【完結】姫の前

やまの龍

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第五章 明石

第26話 比企の娘たち

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 頭に被っていた笠を下ろして、薄布を介さず彼女と真っ直ぐ向き合う。

「謝られたくないでしょうけど、でもごめんなさい。それしか言えない。お祖母様が亡くなった後、貴女の行方をもっとしっかり探すべきだった。でも何故、葬儀の時に顔を出さなかったの?」


 そう、あの日に顔を見ていれば、彼女の兄、重時のいる江間へとそのまま連れて行けていた筈なのに。

 ヨリカはヒメコを真っ直ぐ見据えると、苦々し気に口を開いた。

「あんたの顔を見たくなかったから隠れたに決まってるだろ。比企の婆さんは、あんたのことを褒めてばかりで、あたしにはひどく辛く当たってた。巫女になる見込みなんて、あたしにはまるでないって。とっとと出て行けって。ヒミカは素質があったけど、お前はすぐにいじけて泣き出す。恨み言を言う。あらゆることを素直に受け入れようとする度量の広さがまるで足りない。まずはその性根を叩き直せって折檻ばっかりされてた。ヒミカは御所様の気に入りで、権威無双の女房となったそうだよって自慢気に言った後に、あたしには、お前はそのメソメソとイジイジが無くならないと御所になんか上げられやしない。いい加減、父や姉のことでウジウジ、グチグチするのは止めとくれ。これ以上辛気くさい顔をするなら、表に縄で吊るして野犬に襲わせるからねって」

 悔しそうに涙を流すヨリカの声をヒメコはじっと黙って聞いていた。確かに祖母ならそういう言い方をしたろう。実際、ヒメコも散々に貶され、仕置きされた。でもヒメコには近くに父母がいた。泣いたら慰めてくれる人がすぐ側にいた。でもヨリカは一人だったのだ。ヒメコはそっとヨリカへと寄った。

「ライカ、江間に行きましょう。江間には貴女の兄上がいらっしゃるから、家族の元で少しゆっくりしたら、きっと」

 差し出した手が、パンと叩かれる。

「北条に?ふざけないでよ。御免蒙るよ。私にはもう血の繋がった家族なんていない。比企の方々こそが家族なんだ」

「比企の方々って、比企能員殿の事?」

 ヨリカは答えずに、比企の屋敷へと目を向けた。そちらから聴こえる歓声にそっと耳を傾けている。

「比企の婆が死んで屋敷が荒れ果てて大分経ってから、比企の人たちがやって来て屋敷を壊し始めた。その時に隠れてた私を見つけて鎌倉へ連れて来てくれたんだ。血縁があることを知って、養女にするよう父君に頼んで下さったのが比企能員殿の一の姫の若狭様だった。若狭様は私の命の恩人。若狭様は若殿の乳姉妹で、一幡君のお母上。ゆくゆくは御台所となられるお方。若狭様はあたしに、女官になりたいなら、と綺麗な薄い比礼と共に比礼御前の名を下さって、若殿を通して御所に出仕出来るように推挙してくれた。私は若狭様の為なら何でも出来る。そう、姫御前、あんたを殺すことも」

 そう言って、ヨリカはヒメコに詰め寄り、垂れていた髪をその両手で掴んで引っ張った。目の前に迫る、ゆらゆらと揺れる瞳。

 ふと思う。もし、少しでも何かが違っていたら、ヒメコがライカになっていたかも知れないと。

「ヒミカ、早くここから去りな。殺されない内に」

 揺れる瞳に映るヒミカの姿。

——彼女は私だ。鏡に映る自分自身だ。

「姫姉ちゃん、行こう」

 時連がヒメコの手を引っ張る。行きかけて、でもヒメコは足を留めて振り返った。

「ヨリカ、比企の娘の役割は、主家である源家のお血筋を引くお子を護ること。私たちの祖母はそう言ってたわよね。貴女はちゃんとそれを守っている。だから貴女はマルに。いえ、メルに護られている」

 ヨリカはメルが駆けて行った方へと目を送った。そこには白いこんもりした存在が背を伸ばして座っていて、じっとこちらを窺っていた。

 タンポのことを思い出す。ああ、私の側にも居てくれたのだ。でも自分は比企の娘として何か出来ているだろうか?何が出来るだろうか?

一人では何も出来ない。今の自分では何の役にも立たない。それは分かっていてもヒメコは諦めたくなかった。ヒメコは手を引く時連を逆に引っ張って、御所へと向かう。

「時連様、私を御所に連れて行ってくださいませ」

「御所に?大姉上に会うの?」

「はい。阿波局様にもお会いしたいので」

「だけど、小四郎兄には鉢合わせしたくないんだろ?」

 ヒメコは頷いた。コシロ兄が今大変なのは重々承知している。余計な心配はかけたくなかった。

「隠し事するのはどうかと思うけどね」

そう言いつつ、時連はニヤッと笑った。

「ま、小四郎兄上は姫姉ちゃんのそういう所には慣れてるだろうけどさ。今、小四郎兄上は名越に行ってるみたいだよ。だから大姉上に会うなら今がいいだろうね。用が済み次第すぐ戻ってくるだろうから」

 ヒメコは時連に礼を言って御所へと上がった。勝手知ったる御所。でもどこかよそよそしく感じるのは、やはり頼朝が居ないせいだろうか。真っ直ぐアサ姫に挨拶に行こうとしたヒメコの手が引かれる。

「まずは小姉上を捕まえた方がいいと思うよ」

 言って、時連は通りがかった女官に何か耳打ちする。やがて阿波局が現れた。

「姫御前。来てくれたのね。会いたかったわ。あら、今日は五郎がお供?」

「途中で取っ捕まえたんだよ。比企の屋敷に行こうとしてたから」

「まぁ、比企なんて一体どうしてまた」

「じゃあ俺はその比企に蹴鞠しに行ってくるから」

 手を上げて去る時連にヒメコは頭を下げた。その姿が見えなくなった途端に、阿波局に引っ張られる。

「で、比企で何を見て来たの?」

「いえ、中に入ったわけでなく、比礼御前様と少し立ち話をしただけです」

 「ふぅん。一幡君はいらした?」

「いえ、お見かけしませんでした」

 阿波局はもう一度ふうんと唸ると、大姉上に会いに来たのでしょ、と言ってヒメコを案内してくれた。御所内は大勢の人が立ち動いたような雑多な気配が残っていて、何となく落ち着かない。

「尼御台様、姫御前がご挨拶をと参内しています。入っても差し支えないでしょうか?」

 少ししてから諾の返事が聞こえ、ヒメコは阿波局と共に中へと入った。


「ヒメコ、丁度良い所に来たわ。先程やっと色々終わって、肩の荷が下りた所なのよ」

 そう言って微笑んだアサ姫は、以前に会った時より少しやつれていたが、その声には意外と張りがあってヒメコはホッとする。阿波局がアサ姫の脇に腰を下ろし、膳を引いてきて食事の用意を整える。

「やっとゆっくり食事が出来るわね、姉上」

「まぁね。後は頼家に任せるわ。皆が付いてくれているから平気でしょう」

 やれやれ、と椀に箸を付けるアサ姫。

「若殿が将軍職をお継ぎになったとか。おめでとうございます」

 頭を下げる。だがアサ姫は曖昧に返事をした。

「まだ将軍ではないの。ただ、頼家宛に、亡き殿の後を継いで諸国守護を奉じるようにとの輪旨が出たので、頼家主導で諸事を開始させねば、とずっと準備していて、やっと先程、その吉書始めが終わった所なの」

「そうだったのですね」

 吉書始め。頼朝も年の初めに日を選んで行なっていた。政務開始の儀だ。

「でも最初は良かったのだけれど、途中から意見が纏まらなくなって、どうしようかと思ったわ。皆、口々に勝手なことを言い出すし、頼家にはまだそれを抑える力が足りないしね」

「そうなのですか」

「で、とりあえず今日は解散。また日を改めることになったの。最初だからしょんないわね。時を待つしかないのかしら」

 その時、戸がいきなり開いて誰かが入って来た。一瞬、頼朝かと思ってしまう。

「母上、では私はこれにて失礼します」

 頼家だった。
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