【完結】姫の前

やまの龍

文字の大きさ
上 下
104 / 225
第3章 鎌倉の石

第56話 局

しおりを挟む
「あの、ハカって何かご存知でしょうか?痛いらしいと聞いたのですけど、どんな痛みなのかわからなくて」

 誰かに教えて貰おうと、下げられた菓子を盆に乗せ、控えの間でそう問うたら、その場がしんと静まり返った。

 それからドッと上がる笑い声。目を瞬かせるヒメコに年配の一人の女官が近付いてきて隣に腰を下ろし、ヒメコの手を引いてその場に腰を下ろさせた。

「姫御前、知らぬことを人に尋ねるは良いことなれど、場と相手をお考えなさい。破瓜はかとは男女の営みが初めての場合の女に起こること」

「え!」

ヒメコは手にしていた盆を取り落としてしまった。菓子がバラバラとその場にばら撒かれる。

 局は零れ落ちた菓子を丁寧に盆に拾い集めながら続けた。

「破瓜の痛みは人それぞれ。月の障りの寡多かたがそれぞれ違うんと同じ。ただ言えるんは、その行為が誤ちや災難でないなら、破瓜の痛みなぞ笑うてまうくらい軽いことや。幸せな心持ちで臨むならばそないおそろしことありまへん。出産も同じ。子に逢える思うたら、痛みなどどこぞへ飛んでってまう。やなかったら二人も三人も産めますかいな。なぁ?」

「え、あ、はぁ」

 よくわからないままに局の勢いにつられて相槌を打つ。

 この局とは顔は何度か合わせていたが、殆ど言葉を交わした事がなかったのでどう対応していいのかわからない。

 と、他の女房が口を挟んだ。

「確かにねぇ。一人産んだ時にはもう二度と御免と思ったのに気付けばもう一人、二人と欲しくなるものですものねぇ」

「まこと、子は宝。夫はどうでも諦めがつくけど子ばかりは可愛くてねぇ」

 気付けば、部屋に残っていたのは年配の女房たちばかりだった。若い女官達はいつの間にか逃げたらしい。どうしよう?自分も逃げるべきか。そう思えど、局は目を輝かせて膝を詰めてくる。

「姫御前は巫女やから結婚なさらぬものかと勝手に思うとりましたが、そんな心配をなさるようになったとはねぇ。へぇ、そういうことですか。そりゃ宜しかった。そろそろ巫女も上がり時なんやねぇ。そういうことやろ?な?」

「あ、はい、もう少ししましたら恐らく」

 局の勢いに呑まれて、ついそう答えてしまったヒメコに、その年配の局は軽く何度か頷いて見せるとニッと口の端を上げて言った。

「巫女様には指導など到底出来ぬ私でしすが、妻や母としての心得なら先輩として多少はご指導出来ましょう」

「え、ご指導?」

 繰り返したヒメコに局は目を細めると大きく頷いた。

「ええ。私は中原広元の妻。ここでは摂津局と呼ばれております。子も成長して暇なので御所で女官指導などしとります。ま、小煩い姑みたいなもんですわ」

「はぁ」

「妾は別として、正室として結婚するんなら、縁組は結局は家同士のこととなります。で、漏れなく付いてくるんが家人や親族。お人にもよりますが、舅、姑というもんはなかなかに手強いもの。御所勤めをしていたなどというと舐められてネチネチいじめられたりもします。それをバァンと跳ね返し、明るく強く逞しく生き抜く女を作るのが私のここでの務め。私はそう勝手に決めましてん。夫はどうせ忙しゅうて滅多に帰って来ぉへんし、これ幸いと、何ぞ私にも出来ることおまへんかと御台様に直談判してみましたら、女官頭のお役目を賜り、おかげで十も二十も若返りましたわ。ほんま、生き甲斐があるってええなぁ」

 言って摂津局はカラカラと笑った。

 よく喋る人だ。その声も大きく迫力があって、まるで立て板に水。息継ぎすら勿体無いかのように押し寄せる言葉に相槌を打つ間もない。そうして喋り倒しながらも、先程ヒメコが持ったきた菓子を摘んでは口に放り込み、ポリポリ音を立てて食頬張りつつ喋り続ける。ヒメコは摂津局のよく動く口と目と手と肩とに見入っていた。京の言葉とはまた少し違って、早くてよくわからない所もあるけれど、でも楽しそう。気付くとヒメコも楽しくなって笑っていた。中原弟の妻ということだけど、あの寡黙な広元とどんな会話をしてるのだろうかと想像してしまう。きっと彼女が喋り倒して広元は黙って聞いているだけなのだろう。でもそれで上手くいってるのだ。夫婦は性質が違う方が上手くいくとよく聞く。コシロ兄は寡黙でいつも冷静だ。ならば自分は賑やかでもいいのかもしれない。呆れられないようにと、近頃は大人びた振る舞いを心掛けていたけれど、もっと自分らしく生きてもいいのかもしれない。コシロ兄は呆れながらも「しょんない」と許してくれていたのだから。

 そうしてコシロ兄のことを思い出した途端、コシロ兄に会いたくなった。上洛してしまう前にやっぱりもう一度会いたい。文のお礼と、待ってますの一言を伝えなくては。

 ヒメコは慌てて笠を被ると外へ飛び出した。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

鎌倉最後の日

もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

あづま日記(頼朝と政子の出逢い

やまの龍
歴史・時代
平治の乱で敗れて伊豆に流された まだうら若き頼朝が、初めて政子と会った話。

旧式戦艦はつせ

古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。

勇者の如く倒れよ ~ ドイツZ計画 巨大戦艦たちの宴

もろこし
歴史・時代
とある豪華客船の氷山事故をきっかけにして、第一次世界大戦前にレーダーとソナーが開発された世界のお話です。 潜水艦や航空機の脅威が激減したため、列強各国は超弩級戦艦の建造に走ります。史実では実現しなかったドイツのZ計画で生み出された巨艦たちの戦いと行く末をご覧ください。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

異世界転移しましたが、面倒事に巻き込まれそうな予感しかしないので早めに逃げ出す事にします。

sou
ファンタジー
蕪木高等学校3年1組の生徒40名は突如眩い光に包まれた。 目が覚めた彼らは異世界転移し見知らぬ国、リスランダ王国へと転移していたのだ。 「勇者たちよ…この国を救ってくれ…えっ!一人いなくなった?どこに?」 これは、面倒事を予感した主人公がいち早く逃げ出し、平穏な暮らしを目指す物語。 なろう、カクヨムにも同作を投稿しています。

野鍛冶

内藤 亮
歴史・時代
 生活に必要な鉄製品を作る鍛冶屋を野鍛冶という。  小春は野鍛冶として生計をたてている。  仕事帰り、小春は怪我をして角兵衛獅子の一座から捨てられた子供、末吉を見つけ、手元に置くことになった。  ある事情から刀を打つことを封印した小春だったが、末吉と共に暮らし、鍛冶仕事を教えているうちに、刀鍛冶への未練が残っていることに気がつく。  刀工華晢としてもう一度刀を鍛えたい。小春の心は揺れていた。

処理中です...