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第3章 鎌倉の石
第22話 腹帯
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姫を寝かし付けて戻ったら、義高の前にはまたコシロ兄が座っていた。
ヒメコは平静を装ってコシロ兄に話しかける。
「江間殿、いらしていたのですね」
そう声をかけたら、コシロ兄は、ああと五郎を見た。
「双六でも碁でも負けがこんでいるから助けろと引っ張ってこられた」
「まぁ、そうだったのですか」
答えたら、五郎がニヤッと笑ってヒメコを見た。
「うん。小四郎兄のおかげでやっと鎌倉の面目が立ったよ」
五郎は義高の見張り役兼遊び相手として先頃から御所に上がっていた。でも確かに義高の方が碁も双六も上手のようで、むくれた顔ばかりを見ていた。コシロ兄は頼朝の護衛と軍議とで忙しい筈。五郎が無理に呼んできたのかと納得する。
そっとその場を抜けて姫の元に戻れば、姫は健やかな寝息を立てていた。このところずっと義高について休みなく動き回っていたから疲れが溜まっていたのだろう。ヒメコは侍女に諸事頼むと市女笠を被って御所を抜けた。
行き先は江間屋敷。緊張で高鳴る胸を押さえて戸を叩き声を上げる。
「御台さまの使いで参りました。姫御前と申す者。お方様に御目通り願います」
言って戸を開けて貰う。顔を出したのは先日コシロ兄の伝言を頼まれていた男だった。
「ああ、話は聞いております。少々お待ちを」
男はそう言って奥に引っ込み、少しして女性が現れた。
「どうぞこちらへ。お方様がお会いになります」
奥の部屋へと通される。先日訪れた時にはコシロ兄の居室のように見えたが、今はそこに畳が敷かれ、その上に八重が座っていた。
「御台さまのお使いで参りました。比企朝宗が娘、姫御前と申します」
言って顔を伏せたまま待つ。少しして衣摺れの音がした。
「比企の?もしかして、あの時お小さかった巫女の姫君?」
覚えられていた。ヒメコは、はいと返事をして恐る恐る顔を上げる。
八重は真っ直ぐヒメコを見ていた。
佐殿が一度だけ八重を比企の祖母の所に連れて来たことがあった。でもあの時とはまるで状況が違う。ヒメコは軽く息を吸って深く吐き切ると頭を下げ直した。
「御台様よりお見舞いの品をお届けに参りました」
言って、胸に抱えてきた布の包みを前に差し出す。先に案内してくれた女性がそれを受け取って包みを解き、八重へ渡す。八重は一番上にあった文を読み、それからその下にあった布を手に取った。
「御台さま、いえアサ姫には申し訳のないこと。さぞご心痛と思いますのに、こんなお心遣いを頂いて勿体無いばかり」
言って、布の上にはらはらと涙を零す。ヒメコが黙って頭を下げていたら、少しして八重が話し始めた。
「これは安産の為の腹帯。以前にも、私が伊東で佐殿の子を身篭った時、アサ姫が用意したものだと佐殿が持って来てくれた事がありました。北条には私の姉が嫁いでいたのでアサ姫や小四郎君とは二人が小さかった頃からたまに会っていたの。北条はお子がたくさんで賑やかで。その中でアサは長女として皆の面倒をよく見てた。私は末っ子だったから弟や妹がたくさん出来たみたいで嬉しくて。アサも小四郎もよく懐いてくれたし本当に可愛かった。そして佐殿に会ったの。一目で恋に落ちたわ。佐殿は暫く伊東に通って来てくれていたのだけれど、私が身篭ったのを機に婿として伊東に来てくれた。その時にアサから祝いだと渡されたのが腹帯でした。アサが私と同じように佐殿に惹かれていたのは見ていてわかってた。でも私は譲れなかった。父は京に居て不在だったけど兄や弟は応援してくれていたし、私は末っ子だから父に可愛がられていて何の心配もないと思っていた。でもそうではなかった。私の甘さが千鶴丸を死なせてしまった。その後は兄が従兄弟に殺されたり父が佐殿と戦って結局自死したり、弟も戦死したり。もう色々あったわ。そして私もこんなことになってしまって。あんなに可愛いがっていた甥っ子と姪っ子を苦しめてしまっている。申し訳の仕様がないわ。でもどうしていいのかわからないの。私はこの子を産んで本当にいいのかしら。折角腹帯をいただいて無事に産まれてきても、千鶴丸のように死んでしまうのなら産まれてこない方がいいのではないかしら」
八重は膝の上の腹帯を握りしめて煩悶していた。ヒメコはそんな八重を見ながら思い出していた。その記憶のままに言葉を紡ぐ。
「佐殿は以前、『この世に生を受けて死なぬ者などどこにいるか』と言っておられました。千鶴丸君を亡くされた後、佐殿は死にたいと言いながらも死ねずに苦しんでおられた。それから暫くして呟いた言葉です。死ねずに生き延びてしまったからには生き続けないといけない。死んでしまった者の分も。佐殿はいつでも死ぬ覚悟を持ってそう言ったのではないかと今なら思います」
ふと八重が顔を上げ、腹に手を当てた。
「今、お腹の中でごにょと動いたわ」
「え?ごにょ?」
ヒメコが繰り返したら八重は、ええと頷いた。
「最初は虫みたいなの。それが段々大きくなつてお腹を内側から蹴飛ばしてくるのよ。ボコボコと」
「ボコボコ?痛くないのですか?」
八重は首を横に振って笑った。それから優しく腹をさする。
そうね、この子は生きている。そして誰もが皆いつかは死ぬ。私も貴女も佐殿もこの子も皆」
ヒメコは笑った。
「ええ。順番から言ったら佐殿が一番手でしょうかね」
八重も笑った。
「今頃きっとくしゃみしておられるわね」
それから握りしめていた腹帯を差し出して言った。
「姫御前さま。アサの文にありました。貴女がこの子の乳母をしてくれると。源氏の姫巫女の祈願を受けたこの腹帯なら安産間違いなしだと。早速巻いて下さる?」
ヒメコは立ち上がり、八重の後ろに回って、腹帯だという長い布を開いてみる。
だが巻き方がわからない。
どうしよう?八重と共に試行錯誤していたら、部屋の隅に控えていた女衆が立ち上がった。
「私に貸して下さいませ。腹帯は先ずこうして縦長にしてから下腹を支えるように脇から巻いていくんですよ。そうすれば冷えないし腰や背中も痛めずに楽に動けますからね」
思いもよらない強力な味方に八重と顔を見合わせて微笑み合う。
「では今日はこちらで御所に戻ります。また近い内に寄らせて下さいませ」
言って立ち上がったら、女衆が表に声をかけた。
「あんた、姫御前様のお帰りだよ」
と、江間の家人が顔を出した。
「御所までお送りします」
「いえ、すぐですから」
断るが、
「いえ、もう薄暗い。殿に頼まれてますから」
そう言って先に立って歩き出した。
「ご夫婦でいらっしゃるのですね」
言ったら、
「先日子が産まれました」
返されて、ああと得心する。
八重の子の面倒を実際に見てくれることになるのは彼ら夫婦なのだろう。
「私は名ばかりの乳母です。どうかお方様とお子のことを宜しくお願いいたします」
ヒメコは深く頭を下げた。
「こちらこそ宜しくお願い申し上げる。私は藤五。妻はフジ。以後は呼び捨て下さい」
「私はヒメコです。私のことも呼び捨て下さい」
すると首を横に振られた。
「童姿で居らした時には、そう呼ばせていただくかも知れませんが、御所の女官殿を呼び捨てには出来ません」
そう言ってニヤッと笑った。
母は江間の家人は愛想がないと言っていたけれど、意外に気さくな人なのだろう。そう言えば先日も笑っていたしコシロ兄も信を置いているようだった。
「有難うございました。また伺います」
ぺこりと頭を下げ、ヒメコは御所の門をくぐり抜けた。出かける時は重かった心がスッキリと晴れていた。
八重とその子は心配ない。次に心配なのは八幡姫のことだった。
ヒメコは平静を装ってコシロ兄に話しかける。
「江間殿、いらしていたのですね」
そう声をかけたら、コシロ兄は、ああと五郎を見た。
「双六でも碁でも負けがこんでいるから助けろと引っ張ってこられた」
「まぁ、そうだったのですか」
答えたら、五郎がニヤッと笑ってヒメコを見た。
「うん。小四郎兄のおかげでやっと鎌倉の面目が立ったよ」
五郎は義高の見張り役兼遊び相手として先頃から御所に上がっていた。でも確かに義高の方が碁も双六も上手のようで、むくれた顔ばかりを見ていた。コシロ兄は頼朝の護衛と軍議とで忙しい筈。五郎が無理に呼んできたのかと納得する。
そっとその場を抜けて姫の元に戻れば、姫は健やかな寝息を立てていた。このところずっと義高について休みなく動き回っていたから疲れが溜まっていたのだろう。ヒメコは侍女に諸事頼むと市女笠を被って御所を抜けた。
行き先は江間屋敷。緊張で高鳴る胸を押さえて戸を叩き声を上げる。
「御台さまの使いで参りました。姫御前と申す者。お方様に御目通り願います」
言って戸を開けて貰う。顔を出したのは先日コシロ兄の伝言を頼まれていた男だった。
「ああ、話は聞いております。少々お待ちを」
男はそう言って奥に引っ込み、少しして女性が現れた。
「どうぞこちらへ。お方様がお会いになります」
奥の部屋へと通される。先日訪れた時にはコシロ兄の居室のように見えたが、今はそこに畳が敷かれ、その上に八重が座っていた。
「御台さまのお使いで参りました。比企朝宗が娘、姫御前と申します」
言って顔を伏せたまま待つ。少しして衣摺れの音がした。
「比企の?もしかして、あの時お小さかった巫女の姫君?」
覚えられていた。ヒメコは、はいと返事をして恐る恐る顔を上げる。
八重は真っ直ぐヒメコを見ていた。
佐殿が一度だけ八重を比企の祖母の所に連れて来たことがあった。でもあの時とはまるで状況が違う。ヒメコは軽く息を吸って深く吐き切ると頭を下げ直した。
「御台様よりお見舞いの品をお届けに参りました」
言って、胸に抱えてきた布の包みを前に差し出す。先に案内してくれた女性がそれを受け取って包みを解き、八重へ渡す。八重は一番上にあった文を読み、それからその下にあった布を手に取った。
「御台さま、いえアサ姫には申し訳のないこと。さぞご心痛と思いますのに、こんなお心遣いを頂いて勿体無いばかり」
言って、布の上にはらはらと涙を零す。ヒメコが黙って頭を下げていたら、少しして八重が話し始めた。
「これは安産の為の腹帯。以前にも、私が伊東で佐殿の子を身篭った時、アサ姫が用意したものだと佐殿が持って来てくれた事がありました。北条には私の姉が嫁いでいたのでアサ姫や小四郎君とは二人が小さかった頃からたまに会っていたの。北条はお子がたくさんで賑やかで。その中でアサは長女として皆の面倒をよく見てた。私は末っ子だったから弟や妹がたくさん出来たみたいで嬉しくて。アサも小四郎もよく懐いてくれたし本当に可愛かった。そして佐殿に会ったの。一目で恋に落ちたわ。佐殿は暫く伊東に通って来てくれていたのだけれど、私が身篭ったのを機に婿として伊東に来てくれた。その時にアサから祝いだと渡されたのが腹帯でした。アサが私と同じように佐殿に惹かれていたのは見ていてわかってた。でも私は譲れなかった。父は京に居て不在だったけど兄や弟は応援してくれていたし、私は末っ子だから父に可愛がられていて何の心配もないと思っていた。でもそうではなかった。私の甘さが千鶴丸を死なせてしまった。その後は兄が従兄弟に殺されたり父が佐殿と戦って結局自死したり、弟も戦死したり。もう色々あったわ。そして私もこんなことになってしまって。あんなに可愛いがっていた甥っ子と姪っ子を苦しめてしまっている。申し訳の仕様がないわ。でもどうしていいのかわからないの。私はこの子を産んで本当にいいのかしら。折角腹帯をいただいて無事に産まれてきても、千鶴丸のように死んでしまうのなら産まれてこない方がいいのではないかしら」
八重は膝の上の腹帯を握りしめて煩悶していた。ヒメコはそんな八重を見ながら思い出していた。その記憶のままに言葉を紡ぐ。
「佐殿は以前、『この世に生を受けて死なぬ者などどこにいるか』と言っておられました。千鶴丸君を亡くされた後、佐殿は死にたいと言いながらも死ねずに苦しんでおられた。それから暫くして呟いた言葉です。死ねずに生き延びてしまったからには生き続けないといけない。死んでしまった者の分も。佐殿はいつでも死ぬ覚悟を持ってそう言ったのではないかと今なら思います」
ふと八重が顔を上げ、腹に手を当てた。
「今、お腹の中でごにょと動いたわ」
「え?ごにょ?」
ヒメコが繰り返したら八重は、ええと頷いた。
「最初は虫みたいなの。それが段々大きくなつてお腹を内側から蹴飛ばしてくるのよ。ボコボコと」
「ボコボコ?痛くないのですか?」
八重は首を横に振って笑った。それから優しく腹をさする。
そうね、この子は生きている。そして誰もが皆いつかは死ぬ。私も貴女も佐殿もこの子も皆」
ヒメコは笑った。
「ええ。順番から言ったら佐殿が一番手でしょうかね」
八重も笑った。
「今頃きっとくしゃみしておられるわね」
それから握りしめていた腹帯を差し出して言った。
「姫御前さま。アサの文にありました。貴女がこの子の乳母をしてくれると。源氏の姫巫女の祈願を受けたこの腹帯なら安産間違いなしだと。早速巻いて下さる?」
ヒメコは立ち上がり、八重の後ろに回って、腹帯だという長い布を開いてみる。
だが巻き方がわからない。
どうしよう?八重と共に試行錯誤していたら、部屋の隅に控えていた女衆が立ち上がった。
「私に貸して下さいませ。腹帯は先ずこうして縦長にしてから下腹を支えるように脇から巻いていくんですよ。そうすれば冷えないし腰や背中も痛めずに楽に動けますからね」
思いもよらない強力な味方に八重と顔を見合わせて微笑み合う。
「では今日はこちらで御所に戻ります。また近い内に寄らせて下さいませ」
言って立ち上がったら、女衆が表に声をかけた。
「あんた、姫御前様のお帰りだよ」
と、江間の家人が顔を出した。
「御所までお送りします」
「いえ、すぐですから」
断るが、
「いえ、もう薄暗い。殿に頼まれてますから」
そう言って先に立って歩き出した。
「ご夫婦でいらっしゃるのですね」
言ったら、
「先日子が産まれました」
返されて、ああと得心する。
八重の子の面倒を実際に見てくれることになるのは彼ら夫婦なのだろう。
「私は名ばかりの乳母です。どうかお方様とお子のことを宜しくお願いいたします」
ヒメコは深く頭を下げた。
「こちらこそ宜しくお願い申し上げる。私は藤五。妻はフジ。以後は呼び捨て下さい」
「私はヒメコです。私のことも呼び捨て下さい」
すると首を横に振られた。
「童姿で居らした時には、そう呼ばせていただくかも知れませんが、御所の女官殿を呼び捨てには出来ません」
そう言ってニヤッと笑った。
母は江間の家人は愛想がないと言っていたけれど、意外に気さくな人なのだろう。そう言えば先日も笑っていたしコシロ兄も信を置いているようだった。
「有難うございました。また伺います」
ぺこりと頭を下げ、ヒメコは御所の門をくぐり抜けた。出かける時は重かった心がスッキリと晴れていた。
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