【完結】姫の前

やまの龍

文字の大きさ
上 下
61 / 225
第3章 鎌倉の石

第13話 裸弁天

しおりを挟む
「やはり馬は可愛いわね」
そう言ってアサ姫はユキの栗色のたてがみを優しく梳いた。

「そうよ。中でもユキは一番可愛いのよ」
八幡姫が鼻高々に言う。そんな八幡姫に微笑むアサ姫だけど、どこか元気がない。

「お具合でも悪いのですか?ここは陽射しが強いですし、中に戻りましょう」
 そう声をかけるが、アサ姫は浮かない顔のまま照りつける日を挑むように見返す。

「目を傷めてしまいます。さ、こちらへ」
 日陰にに腰をかけさせ水を差し出す。それを飲み終わって息をついたアサ姫は
「あーあ、伊豆に戻りたい」

 そう零した。泣き言なんて珍しいのでよくよく尋ねたら、早く嫡男を産めと言われていることを教えてくれた。

「御所さまにですか?」

「いいえ、父に。早くしないと他に妾を持たれるぞ。その女が男児を産んだらお前はもう御台さまではなくなるぞ、と会うたびにそう脅すのよ」

「まぁ、そんな酷いことを」

 ややこは天からの授かり物。人の思い通りになるものではない。それを自らでは産むことの出来ない男性が実の娘にそんなことを言うなんて。

 ヒメコはアサ姫の手を掴むと引っ張った。
「出掛けましょう」
「え?」
アサ姫が驚いた顔でヒメコを見る。それから笑って言った。
「中に戻りましょうって言ったばかりなのにどこへ行くの?」
「外です」
「もう外に出てるじゃない」
「いいえ、御所の外です。気晴らしにお散歩しましょう」

 八幡姫に手を差し伸べる。
「さ、姫さまもご一緒に。お天気が良いからお出かけしますよ」

 笑顔になった八幡姫を見てアサ姫も微笑んだ。
「そうね、少し出掛けるくらい良いわよね」

 部屋に居た侍女に笠を持って来させる。さて抜け出そうとした時、

「じゃあ、俺が連れてってあげるよ」
 顔を出したのは五郎だった。

「五郎、あなた名越に居た筈じゃないの?」
「小御所が出来たって聞いたから遊びに来たんだ。出掛けるなら俺が案内と警護をするよ」

 言って先頭に立つ。既に御所の門を警護する者には顔を知られているようで、平然とした顔で挨拶して通り過ぎる。

「その分なら鎌倉の町にも随分慣れてそうね」
「うん、目を瞑ってたってどこでも案内出来るよ」
「わーい、五郎と海ー」

 嬉しそうな八幡の手を引いて歩く五郎の後をアサ姫と付いて行く。

「随分道が広がりましたね」
 最初に鎌倉に来た時には細道ばかりだったのに、暫く籠っている間に町はかなり整備され発展していた。

 五郎が通りの向こうを指さす。
「御所の前の大通りを渡ってすぐのあの区画が御家人達の居住区。角っこの辺りは小四郎兄や佐々木の三郎兄、姫姉ちゃんのお父君の屋敷だって聞いたよ」
「え、父上の屋敷?」
「良かったね、御所のすぐ近くで」
ええと頷きつつ、コシロ兄の屋敷も近くなのだと、ついキョロキョロしてしまう。

「小四郎兄はほぼ御所に詰めてて帰ってなさそうだよ」
「あの子は夜は殿の寝所を守る役についてるし、昼は昼で殿と父にこき使われてるみたいね」
あの子。元服して屋敷も構えてるのに、アサ姫にとってはコシロ兄はやっぱり可愛い弟なのだと微笑ましく思う。

 御所の所に朝の膳を運ぶ時にも夕の膳を運ぶ時にも姿こそ見えないけれどコシロ兄は常に側に控えているようで、たまに御所が声をかけて用を頼んでいた。

 また近く合戦があるという噂は耳にしている。ちゃんと休めているんだろうか。

五郎が、ほらと声をあげた。

「この小径は賑やかだろ?市場になってて色んな物が売られてるんだよ」

 確かにその狭い小径には人通りも多く、ずらっと軒が並んでいて様々な品が広げられている。

「この道をずっと行ったら海だよ」

 立ち並ぶ店の間を抜けながらずっと歩いて行ったら、道が急に開けて大きく斜めに折れ曲がった。ヒメコは足を留めた。

 水のせせらぎの音が聴こえたのだ。

「姫姉ちゃん、海はまだ先だよ」
 五郎に言われるが、どうにも立ち去り難い。

「少しだけ寄り道してもいい?」
 道を逸れ、水音音のする方へ足を向ける。そこには小さなほこらがあった。古くて小さいながらも近隣の人が手入れをしているのか、とても清浄な気を持った祠だった。そっと手を合わせてからせせらぎの音を追って裏に回る。

 と、その奥にサラサラと美しく流れる小川があった。小さいけれど清らな流れ。ヒメコは草履を脱いでその小川に足を踏み入れた。冷たい水がくるぶしを撫でくすぐって川下に向かっていく。

「皆も足を浸しませんか?気持ちがいいですよ」

 皆を誘い入れる。まず五郎がバシャンと入り、八幡姫が五郎に手を取られて小川に足を浸した。

「きゃあ、つめたい。気持ちいい。母さまも早く早く」

 八幡姫に急かされ、アサ姫も草履を脱いで小川に足を踏み入れた。

「本当。冷たくてくすぐったくて心地いいわ。小川に入るなんて久しぶりよ。ああ、嬉しい」

 久しぶりのすっきりした美しい笑顔にヒメコも嬉しくなる。

「では、祓いをいたしましょう」

「ハライ?それ美味しいの?」

 あどけない八幡の問いに笑顔を返しながら答える。
「祓いとは体に付いてしまった不安や心配などのけがれを、埃を落とすようにこうやってパンパンと払い落とすことですよ」

 そう言って、自分の肩や腕を払って見せる。

 皆、真似をして身体中をパンパン払って笑顔になった。次に、ヒメコは懐から人型の白い紙を取り出して一枚ずつ渡した。
「これに息を吹きかけて、心の中にある心配や不安、迷いをこの人形に移して水に流せば祓いはおしまいです。帰ったら美味しいお饅頭を頂きましょうね」


ブーッ
凄い音に振り返れば、アサ姫が盛大に紙に息を吹き付けた為に紙がブルブルと震えて出た音だった。五郎が噴き出し、八幡姫もアサ姫自身も大笑いする。それから皆でそっと川に白い人形を流した。

「これでお祓いは終わり?」
 問われて、ええとヒメコが頷いた時、地元の女達だろうか。先程から視線は感じていたが、こちらの用が終わったとみたようで声をかけてきた。

「あんた、巫女さんかい?」
 ヒメコが、ええと頷くと、内の一人がへえ、と首を頷かせて言った。

「てっきりお礼詣りと思ってたんだけど違うみたいだから、悪いけど見物させて貰ってたんだよ」

「お礼詣り?」

「ああ。ここに祀られてる弁天さまは女に幸せをもたらしてくれる裸弁天さまだからね。ここらの女は昔から皆、ここに参って願い事してるのさ」

 へえ、と相槌を打ったアサ姫に、女は祠に顔を向けて親切に教えてくれた。

「ほら、祠の後ろに大きな岩が二つあったろ?あの背の高い尖った方を毎日拝むと雷のような丈夫な子を。丸い方を拝むと仏様のような徳の高い子を授けて下さるって言われてるよ」

 アサ姫が息を呑むのがわかった。アサ姫は女達に礼を言うと、祠の裏に回ってねんごろに掌を合わせた。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

歴史改変大作戦

高木一優
SF
※この作品は『歴史改変戦記「信長、中国を攻めるってよ」』第一部を増補・改稿したものです。 タイムマシンによる時間航行が実現した近未来、歴史の謎は次々に解明されていく。歴史の「もしも」を探求する比較歴史学会は百家争鳴となり、大国の首脳陣は自国に都合の良い歴史を作り出す歴史改変実験に熱中し始めた。歴史学者である「私」はひとつの論文を書き上げ、中国政府は私の論文を歴史改変実験に採用した。織田信長による中華帝国の統一という歴史改変を目的とした「碧海作戦」が発動されたのだ。これは近代において、中華文明を西欧文明に対抗させるための戦略であった。神の位置から歴史改変の指揮を執る私たちは、歴史の創造者なのか。それとも非力な天使なのか。もうひとつの歴史を作り出すという思考実験を通じて、日本、中国、朝鮮の歴史を、おちょくりつつ検証する、ちょっと危ないポリティカル歴史改変コメディー。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

【完結】女神は推考する

仲 奈華 (nakanaka)
歴史・時代
父や夫、兄弟を相次いで失った太后は途方にくれた。 直系の男子が相次いて死亡し、残っているのは幼い皇子か血筋が遠いものしかいない。 強欲な叔父から持ち掛けられたのは、女である私が即位するというものだった。 まだ幼い息子を想い決心する。子孫の為、夫の為、家の為私の役目を果たさなければならない。 今までは子供を産む事が役割だった。だけど、これからは亡き夫に変わり、残された私が守る必要がある。 これは、大王となる私の守る為の物語。 額田部姫(ヌカタベヒメ) 主人公。母が蘇我一族。皇女。 穴穂部皇子(アナホベノミコ) 主人公の従弟。 他田皇子(オサダノオオジ) 皇太子。主人公より16歳年上。後の大王。 広姫(ヒロヒメ) 他田皇子の正妻。他田皇子との間に3人の子供がいる。 彦人皇子(ヒコヒトノミコ) 他田大王と広姫の嫡子。 大兄皇子(オオエノミコ) 主人公の同母兄。 厩戸皇子(ウマヤドノミコ) 大兄皇子の嫡子。主人公の甥。 ※飛鳥時代、推古天皇が主人公の小説です。 ※歴史的に年齢が分かっていない人物については、推定年齢を記載しています。※異母兄弟についての明記をさけ、母方の親類表記にしています。 ※名前については、できるだけ本名を記載するようにしています。(馴染みが無い呼び方かもしれません。) ※史実や事実と異なる表現があります。 ※主人公が大王になった後の話を、第2部として追加する可能性があります。その時は完結→連載へ設定変更いたします。  

鎌倉最後の日

もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

戦国九州三国志

谷鋭二
歴史・時代
戦国時代九州は、三つの勢力が覇権をかけて激しい争いを繰り返しました。南端の地薩摩(鹿児島)から興った鎌倉以来の名門島津氏、肥前(現在の長崎、佐賀)を基盤にした新興の龍造寺氏、そして島津同様鎌倉以来の名門で豊後(大分県)を中心とする大友家です。この物語ではこの三者の争いを主に大友家を中心に描いていきたいと思います。

処理中です...