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第2章 源氏の白巫女
第8話 さざなみ
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翌日、佐殿がやって来て、巫女の格好で北条館へ来いと言う。卜占を行なうので、佐伯という先頃抱えた神職の手伝いをしろとのこと。ヒメコは白の水干と緋袴を着け、鈴を手に北条屋敷を訪れた。「卜占の前に場を浄めるので、私が祝詞を奏上し終わったら鈴で祓い清めて下さい」
元々は筑前住吉の神官だったが、何故か伊豆に流され、佐殿に仕えたいと志願してきたと聞いていたが、その経歴から想像していたより穏やかな人柄のようだったことにヒメコはホッとする。その場に居合わせたのは、佐殿と藤原邦通、そして初の顔見となったが、北条時政と思われる男だった。年齢は四十を少し過ぎくらいだろうか。アサ姫、三の姫がよく狸親父と言っていたのでそういう印象でいたが、狸というよりも狐に似た感じの、細面で如才のなさそうな目の鋭い人だった。
卜占の結果、来たる十七日が山木攻めと決定した。残り十日程しかなかった。
その日から、佐殿は自分の屋敷の広間に男たちを一人ずつ呼び寄せて、合戦の話などを熱く語りながら、
「ここだけの話、そなただけが頼りなのだ。何としても頼む」
と涙ながらに訴えていた。
そなただけが、という言葉を何度も相手を変えて口にする佐殿。ヒメコは微かな違和感は感じつつ、佐殿らしいなと、そっと思った。同じ言葉を繰り返しつつ、その熱は高く、毎回真剣そのもの。佐殿はそういう人なのだ。嘘を言ってるわけではなく悪気があるのでもなく、相手を目の前にすると心の底からそう思って、そのまま口にしてしまうのだ。それが佐殿の良い所でもあり罪な所でもある。そうやって人を巻き込むのが上手なのだ。過去、それで何度もヤキモキした経験のあるヒメコはそっと嘆息しつつ、武者達の無事を心の中で祈った。
佐殿に呼ばれていたのは、工藤、土肥、岡崎、宇佐美、加藤など。佐々木の三郎も呼ばれていた。四郎のすぐ上の兄なのだろう。でも四郎が呼ばれたかはよくわからなかった。また、北条の三郎やコシロ兄は呼ばれなかったようだった。身内だからだろうか。
数日後の朝、ヒメコが五郎の水干と袴で辺りを掃除して掃き清めていた時、佐殿が馬屋まで出て来て、四郎と、その兄らしき人に声をかけた。
「甲冑を取りに帰るだと?」
「はい。父が甲冑を兄弟四人分用意してくれたそうなのです。それで、一度取りに戻って来いと」
「しかし出陣まであと僅かだぞ」
「渋谷庄までは何度も通い慣れた道。往復二日あれば余裕で戻ってこられます」
だが三郎と四郎が出かけた日に、佐々木の長男、太郎定綱が北条に到着し、佐殿と話し込んでいた。
「大庭殿の所に渋谷の親父殿が呼ばれたそうです。北条と比企が謀反を企らんでいるらしいので確かめろと京から文があったとのこと。父はそれを渋谷殿から内々に聞き、佐殿に急いでお伝えするように私をこちらに寄越しました」
「そうか。比企殿は既に亡くなられて久しいのに、どうも京では情報が混乱しているようだな」
「ええ。ただ、渋谷殿は大庭殿に恩があり、今の時点では佐殿に馳せ参じることはできないと」
「大庭はやはり平家方か」
「大庭殿はもう十数年も平家一門の忠実な家人としてつとめておられますから。恐らく近隣の平家方の武士をまとめての大将として佐殿とぶつかることになるかと思われます」
「そうか」
「でも先ずは緒戦。十七日が決行の日と聞きましたが、間違いございませんか?」
「ああ、そう決めた。早朝に攻め入る。そなたはそれまで休め」
耳に入ってくる二人の会話を聞くように聞かぬようにしながら、ヒメコはひたすら手を合わせて祈った。
決戦の日まであと六日となっていた。
決戦の三日前の朝、佐々木の太郎定綱が父への報告の為、また自身の甲冑を取る為に佐殿の反対を押し切って渋谷へと戻った。三郎と四郎はまだ戻って来ていない。苛々と歩き回る佐殿の気配に、隣の部屋のヒメコも何だか落ち着かない。落ち着かない時にすることは掃除くらいしか思いつかなかった。五郎の水干と袴を着けて外へ出る。箒を手に無心に掃いていたら、あら、と声をかけられた。
「五郎君?じゃないわね。どこの子?新しい下働きの子かしら?」
顔を上げたら、北条館の庭に面した縁に華やかな色の袿をたくさん重ねた女性が顔を覗かせていた。
もしや、この人が北条殿が後妻に迎えたという女の人?
若い。アサ姫と同じ年と聞いてはいたが、それより幾分年下、というよりも幼い印象を覚える。
「ちょうどいいわ。殿がお呼びなの。馬屋に行って、そこの番をしてるアレ。ほら、あのだんまりの次男坊を呼んで来てちょうだい」
そう言って、袿の裾を引きずって奥へと下がっていく。
次男坊?アレ?
それが誰を指してるかなんてすぐわかるけど。でも。
ヒメコは口を引き結ぶと箒をズルズルと引きずって鼻息荒く馬屋へと向かった。
「江間小四郎義時様、いらっしゃいますか?」
大きな声をかけて入れば、入り口の所にいた少年が驚いた顔で脇にどき、奥へと顔を向けた。
元々は筑前住吉の神官だったが、何故か伊豆に流され、佐殿に仕えたいと志願してきたと聞いていたが、その経歴から想像していたより穏やかな人柄のようだったことにヒメコはホッとする。その場に居合わせたのは、佐殿と藤原邦通、そして初の顔見となったが、北条時政と思われる男だった。年齢は四十を少し過ぎくらいだろうか。アサ姫、三の姫がよく狸親父と言っていたのでそういう印象でいたが、狸というよりも狐に似た感じの、細面で如才のなさそうな目の鋭い人だった。
卜占の結果、来たる十七日が山木攻めと決定した。残り十日程しかなかった。
その日から、佐殿は自分の屋敷の広間に男たちを一人ずつ呼び寄せて、合戦の話などを熱く語りながら、
「ここだけの話、そなただけが頼りなのだ。何としても頼む」
と涙ながらに訴えていた。
そなただけが、という言葉を何度も相手を変えて口にする佐殿。ヒメコは微かな違和感は感じつつ、佐殿らしいなと、そっと思った。同じ言葉を繰り返しつつ、その熱は高く、毎回真剣そのもの。佐殿はそういう人なのだ。嘘を言ってるわけではなく悪気があるのでもなく、相手を目の前にすると心の底からそう思って、そのまま口にしてしまうのだ。それが佐殿の良い所でもあり罪な所でもある。そうやって人を巻き込むのが上手なのだ。過去、それで何度もヤキモキした経験のあるヒメコはそっと嘆息しつつ、武者達の無事を心の中で祈った。
佐殿に呼ばれていたのは、工藤、土肥、岡崎、宇佐美、加藤など。佐々木の三郎も呼ばれていた。四郎のすぐ上の兄なのだろう。でも四郎が呼ばれたかはよくわからなかった。また、北条の三郎やコシロ兄は呼ばれなかったようだった。身内だからだろうか。
数日後の朝、ヒメコが五郎の水干と袴で辺りを掃除して掃き清めていた時、佐殿が馬屋まで出て来て、四郎と、その兄らしき人に声をかけた。
「甲冑を取りに帰るだと?」
「はい。父が甲冑を兄弟四人分用意してくれたそうなのです。それで、一度取りに戻って来いと」
「しかし出陣まであと僅かだぞ」
「渋谷庄までは何度も通い慣れた道。往復二日あれば余裕で戻ってこられます」
だが三郎と四郎が出かけた日に、佐々木の長男、太郎定綱が北条に到着し、佐殿と話し込んでいた。
「大庭殿の所に渋谷の親父殿が呼ばれたそうです。北条と比企が謀反を企らんでいるらしいので確かめろと京から文があったとのこと。父はそれを渋谷殿から内々に聞き、佐殿に急いでお伝えするように私をこちらに寄越しました」
「そうか。比企殿は既に亡くなられて久しいのに、どうも京では情報が混乱しているようだな」
「ええ。ただ、渋谷殿は大庭殿に恩があり、今の時点では佐殿に馳せ参じることはできないと」
「大庭はやはり平家方か」
「大庭殿はもう十数年も平家一門の忠実な家人としてつとめておられますから。恐らく近隣の平家方の武士をまとめての大将として佐殿とぶつかることになるかと思われます」
「そうか」
「でも先ずは緒戦。十七日が決行の日と聞きましたが、間違いございませんか?」
「ああ、そう決めた。早朝に攻め入る。そなたはそれまで休め」
耳に入ってくる二人の会話を聞くように聞かぬようにしながら、ヒメコはひたすら手を合わせて祈った。
決戦の日まであと六日となっていた。
決戦の三日前の朝、佐々木の太郎定綱が父への報告の為、また自身の甲冑を取る為に佐殿の反対を押し切って渋谷へと戻った。三郎と四郎はまだ戻って来ていない。苛々と歩き回る佐殿の気配に、隣の部屋のヒメコも何だか落ち着かない。落ち着かない時にすることは掃除くらいしか思いつかなかった。五郎の水干と袴を着けて外へ出る。箒を手に無心に掃いていたら、あら、と声をかけられた。
「五郎君?じゃないわね。どこの子?新しい下働きの子かしら?」
顔を上げたら、北条館の庭に面した縁に華やかな色の袿をたくさん重ねた女性が顔を覗かせていた。
もしや、この人が北条殿が後妻に迎えたという女の人?
若い。アサ姫と同じ年と聞いてはいたが、それより幾分年下、というよりも幼い印象を覚える。
「ちょうどいいわ。殿がお呼びなの。馬屋に行って、そこの番をしてるアレ。ほら、あのだんまりの次男坊を呼んで来てちょうだい」
そう言って、袿の裾を引きずって奥へと下がっていく。
次男坊?アレ?
それが誰を指してるかなんてすぐわかるけど。でも。
ヒメコは口を引き結ぶと箒をズルズルと引きずって鼻息荒く馬屋へと向かった。
「江間小四郎義時様、いらっしゃいますか?」
大きな声をかけて入れば、入り口の所にいた少年が驚いた顔で脇にどき、奥へと顔を向けた。
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