【完結】姫の前

やまの龍

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第3章 鎌倉の石

第48話 蛙の唄

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姫御前、お水を飲める?」

 声をかけられて瞼を持ち上げる。阿波局だった。頷いて身を起こす。
「小四郎兄が姫御前に聞きたいことがあると言ってるんだけど明日にしましょうか?」

 ヒメコは首を横に振った。彼女のことが気になっていた。

コシロ兄と共に中原親能も入って来た。

「まだ具合が悪そうな所を悪いな」
 ヒメコは首を横に振る。

「あの女の人はどうなりました?」

「女はとりあえず土牢に籠めた。尋問にかけるがすぐに殺されることはないだろう」

 ヒメコはホッとして頷いた。コシロ兄が問うてくる。

「何故、俺に捕縛しろと言った?」

 コシロ兄の声は冷たい。目も合わせてくれない。

「捕縛されなかったら斬られてしまうと思ったからです」

「彼女が御所様への殺意を持っていたことを何処で知った?」

「田の中です」

「刃物が見えたのか?」

「いえ。でもそう感じたのです」
コシロ兄はそうかとだけ答えて顔を背けた。

「怪力が出るのはいつも左腕と聞いたが間違いないか?」

今度は波中太に問われ、頷く。

「元々は左利きだったのか?」

首を傾げる。

「そう言われれば、祖母がそんなことを言っていたかもしれません」

 親能は頷いた。

「恐らく神懸かると普段は眠らせている力が出てくるのだろう。無意識に出る手が利き手ということ。だが身体にはその力に見合う筋肉がないので耐えかねて悲鳴を上げたと言う所だろうな。今後はその力は無闇と使わない方がいい。身体を壊すぞ」

 ヒメコははぁと頷いた。と、親能がニヤリと笑った。

「そう言えば、姫御前を妻に欲しいと御家人衆が御所様の所に殺到してるらしいぞ。り取り見取りだな」

「え?」

「田植での勇姿に惚れた男どもが、姫御前をくれと言って来てるらしい。ただ御所様お気に入り、権威無双の女房だからな。並の御家人には下されないだろうと、何か手柄を立てる手立てはないものかと各々画策してるとか。まぁ、手近な所なら近くあるだろう奥州攻めかと準備に勤しんでるようだ。さすがは権威無双の女房殿だな」

「田植での勇姿?」

 どうしてあんなのが?

 そう思うが、勝手に盛り上がられても困る。チラとコシロ兄を見たが、コシロ兄は無表情のままそっぽを向いている。

「お、そろそろ戻らねば。とにかくそういうわけでその力は自重しろよ」

 言って親能は行ってしまった。続いてコシロ兄も立ち上がって去ろうとする。

 ヒメコは咄嗟に左手を出しかけて慌てて戻すと右手でコシロ兄の袴の裾を掴んだ。

「あの、ありがとうございました」

 コシロ兄が首を傾げてヒメコを見下ろす。

「捕縛して下さって。おかげで殺されずに済みました」

「知り合いか?」

 首を横に振る。
「いえ、知りません。でも殺されたら可哀想だと思って」

「そのくらい覚悟の上で刃物を手にしていただろう。可哀想とお前が思うのは間違っている」

「そうかも知れません。でもそれでも一言くらいは言わせてあげたかったんです」

 コシロ兄は大きな溜め息をついた。

「御所様は常に狙われている。いちいち敗者の言い分を聞いていたら国造りは進まない。治安も乱れ、却って無駄に殺される人数が増えるばかりだ」

 ヒメコは黙ってコシロ兄の顔を見つめた。言ってることはわかる。理解は出来る。それでも屈したくないのは自分の我儘なのだろう。

「申し訳ありませんでした。でもありがとうございました」

 礼をして頭を上げる。コシロ兄はいつの間にかヒメコの前に座っていた。

「お前のそういう所が俺は苦手だ。そして同時にひどく惹かれる。息苦しくなる。閉じ込めておけたらいいのに。時としてそう思うのだ。頼むからもう左手は使うな。縛っておけ」

「は?」

 耳を疑う。縛る?
「それでは働けません」

 素っ頓狂な声を出したヒメコに気まずくなったのかコシロ兄は目を逸らすと、そのくらいの心持ちで動けと言ってるんだ、と足し、立ち上がって去って行った。

 ヒメコはハァと溜め息をついてまた伏せ、上掛けを被ってからふと気付く。

「やだ、こんな格好で」

熱のせいでぼんやりしていて単姿のまま二人と話してしまった。親能は妻帯者だ。どうとも思わなかったろう。でもコシロ兄に見られた。途端、また熱が上がった気がする。横になって目を閉じ、蔀戸から聴こえてくる蛙の声を聴きながら気付く。コシロ兄も妻帯者だった。八重様がいる。それに自分はどうせ色気も足りない。だから別に何とも思わなかっただろう。ただきっと居心地の悪い思いをさせてしまった。それで目を合わせてくれなかったのか。ヒメコは自分のうっかりに改めて深く悔いながら蛙の鳴き声に遠い伊豆の風景を思い出していた。

 伊豆でもコシロ兄によく怒られてたっけ。そしていつも助けて貰っていた。 

「え、縛る?」

閉じ込めておけたらいいのに。

そう言われた。そんなに自分は危なっかしいのだろうか。それとも?

 遠く近く聴こえるような蛙の鳴き声に耳を傾けながら、ヒメコはコシロ兄を想った。

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