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第3章 鎌倉の石
第53話 奥州征伐
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七月の十九日に頼朝は奥州へと向かう。先陣は畠山重忠。
頼朝の後陣にコシロ兄と五郎時連の姿を見つけてヒメコは掌を合わせる。
「さぁ、行くわよ?」
八幡姫の声に合わせて女官達が一斉に立ち上がり、掌に乗せた白い紙を投げ上げた。
——ファサファサッ!
軽い音と共に白い紙は羽が生えたように空へと舞い上がる。今はちょうど山から海へと吹き下ろす北風。白い紙は白鳩へと姿を変え、男たちの上を舞い飛んで行く。
「これは吉兆!皆の者、奥州を平定し、この国を一つに纏めて戻るぞ!」
「オオッ!」
歓声と鬨の声と共に出掛けて行く男たちを見送り、女たちは互いに手を叩いて出陣式の成功を祝った。
「さぁ、私たちは食事をいただきましょう」
アサ姫の呼びかけに、女官たちは皆それぞれ準備に取り掛かる。ヒメコも三幡姫の仕度を手伝おうとして気付く。アサ姫はまだ男たちの出掛けて行った先を眺めていた。
「御台さま」
声をかけたら、アサ姫は振り返って微笑んだ。
「此度はそう長い戦にはならないと思うわ。きっとすぐ帰ってくるわよ」
ヒメコは頷いた。コシロ兄もそう言っていた。奥州に雪が降る前に戻らねばならないと。
「ヒメコ、少しだけ三幡をお願いね」
言われて三幡姫を受け取る。ずっしりとした重みが八幡姫の時を思い出して懐かしい。
「母上、何処へ行くの?」
八幡姫が声をかけるのに顔を上げれば、アサ姫が笠を被って外へ出ようとしていた。
「八幡宮へ。ヒメコ、後はお願いね」
ヒメコは返事をして見送った。八幡姫が立ち上がりアサ姫を追いかける。
「大姫さま」
どうしようかと立ち上がりかけたら
「私が行くわ。姫御前は乙姫様をお願いね」
そう言って阿波局が二人を追いかけてくれた。
少しして戻って来たのは八幡姫だった。
「母上は八幡宮でお百度詣りをしていたわ。大軍勢で行ったから心配ないのにね」
そう言いながらもその表情は柔らかく温かかった。
「はい。きっとすぐお戻りですね」
ヒメコは頷いてお百度詣りをしているアサ姫の姿を思い浮かべた。
どんなに味方が多かろうと心配は尽きないのだろう。頼朝は常に命を狙われている。その心中を想い、ヒメコは御台所というアサ姫の立場の重さと妻として母として一人の女としての強さに改めて憧れを抱いた。
もし本当にコシロ兄が自分を望んでくれて妻となることが出来たら、自分もアサ姫のように強くなりたい。夫を支える妻に。
東北に向かった軍勢からは進軍の状況が続々入ってきた。十日後には白河関を越え、泰衡の異母兄国衡の軍と当たり矢合わせがなされたが、東国の大軍の前に国衡の軍は敗れたらしい。
八月、泰衡は城を追われ、平泉の本拠地を通り過ぎたが、平泉の館に立ち寄る間も無く、ただ郎党らに命じて高床の倉庫や宝物館に火を点けさせたらしく、館と共に奥州藤原三代の栄華は滅びた。
泰衡は更に深山に逃げたが、頼朝の軍が厨河に着いた時に泰衡の郎従が泰衡の首を持参した。そこで前九年、後三年の役の先例に倣って泰衡の首を懸けさせたという報せが入った。
その報告を受けたアサ姫は軽いため息を吐いた。
「御所様はそこまで父祖の例に倣ったのですか」
ヒメコが不思議に思ってアサ姫を見るとアサ姫は首を横に振った。
「前九年、後三年の役の時に御所様の祖先の源頼義殿が安倍貞任を討ち、その首を丸太に釘で打ち付けて朝廷に送ったのですって。その再現をしたのでしょう。でも何故そんな拘りを見せるのか私には分かりません。女だからかも知れませんが正直な所は理解出来かねます」
そう小さく呟いた後、パンと手を叩いて空気を変えるようにして女官達に声をかけた。
「御所様は暫く平泉の寺社を巡られてから帰途に着くとのこと。男衆が戻るまでには今暫く時がかかりましょう。でも勝ち戦は間違いのないこと。京へも使者が向かいました。私たちはあとは心安らかに男たちの帰りを待つばかり。御所様から奥州の珍しい食べ物が届いてます。今日は戦勝を祝って後で皆でいただきましょうね」
わっと歓声が上がる中、アサ姫はまたひっそりと出掛けて行った。今度はヒメコは三幡姫を阿波局に任せて後を追う。
ア サ姫は八幡宮に入り、戦勝の報告をしているようだった。ヒメコはその背中を静かに見守った。
結局、頼朝の軍が鎌倉に戻って来たのは十月の半ば過ぎだった。鎌倉も随分冷え込んで来ていた。だがまだ戦後処理の為に幾らかの御家人は奥州に残って残党処理や奥州藤原氏の領土や寺社の確認などを行なっていた。
また京とのやり取りも盛んで、頼朝はコシロ兄が言っていた通り、翌年には報告の為に上洛すると返答をしていた。そうして慌ただしくしている間に年が明ける。だが頼朝はまだ落ち着かない。奥州はもう雪深い筈。深追いはしないと言っていたのにと思いながらいたら、やがてその理由がわかった。
「義高殿の名を騙る者が出羽国で謀叛を起こしているらしいの」
阿波局の言葉にヒメコは驚いて八幡姫の部屋の方を窺う。
「でも同時期に同国の別の場所で義経殿の名を騙る者も現れたらしいのよ。だから奥州の残党が鎌倉を混乱させようと画策しているのだろうと、また近く軍勢が送られる筈よ」
「そうなのですか」
義高の名が騙られたと八幡姫が知ったらと思うと気が気でない。早く落ち着いてくれないかと心から願う。
コシロ兄は奥州から無事戻って来ていたが、伊豆北条に呼ばれたり頼朝に呼ばれたりと、あちこち出掛けているようでヒメコは全く会えずにいた。八重と金剛の様子を伺いに何度か江間の屋敷には行ったが、コシロ兄はやはり殆ど顔を見せていないという。
そんなある日、ヒメコは小御所で三幡姫をあやしていた。
「姫御前」
呼ばれて振り返る。でも誰も居ない。
「姫御前、ここ。庭」
子どもの声。それも聞き覚えのある子の。
まさか。
ヒメコは慌てて立ち上がると隣に居た八幡姫に三幡姫を預けて縁に出た。
「金剛君!」
果たして縁の下に居たたのは金剛だった。
頼朝の後陣にコシロ兄と五郎時連の姿を見つけてヒメコは掌を合わせる。
「さぁ、行くわよ?」
八幡姫の声に合わせて女官達が一斉に立ち上がり、掌に乗せた白い紙を投げ上げた。
——ファサファサッ!
軽い音と共に白い紙は羽が生えたように空へと舞い上がる。今はちょうど山から海へと吹き下ろす北風。白い紙は白鳩へと姿を変え、男たちの上を舞い飛んで行く。
「これは吉兆!皆の者、奥州を平定し、この国を一つに纏めて戻るぞ!」
「オオッ!」
歓声と鬨の声と共に出掛けて行く男たちを見送り、女たちは互いに手を叩いて出陣式の成功を祝った。
「さぁ、私たちは食事をいただきましょう」
アサ姫の呼びかけに、女官たちは皆それぞれ準備に取り掛かる。ヒメコも三幡姫の仕度を手伝おうとして気付く。アサ姫はまだ男たちの出掛けて行った先を眺めていた。
「御台さま」
声をかけたら、アサ姫は振り返って微笑んだ。
「此度はそう長い戦にはならないと思うわ。きっとすぐ帰ってくるわよ」
ヒメコは頷いた。コシロ兄もそう言っていた。奥州に雪が降る前に戻らねばならないと。
「ヒメコ、少しだけ三幡をお願いね」
言われて三幡姫を受け取る。ずっしりとした重みが八幡姫の時を思い出して懐かしい。
「母上、何処へ行くの?」
八幡姫が声をかけるのに顔を上げれば、アサ姫が笠を被って外へ出ようとしていた。
「八幡宮へ。ヒメコ、後はお願いね」
ヒメコは返事をして見送った。八幡姫が立ち上がりアサ姫を追いかける。
「大姫さま」
どうしようかと立ち上がりかけたら
「私が行くわ。姫御前は乙姫様をお願いね」
そう言って阿波局が二人を追いかけてくれた。
少しして戻って来たのは八幡姫だった。
「母上は八幡宮でお百度詣りをしていたわ。大軍勢で行ったから心配ないのにね」
そう言いながらもその表情は柔らかく温かかった。
「はい。きっとすぐお戻りですね」
ヒメコは頷いてお百度詣りをしているアサ姫の姿を思い浮かべた。
どんなに味方が多かろうと心配は尽きないのだろう。頼朝は常に命を狙われている。その心中を想い、ヒメコは御台所というアサ姫の立場の重さと妻として母として一人の女としての強さに改めて憧れを抱いた。
もし本当にコシロ兄が自分を望んでくれて妻となることが出来たら、自分もアサ姫のように強くなりたい。夫を支える妻に。
東北に向かった軍勢からは進軍の状況が続々入ってきた。十日後には白河関を越え、泰衡の異母兄国衡の軍と当たり矢合わせがなされたが、東国の大軍の前に国衡の軍は敗れたらしい。
八月、泰衡は城を追われ、平泉の本拠地を通り過ぎたが、平泉の館に立ち寄る間も無く、ただ郎党らに命じて高床の倉庫や宝物館に火を点けさせたらしく、館と共に奥州藤原三代の栄華は滅びた。
泰衡は更に深山に逃げたが、頼朝の軍が厨河に着いた時に泰衡の郎従が泰衡の首を持参した。そこで前九年、後三年の役の先例に倣って泰衡の首を懸けさせたという報せが入った。
その報告を受けたアサ姫は軽いため息を吐いた。
「御所様はそこまで父祖の例に倣ったのですか」
ヒメコが不思議に思ってアサ姫を見るとアサ姫は首を横に振った。
「前九年、後三年の役の時に御所様の祖先の源頼義殿が安倍貞任を討ち、その首を丸太に釘で打ち付けて朝廷に送ったのですって。その再現をしたのでしょう。でも何故そんな拘りを見せるのか私には分かりません。女だからかも知れませんが正直な所は理解出来かねます」
そう小さく呟いた後、パンと手を叩いて空気を変えるようにして女官達に声をかけた。
「御所様は暫く平泉の寺社を巡られてから帰途に着くとのこと。男衆が戻るまでには今暫く時がかかりましょう。でも勝ち戦は間違いのないこと。京へも使者が向かいました。私たちはあとは心安らかに男たちの帰りを待つばかり。御所様から奥州の珍しい食べ物が届いてます。今日は戦勝を祝って後で皆でいただきましょうね」
わっと歓声が上がる中、アサ姫はまたひっそりと出掛けて行った。今度はヒメコは三幡姫を阿波局に任せて後を追う。
ア サ姫は八幡宮に入り、戦勝の報告をしているようだった。ヒメコはその背中を静かに見守った。
結局、頼朝の軍が鎌倉に戻って来たのは十月の半ば過ぎだった。鎌倉も随分冷え込んで来ていた。だがまだ戦後処理の為に幾らかの御家人は奥州に残って残党処理や奥州藤原氏の領土や寺社の確認などを行なっていた。
また京とのやり取りも盛んで、頼朝はコシロ兄が言っていた通り、翌年には報告の為に上洛すると返答をしていた。そうして慌ただしくしている間に年が明ける。だが頼朝はまだ落ち着かない。奥州はもう雪深い筈。深追いはしないと言っていたのにと思いながらいたら、やがてその理由がわかった。
「義高殿の名を騙る者が出羽国で謀叛を起こしているらしいの」
阿波局の言葉にヒメコは驚いて八幡姫の部屋の方を窺う。
「でも同時期に同国の別の場所で義経殿の名を騙る者も現れたらしいのよ。だから奥州の残党が鎌倉を混乱させようと画策しているのだろうと、また近く軍勢が送られる筈よ」
「そうなのですか」
義高の名が騙られたと八幡姫が知ったらと思うと気が気でない。早く落ち着いてくれないかと心から願う。
コシロ兄は奥州から無事戻って来ていたが、伊豆北条に呼ばれたり頼朝に呼ばれたりと、あちこち出掛けているようでヒメコは全く会えずにいた。八重と金剛の様子を伺いに何度か江間の屋敷には行ったが、コシロ兄はやはり殆ど顔を見せていないという。
そんなある日、ヒメコは小御所で三幡姫をあやしていた。
「姫御前」
呼ばれて振り返る。でも誰も居ない。
「姫御前、ここ。庭」
子どもの声。それも聞き覚えのある子の。
まさか。
ヒメコは慌てて立ち上がると隣に居た八幡姫に三幡姫を預けて縁に出た。
「金剛君!」
果たして縁の下に居たたのは金剛だった。
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