【完結】姫の前

やまの龍

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第3章 鎌倉の石

第28話 鬼武者

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「どういう事ですか!」

 アサ姫が頼朝に言い募っていた。

「義高殿は貴方が勝手に姫の婿と決めて添わせたもの。それを自分の勝手で木曽殿との和睦を反故にして攻め滅し、婿殿の命まで取るとは!貴方はそれでも武士ですか!」

「源義仲を討ったのは私の勝手ではない。院宣によるもの」

「それを出させたのは貴方でしょう」
頼朝は横を向いた。

「ともかく木曽に謀叛分子が居る以上、義高を生かしておくわけにはいかなかったのだ」

「貴方も十二で流され、その後に反旗を翻したからですか」

 アサ姫の言葉は頼朝の痛い所を突いたらしい。頼朝は顔を真っ赤にして怒鳴った。

「疑わしきは葬り去らねばこの鎌倉は守れぬ。その何処が悪い」

「鎌倉を?」
「そうだ」
「貴方の大願とは鎌倉を守ることでしたか?」

 アサ姫の問いに頼朝が眉を顰める。

「私が惚れた男は、この世を変えたいと。京の都に巣食う悪党共を駆逐して、古き佳き争いのない神代に戻すのだと言っていました。あれは方弁ですか」

「何を言う。その為に今こうして平家を追討する準備をしているのではないか」

 アサ姫がフンと鼻を鳴らした。

「ご自分の娘も思い遣れないような男がいくら平家を追討しようと、古き佳き争いのない神代になど戻せるものですか」

 頼朝が渋い顔をする。

「姫はあれから一言も喋らず、食も水も摂りません。あの子にもしものことあれば、私は貴方を殺して共に死にます」

「水も摂らぬだと?まことか?」

 頼朝がヒメコを見たのでヒメコは頷いた。

 八幡姫は義高の首こそ離したものの、それ以降何も反応せず、水も摂らず眠らず、虚ろな目で壁に寄りかかっていた。

「水くらい無理にでも飲ませろ。それでも母親か」

頼朝の言葉にアサ姫が冷たい目を投げかける。

「そもそもこうなったのは、あんな幼い子を無惨に殺し、その首を槍で突き刺して笑って戻ってくるような恥知らずな男をこの鎌倉に置いておいた貴方の責任。東国の武士は荒くれというより野伏せりまがいの無法者ばかり。平家追討などより、先ず、この鎌倉に集う男達をしっかりと統制出来ていないご自分を恥じて改めなされ!」

 頼朝はぐうの音も出ず黙って奥へ入って行った。

 だが少しして頼朝はヒメコを呼んだ。

「八幡はどうなる?平気なのか?」

 ヒメコは答えられずにただ頼朝を見返した。

「首は僧正に丁寧に供養して貰ったが、それでは足りんのだろうな」

 ヒメコは曖昧に頷いて答えた。

「今しばらく時が必要かと」
「だが水も飲まぬのでは三日と持つか」

「姫さまはお名前の通り、とてもお強い方です。御台さまにもよく似てらっしゃる。恐らく今はご自分を責めてらっしゃるのでしょう。何故義高殿の側を離れたのかと」
「だがそれは」

「ええ、姫さまとて心の中では承知しておられると思います。ご自分の立場も御所様のお立場も。だから待ちましょう。水は何とか致します」

 その時、アサ姫が入って来た。

「殿、幸氏らはどうされるおつもりですか」

 ヒメコが部屋を出ようとしたらアサ姫が止めた。

「ヒメコ、あなたは姫と共に幸氏らをずっと見てくれてたわね。どう視る?彼らは義高殿の仇を討とうとするかしら?」

 ヒメコはいいえと首を横に振った。

「戦で敵味方に分かれて命を取り合うのは、武士の家に生まれたからには仕方のないこと。それに御所様が平家打倒を志したのは、敵討ちのような私怨ではなく、都における平家の勝手な振る舞いを憂えた方々の後押しを受けての天道に沿ったもの。ですから、御所様がその天道を外れない限り、義高殿並びに従者らが背くことはないと私は見ます」

「天道か」
頼朝は大きく息を吐いた。

「私は上総広常を、義高を誅した。怖かったのだ。父のように裏切られて殺されるのではないかと怖かった。間違っていたのか」

 いいえ、とアサ姫が答えた。

「将は間違ってはなりません。そして恐れを感じていることを外に出してはいけません。鬼になられませ」

「鬼に?」

「ええ。過ぎたことはそれが正しかったのだと自ら信じきることです。迷いや恐れは自らの内に留め、自らが正道だという絶大なる権威をその身に漲らせませ」

 頼朝が首を横に振った。

「何という無茶を言う女だ。そんな覇者に私になれと?」

「そうでなければ、義高殿や上総殿、その他、貴方の為に死んだ大勢の者らが浮かばれません。貴方は挙兵した時から、いえ、生まれた時から既に覇者になるべくして、鬼武者、鬼武丸と名付けられたのではないですか?」

 言ってヒメコを見る。

「比企尼様ならそう言われましょう。ね、ヒメコ?」

 ヒメコは頷いた。

「はい、祖母ならそう言うでしょう」

 頼朝は小さく、確かに、と肯定したが、

「そなたら、自分のことではないと思って随分簡単に言ってくれる」
 そうボヤいた。

「それは私一人では手に余る仕事ぞ」

 するとアサ姫が答えた。

「ならば腹心の味方をお増やしなさい。
小四郎や小山朝光のような、縁者や乳母子、それに源氏の血筋だけを優遇するのではなく、御家人らの中から家柄に拘らずに人柄、武勇、義に厚い者など優れた人材を広く集めて重用なさいませ。野伏せりの集団とて、孔子を学び、武芸を身に付ければ自ずと将に忠誠を誓う立派な武士となりましょう」

「腹心の味方か。康信は先に鎌倉に呼び寄せていたが、そろそろ中二丸にも来て貰おうか」

「中二丸?」
「私が殿上童をしていた頃の幼馴染だ。波中太の弟で中原広元と言う。ずっと京に居るが、今度親能が上洛する折に共に下向して貰うつもりだ」

「幼馴染ですか」
「何か不服か?」

 頼朝の問いにアサ姫は軽く息を吐いた。

「いえ。ただ、京のお方は何を考えているのかよくわからない所が少し苦手なだけです」

 頼朝は、ああと頷いた。

「それはそのようにしないと生き残れないからだ。京は狭く、政争が内々に行われる。言質を取られて足を掬われぬよう曖昧にボカすのが癖になっているのだ。悪気はない。味方であれば、これ程心強いものはない。後白河の院などその最たるもの。どこまでものらりくらりと逃げ果せるあの御仁はまさに京の覇者よ」

 ため息をついた頼朝にアサ姫は重ねて釘を刺した。

「貴方はいずれその覇者と一戦交えるのですよ。急ぎ鎌倉を何とかなさいませ。鬼となって」

「鬼となって?」

「ええ。先ずは義高殿の首を槍に突きさして持ち帰った不届きな郎党を厳罰に処し、見せしめとなさいませ」
「見せしめ?」

 ヒメコは驚いてアサ姫の顔を見る。

「ええ。野伏せりらを規律の取れた兵となす為の見せしめです。それから諸将には家人達に規律を守らせ、家臣を束ねられない者はいつでも処断する覚悟があることを見せつけるのです。逆に、忠臣や武士として誇り高き行ないのある者には褒美を与え、氏素性を越えて召し抱えなさい。例えば海野幸氏のような忠義の者を御家人として取り立てれば、木曽の辺りの叛乱にも一石を投じることになりましょう。望月や諏訪も同様。石橋山の後に畠山らを配下に入れたように、敵意あった者でも素直に従う姿勢を見せるなら迎え入れる度量の大きさを見せて取り込むのです。そうやって貴方自身の武力を増やしなさいませ。北条は小さい。今の貴方は千葉や三浦の力を借りて何とか体面を保ってるだけの身。急ぎ、ご自身の武力を増やさなくてはなりません。でないと平家追討どころか甲斐や信濃、三浦に鎌倉を乗っ取られますよ」

 ヒメコは唖然としてアサ姫を見た。

 最初は義高の従者だった少年らを助ける為の方便かと思って聞いてた。でも違うのだ。アサ姫はもっと広く深くこの鎌倉と周辺の事情を見て頼朝の為にどうしたらいいか考えていた。

 アサ姫は頼朝を本物の覇者と押し上げる為にここに居るのだ。自分もそれを手助けしたい。それが源家の乳母としての比企の娘である自分の役目だとヒメコは思った。

 でも先ずは手の届く範囲。

「私は姫に何とか水を摂らせます」

そう言ってヒメコは部屋を出た。
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