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第2章 源氏の白巫女
第13話 大道
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空には雲一つなく、真円の月が煌煌と辺りを照らし、木立の影を地に落とす夜。篝火の爆ぜる音とガチャガチャと刃金同士が擦れぶつかって鳴る音、馬の鐙の音が北条館に満ちていた。
庭に面した縁で、神職である住吉による祈祷が始まる。ヒメコはその手伝いをしていた。
祈祷が終わり、佐殿が立ち上がる。その隣に時政が並んだ。
二人は縁の端に立ち、庭に居並ぶ男たちの顔を見下ろす。
時政が口を開いた。
「佐殿、今宵は大社の祭りで人通りが多うございます。人に見咎められる恐れがありますので、裏の蛭島通りの小道を行きましょう」
その時、ヒメコは突然腕を引っ張られた気がした。
——シャラララ。シャラララ。
手にしていた鈴が高らかに鳴り響く。
「お、お前、何をしている!」
時政が目を剥いて睨みつけるが、ヒメコにもわけがわからない。
「裏はならぬ」
ヒメコの咽を使って何かが声を上げた。
「漢の文は詭羯あり、倭の教えは真鋭を説く。大道を往くべし」
自分の身から出ているとは思えない太く低い声。
住吉が振り返った。佐殿と目を合わせる。頷いた住吉に、佐殿は頷き返すとヒメコの後ろに立ち、声を張り上げた。
「八幡太郎義家公が大江卿より教わりし『闘戦経』に確かにそうある。この戦は天道に則った大事なる戦。裏道を往くことはならぬ。今すぐ大道を北上し、山木を討て!」
上がる歓声。続く閧の声。同時に男たちは雪崩をうったように駆け出した。
あらかじめ示し合わせていたのだろう。何人か残った男たちに佐殿が指令を下す。
「山木の首を取り次第、火をかけるよう命じてある。佐々木三郎盛綱、加藤景廉、そなたらはここで留守を守れ」
それから振り返って神職を見た。
住吉、そなたは戦場に赴き、北条殿の傍らに控えて戦勝の祈願を致せ。腹巻は着けておるな?」
頷いて男たちの後を追う住吉。後に続こうとしたヒメコの手が取られる。
「ヒメコ、そなたはいい。アサと姫の側につけ」
ヒメコが頷いて下がろうとした時、佐殿が縁の下に向かって続けた。
「小四郎、お前は住吉と共に北条殿の脇に控えて二人を護れ。いざの時までお前は中には踏み込むな。矢に気を付けろよ」
「承知」
短く答えて去るコシロ兄の背を見送り、ヒメコは中へと入る。先程までの喧騒が嘘のように静まり返った北条館に月光が明るく降り注いでいた。
佐殿は縁に立ったまま、真上に近付いた丸い月を眺め上げた。
「ヒメコ、『闘戦経』は小四郎から学んだのか?」
問われる。
「闘戦経?それって華厳経のようなものですか?」
ぼんやりと返したヒメコの答えはてんで的を外していたらしい。佐殿が噴き出す。
「そなた、自分が何を口にしたのか覚えてないのか?」
ヒメコは首を傾げた。身体がすごく重くなった記憶はある。何かの声がしたことも。でもそれを言葉にした記憶がない。
「まあ良い。気にするな。おまえに降りたモノが我らの味方か否かは直にわかる」
それきり佐殿はまた黙って月を見上げた。警護にと残された佐々木三郎と加藤がそんな佐殿をぼんやりと眺めている。
というより、佐々木三郎は既にグースカといびきをかいて眠っていた。でもそれもその筈。彼はこの朝に徒歩で北条に帰り着いたのだから。兄弟揃って仮眠はとっていたが疲れていないわけがない。
だが同じく徒歩で戻った四郎は、兄たちと共に戦場に出ている。ヒメコはそっと掌を合わせた。
水場ではアサ姫が戻ってくる男たちに振る舞う食事の指示をしている。八幡姫は眠そうな顔でアサ姫におぶわれていた。
ヒメコはアサ姫に代わって八幡姫をおぶうと歌を口ずさみながら、ひっそりと静まった屋敷内を歩き回った。
そうして暫く経った頃、寝ていた三郎の腹が大きく鳴った。同時に加藤景廉の腹も鳴る。
ヒメコは八幡姫をおぶったまま握り飯を受け取ってきて差し入れた。
「佐殿も召し上がりますか?」
聞くが、佐殿は縁に立ったまま答えずに上を見上げている。
「どうだ、火の手はまだ上がらぬか?」
誰に話しかけたんだろうとヒメコがそっと覗き込んだら、佐殿は物見櫓の上の誰かにそう尋ねていた。
「いえ、見えません。ここからだと山木の辺りは山に隠されちまって見えないんです」
子どもの声だった。
「ではその向こう、堤の辺りはどうだ?」
すると物見櫓の中で誰かが動いているのが見えた。小柄な男、いや子どもが物見櫓の手すりに足をかけ、もっと上へと登ろうとしている。驚いて悲鳴をあげかけたヒメコに、佐殿は落ち着けと言い置くと
「シンペイ、無理はするな。お前は木登りが得意だったな。物見櫓より木の方がもしかしたら見えるかも知れん。一旦そこからは下りて来い」
返事が聞こえて庭に姿を現したのは馬屋で会った少年だった。シンペイと呼ばれた少年は、ヒメコが縁に置いた握り飯を手に掴むと、あっという間にたいらげ、巻いた綱を肩にかけてスルスルと大木を登り始めた。
「慌てずともいい。落ちるなよ」
佐殿が声をかけると上の方から返事が聞こえた。
「綱で身体を幹に固定したから眠っちまったって大丈夫ですよ。ここはすげーよく見える。火が見え次第お知らせしますね」
でもシンペイの声はそれきりいつまで経っても聞こえてこない。
「おいおい、シンペイ、眠ってるんじゃないだろうな?」
佐殿が声をかけると、ガサガサと音がして、
「いえ、火はまだです」
寝ぼけたような声が返ってくる。綱で固定しているというから大丈夫なのだろうが、ヒメコは気が気ではない。
月はとうに真上を過ぎている。佐殿は部屋の中に足を踏み入れると、三郎盛綱と加藤景廉に声をかけた。
二人が跳ね起きる。
「ここはもういい。お前達も山木に行け。景廉、これを持って行くがいい。確実に山木の首を取って戻ってくるんだぞ」
言って、壁に掛けてあった長刀を渡す。すると三郎盛綱が叫んだ。
「わ、いいな!佐殿、俺には?俺にも刀か何かくださいよ」
佐殿はチラと辺りを見回したが、それらしいものは見つからなかったようだ。
「生憎、もう何も無い。馬も出払ってるから走って行け。首尾よく首をとってきたら、いずれ何かやる」
「えー、ひでー!」
悲鳴をあげつつ駆け去る三郎盛綱。
誰もいなくなった屋敷はしんと静まり返った。
庭に面した縁で、神職である住吉による祈祷が始まる。ヒメコはその手伝いをしていた。
祈祷が終わり、佐殿が立ち上がる。その隣に時政が並んだ。
二人は縁の端に立ち、庭に居並ぶ男たちの顔を見下ろす。
時政が口を開いた。
「佐殿、今宵は大社の祭りで人通りが多うございます。人に見咎められる恐れがありますので、裏の蛭島通りの小道を行きましょう」
その時、ヒメコは突然腕を引っ張られた気がした。
——シャラララ。シャラララ。
手にしていた鈴が高らかに鳴り響く。
「お、お前、何をしている!」
時政が目を剥いて睨みつけるが、ヒメコにもわけがわからない。
「裏はならぬ」
ヒメコの咽を使って何かが声を上げた。
「漢の文は詭羯あり、倭の教えは真鋭を説く。大道を往くべし」
自分の身から出ているとは思えない太く低い声。
住吉が振り返った。佐殿と目を合わせる。頷いた住吉に、佐殿は頷き返すとヒメコの後ろに立ち、声を張り上げた。
「八幡太郎義家公が大江卿より教わりし『闘戦経』に確かにそうある。この戦は天道に則った大事なる戦。裏道を往くことはならぬ。今すぐ大道を北上し、山木を討て!」
上がる歓声。続く閧の声。同時に男たちは雪崩をうったように駆け出した。
あらかじめ示し合わせていたのだろう。何人か残った男たちに佐殿が指令を下す。
「山木の首を取り次第、火をかけるよう命じてある。佐々木三郎盛綱、加藤景廉、そなたらはここで留守を守れ」
それから振り返って神職を見た。
住吉、そなたは戦場に赴き、北条殿の傍らに控えて戦勝の祈願を致せ。腹巻は着けておるな?」
頷いて男たちの後を追う住吉。後に続こうとしたヒメコの手が取られる。
「ヒメコ、そなたはいい。アサと姫の側につけ」
ヒメコが頷いて下がろうとした時、佐殿が縁の下に向かって続けた。
「小四郎、お前は住吉と共に北条殿の脇に控えて二人を護れ。いざの時までお前は中には踏み込むな。矢に気を付けろよ」
「承知」
短く答えて去るコシロ兄の背を見送り、ヒメコは中へと入る。先程までの喧騒が嘘のように静まり返った北条館に月光が明るく降り注いでいた。
佐殿は縁に立ったまま、真上に近付いた丸い月を眺め上げた。
「ヒメコ、『闘戦経』は小四郎から学んだのか?」
問われる。
「闘戦経?それって華厳経のようなものですか?」
ぼんやりと返したヒメコの答えはてんで的を外していたらしい。佐殿が噴き出す。
「そなた、自分が何を口にしたのか覚えてないのか?」
ヒメコは首を傾げた。身体がすごく重くなった記憶はある。何かの声がしたことも。でもそれを言葉にした記憶がない。
「まあ良い。気にするな。おまえに降りたモノが我らの味方か否かは直にわかる」
それきり佐殿はまた黙って月を見上げた。警護にと残された佐々木三郎と加藤がそんな佐殿をぼんやりと眺めている。
というより、佐々木三郎は既にグースカといびきをかいて眠っていた。でもそれもその筈。彼はこの朝に徒歩で北条に帰り着いたのだから。兄弟揃って仮眠はとっていたが疲れていないわけがない。
だが同じく徒歩で戻った四郎は、兄たちと共に戦場に出ている。ヒメコはそっと掌を合わせた。
水場ではアサ姫が戻ってくる男たちに振る舞う食事の指示をしている。八幡姫は眠そうな顔でアサ姫におぶわれていた。
ヒメコはアサ姫に代わって八幡姫をおぶうと歌を口ずさみながら、ひっそりと静まった屋敷内を歩き回った。
そうして暫く経った頃、寝ていた三郎の腹が大きく鳴った。同時に加藤景廉の腹も鳴る。
ヒメコは八幡姫をおぶったまま握り飯を受け取ってきて差し入れた。
「佐殿も召し上がりますか?」
聞くが、佐殿は縁に立ったまま答えずに上を見上げている。
「どうだ、火の手はまだ上がらぬか?」
誰に話しかけたんだろうとヒメコがそっと覗き込んだら、佐殿は物見櫓の上の誰かにそう尋ねていた。
「いえ、見えません。ここからだと山木の辺りは山に隠されちまって見えないんです」
子どもの声だった。
「ではその向こう、堤の辺りはどうだ?」
すると物見櫓の中で誰かが動いているのが見えた。小柄な男、いや子どもが物見櫓の手すりに足をかけ、もっと上へと登ろうとしている。驚いて悲鳴をあげかけたヒメコに、佐殿は落ち着けと言い置くと
「シンペイ、無理はするな。お前は木登りが得意だったな。物見櫓より木の方がもしかしたら見えるかも知れん。一旦そこからは下りて来い」
返事が聞こえて庭に姿を現したのは馬屋で会った少年だった。シンペイと呼ばれた少年は、ヒメコが縁に置いた握り飯を手に掴むと、あっという間にたいらげ、巻いた綱を肩にかけてスルスルと大木を登り始めた。
「慌てずともいい。落ちるなよ」
佐殿が声をかけると上の方から返事が聞こえた。
「綱で身体を幹に固定したから眠っちまったって大丈夫ですよ。ここはすげーよく見える。火が見え次第お知らせしますね」
でもシンペイの声はそれきりいつまで経っても聞こえてこない。
「おいおい、シンペイ、眠ってるんじゃないだろうな?」
佐殿が声をかけると、ガサガサと音がして、
「いえ、火はまだです」
寝ぼけたような声が返ってくる。綱で固定しているというから大丈夫なのだろうが、ヒメコは気が気ではない。
月はとうに真上を過ぎている。佐殿は部屋の中に足を踏み入れると、三郎盛綱と加藤景廉に声をかけた。
二人が跳ね起きる。
「ここはもういい。お前達も山木に行け。景廉、これを持って行くがいい。確実に山木の首を取って戻ってくるんだぞ」
言って、壁に掛けてあった長刀を渡す。すると三郎盛綱が叫んだ。
「わ、いいな!佐殿、俺には?俺にも刀か何かくださいよ」
佐殿はチラと辺りを見回したが、それらしいものは見つからなかったようだ。
「生憎、もう何も無い。馬も出払ってるから走って行け。首尾よく首をとってきたら、いずれ何かやる」
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