頼家は手を上げて制し、笑い出した。

「では姫御前。そなた、私の物になれ」
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