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第3章 鎌倉の石
第21話 幼いきぬぎぬ
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数日後、ヒメコは呼ばれてアサの部屋に行った。そこには頼朝とアサが並んで待っていた。
「ヒメコ、八重様のお子のことだけれど、小四郎の子として育てて貰うことにしました」
単刀直入に言われ、返事出来ずにアサ姫の顔を見つめる。頼朝が続けた。
「万寿が生まれたばかりでもあり、私の子として認めてしまうと後々障りがあろうということで、乳母も付けず密やかに生み育てて貰うつもりだ。ヒメコ、そなたに守り役を頼みたい。実際に細かな世話を焼くのは、江間の家人が子を産んだばかりらしいので、彼らに任せることになると思うが、子が無事育つよう、ヒメコも共について護って欲しい」
ヒメコはアサ姫を見た。アサ姫はそっと目を伏せて微かに微笑んだ。
「八重様のお子では認める他ないわ」
その隣で頼朝が軽く頭を下げた。
「済まぬ。感謝する」
ヒメコは手をついて承知いたしましたと答えた後、気になっていたことを尋ねた。
「この件、江間様は承服されてるのですか?」
頼朝とアサは一瞬目を合わせ、それからアサ姫が答えた。
「ええ、勿論よ。自分の子として育てるから心配ないと言い出したのは小四郎の方からなの」
ヒメコは頷くと部屋を辞した。彼らしい申し出だと思いながら。
その年の暮れに北条勢は密やかに鎌倉に戻ってきた。そして何事もなかったかのように年始の行事が始まり、軍議が繰り返される中、桜が咲いて春になる。
そんなある日、阿波局によってもたらされた話にヒメコは仰天した。
「姫さまにお婿さんが来るんですって」
「お婿さん?姫さまはまだ六つなのに」
阿波局はシッと唇を窄めた。
「お相手は木曽の源義仲殿の嫡男、義高殿。お歳は十一ですって。名目は婿だけど、実質は人質らしいわ」
それだけ言って、足早に去って行った。
阿波局はこの春に阿野全成と結婚したが、変わらず女官として出仕していた。
——人質。
源義仲は頼朝と同じ源氏で、また同じ時期に以仁王の令旨を受けて挙兵し、信濃や北陸に勢力を伸ばして、一路京を目指していた。頼朝はその義仲に少し遅れをとって京を目指す形になってしまい、武田と組んで義仲を背後から狙うべく追い詰めていた。
そこで木曽と鎌倉の間で和議がなされ、義仲の嫡男、義高が頼朝の娘婿として鎌倉に送られることになったのだった。
人質ということは、頼朝と義仲の間に何かがあれば斬られるということ。そんな相手を互いに受け入れられるのだろうかとヒメコは気を揉んだが、八幡姫はまだ数えで六つ。ままごと遊びのように無邪気なものだった。
対して義高は十一。鎌倉に送られる為にと少し早目に元服を済ませた姿は、まだ幼さを残しつつも初々しく、また整った顔だちが醸し出す柔和で甘やかな空気は一瞬にして皆の心を惹きつけた。中でも八幡姫の執心ぶりは言葉に尽くせないくらいで、元々仲良しだった五郎がむくれる程だった。
「義高さま、喉が渇きましたでしょう。少しお休みなさいませんと」
そう言って、双六をする義高の横にちょこんと座り、盆の上の茶碗を勧める八幡姫。
「ああ。だがまだ勝負がついておらぬ故、少し待っていてくれ」
義高の目は盤の上に注がれたまま。それを八幡姫はぷぅと可愛らしく頰を膨らませつつも、
「まぁ、男の方ってどうしてそう難しい顔をするのがお好きなのかしらね」
などと言って、にこにこしている。
「あれは御台様の真似ね」
女官達がクスクスと笑うのを聞きながら、ヒメコは前もって頼朝に言われていた言葉を思い出していた。
「ヒメコ、義高をよく見張れ。見慣れぬ者が近付けばすぐに知らせよ。また、あまり姫を義高に近付け過ぎぬよう」
そう言われても姫は常に義高の側に居ようとする。
「あっ!」
声が上がって振り返れば、義高とその供の少年らが盤を取り囲んでいた。
「惜しい!あと少しだったのに」
「江間殿、次は碁で勝負を」
その言葉に、え、と改めて少年らの方を振り返れば、確かにコシロ兄が少年らの陰にいた。
パチリ、パチリと軽やかに響く石の音。それを心地良く聞きながら義高の横の姫を見やれば、盤を覗き込みながらうつらうつらしていた。
頭が落ちかける。駆け寄ろうとした時、義高の横に座っていた少年がそっと身体をずらして姫の頭を支え、盤の上の石も姫の頭も守った。そのまま勝負は続けられ、最後、義高が頭を下げた。
「参りました」
その瞬間、姫がパチリと目を覚ます。
「まぁ、ひどいわ。コシロ叔父様。大人なのだから勝つのは当たり前でしょう?手加減して下さってもいいのに」
そう言って、えーんえーんと泣き始める。眠いのだろう。ヒメコは急いで八幡姫を抱え上げた。
「さ、姫さま。少しお休みしましょう。お昼寝が済みましたら義高様とおやつをいただきましょうね」
寝ないと言い張って泣く八幡姫を何とか宥めすかして引っ張って行こうとしたら、義高が口を開いた。
「ちゃんと眠って頭とお目々がぱっちりしたら、次は姫に双六を教えて差し上げよう。私もここで少し休むから、ゆっくり休んでおいで」
そう言ってふんわりと微笑む。姫は今度は素直にはいと返事をして、ヒメコの手を取って駆け出した。
「待っていらしてね。すぐに戻りますからね」
でも行きかけた所をパタパタと戻って、自らの来ていた着物を脱いで義高に手渡す。
「お風邪を召しては大変ですから、ちゃんとかけて下さいましね」
義高は姫の着物を笑顔で受け取り、自らの着物を脱いで姫に手渡した。
「では、姫はこれを。しっかりお休みなさい」
はい、と頷いて義高の着物を受け取った八幡姫は、いっぱしの女の顔をしていた。後朝の儀式のようだと思いながらヒメコはそれを眺めた。ふと、昔にコシロ兄に求婚してしつこく付きまとった自分の姿が蘇り、幼い自分の純粋さと無謀さが突如胸に迫ってきて、何とも言えない気恥ずかしさに襲われる。穴があったら入りたいとはこの事かと思う。もしかして、あの時周りに居た皆はこんな気分で自分のことを見ていたんだろうか。
「ヒメコ、八重様のお子のことだけれど、小四郎の子として育てて貰うことにしました」
単刀直入に言われ、返事出来ずにアサ姫の顔を見つめる。頼朝が続けた。
「万寿が生まれたばかりでもあり、私の子として認めてしまうと後々障りがあろうということで、乳母も付けず密やかに生み育てて貰うつもりだ。ヒメコ、そなたに守り役を頼みたい。実際に細かな世話を焼くのは、江間の家人が子を産んだばかりらしいので、彼らに任せることになると思うが、子が無事育つよう、ヒメコも共について護って欲しい」
ヒメコはアサ姫を見た。アサ姫はそっと目を伏せて微かに微笑んだ。
「八重様のお子では認める他ないわ」
その隣で頼朝が軽く頭を下げた。
「済まぬ。感謝する」
ヒメコは手をついて承知いたしましたと答えた後、気になっていたことを尋ねた。
「この件、江間様は承服されてるのですか?」
頼朝とアサは一瞬目を合わせ、それからアサ姫が答えた。
「ええ、勿論よ。自分の子として育てるから心配ないと言い出したのは小四郎の方からなの」
ヒメコは頷くと部屋を辞した。彼らしい申し出だと思いながら。
その年の暮れに北条勢は密やかに鎌倉に戻ってきた。そして何事もなかったかのように年始の行事が始まり、軍議が繰り返される中、桜が咲いて春になる。
そんなある日、阿波局によってもたらされた話にヒメコは仰天した。
「姫さまにお婿さんが来るんですって」
「お婿さん?姫さまはまだ六つなのに」
阿波局はシッと唇を窄めた。
「お相手は木曽の源義仲殿の嫡男、義高殿。お歳は十一ですって。名目は婿だけど、実質は人質らしいわ」
それだけ言って、足早に去って行った。
阿波局はこの春に阿野全成と結婚したが、変わらず女官として出仕していた。
——人質。
源義仲は頼朝と同じ源氏で、また同じ時期に以仁王の令旨を受けて挙兵し、信濃や北陸に勢力を伸ばして、一路京を目指していた。頼朝はその義仲に少し遅れをとって京を目指す形になってしまい、武田と組んで義仲を背後から狙うべく追い詰めていた。
そこで木曽と鎌倉の間で和議がなされ、義仲の嫡男、義高が頼朝の娘婿として鎌倉に送られることになったのだった。
人質ということは、頼朝と義仲の間に何かがあれば斬られるということ。そんな相手を互いに受け入れられるのだろうかとヒメコは気を揉んだが、八幡姫はまだ数えで六つ。ままごと遊びのように無邪気なものだった。
対して義高は十一。鎌倉に送られる為にと少し早目に元服を済ませた姿は、まだ幼さを残しつつも初々しく、また整った顔だちが醸し出す柔和で甘やかな空気は一瞬にして皆の心を惹きつけた。中でも八幡姫の執心ぶりは言葉に尽くせないくらいで、元々仲良しだった五郎がむくれる程だった。
「義高さま、喉が渇きましたでしょう。少しお休みなさいませんと」
そう言って、双六をする義高の横にちょこんと座り、盆の上の茶碗を勧める八幡姫。
「ああ。だがまだ勝負がついておらぬ故、少し待っていてくれ」
義高の目は盤の上に注がれたまま。それを八幡姫はぷぅと可愛らしく頰を膨らませつつも、
「まぁ、男の方ってどうしてそう難しい顔をするのがお好きなのかしらね」
などと言って、にこにこしている。
「あれは御台様の真似ね」
女官達がクスクスと笑うのを聞きながら、ヒメコは前もって頼朝に言われていた言葉を思い出していた。
「ヒメコ、義高をよく見張れ。見慣れぬ者が近付けばすぐに知らせよ。また、あまり姫を義高に近付け過ぎぬよう」
そう言われても姫は常に義高の側に居ようとする。
「あっ!」
声が上がって振り返れば、義高とその供の少年らが盤を取り囲んでいた。
「惜しい!あと少しだったのに」
「江間殿、次は碁で勝負を」
その言葉に、え、と改めて少年らの方を振り返れば、確かにコシロ兄が少年らの陰にいた。
パチリ、パチリと軽やかに響く石の音。それを心地良く聞きながら義高の横の姫を見やれば、盤を覗き込みながらうつらうつらしていた。
頭が落ちかける。駆け寄ろうとした時、義高の横に座っていた少年がそっと身体をずらして姫の頭を支え、盤の上の石も姫の頭も守った。そのまま勝負は続けられ、最後、義高が頭を下げた。
「参りました」
その瞬間、姫がパチリと目を覚ます。
「まぁ、ひどいわ。コシロ叔父様。大人なのだから勝つのは当たり前でしょう?手加減して下さってもいいのに」
そう言って、えーんえーんと泣き始める。眠いのだろう。ヒメコは急いで八幡姫を抱え上げた。
「さ、姫さま。少しお休みしましょう。お昼寝が済みましたら義高様とおやつをいただきましょうね」
寝ないと言い張って泣く八幡姫を何とか宥めすかして引っ張って行こうとしたら、義高が口を開いた。
「ちゃんと眠って頭とお目々がぱっちりしたら、次は姫に双六を教えて差し上げよう。私もここで少し休むから、ゆっくり休んでおいで」
そう言ってふんわりと微笑む。姫は今度は素直にはいと返事をして、ヒメコの手を取って駆け出した。
「待っていらしてね。すぐに戻りますからね」
でも行きかけた所をパタパタと戻って、自らの来ていた着物を脱いで義高に手渡す。
「お風邪を召しては大変ですから、ちゃんとかけて下さいましね」
義高は姫の着物を笑顔で受け取り、自らの着物を脱いで姫に手渡した。
「では、姫はこれを。しっかりお休みなさい」
はい、と頷いて義高の着物を受け取った八幡姫は、いっぱしの女の顔をしていた。後朝の儀式のようだと思いながらヒメコはそれを眺めた。ふと、昔にコシロ兄に求婚してしつこく付きまとった自分の姿が蘇り、幼い自分の純粋さと無謀さが突如胸に迫ってきて、何とも言えない気恥ずかしさに襲われる。穴があったら入りたいとはこの事かと思う。もしかして、あの時周りに居た皆はこんな気分で自分のことを見ていたんだろうか。
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