182 / 225
第五章 明石
第32話 争乱の前触れ
しおりを挟む
それからまた年が明け、春の終わり頃にコシロ兄から文が届いた。鎌倉に戻ってくるようにとあった。
「江間の屋敷は新造した。また近くに泰時の屋敷も建てた。この秋に泰時は三浦の姫を娶ることになる。その前に鎌倉に一度戻って来い」
尾藤次郎が迎えに来てくれて、子ら三人を連れて鎌倉へと向かう。母は江間に残った。
「大分と鎌倉は変わったのですね」
火事や地震の為だろう。整備し直されて、見覚えのない建物があれこれ増えていたが、人の賑わいは変わらず、活気に溢れていた。
「お久しぶり」
時連が阿波局を連れて訪問してくれる。
「姫御前が鎌倉に戻ったって小四郎兄上から聞いてね。あ、でも御所に来ちゃ駄目よ。大姉上には内緒にしてるんだから」
「内緒?」
「ええ。だって、御所様に言ってしまいそうだから。安達殿の件があってから、美人の妻室を持ってる御家人らは皆、戦々恐々よ。ま、逆に美女を差し出して気に入られようって魂胆の輩もいるようだけどね」
「はぁ」
何と答えていいのか、曖昧に返事する。阿波局はシゲを抱き上げて笑顔を見せた。
「まぁ。二人とも大きくなったこと。さすが姫御前に似て、どちらも可愛いらしいこと。将来が楽しみだわ。あら、姫も産まれたのではなかった?」
「あ、はい。この子です」
言って、抱いていたカグヤを差し出す。途端、二人は噴き出した。
「小四郎兄にそっくり!」
「本当、この目元とか口元とか。ムゥってした雰囲気とか瓜二つ!」
「ムゥって、そんな」
思慮深そうだと言って欲しいと思いながら、ヒメコは二人に水菓子を出した。だが、出した途端にトモが駆け付けて手を出してくる。
「こら、トモ!」
叱って捕まえようとするが、捕まえられない。その首根っこをサッと捕まえてくれたのは時連だった。
「この悪戯っ子め。慌てなくてもお前の分はちゃんとあるのに」
「トモはきっと佐々木四郎殿みたいに先陣争いの好きな武将になるんでしょうね」
「佐々木四郎殿」
懐かしい響きに山木攻めの時のことを思い出す。
「佐々木高綱殿は今はどうされてるのでしょう?」
「何年か前に出家して嫡男に家督を譲っていた筈だよ。突然で驚いたよな」
「本当よね。先の将軍様も引き留めたのに、頑固というか一本気よね。私は姫御前が結婚しちゃったから傷心で、なんて思っちゃったんだけどね」
「え?」
「なぁんて言ったら小四郎兄に睨まれるから内緒内緒」
明るく笑う阿波局にヒメコも笑った。
「ちなみに姫姉ちゃん。俺も改名したから」
急に時連がそう言ったので驚く。
「俺も、って、あんたは僧になった訳ではないでしょ」
「当たり前だよ。俺はまだまだ頭を丸めたくないからね。あ、そういうわけで、俺はちょっと前から時連じゃなくて、北条五郎時房なんだ。宜しくね、姫姉ちゃん」
「ときふさ殿」
繰り返したら、時房がニヤッと笑った。阿波局がその頭をパコンと叩く。
「何をニヤニヤしてんのよ。あんたは、いつもそうやってヘラヘラしてるから京から来た公家になめられたのよ」
「いいじゃん、あいつらだってヘラヘラしてるんだから。真似しておけば仲間だと思われて警戒されないだろ?」
「だからって名前にケチ付けられて悔しくなかったわけ?佐殿が取り持って下さって付いた名だったのに」
「しょんないら。もう佐殿いないし、今は御所様に尻尾振っとく方がいいんだろ?」
サラリと言う時房。彼のそんなしなやかな猫のような所は昔から変わらない。
「それにさっき姫姉ちゃんに、ときふさって呼ばれて、やっと何だか自分の名前って気がしてきたから、もう平気」
そう笑う時房に対し、阿波局は溜息をついた。
「難癖付けられた感じで私は気分悪いけどね」
「難癖?」
「時連の連の字は銭を思わせる卑しい名だって、えーと誰だっけ?蹴鞠仲間の誰だかが御所様に言って、変えられちゃったのよね。御所様ったら昨年も頼時の、いや泰時の名を変えさせたし。先の将軍みたいな権威を見せつけたいのかしら。でもそれでコロコロ変えられる方はたまったもんじゃないわよね。今回の五郎の件に関しては、大姉上が、北条と三浦の間に亀裂を入れるつもりかって怒って。誰の差し金だとまで追及してたわ」
「北条と三浦?」
「ほら、五郎の烏帽子親は三浦義連殿だったから」
ヒメコは、ああと頷いた。北条と三浦は関係は長くて深い。コシロ兄の義時の義の字も三浦から貰ったのだろう。東国の武家は代々そうやって縁組を重ねて、いざの時に助け合えるよう関係を繋げている。
「ま、この秋には泰時が三浦義村殿の一の姫を妻に迎えるし、三浦と北条は問題ないでしょうけどね。八田氏と宇都宮氏は比企方に付くんじゃないかって父さんは睨んでたわ。五郎、あんたの正室の実家の足立氏も微妙よ。よくよく見張っておきなさい」
へーい、と気の無い返事をする時房を見ながらヒメコは先程阿波局が口にしていた「比企方」という言葉が気になっていた。「比企方」の対局にあるのは、やはり「北条方」なのだろう。鎌倉は既に二つに分かれようとしている。アサ姫はどうしているのだろうか?
その夏の盛りに江間の母から鎌倉に文が届く。
江間に偉そうな男が現れて、姫御前を出せと言っていたと書いてあった。
——偉そうな男?
思い当たるのは源頼家。七月に時房と共に狩に出掛けるとは聞いていた。
でも、まさか。そう思いつつ、その場に居なかったことに安堵してしまう。
「それはそうよ。小四郎兄は五郎から情報を取ってるもの。だから貴女を鎌倉に呼び戻したのよ。手元の方が安全だから」
何故、そんなに頼家に固執されるのか。思い当たる節がない。
「あら、小さい頃から姫御前に纏わりつこうとしてたじゃない。ほら、きっとあれよ。源氏物語で言えば、光源氏にとっての藤壺のような存在になっちゃってるんじゃない?」
「そんな」
──冗談ではない。
「それにしても強引で性急な振る舞いよね。何だか生き急いでいるみたい。大姉上が言ってたわ。頼家殿は焦っているようだって。御家人らの意見もあまり聞かずに色々新しい政策を推し進めようとするから、宿老らの反発を受ける惧れがあるって。止めてくれって文官らに泣きつかれてるって言って困ってたわ」
「そうなのですか」
阿波局の言葉に相槌を打ちつつ、ヒメコは上の空だった。得体の知れない恐怖が身近に迫っている気がして、そっと自分の身を抱く。
——頼家殿が本当に目の前に現れたら自分はどうするだろう?どうすればいいのだろう?
その八月、頼家は征夷大将軍に任命された。
「江間の屋敷は新造した。また近くに泰時の屋敷も建てた。この秋に泰時は三浦の姫を娶ることになる。その前に鎌倉に一度戻って来い」
尾藤次郎が迎えに来てくれて、子ら三人を連れて鎌倉へと向かう。母は江間に残った。
「大分と鎌倉は変わったのですね」
火事や地震の為だろう。整備し直されて、見覚えのない建物があれこれ増えていたが、人の賑わいは変わらず、活気に溢れていた。
「お久しぶり」
時連が阿波局を連れて訪問してくれる。
「姫御前が鎌倉に戻ったって小四郎兄上から聞いてね。あ、でも御所に来ちゃ駄目よ。大姉上には内緒にしてるんだから」
「内緒?」
「ええ。だって、御所様に言ってしまいそうだから。安達殿の件があってから、美人の妻室を持ってる御家人らは皆、戦々恐々よ。ま、逆に美女を差し出して気に入られようって魂胆の輩もいるようだけどね」
「はぁ」
何と答えていいのか、曖昧に返事する。阿波局はシゲを抱き上げて笑顔を見せた。
「まぁ。二人とも大きくなったこと。さすが姫御前に似て、どちらも可愛いらしいこと。将来が楽しみだわ。あら、姫も産まれたのではなかった?」
「あ、はい。この子です」
言って、抱いていたカグヤを差し出す。途端、二人は噴き出した。
「小四郎兄にそっくり!」
「本当、この目元とか口元とか。ムゥってした雰囲気とか瓜二つ!」
「ムゥって、そんな」
思慮深そうだと言って欲しいと思いながら、ヒメコは二人に水菓子を出した。だが、出した途端にトモが駆け付けて手を出してくる。
「こら、トモ!」
叱って捕まえようとするが、捕まえられない。その首根っこをサッと捕まえてくれたのは時連だった。
「この悪戯っ子め。慌てなくてもお前の分はちゃんとあるのに」
「トモはきっと佐々木四郎殿みたいに先陣争いの好きな武将になるんでしょうね」
「佐々木四郎殿」
懐かしい響きに山木攻めの時のことを思い出す。
「佐々木高綱殿は今はどうされてるのでしょう?」
「何年か前に出家して嫡男に家督を譲っていた筈だよ。突然で驚いたよな」
「本当よね。先の将軍様も引き留めたのに、頑固というか一本気よね。私は姫御前が結婚しちゃったから傷心で、なんて思っちゃったんだけどね」
「え?」
「なぁんて言ったら小四郎兄に睨まれるから内緒内緒」
明るく笑う阿波局にヒメコも笑った。
「ちなみに姫姉ちゃん。俺も改名したから」
急に時連がそう言ったので驚く。
「俺も、って、あんたは僧になった訳ではないでしょ」
「当たり前だよ。俺はまだまだ頭を丸めたくないからね。あ、そういうわけで、俺はちょっと前から時連じゃなくて、北条五郎時房なんだ。宜しくね、姫姉ちゃん」
「ときふさ殿」
繰り返したら、時房がニヤッと笑った。阿波局がその頭をパコンと叩く。
「何をニヤニヤしてんのよ。あんたは、いつもそうやってヘラヘラしてるから京から来た公家になめられたのよ」
「いいじゃん、あいつらだってヘラヘラしてるんだから。真似しておけば仲間だと思われて警戒されないだろ?」
「だからって名前にケチ付けられて悔しくなかったわけ?佐殿が取り持って下さって付いた名だったのに」
「しょんないら。もう佐殿いないし、今は御所様に尻尾振っとく方がいいんだろ?」
サラリと言う時房。彼のそんなしなやかな猫のような所は昔から変わらない。
「それにさっき姫姉ちゃんに、ときふさって呼ばれて、やっと何だか自分の名前って気がしてきたから、もう平気」
そう笑う時房に対し、阿波局は溜息をついた。
「難癖付けられた感じで私は気分悪いけどね」
「難癖?」
「時連の連の字は銭を思わせる卑しい名だって、えーと誰だっけ?蹴鞠仲間の誰だかが御所様に言って、変えられちゃったのよね。御所様ったら昨年も頼時の、いや泰時の名を変えさせたし。先の将軍みたいな権威を見せつけたいのかしら。でもそれでコロコロ変えられる方はたまったもんじゃないわよね。今回の五郎の件に関しては、大姉上が、北条と三浦の間に亀裂を入れるつもりかって怒って。誰の差し金だとまで追及してたわ」
「北条と三浦?」
「ほら、五郎の烏帽子親は三浦義連殿だったから」
ヒメコは、ああと頷いた。北条と三浦は関係は長くて深い。コシロ兄の義時の義の字も三浦から貰ったのだろう。東国の武家は代々そうやって縁組を重ねて、いざの時に助け合えるよう関係を繋げている。
「ま、この秋には泰時が三浦義村殿の一の姫を妻に迎えるし、三浦と北条は問題ないでしょうけどね。八田氏と宇都宮氏は比企方に付くんじゃないかって父さんは睨んでたわ。五郎、あんたの正室の実家の足立氏も微妙よ。よくよく見張っておきなさい」
へーい、と気の無い返事をする時房を見ながらヒメコは先程阿波局が口にしていた「比企方」という言葉が気になっていた。「比企方」の対局にあるのは、やはり「北条方」なのだろう。鎌倉は既に二つに分かれようとしている。アサ姫はどうしているのだろうか?
その夏の盛りに江間の母から鎌倉に文が届く。
江間に偉そうな男が現れて、姫御前を出せと言っていたと書いてあった。
——偉そうな男?
思い当たるのは源頼家。七月に時房と共に狩に出掛けるとは聞いていた。
でも、まさか。そう思いつつ、その場に居なかったことに安堵してしまう。
「それはそうよ。小四郎兄は五郎から情報を取ってるもの。だから貴女を鎌倉に呼び戻したのよ。手元の方が安全だから」
何故、そんなに頼家に固執されるのか。思い当たる節がない。
「あら、小さい頃から姫御前に纏わりつこうとしてたじゃない。ほら、きっとあれよ。源氏物語で言えば、光源氏にとっての藤壺のような存在になっちゃってるんじゃない?」
「そんな」
──冗談ではない。
「それにしても強引で性急な振る舞いよね。何だか生き急いでいるみたい。大姉上が言ってたわ。頼家殿は焦っているようだって。御家人らの意見もあまり聞かずに色々新しい政策を推し進めようとするから、宿老らの反発を受ける惧れがあるって。止めてくれって文官らに泣きつかれてるって言って困ってたわ」
「そうなのですか」
阿波局の言葉に相槌を打ちつつ、ヒメコは上の空だった。得体の知れない恐怖が身近に迫っている気がして、そっと自分の身を抱く。
——頼家殿が本当に目の前に現れたら自分はどうするだろう?どうすればいいのだろう?
その八月、頼家は征夷大将軍に任命された。
0
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
鎌倉最後の日
もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!
旧式戦艦はつせ
古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。
勇者の如く倒れよ ~ ドイツZ計画 巨大戦艦たちの宴
もろこし
歴史・時代
とある豪華客船の氷山事故をきっかけにして、第一次世界大戦前にレーダーとソナーが開発された世界のお話です。
潜水艦や航空機の脅威が激減したため、列強各国は超弩級戦艦の建造に走ります。史実では実現しなかったドイツのZ計画で生み出された巨艦たちの戦いと行く末をご覧ください。


魅了が解けた貴男から私へ
砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。
彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。
そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。
しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。
男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。
元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。
しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。
三話完結です。
さようなら竜生、こんにちは人生
永島ひろあき
ファンタジー
最強最古の竜が、あまりにも長く生き過ぎた為に生きる事に飽き、自分を討伐しに来た勇者たちに討たれて死んだ。
竜はそのまま冥府で永劫の眠りにつくはずであったが、気づいた時、人間の赤子へと生まれ変わっていた。
竜から人間に生まれ変わり、生きる事への活力を取り戻した竜は、人間として生きてゆくことを選ぶ。
辺境の農民の子供として生を受けた竜は、魂の有する莫大な力を隠して生きてきたが、のちにラミアの少女、黒薔薇の妖精との出会いを経て魔法の力を見いだされて魔法学院へと入学する。
かつて竜であったその人間は、魔法学院で過ごす日々の中、美しく強い学友達やかつての友である大地母神や吸血鬼の女王、龍の女皇達との出会いを経て生きる事の喜びと幸福を知ってゆく。
※お陰様をもちまして2015年3月に書籍化いたしました。書籍化該当箇所はダイジェストと差し替えております。
このダイジェスト化は書籍の出版をしてくださっているアルファポリスさんとの契約に基づくものです。ご容赦のほど、よろしくお願い申し上げます。
※2016年9月より、ハーメルン様でも合わせて投稿させていただいております。
※2019年10月28日、完結いたしました。ありがとうございました!
札束艦隊
蒼 飛雲
歴史・時代
生まれついての勝負師。
あるいは、根っからのギャンブラー。
札田場敏太(さつたば・びんた)はそんな自身の本能に引きずられるようにして魑魅魍魎が跋扈する、世界のマーケットにその身を投じる。
時は流れ、世界はその混沌の度を増していく。
そのような中、敏太は将来の日米関係に危惧を抱くようになる。
亡国を回避すべく、彼は金の力で帝国海軍の強化に乗り出す。
戦艦の高速化、ついでに出来の悪い四姉妹は四一センチ砲搭載戦艦に改装。
マル三計画で「翔鶴」型空母三番艦それに四番艦の追加建造。
マル四計画では戦時急造型空母を三隻新造。
高オクタン価ガソリン製造プラントもまるごと買い取り。
科学技術の低さもそれに工業力の貧弱さも、金さえあればどうにか出来る!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる