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第四章 葵
第14話 謀と盾
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コシロ兄はヒメコに真っ直ぐ向き直った。
「お前はこの件についてこれ以上関わるな。今は出産のことだけ考えていろ」
でも、と言葉を継ごうとしたら、肩を掴まれた。
「案ずるな。此度のことはほぼ想定内のこと。将軍は次の手を考えておられる」
「殿は?」
コシロ兄が首を傾げる。
「殿も将軍のお考えを分かって動いてらっしゃるのですか?」
コシロ兄は少しだけ首を傾げた。
「将軍のご深慮には到底及ばぬが、ある程度のお考えは聞かせていただいて理解しているつもりだ。でなければ盾になれぬからな」
盾。
家の子筆頭として寝所を護る人数に入れられた時からずっとそういう立場なのはわかっているけれど、改めてそう言われると心が押し潰されそうになる。
コシロ兄がヒメコの肩を掴んでいた手を離し、スッと前に出た。ヒメコの頰をひと撫でし、耳朶を軽く摘んで首筋に優しく触れる。
「平気だ。俺は悪運が強いらしい。それに鎌倉きっての女房が側に居てくれる。仁王様という神将も味方だ。天に背かぬ限り、しぶとく生き延びてみせる」
そこでひと息つく。
「だから、お前もその子もどうか無事でいてくれ」
首筋に添えられた掌から熱い想いが伝わる。
ヒメコは黙って頷いた。
この子を無事に産まねば。
と、腹の中のトモが大きく手足を伸ばした。
「あいたたた」
お腹が突っ張って悲鳴を上げたヒメコにコシロ兄が笑って言った。
「早く出たいと言っているかのようだな。すぐに首を突っ込みたがり、せっかちなのは母親譲りだな」
それからヒメコの後ろに回り、後ろからヒメコを抱きしめ、腹を撫でて静かに言う。
「ちゃんと動けるようになってから慌てず出て来い。待ってるからな」
温かい大きな手。その掌に撫でられ、背にコシロ兄の温もりを感じながらヒメコはそっと目を閉じた。
早く出てきて欲しいような、まだまだお腹の中に居て欲しいような不思議な気持ち。
そんな夜が明けて、コシロ兄は御所へと出かけて行った。
でも、それから暫く戻らない日が続く。
そんなある日、来客があった。阿波局だった。
「あらあら、随分お腹が大きくなって。もういつ産まれてもおかしくないのではない?」
「そうなんでしょうか。よくわからなくて」
素直にそう答えたら、阿波局はプッと吹き出した。
「相変わらずのんびりさんね。怖くないの?」
ヒメコは首を傾げた。
「よくわかりません」
「そうなのよね。ホント、生むが易しって俗に言われる通りよ。よく分からない内になんか始まって、よく分からないうちに終わって。で、終わったらスカッと全て忘れちゃうものだから平気、平気」
カラカラと笑い飛ばしてから、そっとヒメコのお腹に頰を寄せる。
「いいなぁ。産んでお腹がぺしゃんこになると、すっきりはするんだけどなんだか寂しくなっちゃうのよね」
しんみりした口調の阿波局に同調してヒメコも腹を撫でたら阿波局が続けた。
「で、あんだけ痛い思いして、もう二度と生むもんかって思ったのに、やっぱりもう一人くらい産んでもいいかなぁって思っちゃうんだから不思議よねぇ」
そう言って自らの腹をパンと叩いて見せる阿波局。
「へぇ、そうなんですか」
相槌を打ちつつ、ふと途中の言葉に引っかかる。
あんだけ痛い思い?
「あの。あだけって一体どれだけ痛いんですか?」
「え?」
キョトンとした顔の阿波局。その腕にしがみつく。
「刺されるような痛みなんですか?それとも踏まれるような?」
「え?ああ、どのくらい痛いかって?」
コクコクと頷くヒメコに阿波局はそれから暫し黙って左手の方を見ながら、うーん、うーんと考えていたが、
「そうね。言葉で表せないくらい、かな。でも平気よ。終わればあっという間だから。生きてれば」
「生きてれば」
「ええ。自分も子どもも無事に生きてれば、あっという間だったと思うわ。もし子どもが亡くなったら、きっとその後が地獄だったと思うけど、私は運良く私も子どもも無事だった。だからあっという間。平気よ。自分が死んだらそれまでだし、子が死んだら、それはそれでしょんない。また次の子を産むしかないわ」
まぁ、確かにその通りだ。
「そうですね。しょんない、と天に任せるしかないのですね」
そうよぉと明るく笑う阿波局を見る内にヒメコも肚が座ってきた。
「で?産まれたら自分で育てるの?乳母に頼むの?」
問われ、
「御台さまのように私も自分で育てたいです」
う答えていた。
「そう言うと思っていたわ。京では許されないでしょうけど、ここは東国だものね。二人目が遅くなるかも知れないけど、好きにさせて貰えるなら思う通りにしたらいいと思うわ」
「京では許されないんですか?」
「そうなんじゃないの?牧の方なんか完全に丸投げだもの。それより早く次の子を産まなきゃって焦ってる感じだったわ。ま、父もいい歳だしね」
「へぇ」
そんな話をしている内にあっという間に時が過ぎる。
「あ、いけない。戻らなきゃ」
立ち上がりかけた阿波局がヒメコの側につと戻り、そっと口を寄せる。
「常陸の辺りが不穏なの。大姉上が姫御前に相談したいって。また来るわね」
「あ、あの、ありがとうございました」
その時コシロ兄が帰って来て、阿波局はその横をすり抜けて行く。
「あら、小四郎兄。お邪魔したわね。じゃあ、また来るから宜しくね!」
阿波局はそう言って駆けて行った。
「騒々しい奴だ。何をしに来たんだ?」
苦笑するコシロ兄に微笑み返す。
「お産の激励に来て下さったのだと思います」
勇気づけられたような脅かされたような。でも彼女の言う通り、何があってもしょんないと肚を括るしかないのだろう。
最後の常陸の辺りが不穏だということとアサ姫が相談したいと言ってることはコシロ兄には言えなかった。
常陸。
そう言えば、常陸国の鹿島社は二十年に一度の大祭がある筈だけれど、それは今年ではなかっただろうか?
「お前はこの件についてこれ以上関わるな。今は出産のことだけ考えていろ」
でも、と言葉を継ごうとしたら、肩を掴まれた。
「案ずるな。此度のことはほぼ想定内のこと。将軍は次の手を考えておられる」
「殿は?」
コシロ兄が首を傾げる。
「殿も将軍のお考えを分かって動いてらっしゃるのですか?」
コシロ兄は少しだけ首を傾げた。
「将軍のご深慮には到底及ばぬが、ある程度のお考えは聞かせていただいて理解しているつもりだ。でなければ盾になれぬからな」
盾。
家の子筆頭として寝所を護る人数に入れられた時からずっとそういう立場なのはわかっているけれど、改めてそう言われると心が押し潰されそうになる。
コシロ兄がヒメコの肩を掴んでいた手を離し、スッと前に出た。ヒメコの頰をひと撫でし、耳朶を軽く摘んで首筋に優しく触れる。
「平気だ。俺は悪運が強いらしい。それに鎌倉きっての女房が側に居てくれる。仁王様という神将も味方だ。天に背かぬ限り、しぶとく生き延びてみせる」
そこでひと息つく。
「だから、お前もその子もどうか無事でいてくれ」
首筋に添えられた掌から熱い想いが伝わる。
ヒメコは黙って頷いた。
この子を無事に産まねば。
と、腹の中のトモが大きく手足を伸ばした。
「あいたたた」
お腹が突っ張って悲鳴を上げたヒメコにコシロ兄が笑って言った。
「早く出たいと言っているかのようだな。すぐに首を突っ込みたがり、せっかちなのは母親譲りだな」
それからヒメコの後ろに回り、後ろからヒメコを抱きしめ、腹を撫でて静かに言う。
「ちゃんと動けるようになってから慌てず出て来い。待ってるからな」
温かい大きな手。その掌に撫でられ、背にコシロ兄の温もりを感じながらヒメコはそっと目を閉じた。
早く出てきて欲しいような、まだまだお腹の中に居て欲しいような不思議な気持ち。
そんな夜が明けて、コシロ兄は御所へと出かけて行った。
でも、それから暫く戻らない日が続く。
そんなある日、来客があった。阿波局だった。
「あらあら、随分お腹が大きくなって。もういつ産まれてもおかしくないのではない?」
「そうなんでしょうか。よくわからなくて」
素直にそう答えたら、阿波局はプッと吹き出した。
「相変わらずのんびりさんね。怖くないの?」
ヒメコは首を傾げた。
「よくわかりません」
「そうなのよね。ホント、生むが易しって俗に言われる通りよ。よく分からない内になんか始まって、よく分からないうちに終わって。で、終わったらスカッと全て忘れちゃうものだから平気、平気」
カラカラと笑い飛ばしてから、そっとヒメコのお腹に頰を寄せる。
「いいなぁ。産んでお腹がぺしゃんこになると、すっきりはするんだけどなんだか寂しくなっちゃうのよね」
しんみりした口調の阿波局に同調してヒメコも腹を撫でたら阿波局が続けた。
「で、あんだけ痛い思いして、もう二度と生むもんかって思ったのに、やっぱりもう一人くらい産んでもいいかなぁって思っちゃうんだから不思議よねぇ」
そう言って自らの腹をパンと叩いて見せる阿波局。
「へぇ、そうなんですか」
相槌を打ちつつ、ふと途中の言葉に引っかかる。
あんだけ痛い思い?
「あの。あだけって一体どれだけ痛いんですか?」
「え?」
キョトンとした顔の阿波局。その腕にしがみつく。
「刺されるような痛みなんですか?それとも踏まれるような?」
「え?ああ、どのくらい痛いかって?」
コクコクと頷くヒメコに阿波局はそれから暫し黙って左手の方を見ながら、うーん、うーんと考えていたが、
「そうね。言葉で表せないくらい、かな。でも平気よ。終わればあっという間だから。生きてれば」
「生きてれば」
「ええ。自分も子どもも無事に生きてれば、あっという間だったと思うわ。もし子どもが亡くなったら、きっとその後が地獄だったと思うけど、私は運良く私も子どもも無事だった。だからあっという間。平気よ。自分が死んだらそれまでだし、子が死んだら、それはそれでしょんない。また次の子を産むしかないわ」
まぁ、確かにその通りだ。
「そうですね。しょんない、と天に任せるしかないのですね」
そうよぉと明るく笑う阿波局を見る内にヒメコも肚が座ってきた。
「で?産まれたら自分で育てるの?乳母に頼むの?」
問われ、
「御台さまのように私も自分で育てたいです」
う答えていた。
「そう言うと思っていたわ。京では許されないでしょうけど、ここは東国だものね。二人目が遅くなるかも知れないけど、好きにさせて貰えるなら思う通りにしたらいいと思うわ」
「京では許されないんですか?」
「そうなんじゃないの?牧の方なんか完全に丸投げだもの。それより早く次の子を産まなきゃって焦ってる感じだったわ。ま、父もいい歳だしね」
「へぇ」
そんな話をしている内にあっという間に時が過ぎる。
「あ、いけない。戻らなきゃ」
立ち上がりかけた阿波局がヒメコの側につと戻り、そっと口を寄せる。
「常陸の辺りが不穏なの。大姉上が姫御前に相談したいって。また来るわね」
「あ、あの、ありがとうございました」
その時コシロ兄が帰って来て、阿波局はその横をすり抜けて行く。
「あら、小四郎兄。お邪魔したわね。じゃあ、また来るから宜しくね!」
阿波局はそう言って駆けて行った。
「騒々しい奴だ。何をしに来たんだ?」
苦笑するコシロ兄に微笑み返す。
「お産の激励に来て下さったのだと思います」
勇気づけられたような脅かされたような。でも彼女の言う通り、何があってもしょんないと肚を括るしかないのだろう。
最後の常陸の辺りが不穏だということとアサ姫が相談したいと言ってることはコシロ兄には言えなかった。
常陸。
そう言えば、常陸国の鹿島社は二十年に一度の大祭がある筈だけれど、それは今年ではなかっただろうか?
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