【完結】姫の前

やまの龍

文字の大きさ
上 下
114 / 225
第3章 鎌倉の石

第66話 兄弟

しおりを挟む

 年明けすぐから鎌倉は普段通りの暮らしに戻った。

 頼朝は京で右大将の官位を授かったが、すぐに辞任したので、「御所様」ではなく、「前右大将」と呼ばれるようになった。

「右大将では京を離れられぬからな。大将軍を貰うまでは諦めぬぞ」

 大将軍。坂上田村麻呂だろうか。それになると何が変わるのか分からないながら、右大将でも満足せずに上を狙い続ける頼朝に戸惑う。だが比企に生まれた自分はそれに付いて行くしかないのだろう。
 年明け落ち着いた頃に江間の屋敷を訪れる。

「金剛君、タンポの様子は」と声をかけたら、手を引っ張られ、部屋まで引っ張って行かれた。

「どうかなされたのですか?」

問うたら、金剛は眉を吊り上げた。

「困るよ。父上は猫が苦手だって知らなかったの?」

「え?江間様は猫が苦手なのですか?」

 金剛はシッと口を指で抑えて辺りを見回してからヒメコを部屋に押し込んだ。

「河越重時殿が教えてくれたんだ。江間の屋敷に猫が入り込んだ時に慌てて逃げて行ったって。猫は苦手だと言ってたんだって」

「逃げて行った?」

 金剛は頷いてヒメコを睨みつけた。

「姫御前の巫女の力ってアテにならないんだね」

「では、タンポは今何処に?」

 金剛はヒメコを部屋の隅に手招きして呼んだ。

 大きな行李の中に小さな籠と砂を敷き詰めた桶。古布で作られた寝床らしき所からタンポがひょこりと顔を出した。

「あ、タンポ。出て来るな。そう、大人しくしてて」

 言って、タンポの上に布を掛ける金剛。


「行李の中に隠してるんだけど、近頃は動きが激しくて逃げ出そうとするから弱ってるんだ。どうしよう?」

「お父君とお話はされました?」

 金剛は首を横に振った。

「年末から出たり入ったり忙しそうで、たまに顔を見るくらいだし、猫が苦手って聞いたら話せないよ。ね、このまま隠しておけないかな?」

 ヒメコは行李の中でカリカリと爪を研いでいるタンポを眺めた。大分大きくなっている。閉じ込めておこうとしてもそろそろ限界だろう。

「猫は気ままで自由な生き物です。もうそろそろ外に出してやる時期。閉じ込めておくのは可哀想なのでは?」

 途端、金剛はヒメコを叩いてきた。

「嫌だ、タンポは夜に一緒に寝てるんだ。金剛の上で寝てるんだよ?居なくなったら寂しいよ」

 涙目で訴える金剛。

 こんな金剛は初めて見るような気がする。もしかしたら自分はまた彼にとって罪なことをしてしまったのかも知れない。

 でも猫はひいなとは違う。生きているもの。

「比企の屋敷で祖母は白猫を飼っていますが、その猫は昼間は外で遊び、夕方になるとご飯を食べに帰ってきて祖母の隣で眠っていました。居なくなることはないと思います。ただ自由に屋敷を出入り出来るようにしておかないと戻って来られなくなりますが」

「どういうこと?」

「猫には縄張りがあります。危険な場所と思うと近付きません。だから少しずつ外に慣らしつつ、安全な住処は江間の金剛君の部屋だと覚えさせる必要があります」

「どうやって覚えさせるの?」

「昼に何回か共に外に出て、また部屋に戻ってご飯を与えて共に寝ればすぐに覚えましょう。最初は逃げたり迷子にならないように紐でも付けて共に動いてみて、慣れてきたら放しても平気でしょう。ただ、帰ってきた時に追い出されるようでは安全な住処と言えなくなってしまうので、家内の者が皆、タンポは金剛君の猫だとわかっていないといけません」

「藤五とフジはわかってるよ」

ええ、と答えてからヒメコは言った。

お父君にお話しなさいませ。猫を飼いたいと」

「お許し下さるだろうか?」

「わかりませんが、このまま隠して飼っていることがわかってしまう方がきっと良くないと思います」

 途端、金剛はまたヒメコを叩いた。

「わからないってなんだよ!姫御前が最初に私に任せるから悪いんだ」

 ヒメコは御免なさいと謝った後に続けた。

「私も共に、飼うお許しをいただけるようお願いします。話さずに諦めるのではなく、認めてくれるまで粘るのです」


 金剛はヒメコを蹴った。

「簡単に言うな。他人事だと思って」

「いいえ、他人事ではありません。私に責任があります。だから許して下さるまで私は粘るつもりです。それに江間様は貴方が心から願えば願いを聞いて下さると私は信じています」

「それで認められなかったらどうするんだよ?」

 ヒメコは逆に聞いた。

「金剛君はどうしますか?タンポを取りますか?父君に従ってタンポを手放しますか?」

 金剛は行李を見て歯を食い締めた。

「タンポは手放せない。タンポを手放せと言われるならここを出て行く」

 ヒメコは頷いた。
「そのご覚悟があるなら私も覚悟を決めます。許されなかったら、タンポと共に比企に行きましょう」

「え?」

「私の実家です。馬にはもう乗れますね?」

 頷く金剛に最低限の荷物だけ纏めるように話すとヒメコは金剛が持ち出してきた物を布に包んで部屋の中央に置いた。

 やがてコシロ兄が帰って来たようで、フジが金剛を呼ぶ声がした。金剛は立ち上がると部屋を出て行って、少ししてコシロ兄を連れて戻って来た。

「何事だ?相談とは?」

部屋の中央に金剛の荷を包んだ大きな布。その横にヒメコ。そして行李の前に金剛。

 金剛が行李の蓋を外した時、ヒメコはコシロ兄に問うていた。

「江間様、一つお伺いしていいですか?猫が苦手と聞きましたがどの程度苦手なのでしょうか?」

 コシロ兄は、一体何を言い出すのかという顔をした。

「見るだけでも怖いのでしょうか?触らなければ平気ですか?」

「何を突然。何の話だ?」

「お教えください。どの程度の距離なら許せますか?大きさは?仔猫なら、小さければ怖くないと思うのですが、それでも苦手でしょうか?」

「誰がそんなことを言った。何故そんなことをしつこく聞く。確かに猫は苦手だが、別に怖いわけではない」

カリカリ。ミュウ。カリカリ。ミュウ。ガツッ。

 行李の開いた蓋の陰からタンポがひょこりと顔を出した。コシロ兄がギョッとした顔をして僅かに後退る。

 その瞬間、金剛が頭を床につけた。

「父上、お願いです。この子を飼わせて下さい!大事な猫なんです。弟が出来たようで嬉しかったんです。夜は一緒に眠っているのです。父上が猫がお嫌いと聞いて悩んだのですが、やはり一緒に居たいのです。どうかここに住まわせてください。金剛の食事を減らしてくれて構いません。父上の部屋には入れないようにします。だからどうかこの子が江間の屋敷にいることをお許しください!」

 コシロ兄は頭を下げる金剛を暫し見つめた後にヒメコを見た。ヒメコも頭を下げた。

「どうか許して差し上げてくださいませ。私も出来る限り補佐してご迷惑のかからぬようにしますから」

 頭を上げたら、コシロ兄は金剛をじっと見て言った。

「金剛。弟のように、と言ったが、本当の弟が出来たらどうするのだ?」

 金剛は真っ直ぐコシロ兄を見返して答えた。

「その子はタンポの弟になります。金剛が長男で、次男がタンポ。三男がその子です」

 コシロ兄はヒメコを見た。

「だそうだ。言い出したら聞かない兄弟を抱えることになりそうだが、それで構わないのだな?」
ヒメコは頷いた。
「大丈夫です。どの子も立派なマスラオに育てます」
コシロ兄はため息をついて横を向いた。でもその目は少し笑っているように見えた。
「二人がそれ程言うなら好きにすればいい。だが金剛、口にした以上は責任を持ち、行ないで示せよ。私の部屋には大切な書類がある。くれぐれも中に入れぬように」
「はい!」 
「また、何か願いがある時は誰かの助けを借りずに自分の口で直接言え」
「はい、申し訳ありませんでした。有難う御座います。以後気を付けます」
金剛はそう言って行李から飛び出したタンポを両手で抱え上げ、胸に抱くとコシロ兄に向かって頭を下げた。
コシロ兄は黙って部屋を出て行った。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

陸のくじら侍 -元禄の竜-

陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた…… 

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

隠密同心艶遊記

Peace
歴史・時代
花のお江戸で巻き起こる、美女を狙った怪事件。 隠密同心・和田総二郎が、女の敵を討ち果たす! 女岡っ引に男装の女剣士、甲賀くノ一を引き連れて、舞うは刀と恋模様! 往年の時代劇テイストたっぷりの、血湧き肉躍る痛快エンタメ時代小説を、ぜひお楽しみください!

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

矛先を折る!【完結】

おーぷにんぐ☆あうと
歴史・時代
三国志を題材にしています。劉備玄徳は乱世の中、複数の群雄のもとを上手に渡り歩いていきます。 当然、本人の魅力ありきだと思いますが、それだけではなく事前交渉をまとめる人間がいたはずです。 そう考えて、スポットを当てたのが簡雍でした。 旗揚げ当初からいる簡雍を交渉役として主人公にした物語です。 つたない文章ですが、よろしくお願いいたします。 この小説は『カクヨム』にも投稿しています。

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

倭国女王・日御子の波乱万丈の生涯

古代雅之
歴史・時代
 A.D.2世紀中頃、古代イト国女王にして、神の御技を持つ超絶的予知能力者がいた。 女王は、崩御・昇天する1ヶ月前に、【天壌無窮の神勅】を発令した。 つまり、『この豊葦原瑞穂国 (日本の古称)全土は本来、女王の子孫が治めるべき土地である。』との空前絶後の大号令である。  この女王〔2世紀の日輪の御子〕の子孫の中から、邦国史上、空前絶後の【女性英雄神】となる【日御子〔日輪の御子〕】が誕生した。  この作品は3世紀の【倭国女王・日御子】の波乱万丈の生涯の物語である。  ちなみに、【卑弥呼】【邪馬台国】は3世紀の【文字】を持つ超大国が、【文字】を持たない辺境の弱小蛮国を蔑んで、勝手に名付けた【蔑称文字】であるので、この作品では【日御子〔卑弥呼〕】【ヤマト〔邪馬台〕国】と記している。  言い換えれば、我ら日本民族の始祖であり、古代の女性英雄神【天照大御神】は、当時の中国から【卑弥呼】と蔑まされていたのである。 卑弥呼【蔑称固有名詞】ではなく、日御子【尊称複数普通名詞】である。  【古代史】は、その遺跡や遺物が未発見であるが故に、多種多様の【説】が百花繚乱の如く、乱舞している。それはそれで良いと思う。  【自説】に固執する余り、【他説】を批判するのは如何なものであろうか!?  この作品でも、多くの【自説】を網羅しているので、【フィクション小説】として、御笑読いただければ幸いである。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

処理中です...