【完結】姫の前

やまの龍

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第2章 源氏の白巫女

第20話 凧

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 五郎が篭に手をかけて、そっと声をかけた。
「ハチ、鳴け!」
途端、篭の中から声がした。
「アンアン、ワオーン、クーン、キャイーン」

「よしよし、大丈夫だぞ。直にババ様の所に着くからな」


「何だ?犬か?何故、犬なんかを籠に入れている」

「もうすぐ子犬が産まれるんだよ。なのに具合が悪そうだから、村のババ様の所に連れて行くんだ」


男がふうんと目を細めた。

「具合が悪いなら、そこのヒョロヒョロにまじなって貰えばいいじゃないか」

まだ疑っているのだろう。すると今度は邦通が口を開いた。

「ヒョロヒョロとはひどい。我々は流行はやり病で少しばかりせただけです。だから我々もババ様に看て貰うのです」

「流行病?」
男たちが一斉に後ずさった。
「ええ。最初はただの風邪なのですが、その内に咳が止まらなくなって急に高熱が出る病です。都ではそれで人がバタバタと亡くなり、平相国殿も苦しんだとか。我々も何とか熱は下がりましたものの、まだ咳が。エホンエホン。オーゲホゲホ。ああ、苦しい。皆さんもお気をつけください。この辺はまだ流行ってないようですが、いつかかるとも知れませんからな」

途端、男たちは何も言わずに駆け去って行った。

 皆でそっと顔を見合わせて笑い合ってから急いで山を駆け下る。

 平らな所に出た辺りで、
「ウニャーン」
猫の鳴き声がした。
 慌てて篭を下ろして中を覗き見る。

「しっしー」
泣きそうな顔の八幡姫が篭の中から飛び出て来た。

「よしよし、よく頑張った。姫のお陰で無事に済んだぞ。偉かったな」

 五郎が八幡姫の頭を撫でてあげる。兄妹のような二人の姿に心が温まる。

 急場はしのいだ。でも、これからどうなるのだろう?
佐殿は海へ。コシロ兄は山へ。また皆で顔を合わせられる日は来るのだろうか?もしや、このまま散り散りに?

 不吉なことを考えてしまってヒメコは慌てて首を横に振った。

——ダメ、わるいことを考えてはいけない。コシロ兄も佐殿もきっと無事。光を信じる明るく軽い気持ちは天へと届く。今は、祓い続け信じ続けて、神の助けを待つ以外にできることはないのだ。

 それからひと月以上、ヒメコ達は秋戸という名の、うら寂しい漁村に隠れ潜んだ。佐殿や皆が今どこでどうしているのか知らせてくれる人もないまま、物音に怯えて過ごす日々。アサ姫は日を追うごとに暗く沈んでいった。

「何故誰も来ないのよ」

 出入りを人に見られたら危険が増すということなのだろうが、それにしても何の音沙汰もなく待ち続けるのはとても苦しいもの。

 そんな母の心持ちは子に影響する。八幡姫も怯えて泣くことが増えた。外に出るのもはばかられるので閉じこもりきりで風の音を聞くばかり。秋戸は後ろを山に囲まれ、海岸に面した、ひどく風の強い所だった。

「ほら、姫さま方。こちらへおいでませ」

 邦通の声にそちらに目をやれば、部屋の中に雪が舞っていた。

 驚いて手で掬おうとするが、よく見たら、それは白い紙吹雪だった。邦通が紙を小さく千切って、戸の隙間風が入る所に置いたものが舞って雪のように見えたのだ。

「では、これはどうでしょうか?」
そう言って、邦通が戸口の隙間に何かを挟んだ。途端、ヒラヒラと白い蝶が部屋の中を舞い始めた。

「わぁ、蝶々!」
紙を二つに折って蝶の形に千切ったもののようだ。

「ここは風が強くてよく飛びますな。さて、私は小鳥に挑戦してみましょうか」

 邦通は紙に羽根を広げた小鳥を描き、それを二つに折り畳んで戸の隙間に挟む。ふわりと舞う小鳥に、姫が笑顔で手を伸ばす。

「次は鷹!鷹を描いてよ!」
五郎の声に邦通は笑顔で応え、目つきの鋭い立派な鷹を描いて渡した。五郎はそれを受け取り戸口に挿し込む。バサッと羽根を広げて舞い上がる鷹。

 中空を漂うその鷹を飛んで掴んだ五郎は、何を思ったか突然外に飛び出して行って細い小枝と何枚かの葉を持って帰ると鷹の絵の裏にそれらを糊付けし、糸をクルクルと巻いて補強した。
「おや、凧ですか。五郎君はたこをご存知なのですか?」
「タコ?違うよ。あんなグニャグニャしたのじゃなくて、本物の鳥みたいに空を飛ばしたいんだ」
「ええ。大陸ではそれを凧と言って、戦の時の目印や連絡に使っていたそうですよ。この国では京の都で祭の時にどこかのお屋敷であげられていたのを私は見たことがあります。美しい花を描いたり、字を書いて災厄除けなどの願いを込めて空に放つのです」

住吉が頷いて続けた。
「ええ。私も節日に凧をあげたことがあります。凧揚げは良い。皆が笑顔になる」
「じゃあ、やろうよ」

五郎の声に姫もわぁいと手を上げた。

「やろうやろう!姫は龍の絵ね!」
「おや、姫はお勇ましいですな。では、比企の姫は?」
「え、私?」
咄嗟に、過去に邦通が描いてくれたコシロ兄の絵姿が浮かんでブンブンと首を横に振る。小さく折り畳んで持ち歩いているあれは、守り袋に入って今もヒメコの首にかけられている。
「では私は観音さまを」
ヒメコは言ってアサ姫を見た。
「お方様は?」
アサ姫は、そうねと首を捻った後、邦通から筆を受け取り、大きく「鬼」と書いた。住吉が竹を細く割いたものを取ってきて、龍や鬼、鷹、観音菩薩などの絵の裏の縁に置いて糊付けし、紙の端を巻き付けてクルクルと器用に糸で巻いていく。それから皆で外に出て海辺へ向かった。
 外はもう日が暮れ始めていた。風向きが変わり、山から海へと風が吹き荒ぶ。

「どうぞ皆々の願いがかないますよう」
住吉の言葉と共に皆一斉に凧を放す。凧は山から吹き降りてきた強い風に乗って海の上をザアッと高く飛ばされて行った。それを掌を合わせて見送る。

 『鬼』と一字だけが書かれたアサ姫の凧は上空かなり高く離れても目立ち、いつまでもよく見えた。暫くしてアサ姫がフウと大きく息をつき、よし、と声をあげた。

「お腹が減ったわね。夕餉にしましょう」
「あ、お魚!」
姫の声に振り返れば、浜辺に大きな魚が一匹打ち上がっていた。
「まぁ、早速ご利益があったわね。今日はこちらを汁にしましょう」

ビチビチと元気に跳ねるその魚をむんずと掴んだアサ姫を囲み、皆で歓声をあげて小屋に戻る。その日は久しぶりに賑やかな夕餉になった。
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