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第2章 源氏の白巫女
第19話 敗戦の報
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それから十日余り、雨が降ったり止んだりの鬱々とした天候が続いた。
山の木々は見る見る葉を枯らして地へと落とし、冬支度を進める。
そんなある日の夕刻前、一人の武者が訪れた。
まぁ、土肥弥太郎殿」
アサ姫が喜んで迎え入れるも、土肥弥太郎の顔色は冴えない。彼はヒメコをチラと見ると目線を下に落とした。
——まさか。
身が竦む。
「戦は?佐殿はご無事なのですか?」
アサ姫に促された土肥弥太郎は重そうに口を開いた。
「佐殿は石橋山にて陣を敷かれましたが、三浦がそこに到着する前に、谷を挟んだ所に陣を敷いていた大庭が夜襲をかけてきて、我らは敗走致しました」
「敗走」
アサ姫が小さく繰り返す。
「大雨が降り出し、散り散りに逃げろとの号により、我々は山へと逃げ登りました。でも滅多にない大雨のおかげで大庭も深追いは出来ず、暫く大庭の兵が佐殿を探して山をうろついていましたが、その内に諦めて退いていきました。土肥は我が領土ゆえ、佐殿は父と私とで案内し、箱根山へとお送りしました。また丁度そこで甲斐国へ向かおうとしていた北条殿父子と落ち合いました」
「父と三郎宗時ですか?」
「いえ、北条殿と小四郎義時殿です。三郎宗時殿は、敗走時に援軍を呼びに行くと仰っていたらしいのですが、その後の行方はわかりません」
「では、佐殿は今も箱根山に?」
「いえ、安房へ向かう海の上です。万一の時には安房で落ち合う手筈になっているとのことでしたので、小舟を出してお見送りしました。私は、お方様に子細を伝え、ここを離れていただくようにお伝えする為に参りました」
「ここを離れる?何故ですか?」
「大庭や伊東の軍勢が、佐殿の隠れ先としてここを攻めてくるかも知れないからです。また三浦の辺りでも戦があったらしく、この先の状況が読めないので、万一に備えてお方様と姫さまを違う場所にお移しせよとの父の命です」
「実平殿が。そうですか。分かりました。すぐに起ちましょう」
アサ姫がそう答えた途端に五郎が立ち上がって駆け出した。
「僧正様に伝えてきます!」
少しして戻ってきた五郎は、大きな背負い篭を抱えてきた。
「はい、荷物を入れて」
そう言って、アサ姫の荷物をドサドサ入れた後に八幡姫の手を引く。
「はい、八幡。これから隠れん坊するからこの中に入って」
驚くアサ姫に五郎は笑って目を瞑って見せる。
「八幡は隠れん坊が得意だから少し狭くて暗くても平気だよな?」
にっこり笑って頷く八幡姫の頭を五郎は撫でて言った。
「よしよし。困ったら猫の真似をしろよ。泣きたくなったら犬の真似な。分かったか?」
コクリと頷いて八幡姫が篭の中に入る。その上にアサ姫が自らの着物を被せた。住吉が籠を背負って立ち上がる。住吉と邦通は山伏の格好に着替えていた。アサ姫は薄汚れた着物に着替え、ヒメコは童水干姿で外に出る。
僧正が寄越してくれた案内の山伏に付いて山道を下っていく。つい先日まで暑かったのが嘘のように風が冷たくなっていた。
半刻ばかり下った頃だろうか。
「おい、止まれ」
男の声がして、数人の男に囲まれた。
「怪しいな。お前ら、山伏ではないだろう。何処に行く。籠に何を入れているんだ?」
身なりがあまり良くない。野武士か山賊だろうか。
アサ姫が落ち着いた声で答えた。
「ええ、私たちはこの先の村に縁者を訪ねてきた者。道に迷った所を神社の方々に助けられて村に向かう途中です」
「へえ、じゃあ篭の中身は何だ?値打ちもんじゃねぇのか?」
そう言って、住吉が担いでいた籠を奪い取る。咄嗟にヒメコは左腕を伸ばして籠を取り返した。
でも勢いよく取り戻した籠の背負い紐には男の腕が残っていたらしく、籠に引っ張られた男はフラついて道端の木にゴンと頭をぶつける。
男は血相を変えてヒメコを振り返った。
「こいつ、何しやがる!」
だが、思ったよりヒメコが小さかったからだろうか、アテが外れたような顔をして籠を背負い直していた住吉に今度は向かっていった。
「おい、よくもやってくれたな」
住吉の襟元を掴み上げて脅しにかかる。その時、住吉が天を仰いで両腕を大きく広げた。
「かけまくもー、かしこみすめみおやいざなきのみことー」
突如大きな声で祝詞を唱え始めた住吉に、男がビクッと肩を震わせる。
「な、な、何を始めた!」
祝詞を唱え続ける住吉に代わってアサ姫が答える。
「彼は都ではよく知られた呪者なのよ。あんた達がどこの村の者かは知らないけれど、彼に下手な手を出したらあんたの所の井戸が枯れるからね」
アサ姫の脅しに、男たちは住吉にかけていた手は外したものの、納得のいかない顔でこちらを睨んだまま動こうとしない。
少しして、頭領格と思われる男が一人、前に出て来て口を開いた。
「ここ数日、兵が沢山でな。どうも落武者が居るらしい。それで俺らも探してるんだ。捕まえりゃ褒美が貰えるからな」
「落武者?へえ、そうなの。でも私達が落武者に見える?武器も鎧も身に付けてないし、男たちはこんなヒョロヒョロばっかよ。もっとしっかり見なさいよ」
「では、その篭の中はなんだ?武器ではないのか?」
言って籠に被せていた着物をどけようとする男。
「ちょっと!汚ない手で触らないでよ!」
多分に本音だろう。アサ姫の剣幕に男たちの眉が上がる。
山の木々は見る見る葉を枯らして地へと落とし、冬支度を進める。
そんなある日の夕刻前、一人の武者が訪れた。
まぁ、土肥弥太郎殿」
アサ姫が喜んで迎え入れるも、土肥弥太郎の顔色は冴えない。彼はヒメコをチラと見ると目線を下に落とした。
——まさか。
身が竦む。
「戦は?佐殿はご無事なのですか?」
アサ姫に促された土肥弥太郎は重そうに口を開いた。
「佐殿は石橋山にて陣を敷かれましたが、三浦がそこに到着する前に、谷を挟んだ所に陣を敷いていた大庭が夜襲をかけてきて、我らは敗走致しました」
「敗走」
アサ姫が小さく繰り返す。
「大雨が降り出し、散り散りに逃げろとの号により、我々は山へと逃げ登りました。でも滅多にない大雨のおかげで大庭も深追いは出来ず、暫く大庭の兵が佐殿を探して山をうろついていましたが、その内に諦めて退いていきました。土肥は我が領土ゆえ、佐殿は父と私とで案内し、箱根山へとお送りしました。また丁度そこで甲斐国へ向かおうとしていた北条殿父子と落ち合いました」
「父と三郎宗時ですか?」
「いえ、北条殿と小四郎義時殿です。三郎宗時殿は、敗走時に援軍を呼びに行くと仰っていたらしいのですが、その後の行方はわかりません」
「では、佐殿は今も箱根山に?」
「いえ、安房へ向かう海の上です。万一の時には安房で落ち合う手筈になっているとのことでしたので、小舟を出してお見送りしました。私は、お方様に子細を伝え、ここを離れていただくようにお伝えする為に参りました」
「ここを離れる?何故ですか?」
「大庭や伊東の軍勢が、佐殿の隠れ先としてここを攻めてくるかも知れないからです。また三浦の辺りでも戦があったらしく、この先の状況が読めないので、万一に備えてお方様と姫さまを違う場所にお移しせよとの父の命です」
「実平殿が。そうですか。分かりました。すぐに起ちましょう」
アサ姫がそう答えた途端に五郎が立ち上がって駆け出した。
「僧正様に伝えてきます!」
少しして戻ってきた五郎は、大きな背負い篭を抱えてきた。
「はい、荷物を入れて」
そう言って、アサ姫の荷物をドサドサ入れた後に八幡姫の手を引く。
「はい、八幡。これから隠れん坊するからこの中に入って」
驚くアサ姫に五郎は笑って目を瞑って見せる。
「八幡は隠れん坊が得意だから少し狭くて暗くても平気だよな?」
にっこり笑って頷く八幡姫の頭を五郎は撫でて言った。
「よしよし。困ったら猫の真似をしろよ。泣きたくなったら犬の真似な。分かったか?」
コクリと頷いて八幡姫が篭の中に入る。その上にアサ姫が自らの着物を被せた。住吉が籠を背負って立ち上がる。住吉と邦通は山伏の格好に着替えていた。アサ姫は薄汚れた着物に着替え、ヒメコは童水干姿で外に出る。
僧正が寄越してくれた案内の山伏に付いて山道を下っていく。つい先日まで暑かったのが嘘のように風が冷たくなっていた。
半刻ばかり下った頃だろうか。
「おい、止まれ」
男の声がして、数人の男に囲まれた。
「怪しいな。お前ら、山伏ではないだろう。何処に行く。籠に何を入れているんだ?」
身なりがあまり良くない。野武士か山賊だろうか。
アサ姫が落ち着いた声で答えた。
「ええ、私たちはこの先の村に縁者を訪ねてきた者。道に迷った所を神社の方々に助けられて村に向かう途中です」
「へえ、じゃあ篭の中身は何だ?値打ちもんじゃねぇのか?」
そう言って、住吉が担いでいた籠を奪い取る。咄嗟にヒメコは左腕を伸ばして籠を取り返した。
でも勢いよく取り戻した籠の背負い紐には男の腕が残っていたらしく、籠に引っ張られた男はフラついて道端の木にゴンと頭をぶつける。
男は血相を変えてヒメコを振り返った。
「こいつ、何しやがる!」
だが、思ったよりヒメコが小さかったからだろうか、アテが外れたような顔をして籠を背負い直していた住吉に今度は向かっていった。
「おい、よくもやってくれたな」
住吉の襟元を掴み上げて脅しにかかる。その時、住吉が天を仰いで両腕を大きく広げた。
「かけまくもー、かしこみすめみおやいざなきのみことー」
突如大きな声で祝詞を唱え始めた住吉に、男がビクッと肩を震わせる。
「な、な、何を始めた!」
祝詞を唱え続ける住吉に代わってアサ姫が答える。
「彼は都ではよく知られた呪者なのよ。あんた達がどこの村の者かは知らないけれど、彼に下手な手を出したらあんたの所の井戸が枯れるからね」
アサ姫の脅しに、男たちは住吉にかけていた手は外したものの、納得のいかない顔でこちらを睨んだまま動こうとしない。
少しして、頭領格と思われる男が一人、前に出て来て口を開いた。
「ここ数日、兵が沢山でな。どうも落武者が居るらしい。それで俺らも探してるんだ。捕まえりゃ褒美が貰えるからな」
「落武者?へえ、そうなの。でも私達が落武者に見える?武器も鎧も身に付けてないし、男たちはこんなヒョロヒョロばっかよ。もっとしっかり見なさいよ」
「では、その篭の中はなんだ?武器ではないのか?」
言って籠に被せていた着物をどけようとする男。
「ちょっと!汚ない手で触らないでよ!」
多分に本音だろう。アサ姫の剣幕に男たちの眉が上がる。
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