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第3章 鎌倉の石
第7話 姫御前
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門の辺りでぼんやりとしていたら、突如ドカドカという蹄の音が近付いてきた。
「御免!佐殿のお屋敷はこちらか?」
大音声に驚いて答えられず、ただ目を見開いて馬上の男を見上げる。山伏の格好をしていた。
「何者だ!」
門番が駆け付けてきたので、ヒメコはホッとして奥へと下がった。急な使者だろうか?邸内に戻ろうとそろそろ歩いていたら、男の大音声が聞こえた。
「私は中原親能という者。佐殿に目通りを願う。もしくは北条の小四郎か姉君でも構わん。中原の波中太が来たと伝えてくれ!」
中原の波中太?なんだか覚えがある気がする。それに山伏姿。
「あ!」
ヒメコは慌てて駆け出した。佐殿の腹違いの兄の乳兄弟だ。
「ヒメコ様、どうしたの?慌てて」
中へ入ろうとした所で三の姫とばったり出くわす。
「あの。佐殿、いえ、御所様は今どちらかご存知?」
三の姫はチラと奥の間に目を送った。
「御所様は評議中の筈よ。どうしたの?何か急ぎ?」
「中原の波中太殿が、馬で駆け付けられたみたいなの」
「中原の波中太?あら、懐かしいこと。では、とりあえず大姉上に伝えてくるわね。ヒメコ様は急いで着替えてらっしゃい」
そう言って三の姫は静々と下がった。その様を見てヒメコは自分の身を見下ろし反省する。自分も一応女官だった。
「失礼いたします」
声をかけて戸を開き、膳を中に運び入れる。続いて二の姫が酒などを載せた盆を手に中に入っていった。
アサ姫の正面に座る男の前にその膳を置く。
と、ジロジロと見られた。
「おや、そなた先程の。童の格好はしていたが、やはり男児ではなかったのだな」
——目がいい。
「あら。姫御前は波中太、いえ、中原殿とお会いしたの?」
「はい、門の所で偶然」
「偶然って門の所で何をしていたの?」
「あの。掃除していましたら江間殿とお会いして、少しお話を」
話と言っても殆ど会話になっていなかったけど。
「そうしたら厩から凄い音がしましたので覗いてみたらとても綺麗な馬が居て、つい見惚れてしまって」
覗くなんて叱られるだろうかと恐る恐る目を上げたら、アサ姫がああ、と目を輝かして身を乗り出した。
「池月ね!あれは本当に美しい馬よね。私も見惚れたわ。一度乗せてくれと頼んだら殿に怒られたけど」
アサ姫が残念そうに言う。
「御台様はお馬に乗れるのですか?」
「当たり前でしょ。武家の娘なのに馬に乗れなかったら恥よ、恥!」
ヒメコは、はぁと答えて俯いた。それを落ち込んだと勘違いしたのかアサ姫が手を振って慰めてくれる。
「あら、姫御前は乗れなくていいのよ。比企朝宗殿には確かに今回武士として参陣して貰ったけど、あれは形だけだし、あなたには別の役目があるのだから」
「あ、いえ。私も馬に乗れるようになりたいなと思ったのです」
「池月に乗りたいの?」
ヒメコはブンブンと首を横に振った。
「いえ、とんでもない!もっと小さな馬でいいのですが、男の方々が皆様、楽しそうに馬に乗るのが少し羨ましくて」
するとアサ姫が珍しく浮かない顔をしたので慌てて手を振る。
「変なことを言ってごめんなさい。」
頭を下げる。アサ姫は、いいえと首を横に振ると悩ましげな素振りで口を開いた。
「実はね、姫にもそろそろ馬に馴れさせたらと殿に話したら渋い顔をされたの。どうも、殿は姫を京風に育てたいらしくて。だからこの屋敷も寝殿造で華美でしょ。庭に池はあるわ不要な橋まであるわ。でも建物の周りには濠も橋もなく、幾らか頑丈な扉があるだけ。何事かあったらどうするのかと聞いたら、京の御所もそうだと返すのよ。最初にここを御所と呼ばせた時点で薄々気付いてはいたんだけど、やっぱり殿は京に未練があるのね。だから姫にも、姫御前みたいにおっとりたおやかな公家然とした姫になって欲しくて、あなたを乳母に選んだのだと納得したわ」
そう言って、フンと鼻息を鳴らした。
と、黙って聞いていた中原の波中太がフッと笑ってヒメコを見た。
「先程は男児にも見えましたが、確かにこうしていると姫君然としてる。しかし、姫御前とはまた大層なお名前ですな」
ヒメコは顔を赤くして俯いた。代わりにアサ姫が答えてくれる。
「姫御前は佐殿が付けた女官名よ。彼女は少し特別だから局の名ではないの」
アサ姫の言葉に、山伏はへえと頷いた。
『姫御前』
ヒメコはそっと嘆息する。自分に似つかわしくない女官名だと思う。ヒメコも嫌だと言ったのだ。でも頼朝は譲らなかった。
「ヒメコは巫女でもあるから、ただの局名ではない方がいい。そうだな。ヒメコだから、ヒメ、姫の局。うーん、姫巫女の局。うーん、ヒメミコはちと問題かな」
そう言って暫く悩んだ後、
「では、これでどうだ?」
そう言って、手近な紙にサラサラと書き付けたのを見せてくれる。そこには
『姫御前』と書いてあった。
「ヒメゴゼン?あらいいわね。ヒメコを少し濁らせる呼び名だし、響きもいいからすぐに慣れそうだわ」
アサ姫のその一言で決定してしまった。アサ姫がいいと言ったものは覆せない。それ以来、ヒメコは御所内では姫御前と呼ばれるようになった。でも、二の姫や三の姫は御所外で会うと気軽にヒメコと呼んでくれるので、御所内では仕方ないかと諦めることにした。
「御免!佐殿のお屋敷はこちらか?」
大音声に驚いて答えられず、ただ目を見開いて馬上の男を見上げる。山伏の格好をしていた。
「何者だ!」
門番が駆け付けてきたので、ヒメコはホッとして奥へと下がった。急な使者だろうか?邸内に戻ろうとそろそろ歩いていたら、男の大音声が聞こえた。
「私は中原親能という者。佐殿に目通りを願う。もしくは北条の小四郎か姉君でも構わん。中原の波中太が来たと伝えてくれ!」
中原の波中太?なんだか覚えがある気がする。それに山伏姿。
「あ!」
ヒメコは慌てて駆け出した。佐殿の腹違いの兄の乳兄弟だ。
「ヒメコ様、どうしたの?慌てて」
中へ入ろうとした所で三の姫とばったり出くわす。
「あの。佐殿、いえ、御所様は今どちらかご存知?」
三の姫はチラと奥の間に目を送った。
「御所様は評議中の筈よ。どうしたの?何か急ぎ?」
「中原の波中太殿が、馬で駆け付けられたみたいなの」
「中原の波中太?あら、懐かしいこと。では、とりあえず大姉上に伝えてくるわね。ヒメコ様は急いで着替えてらっしゃい」
そう言って三の姫は静々と下がった。その様を見てヒメコは自分の身を見下ろし反省する。自分も一応女官だった。
「失礼いたします」
声をかけて戸を開き、膳を中に運び入れる。続いて二の姫が酒などを載せた盆を手に中に入っていった。
アサ姫の正面に座る男の前にその膳を置く。
と、ジロジロと見られた。
「おや、そなた先程の。童の格好はしていたが、やはり男児ではなかったのだな」
——目がいい。
「あら。姫御前は波中太、いえ、中原殿とお会いしたの?」
「はい、門の所で偶然」
「偶然って門の所で何をしていたの?」
「あの。掃除していましたら江間殿とお会いして、少しお話を」
話と言っても殆ど会話になっていなかったけど。
「そうしたら厩から凄い音がしましたので覗いてみたらとても綺麗な馬が居て、つい見惚れてしまって」
覗くなんて叱られるだろうかと恐る恐る目を上げたら、アサ姫がああ、と目を輝かして身を乗り出した。
「池月ね!あれは本当に美しい馬よね。私も見惚れたわ。一度乗せてくれと頼んだら殿に怒られたけど」
アサ姫が残念そうに言う。
「御台様はお馬に乗れるのですか?」
「当たり前でしょ。武家の娘なのに馬に乗れなかったら恥よ、恥!」
ヒメコは、はぁと答えて俯いた。それを落ち込んだと勘違いしたのかアサ姫が手を振って慰めてくれる。
「あら、姫御前は乗れなくていいのよ。比企朝宗殿には確かに今回武士として参陣して貰ったけど、あれは形だけだし、あなたには別の役目があるのだから」
「あ、いえ。私も馬に乗れるようになりたいなと思ったのです」
「池月に乗りたいの?」
ヒメコはブンブンと首を横に振った。
「いえ、とんでもない!もっと小さな馬でいいのですが、男の方々が皆様、楽しそうに馬に乗るのが少し羨ましくて」
するとアサ姫が珍しく浮かない顔をしたので慌てて手を振る。
「変なことを言ってごめんなさい。」
頭を下げる。アサ姫は、いいえと首を横に振ると悩ましげな素振りで口を開いた。
「実はね、姫にもそろそろ馬に馴れさせたらと殿に話したら渋い顔をされたの。どうも、殿は姫を京風に育てたいらしくて。だからこの屋敷も寝殿造で華美でしょ。庭に池はあるわ不要な橋まであるわ。でも建物の周りには濠も橋もなく、幾らか頑丈な扉があるだけ。何事かあったらどうするのかと聞いたら、京の御所もそうだと返すのよ。最初にここを御所と呼ばせた時点で薄々気付いてはいたんだけど、やっぱり殿は京に未練があるのね。だから姫にも、姫御前みたいにおっとりたおやかな公家然とした姫になって欲しくて、あなたを乳母に選んだのだと納得したわ」
そう言って、フンと鼻息を鳴らした。
と、黙って聞いていた中原の波中太がフッと笑ってヒメコを見た。
「先程は男児にも見えましたが、確かにこうしていると姫君然としてる。しかし、姫御前とはまた大層なお名前ですな」
ヒメコは顔を赤くして俯いた。代わりにアサ姫が答えてくれる。
「姫御前は佐殿が付けた女官名よ。彼女は少し特別だから局の名ではないの」
アサ姫の言葉に、山伏はへえと頷いた。
『姫御前』
ヒメコはそっと嘆息する。自分に似つかわしくない女官名だと思う。ヒメコも嫌だと言ったのだ。でも頼朝は譲らなかった。
「ヒメコは巫女でもあるから、ただの局名ではない方がいい。そうだな。ヒメコだから、ヒメ、姫の局。うーん、姫巫女の局。うーん、ヒメミコはちと問題かな」
そう言って暫く悩んだ後、
「では、これでどうだ?」
そう言って、手近な紙にサラサラと書き付けたのを見せてくれる。そこには
『姫御前』と書いてあった。
「ヒメゴゼン?あらいいわね。ヒメコを少し濁らせる呼び名だし、響きもいいからすぐに慣れそうだわ」
アサ姫のその一言で決定してしまった。アサ姫がいいと言ったものは覆せない。それ以来、ヒメコは御所内では姫御前と呼ばれるようになった。でも、二の姫や三の姫は御所外で会うと気軽にヒメコと呼んでくれるので、御所内では仕方ないかと諦めることにした。
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