【完結】姫の前

やまの龍

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第五章 明石

第32話 争乱の前触れ

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 それからまた年が明け、春の終わり頃にコシロ兄から文が届いた。鎌倉に戻ってくるようにとあった。

「江間の屋敷は新造した。また近くに泰時の屋敷も建てた。この秋に泰時は三浦の姫を娶ることになる。その前に鎌倉に一度戻って来い」

 尾藤次郎が迎えに来てくれて、子ら三人を連れて鎌倉へと向かう。母は江間に残った。

「大分と鎌倉は変わったのですね」

 火事や地震の為だろう。整備し直されて、見覚えのない建物があれこれ増えていたが、人の賑わいは変わらず、活気に溢れていた。

「お久しぶり」

 時連が阿波局を連れて訪問してくれる。

「姫御前が鎌倉に戻ったって小四郎兄上から聞いてね。あ、でも御所に来ちゃ駄目よ。大姉上には内緒にしてるんだから」

「内緒?」

「ええ。だって、御所様に言ってしまいそうだから。安達殿の件があってから、美人の妻室を持ってる御家人らは皆、戦々恐々よ。ま、逆に美女を差し出して気に入られようって魂胆の輩もいるようだけどね」

「はぁ」

 何と答えていいのか、曖昧に返事する。阿波局はシゲを抱き上げて笑顔を見せた。

「まぁ。二人とも大きくなったこと。さすが姫御前に似て、どちらも可愛いらしいこと。将来が楽しみだわ。あら、姫も産まれたのではなかった?」

「あ、はい。この子です」

 言って、抱いていたカグヤを差し出す。途端、二人は噴き出した。

「小四郎兄にそっくり!」

「本当、この目元とか口元とか。ムゥってした雰囲気とか瓜二つ!」

「ムゥって、そんな」

 思慮深そうだと言って欲しいと思いながら、ヒメコは二人に水菓子を出した。だが、出した途端にトモが駆け付けて手を出してくる。

「こら、トモ!」

 叱って捕まえようとするが、捕まえられない。その首根っこをサッと捕まえてくれたのは時連だった。

「この悪戯っ子め。慌てなくてもお前の分はちゃんとあるのに」

「トモはきっと佐々木四郎殿みたいに先陣争いの好きな武将になるんでしょうね」

「佐々木四郎殿」

 懐かしい響きに山木攻めの時のことを思い出す。

「佐々木高綱殿は今はどうされてるのでしょう?」

「何年か前に出家して嫡男に家督を譲っていた筈だよ。突然で驚いたよな」

「本当よね。先の将軍様も引き留めたのに、頑固というか一本気よね。私は姫御前が結婚しちゃったから傷心で、なんて思っちゃったんだけどね」

「え?」

「なぁんて言ったら小四郎兄に睨まれるから内緒内緒」

 明るく笑う阿波局にヒメコも笑った。

「ちなみに姫姉ちゃん。俺も改名したから」

 急に時連がそう言ったので驚く。

「俺も、って、あんたは僧になった訳ではないでしょ」

「当たり前だよ。俺はまだまだ頭を丸めたくないからね。あ、そういうわけで、俺はちょっと前から時連じゃなくて、北条五郎時房なんだ。宜しくね、姫姉ちゃん」

「ときふさ殿」

 繰り返したら、時房がニヤッと笑った。阿波局がその頭をパコンと叩く。

「何をニヤニヤしてんのよ。あんたは、いつもそうやってヘラヘラしてるから京から来た公家になめられたのよ」

「いいじゃん、あいつらだってヘラヘラしてるんだから。真似しておけば仲間だと思われて警戒されないだろ?」

「だからって名前にケチ付けられて悔しくなかったわけ?佐殿が取り持って下さって付いた名だったのに」

「しょんないら。もう佐殿いないし、今は御所様に尻尾振っとく方がいいんだろ?」

 サラリと言う時房。彼のそんなしなやかな猫のような所は昔から変わらない。

「それにさっき姫姉ちゃんに、ときふさって呼ばれて、やっと何だか自分の名前って気がしてきたから、もう平気」

 そう笑う時房に対し、阿波局は溜息をついた。

「難癖付けられた感じで私は気分悪いけどね」

「難癖?」

「時連の連の字は銭を思わせる卑しい名だって、えーと誰だっけ?蹴鞠仲間の誰だかが御所様に言って、変えられちゃったのよね。御所様ったら昨年も頼時の、いや泰時の名を変えさせたし。先の将軍みたいな権威を見せつけたいのかしら。でもそれでコロコロ変えられる方はたまったもんじゃないわよね。今回の五郎の件に関しては、大姉上が、北条と三浦の間に亀裂を入れるつもりかって怒って。誰の差し金だとまで追及してたわ」

「北条と三浦?」

「ほら、五郎の烏帽子親は三浦義連殿だったから」

 ヒメコは、ああと頷いた。北条と三浦は関係は長くて深い。コシロ兄の義時の義の字も三浦から貰ったのだろう。東国の武家は代々そうやって縁組を重ねて、いざの時に助け合えるよう関係を繋げている。

「ま、この秋には泰時が三浦義村殿の一の姫を妻に迎えるし、三浦と北条は問題ないでしょうけどね。八田氏と宇都宮氏は比企方に付くんじゃないかって父さんは睨んでたわ。五郎、あんたの正室の実家の足立氏も微妙よ。よくよく見張っておきなさい」

 へーい、と気の無い返事をする時房を見ながらヒメコは先程阿波局が口にしていた「比企方」という言葉が気になっていた。「比企方」の対局にあるのは、やはり「北条方」なのだろう。鎌倉は既に二つに分かれようとしている。アサ姫はどうしているのだろうか?

 その夏の盛りに江間の母から鎌倉に文が届く。

  江間に偉そうな男が現れて、姫御前を出せと言っていたと書いてあった。

——偉そうな男?

 思い当たるのは源頼家。七月に時房と共に狩に出掛けるとは聞いていた。

でも、まさか。そう思いつつ、その場に居なかったことに安堵してしまう。

「それはそうよ。小四郎兄は五郎から情報を取ってるもの。だから貴女を鎌倉に呼び戻したのよ。手元の方が安全だから」

 何故、そんなに頼家に固執されるのか。思い当たる節がない。

「あら、小さい頃から姫御前に纏わりつこうとしてたじゃない。ほら、きっとあれよ。源氏物語で言えば、光源氏にとっての藤壺のような存在になっちゃってるんじゃない?」

「そんな」

 ──冗談ではない。

「それにしても強引で性急な振る舞いよね。何だか生き急いでいるみたい。大姉上が言ってたわ。頼家殿は焦っているようだって。御家人らの意見もあまり聞かずに色々新しい政策を推し進めようとするから、宿老らの反発を受けるおそれがあるって。止めてくれって文官らに泣きつかれてるって言って困ってたわ」

「そうなのですか」

 阿波局の言葉に相槌を打ちつつ、ヒメコは上の空だった。得体の知れない恐怖が身近に迫っている気がして、そっと自分の身を抱く。

——頼家殿が本当に目の前に現れたら自分はどうするだろう?どうすればいいのだろう?

 その八月、頼家は征夷大将軍に任命された。
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