【完結】姫の前

やまの龍

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第3章 鎌倉の石

第5話 箒

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それから少しして、大倉の館が正式に鎌倉御所として稼働する事始めの儀式があった。沢山の武者が集まり、館全体が賑わう。ヒメコは怯える八幡姫を宥めるのに必死で、顔は出さずに隠れ過ごした。
 その後、女官となる女性達が数多く入ってくる。

 各有力御家人達が、一族の中で容貌、文筆など才覚優れた姫を行儀見習いとして差し出して来たのだ。京の御所と同じと考えるならば、それはあわよくば頼朝の目に留まってその子を宿し、お家を盛り立てようと狙ってのことなのだろう。そんな姫たちの挨拶を女主人として受けるアサ姫の姿を見ながら、ヒメコはその心中を思ってそっと溜め息をついた。

 だが、当然の如く北条時政もアサ姫の妹姫達を女官として入れてきた。

「ヒメコ様、お久しぶり」

 肩を叩かれ振り向いたら、北条の三の姫だった。久々の再会に抱き合って喜ぶ。

「ずっと駿河に居たんだけど、鎌倉に御所が出来たから女官として仕えろ。御所内を見張れと言われて送り出されたの。話は聞いてたけど、実際驚いたわ。あのぼんやりの佐殿が鎌倉の主だなんて。ねえ」
相変わらずの早口に急いで頷きつつ、途中の言葉に引っかかる。

「御所内を見張れ?」
「ええ、そう。父がね。女たちが鎌倉殿に近付かないようにって。あと、侍所とかにも顔を出して何か噂を耳にしたらすぐに報告しろって」

「侍所?」
「男たちが集まる場所なんでしよ。そこでも聴き耳を立ててろって。父にとって都合のいい話を持ち出せたら、その度に何か褒美をくれるらしいわ」
そう言って悪戯な顔で笑う三の姫は昔と変わらず生気に溢れていて、ヒメコは呆気にとられつつ、アサ姫の味方が増えたことに少なからず安堵する。

「ヒメコ様、お元気そうで何より」
たおやかな声に顔を上げたら、アサ姫のすぐ下の二の姫が優しげな笑顔で立っていた。少し見ない間にまた綺麗になった気がする。元々美しかったけれど、今はどこか陰りがある儚さをその身に漂わせていて、なんというか目の離せない美しさ。駿河国で何かあったんだろうか?


「二の姫様はどうかなさったの?どこか具合がお悪いとか?」

 そっと三の姫に聞いてみる。すると三の姫はニヤッと笑ってヒメコに耳打ちした。

「小姉上は恋患いよ」
「え」

 思わず声をあげてしまい、慌てて口を覆う。
「こ、恋って、一体どなたに?」

「駿河国に武者達がたくさん集まって、宿所として牧の屋敷が使われたの。その時に一目惚れしたみたいよ」

「一目惚れ?」
 その言葉は何となく二の姫らしくない気はしたが、恋をしているのは本当なのだろう。元々の清涼さに芳しいばかりの色香が足され、その美しさは他の女官たちを抜きん出て場を圧倒した。

 で、と目を落とす。娘は親の持ち石の一つ、とのアサ姫の言葉が甦る。

 アサ姫のことも二の姫の恋の行方も、そして三の姫に与えられた任も気になって、ヒメコは落ち着かない気持ちで立ち上がった。

 こういう時は身体を動かすのが一番。アサ姫に外へ出る許しを得て、久々に水干を纏うと、裏からそっと抜け出す。箒を手に辺りを掃いていくが、落ち葉の季節でもなく手は充分に足りているようで掃く必要がない程に綺麗に清められている。
「あ、あそこなら」
少し向こうに、小屋というよりもう少し大きな建物があり、その付近は人の出入りが多いのか足跡もたくさん残っていて幾らか掃除のし甲斐がありそうだった。
サッサッと箒を左右に小刻みに動かしながら進んでいく。建物の横に散らばっているのは藁のカスのようだった。
その時点で気付くべきだったのだ。


馬が落ち着いて食餌出来ない。ここはいいから去れ」

 突然、低い声に命じられてハッと顔を上げる。紺鼠の直垂に脛巾姿のコシロ兄がムッツリ顔でヒメコを睨んでいた。

「あ、ごめんなさい!ご、ご無事でお戻りだったのですね」

 突然の再会に言葉が出てこず、箒を強く握りしめる。

 途端、ビキッと嫌な音がした。目を落とせば箒の柄が縦に割れていた。ギョッと目を見開く。おまけになんだか掌が痛い。

「掌からゆっくりと力を抜け」
 言われ、握りしめていた柄から恐る恐る力を抜く。箒の柄は大きな亀裂が沢山入り、左の掌には血が滲んでいた。
「まだ掃除してるのか」
「あ、はい。掃除していると心が落ち着くので」
落ち込みながらそう答えたら、ふうんと返された。馬鹿にするでもなく非難するでもない淡々とした風情は変わらない。

 コシロ兄はヒメコの左手を取って日にかざすと両手の指で傷口を開くようにしてじっと見つめた。それからサッと放す。
「破片は残ってないと思うが、念のため誰かによく見て貰え」
それだけ言うと、竹箒を持って去ろうとする。

「あの!」
慌てて声をかけたら、コシロ兄は足を留めて振り返った。

「お、お帰りなさいませ」

 言って頭を下げる。コシロ兄は、ああと一言だけ答えるとまた踵を返して去って行った。

ホゥと息を吐く。

——会えた。話せた。それに……。

 コシロ兄が触れた左手にそっと右手の指を添える。

あったかかった。

ホッとする。彼がそこにいる。それだけで景色がまるで違う気がする。そう思った。




 
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