【完結】姫の前

やまの龍

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第五章 明石

※外伝 一夜の夢、一塵の香、一生の瑕 2

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 私の名は海野小太郎幸氏。信濃国に領土を持つ御家人。十数年前に木曽の御大将、源義仲殿の御曹司である志水冠者義高殿の従者として鎌倉へ来た。

 主人である木曽義高殿は、鎌倉の主である源頼朝殿の一の姫の婿として鎌倉に迎えられたが、その実態は人質だった。一年後、一族が仕えた御大将、義仲殿は敗走中に討ち死にし、父と兄らは皆処刑され、その首は獄門に晒された。

 数ヶ月後、若殿は御所を脱走するも入間川のほとりで首を撥ねられた。その時、私は若殿を逃がす為に身代わりとして御所に留まっていて捕らえられ、尋問された。

 源頼朝殿と相対した信濃の有力武将、海野幸親の嫡男であり、義高殿の母を姉に持つ身の上の自分は義高殿に続いてすぐ殺されるだろうと思っていた。だが何故か殺されず、暫く江間殿に預けられた後に弓の腕を買われ、奥州征討の後に御家人として迎え入れられた。そこに御台所と一の姫の口添えがあったらしいことを後から知った。裏に信濃の領土を狙っていた武田と鎌倉の間の微妙な確執があったことも幸いしたのだろう。それでも一の姫は私の命の恩人であり、何より主人の大事な許婚者だった人。触れていい相手ではけっしてなかった。それが何故、今こんなことになっているのか。

「妻になるということが何を意味するのか分かっていて口にされているのですか?」

 やっとのことでそれだけを口にする。彼女は、ええ、と答えて押さえられた腕の肘を曲げ、その細い指先を私の腕へと添わせた。愛おし気に。

「貴方に触れたい。触れられたい。一夜だけでいいから貴方の妻になりたい。そう思ってここへ来たの。全て覚悟してるわ」

 そう言いながらも、こちらを見上げる彼女の瞳に浮かぶ微かな怯えの色。それを見て、辛うじて残っていた理性が口を開かせる。出て来たのは酷く冷たい声だった。


「分かりました。ご希望に沿いましょう」

 彼女がハッと息を呑んで自分を見上げる。

「嫌ならそう声を上げて下さい。だが、ここは私の館。駆け付けてくる警護の者を私は追い払える。だから止めるなら今です。今なら傷一つ付けずに安全に送らせましょう。でも今を逃せば、私は貴女に安全を約束出来ません。貴女は来てはならぬ所に来てしまったのですから」

 言って、脅すように鋭く睨み付ける。

 去って欲しかった。ちょっとした気の迷いだと手の届かぬ所へ行ってしまって欲しかった。でもそう願う一方で、彼女を手離したくもなかった。どうか拒絶して自分を撥ね退けてくれ。今ならまだ間に合う。そう思いながら彼女の抵抗を待つ。だが待ちながらも掴んだ手から力を抜くことが出来ない。


——触れてはいけない人。でも、だからこそ、ずっと触れたかった人。その人が今、自分の腕の中にあった。
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