【完結】姫の前

やまの龍

文字の大きさ
上 下
63 / 225
第3章 鎌倉の石

第15話 御台所の力

しおりを挟む
「新田の姫?」

 ヒメコが尋ねたら阿波局は頷いて教えてくれた。

「御所様の腹違いの兄君、源義平殿の未亡人なんだけど、御所様はほら、源氏の血統を殊更に大事にするじゃない?だからその新田の姫を側室に迎えたかったみたいなの。でもそうすると、御台所、つまり大姉上の立場がおびやかされるのよ。だから父が裏で動いたの。御台所が大層お怒りだぞ、と。新田庄を取り上げて妹の嫁いだ足利に下げ渡すつもりだと脅したのよ。そうしたら新田殿は慌ててその姫を他の男に嫁がせてくれたわ。ま、でも実際の所、その新田の姫は他に好きな相手がいたので、元から御所様になびくつもりなんかなかったみたいなんだけどね。御所様からの文もずっと無視してたくらいだし。でもそれにしびれを切らした御所様がいよいよ動き始めたので、私が父に知らせたの。それで父が新田殿を脅したってわけ。だから新田の姫は結果的にその好きな相手の元へ嫁げたんじゃないかしら。というわけで、落ち着くべき所に落ち着いたんだけど、可哀想に新田殿は御所様のご不興を買ってしまったらしいわ。でもさ、嫡男が産まれるかどうかって大事な時期に兄の未亡人に艶書送って横恋慕するなんて無体なことをしたのは御所様じゃない?なのに自分の思い通りにならなかったからって機嫌損ねるなんて、ただの八つ当たりよね。子どもみたい。昔から権力を握ると調子に乗る男は多いって聞くけど本当ね。呆れちゃうわ」

 辛辣しんらつに言い放つ阿波局に圧倒されつつ、ヒメコは途中の言葉が気になって尋ねた。

「御台様には、新田庄を取り上げるお力がおありなんですか?」
 阿波局は頷いた。
「ええ、十分にあると思うわ。御所様は大姉上こそ正室だと定めて、皆に御台所と呼ばせているんだもの。そして大姉上は嫡男を産んだばかり。正室の男児が嫡流となるのはどこも同じでしょ。そしてその母たる正室は、夫と同等の権限を有する。じゃないと夫が亡くなった時に一族郎等が困るもの。夫が存命中でも同じよ。夫がいつ死ぬか京に呼ばれるかわからない中で家人を束ねて、領地を他の土豪との争いから守らなくてはならないから心身共の逞しさが求められるのよ。東国の女が強いと言われるのは、そうでなきゃ生きていけないからよ。で、その強さと逞しさを兼ね備えた大姉上は御家人衆にも絶大な支持を得てるの。昨年、大姉上が病にかかった時、鎌倉中が大騒ぎになったでしょ?流人だった佐殿を押し立てて鎌倉殿へと立身出世させ、また今回無事に跡継ぎも産んで武家の妻としての務めを見事に果たした大姉上は、甲斐性ある妻の鏡。諸将がこぞってあがめる存在なのよ。特に佐殿の流人時代から付き合いのある武将達は、半ば盲目的に大姉上を尊敬してるわ。家内の切り盛りや家人の扱い、その度量の大きさも気性の激しさも身近で見て知ってるからね。あれこそ東女あずまおんなだ、佐殿は京育ちながら見る目があると褒めているのを聞いたことがあるわ」

「へえ」
ヒメコは感心して阿波局の話に相槌を打った。
「でもね」

 阿波局がそっと声を落とす。
「その通り、御所様は京育ちなのよね。京女に囲まれて十二まで育ってるから京に憧れを抱いたまま。そりゃあ誰だって生まれ故郷は大切じゃない?だから御所様は大姉上を正室として大切にしているけど、心の中では京に焦がれてるのよ。先の戦でも、早く上洛せねばと焦っていたって皆が言ってたわ。上総や千葉、三浦などが懸命に宥めて鎌倉に戻ったって。だから亀という女性に惹かれるんでしょうね。京生まれらしいから」

「京生まれ」
 ヒメコはぼんやりと繰り返した。祖母も母も京生まれだ。京とはどんな所なんだろう?ヒメコの中には源氏物語の絵巻の印象しかない。

「佐殿、いえ御所様が伊豆に居た時からその亀という人の所に通ってたのは父も大姉上も知ってたんだけど、佐殿が北条に入り婿することになった時に手を切らせたのよ。なのに、まだ続いてたばかりか鎌倉にまで入れてるとはね」

「どんな方なのですか?」
「色白でふっくらおっとり大人しげで、まぁ男が好みそうな感じ。男って美人がいいと言いながら、結局は女に母親を求めるらしいわよ。その亀という人も源氏物語の花散里みたいな感じだったから御所様にとっては母親がわりに寛げる存在なんでしょうね。大姉上とは正反対だから、それがまたいいんじゃない?でも、男って欲張りよね。こんな女がいい。でもこんな女も欲しい。女が同じことしたらどう思うのかしら?」


 阿波局はまだ未婚だが、侍女たちに囲まれているからだろうか。耳年増だった。

「あの、それで、御台様はこのことは?」

 阿波局は、シッと人差し指を口の前に立てた。

「知らないわ。もし知ってしまったら大変よ。大姉上は約束を破られたり嘘をつかれたりするのが一番嫌いだもの。御所様と一悶着どころか、この大倉御所が損壊しちゃうかもしれないわ」

「そんなまさか」
ヒメコは首を横に振ったが、数ヶ月後にそれは現実のこととなる。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

鎌倉最後の日

もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

あづま日記(頼朝と政子の出逢い

やまの龍
歴史・時代
平治の乱で敗れて伊豆に流された まだうら若き頼朝が、初めて政子と会った話。

旧式戦艦はつせ

古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。

勇者の如く倒れよ ~ ドイツZ計画 巨大戦艦たちの宴

もろこし
歴史・時代
とある豪華客船の氷山事故をきっかけにして、第一次世界大戦前にレーダーとソナーが開発された世界のお話です。 潜水艦や航空機の脅威が激減したため、列強各国は超弩級戦艦の建造に走ります。史実では実現しなかったドイツのZ計画で生み出された巨艦たちの戦いと行く末をご覧ください。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

死の連鎖の謎 [2023年12月31日完結]

鏡子 (きょうこ)
歴史・時代
世界史、実話を元に書いています。 Wikipedia等の公のサイトからの転写は、ご了承下さい。 その際(転写する場合)は、 「○○○より転写します」 と、転載元を書きます。 個人的なサイトからはなるべく転載を避けますが、何か情報を転載する際は、URLを貼り付けるなどして、その方の著作権を守ります。 1519年に、神聖ローマ帝国選挙がありました。 その選挙前、僅か数ヶ月の間に、名のある有力な人物たちが、命を落としているのが実に不可解です。 1516年の、王の称号を持つ人たちの死も気になります。 ●権力ある人たちは、何故、政略結婚後に命を落とす人が多いのでしょうか? ●権力ある人たちは、何故、誕生月に亡くなる方が多いのでしょうか? 歴史的に名のある人物の、様々な 「死の真相」に迫ります。

歌と狐と春の雪

夕辺歩
歴史・時代
強く思いを込めて詠む歌は『誦文歌』となってこの世に奇跡をもたらす。寛弘三年の平安京を舞台に、狐と人と、人ならざるものたちが織りなす和歌威徳譚。

処理中です...