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第2章 源氏の白巫女
第15話 凶夢
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「皆、先の山木攻めでは、まことによく働いてくれた。見事な戦いぶりだったぞ。次はいよいよ三浦と合流して、この東国にのさばってきた平家を倒しに伊豆から打って出る。仔細はまた追って伝えるが、まずは腹をこなして各々準備を整え待機していてくれ。皆を頼りにしているぞ」
男たちが揃って頭を下げる中、佐殿は悠々と出て行った。
その夜、アサ姫は八幡姫と共に走湯権現の坊に身を隠した。神職の住吉と藤原邦通が従い、ヒメコも同行する予定だった。
だが直前になって住吉とヒメコは佐殿に呼ばれた。翌日に祓を行なってから後を追ように申し渡される。
北条館の奥の間。北条時政と並んで座りながら、佐殿は青ざめた顔で口を開いた。
「凶夢を見たのだ。暗闇の中、自刃の作法を教わる夢だ。現としか思えぬ、まことに生々しい夢だった」
不安気に呟く佐殿を、北条時政は笑い飛ばした。
「それは縁起のよい」
「縁起が良い?」
目を剥く佐殿。ヒメコと住吉も驚いて時政を見た。
「ええ。うたた寝で見る悪夢は逆夢になると聞きます。ご安心なさいませ。大事ございませぬ。この時政と相談した通り、安んじてご出立あれ。三浦と合流すれば大庭など恐るるに足りません。大勝利を掴んで平家に目に物見せてくれましょうぞ」
佐殿の肩に手を置いて、鷹揚な態度を取って見せる北条時政。佐殿は溜め息を一つ吐いて時政を睨んだ。
「逆夢とはな。まことにそうであればよいが」
時政は何もかもわかっていますよ、というような優しげな顔で何度か首を頷かせた後、一転して顔つきを変え、佐殿、と小さいながらも脅すような声を出して佐殿に詰め寄った。
「悪夢を見たからと合戦をやめるわけにはゆきませぬからな」
それからパッと身を離して明るげに笑って見せる。
「おやおや、そんな顔をしていては清和流源氏の名が泣きますぞ。さぁ、いい加減に肚を決めなされ。山木を討った以上、我らにはもう道は一つしかないのです。三浦の到着が遅れているのが心配なのでしょうが、ここでこれ以上もたもたしていたら、東から大庭と伊東の軍勢が合わせてやってきて、我らは三浦と合流出来ぬまま、この狭い伊豆で孤立し、西からの平家の大軍にあっという間に滅ぼされてしまいます。とにかく相模の土肥まで入らねばならんのです」
「わかっておる。だから明日にここを発つ。その前に祓ってから出陣したいと言ってるだけだ」
北条時政はあからさまな渋面を作ったものの引き下がった。佐殿が北条館を出るのに続いて住吉とヒメコも共に外に出る。
「住吉、ヒメコ、そなたらは逆夢の話をどう思う?」
問われ、ヒメコは住吉と目を合わせた。
「うたた寝が逆夢というのは私は聞いたことがありません」
ヒメコは嘘は苦手だ。思うまま正直に答えたら、住吉も黙って小さく頷いた。
「やはりそうか。舅殿は口がうまい。それが彼の最大の取り柄だが、時に信用がならないのだ」
佐殿は唇を噛むと、だが、と続けた。
「私にとっては大事な後ろ盾。とにかく、明日の神事は念入りに頼むぞ」
頷いて部屋へと戻るが、明日が出陣と思うとなかなか寝付けない。小さく祝詞を唱えながら目を閉じて過ごす。やっとウトウトしかけたと思った瞬間、悪夢を見て目覚めた。誰かが何かを叫んでいた。でも何と叫んでいただろうか。気付けば夜明け。明け方の夢は正夢になると祖母が言っていた。でも否定したくて首を横に振る。悪い夢は誰かに話すと消える。祖母はそう慰めてくれた。そうだ、誰かに聞いて貰えばいい。でも観音さま、アサ姫はここに居ない。では誰に?
佐殿には話せない。
それに具体的な夢ではなかった。ただ誰かが叫んだ声を聞いただけ。何と叫んでいたのだろうか。男の声だった。あの声はどこかで聞いたことがある気がするのだけれど。
でも声より、何と言っていたのかを思い出さないと。
でも思い出そうとすると消えていくのが夢。
ヒメコは諦めて起き上がると行李の中から小袋を取り出し、腰につけて北条館へと向かった。
その時、一本の木からバサバサと羽音がして、沢山の鳥たちが一斉に空へと飛び立った。烏だ。それも初めて見るくらい沢山のカラス。
「アッアッアッアッアッアッアー!」
短く鋭く、警戒を呼びかけるような声をあげて飛んでいく黒い影。青い空へとバラバラに散らばって逃げていく。蟻みたいだと思った瞬間、ヒメコは夢で聞いた言葉を思い出した。
散れ!バラバラに別れて逃げ延びろ!」
そう叫んでいた。でも、あれは誰の声だろうか?
聞いたことがある気はするけれど佐殿ではない。コシロ兄でも。父でも。では、四郎?違うような気がする。もっと太い声。では佐々木の兄のいずれだろうか。
いずれにしても今日合戦に出る男たちの誰かに違いない。
男たちが揃って頭を下げる中、佐殿は悠々と出て行った。
その夜、アサ姫は八幡姫と共に走湯権現の坊に身を隠した。神職の住吉と藤原邦通が従い、ヒメコも同行する予定だった。
だが直前になって住吉とヒメコは佐殿に呼ばれた。翌日に祓を行なってから後を追ように申し渡される。
北条館の奥の間。北条時政と並んで座りながら、佐殿は青ざめた顔で口を開いた。
「凶夢を見たのだ。暗闇の中、自刃の作法を教わる夢だ。現としか思えぬ、まことに生々しい夢だった」
不安気に呟く佐殿を、北条時政は笑い飛ばした。
「それは縁起のよい」
「縁起が良い?」
目を剥く佐殿。ヒメコと住吉も驚いて時政を見た。
「ええ。うたた寝で見る悪夢は逆夢になると聞きます。ご安心なさいませ。大事ございませぬ。この時政と相談した通り、安んじてご出立あれ。三浦と合流すれば大庭など恐るるに足りません。大勝利を掴んで平家に目に物見せてくれましょうぞ」
佐殿の肩に手を置いて、鷹揚な態度を取って見せる北条時政。佐殿は溜め息を一つ吐いて時政を睨んだ。
「逆夢とはな。まことにそうであればよいが」
時政は何もかもわかっていますよ、というような優しげな顔で何度か首を頷かせた後、一転して顔つきを変え、佐殿、と小さいながらも脅すような声を出して佐殿に詰め寄った。
「悪夢を見たからと合戦をやめるわけにはゆきませぬからな」
それからパッと身を離して明るげに笑って見せる。
「おやおや、そんな顔をしていては清和流源氏の名が泣きますぞ。さぁ、いい加減に肚を決めなされ。山木を討った以上、我らにはもう道は一つしかないのです。三浦の到着が遅れているのが心配なのでしょうが、ここでこれ以上もたもたしていたら、東から大庭と伊東の軍勢が合わせてやってきて、我らは三浦と合流出来ぬまま、この狭い伊豆で孤立し、西からの平家の大軍にあっという間に滅ぼされてしまいます。とにかく相模の土肥まで入らねばならんのです」
「わかっておる。だから明日にここを発つ。その前に祓ってから出陣したいと言ってるだけだ」
北条時政はあからさまな渋面を作ったものの引き下がった。佐殿が北条館を出るのに続いて住吉とヒメコも共に外に出る。
「住吉、ヒメコ、そなたらは逆夢の話をどう思う?」
問われ、ヒメコは住吉と目を合わせた。
「うたた寝が逆夢というのは私は聞いたことがありません」
ヒメコは嘘は苦手だ。思うまま正直に答えたら、住吉も黙って小さく頷いた。
「やはりそうか。舅殿は口がうまい。それが彼の最大の取り柄だが、時に信用がならないのだ」
佐殿は唇を噛むと、だが、と続けた。
「私にとっては大事な後ろ盾。とにかく、明日の神事は念入りに頼むぞ」
頷いて部屋へと戻るが、明日が出陣と思うとなかなか寝付けない。小さく祝詞を唱えながら目を閉じて過ごす。やっとウトウトしかけたと思った瞬間、悪夢を見て目覚めた。誰かが何かを叫んでいた。でも何と叫んでいただろうか。気付けば夜明け。明け方の夢は正夢になると祖母が言っていた。でも否定したくて首を横に振る。悪い夢は誰かに話すと消える。祖母はそう慰めてくれた。そうだ、誰かに聞いて貰えばいい。でも観音さま、アサ姫はここに居ない。では誰に?
佐殿には話せない。
それに具体的な夢ではなかった。ただ誰かが叫んだ声を聞いただけ。何と叫んでいたのだろうか。男の声だった。あの声はどこかで聞いたことがある気がするのだけれど。
でも声より、何と言っていたのかを思い出さないと。
でも思い出そうとすると消えていくのが夢。
ヒメコは諦めて起き上がると行李の中から小袋を取り出し、腰につけて北条館へと向かった。
その時、一本の木からバサバサと羽音がして、沢山の鳥たちが一斉に空へと飛び立った。烏だ。それも初めて見るくらい沢山のカラス。
「アッアッアッアッアッアッアー!」
短く鋭く、警戒を呼びかけるような声をあげて飛んでいく黒い影。青い空へとバラバラに散らばって逃げていく。蟻みたいだと思った瞬間、ヒメコは夢で聞いた言葉を思い出した。
散れ!バラバラに別れて逃げ延びろ!」
そう叫んでいた。でも、あれは誰の声だろうか?
聞いたことがある気はするけれど佐殿ではない。コシロ兄でも。父でも。では、四郎?違うような気がする。もっと太い声。では佐々木の兄のいずれだろうか。
いずれにしても今日合戦に出る男たちの誰かに違いない。
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