【完結】姫の前

やまの龍

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第3章 鎌倉の石

第69話 火事のあと

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 次に意識が戻ったら、見知らぬ部屋に寝かされていた。

「あ、姫御前。起きた?」

 見下ろしていたのは金剛だった。金剛は後ろを振り返って声を上げる。

「父上、姫御前が目を覚ましました」

ここは何処だろう?御所ではない。比企の屋敷でもない。懸命に記憶を辿る。確か祭りがあって、比企の屋敷に戻って、夜に火事に巻き込まれて、由比の浜に逃げて、コシロ兄が来てくれて。徐々に思い出していくけれど、どうしてここに辿り着いたのかが全く記憶にない。

「あの、此処は?」

尋ねたら低い声が答えた。

「中原親能殿の屋敷だ。由比から近かったので此方に避難させて貰った」

「中原様?」

 そう言われて中原兄は三幡姫の乳母夫をつとめているのだったと思い出す。


「左腕の具合はどうだ?」

「左腕?」

 問われて左に首を巡らしたヒメコは激痛に襲われた。

「あ、動いたらあかん!あんたさんは腕をパンパンに腫らして運ばれて来たんやで。やっと熱が引いて来た所やのに動いてまた熱が上がったらどないしますねん」

久しぶりに聞いた威勢のいい声に面食らう。恐る恐る目を向けたら摂津局の丸顔がヒメコを見下ろしていた。

「あの、摂津局さまが何故ここに?」

「そりゃあんた、御所が燃えて、私ら皆、焼け出されましてん。で、殿と一緒に義兄上の所にご厄介になっとるんですわ。ほんま、たまげたわぁ。鶴岡若宮から御所まで全部燃やし尽くされてしもたんですから。ほんま火ぃは気をつこてもつこても、遣い過ぎるちゅうことありまへんなぁ」

 変わらぬ摂津局の勢いに呑まれかけるが、途中の言葉に耳が留まる。

「え、御所が燃えた?」

 聞き間違いかと自由になる右腕で身体を起こす。でも引っ張られた左腕がきしんでヒメコは倒れかけた。

「摂津局の言う通りだ。起き上がるな」

 コシロ兄に支えられ、ヒメコはコシロ兄を見上げた。

「御所まで燃えてしまったの?佐殿は?御台さまは?姫さま方は?」

「佐殿、いや、前右大将は甘縄の藤九郎殿のお屋敷に避難された。御台さまと姫さま方は名越の北条の屋敷に居られる」

「そうですか」

 ヒメコはホッと息をついた。

「既に諸国の御家人が鎌倉に群参して来ていて、御所と八幡宮の再興の計画が進められている。私はそれに立ち会い、材木の手配を進めたり前右大将の警護をしたりせねばならない。済まないが、鎌倉が落ち着くまでの間、暫く金剛を預かってくれないだろうか?名越にという話もあったのだが、牧の方は動物が苦手。比企朝宗殿にお話しした所、比企には猫も居るとのことで快諾頂いた」

 ヒメコは頷いた。

「はい、金剛君のことはお任せください」

 その時、戸が開いて中原親能が顔を出した。
「邪魔するぞ」

 身体が満足に動かないので目礼だけをする。

「お助けいただき有難う御座いました」

 親能はいや、と答えると

「災難だったな」

 言ってコシロ兄の隣にドカリと腰を下ろした。それから胡座の膝に肘をついてヒメコの左腕に目を送る。

「だが姫御前、大姫の庭での御田植え祭の時より酷いな。あまり無理をすると命を縮めるぞ」

途端、ギロリとコシロ兄に睨まれてヒメコは身を縮こめる。

「はい」

 それから数日後、ヒメコは金剛と共に比へと向かった。比企までの道はコシロ兄に支えられて馬で向かった。金剛はその後ろを馬で付いてきた。

 コシロ兄に抱き抱えられ、ゆっくりと流れてゆく景色。

 初めてコシロ兄の馬に乗せられて比企に向かった時を思い出し、ヒメコはそっと微笑んだ。

 もっと狭いデコボコ道を風のように駆け抜けた。コシロ兄のことを盗っ人だと思い込んでいた。途中で山賊に遭って恐ろしい思いをした。でもコシロ兄が守ってくれた。あれからもう何年経つのか。


 思えば、ヒメコが求める時にはいつもコシロ兄がいてくれた。少し離れたところから見守ってくれていた。でも、今はその熱を感じる程に側にいる。


——私も、この人の助けになりたい。支えになれたら。



「何を考えている?」

 問われ、顔を上げる。

「あ、はい。初めてコシロ兄の馬に乗せられた時のことを思い出してました」

 するとコシロ兄は苦い顔をした。

「忘れろ」

「え?」

「思えば、あの時からお前に助けられてばかりだ」

 思いがけぬ言葉にコシロ兄をまじまじと見上げる。

「俺はまだまだ力が足りない。あの時からちっとも変わってないような気すらする」

そんなことは、と言おうとしたたけど、その前にヒメコの唇は塞がれていた。熱く迫ってくる炎のような気配。

 やがて少しして熱が離れていく。

 代わりにヒメコの身体を抱き留める腕の力が増した。

「でも、護るから。この命を懸けて護るから。だから」

——側にいてくれ。


低い声が耳元で紡ぐ言葉。ヒメコは自由になる右手をコシロ兄の腕に添わせて、きゅっとその袖を掴んだ。

「はい」




 比企庄に着き、ヒメコは抱え下された。

 途端、
「ヒミカ!貴女、その怪我は一体どうしたの?」

母の悲鳴が聞こえて、しまったと思う。

 もう少し治ってから父と来れば良かった。

「何てひどい姿に!一体どういうことですの?」

 ひどい剣幕でコシロ兄に噛みつこうとする母にヒメコは慌てる。

「あ、あの、母さま。この怪我は私がうっかり失敗をしてしまったんです。痛みはもうありませんし、あと二、三日眠れば治りますので」

「そんな腫れが二、三日で治るものですか!まぁ何て酷い目に!ちょっと!どうしてくれますの?」

母がコシロ兄に詰め寄る。

「申し訳ございません」

 コシロ兄が頭を下げた。

「江間様のせいじゃありません!」

 叫ぶも母は止まらない。

「申し訳ございませんで済む話じゃありません!一体何だってこの子がこんな目に!ああ、どうしたらいいの?一体どうしたら!」

 こうなると母は止まらない。やっぱり父と戻るのだったと悔やむ。

 その時、ガシャンと音がして、振り返れば祖母が縁に座って皿を投げていた。

ガシャン。

ガシャン。

 破片が飛んで、母が悲鳴をあげる。

「ああ、もう。うるさいねぇ。いい加減におし!怪我が心配なら、その怪我人を前にギャンギャン喚くんじゃないよ。いいからさっさとその子を奥に運んで貰いな!ほら、ボケッと突っ立ってんじゃないよ。聞こえないのかい?早く床を用意しといで!」

 久々に聞く祖母の怒鳴り声。

母は、はいぃと甲高い返事をして駆けて行った。

 ヒメコはコシロ兄の腕にしがみつく。

「ごめんなさい。母は気が立ちやすいのです。この怪我はコシロ兄のせいではありません。後できちんと話をしますから、どうか母の無礼をお許しください」

 コシロ兄はヒメコを見た。

「いや、確かに私に責がある。お母君がお怒りになるのは当然だ」

 それから金剛を振り返った。

「金剛、馬を頼む。比企の頭領は縁に座っていらっしゃるあの御仁だ。佐殿の乳母で、大恩ある方。くれぐれも失礼のないようにな」

 言って、ヒメコを抱えて比企の屋敷へと入る。奥に用意された部屋にヒメコを横たえるとコシロ兄は母の前で手をついた。

「誠に申し訳がございません。姫君は私の嫡男を守る為に怪我をされました。全て私の不行き届きです」

「いいえ、江間様のせいではありません!私が至らなかったせい。どうか頭を下げないでください!母さま、後でちゃんと話しますから、だからお願い。江間様を責めないで」

「ヒミカは寝てなさい!」

「お前は寝てろ!」

 重なる声。

 と、ククク、と忍び笑いが聞こえて祖母が現れた。
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