【完結】姫の前

やまの龍

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第四章 葵

第16話 晴れの顔見せ

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「母上、お帰りなさいませ」

 トモを抱いて江間の屋敷へ戻ると金剛が笑顔で迎えてくれた。

「金剛、弟ですよ。おかげで無事に産まれました」

 言って、金剛へと抱き渡す。金剛は恐る恐る受け取って膝の上に乗せ、白い布の中の子の顔を覗き込んだ。

「わぁ、可愛い。小さいですね。壊れてしまいそうです」

「壊れないから平気ですよ」

 そう言った所で、ふと思い出す。

「あ、お産の時に貴方が渡してくれた、神功皇后のえーと、何とか石を握り潰してしまったの。御免なさい」

 謝る。

「ああ、月延石ですね。神功皇后は月延石をお腹に当てて子のお産を遅らせたと聞いたので、咄嗟に庭の石を拾って御守り代わりにとお渡ししたのです。無事に産まれて良かった。それにしても、あんな固い石を握り潰すなんて、さすがは母上。またはお産とはそんなに過酷なものなのでしょうか」

「え、過酷?」

 過酷だっただろうか。そう言われるとそうだったかもしれないけれど、阿波局が教えてくれた通り、あっという間だった気がする。

 金剛は感心頻りといった顔でヒメコを見ながら、小さく和歌を口ずさんだ。

「しろかねもくがねもたまも何せむに まされる宝 子にしかめやも」


 首を捻ったヒメコの後ろで低い声がした。

山上憶良、万葉集だな」

 コシロ兄が戻ってきていた。

「あ、父上、お帰りなさい」

 金剛がトモを膝の上に抱えたまま頭を小さく下げる。

「殿、お帰りなさいませ」

ヒメコはその場で手をついて挨拶した。

「産屋から無事戻ってきたか」

「はい。お陰様でこちらに戻ってこられました。有難う御座います」

 コシロ兄はチラと金剛を見て、

「それは弟だぞ。先の歌は親の心を歌ったものだろう」

 そう言った。金剛がにこっと微笑む。

「父上と母上の心境を想像したら、この歌が思い浮かんだのです」

 そう言ってトモをヒメコに返す。ヒメコがコシロ兄にトモを渡そうとしたら、コシロ兄は、いや、と手を振り奥へと入って行き、少しして着替えて戻ってくる。

「外は埃っぽいからな」

 そう言ってヒメコからトモを受け取り、顔を覗き込む。

「少し見ないだけで顔が変わるものだな。最初は真っ赤で本当に人の子かと思ったものだが、今はしっかり人の子の顔をしている」

「まぁ、ひどい」

 ヒメコが軽く怒ってみせた途端、トモが泣き出す。コシロ兄は慌ててトモをヒメコに返した。トモをあやすヒメコを見ながら、フジが盆に乗せて差し出した白湯を飲み干し、口を開く。

「将軍様と御台さまから沢山の祝いの品を頂戴した。落ち着いたら顔を見せに来いと。明日にでも共に参内するか?」

 ヒメコは先の阿波局の言葉を思い出し、一瞬迷ったが頷いた。

「はい、参ります」

 コシロ兄は金剛を見た。

「では金剛、明日はお前も供をしろ」

「宜しいのですか?」

「ああ。将軍家がそなたの顔を見たいと仰せだった」


 翌日、アサ姫に以前に縫って頂いた真っ白の産着をトモに着せてコシロ兄と金剛と共に屋敷を出る。

 大路を歩くのは久しぶりで少し緊張する。鎌倉の町は変わらず人通りが多くて賑やかだ。トモを隠すようにしてソロソロと歩く。


「将軍様、御台さま。この度は沢山のお祝いを有難う御座いました」


 御所に入り、頼朝とアサ姫の前でコシロ兄と共に頭を下げる。

「まぁ、ヒメコ。早速連れて来てくれたのね。有難う。さ、お顔を見せて」

 アサ姫の言葉にヒメコはトモを抱いて前に進んだ。トモをアサ姫に抱き渡す。

アサ姫が歓声を上げた。

「まぁ、小さな頃の小四郎にそっくり!ね、佐殿。ほら、見て。思い出しませんこと?」

 興奮したらしいアサ姫は頼朝のことを久々に佐殿と呼んでいた。頼朝もトモの顔を覗き込むなり破顔一笑する。

「まこと!小四郎そのものではないか。懐かしいのぅ。小四郎が産まれたのは私が伊豆に来て二、三年の頃だったな。弟が産まれたのだとアサが自慢しに抱えてくるから顔を覗いたら真っ赤な顔の猿がいて驚いたものだった」

 そう言って爆笑する。

「将軍様、猿とは余りに」

 コシロ兄が控え目に異を唱える。昨日自分でも似たようなことを言った癖にと思いながらヒメコはそっと笑った。

「産着を使ってくれているのね。有難う。猿なんてとんでもない。貴公子のようよ」

 アサ姫がとりなしてくれる。その時、れた声が響いた。

「馬子にも衣装ですかな」

 ビクリとする。入って来たのは北条時政だった。

「父上、気配を隠して立ち聞きするなんて人が悪いですわ」

 やんわりと非難するアサ姫。だが時政は知らぬ顔で頼朝とアサ姫に慇懃に礼をしてからスズイと前に出てアサ姫の腕の中のトモの顔を覗いた。

「おお、これが小四郎の子か。何と可愛らしい子ではないか。さすがは姫御前の産んだ子と言うべきか。これは将来が楽しみだな」

 言ってヒメコに向き直る。

「よく男児を無事に産んでくれた。これで北条の血は安泰だ。これからも小四郎を頼むぞ」

 初めて見る時政の満開の笑顔にヒメコは半ば戸惑いつつ畏まって頭を下げる。

「ほれ、儂にも抱かせてくれぬか。その子は私の初の内孫ぞ」

 言ってアサ姫から強引にトモを受け取ると、手馴れた風に身体を揺らし始める。トモが盛大に泣き始めたが時政は動じない。泣き声に合わせて、ああだの、ううだのと、まるで返事をしているかのように腰を揺らしていた。

「小四郎、また後日、名越にも連れて遊びに来いよ。おぉ、おぉ、大きくて良い声だ。この子はきっと先陣を切るような勇ましい武将になるぞ」

 泣き叫ぶトモをしっかと抱いてゆらゆらと揺れながら時政は広間を出て行った。ヒメコは呆気に取られながらも、どこかホッとしていた。やっとコシロの妻として認めて貰えたような気がしたのだった。

「やれやれ。舅殿は赤子がお好きなのか。千幡の時もなかなか手放さぬから皆で呆れたものだったが」

 アサ姫がフンと鼻を鳴らした。

「きっと自分が腹黒いことを自覚しているから無垢なものに惹かれるのでしょうね」

 頼朝が慌てる。

「これ、アサ。まだお近くにいたらどうする。そなたは昔からそうやってすぐ父君に反抗するのだから」

 アサ姫は笑った。
「いいんですよ。向こうも分かってますから」

 暫くしたら、トモの泣き声が聞こえなくなった。眠ったのかもしれない。

「おい、小四郎。少し様子を見て来い」

 頼朝の命でコシロ兄が立ち上がった。

 続いてアサ姫が金剛に向かい、隣に置いてあった膳を差し出す。

「金剛、大姫がそなたに会いたがっていました。小御所に居るから、この菓子を持って行って、大姫や乙姫と一緒に召し上がれ」

 金剛は礼を言って立ち上がると膳を手に下がって行った。

 広間には頼朝夫妻とヒメコだけになる。頼朝がパチンと扇を閉じてヒメコに向かう。

——来た。

 ヒメコは身構えた。
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