【完結】姫の前

やまの龍

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第2章 源氏の白巫女

第6話 没頭

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 祈りながら待った数日後、邦通が無事戻って来た。ヒメコの部屋の隣の広間に人々が集められる。
「これは見事な」
佐殿が一声唸るが、その後が続かない。他の面々も押し黙る中、邦通が声を発した。
「入り口の堅固なことは言うまでもありませんが、中にこのように村まで抱え込んでいるとは私も思いませんでした。これは館にあらず。籠城も可能な、立派な山城でございました」
また続く沈黙。
「どうしますかな?」
知らない男の声。
「どうするもこうするもない。京では例の令旨を手にした源氏をことごとく討つよう命が下され、以仁王討伐の為にと京に集められていた東国武士たちが戻って来つつある。彼らの準備が整わない内に山木を叩かねば、以仁王様と頼政公の努力が無駄になってしまう。今しか立ち上がる時はない」
「三浦と和田、工藤、土肥は加勢を約してくれました。だが、波多野と山内は当てになりません。上総は一応話を合わせてくれていますが、彼は油断のならない男。状況次第でしょう」
 広間の声はヒメコの部屋には筒抜けだ。緊迫した状況にヒメコは息を詰めて時を過ごした。ややして男たちが去って静かな夜が来ると、ヒメコはホッとして蔀戸の向こうに霞む月を眺めて手を合わせた。

翌朝、ヒメコが掃除をしに庭に出ると、そこには邦通の姿があった。邦通はヒメコを認めると立ち上がって軽く礼をしてくれた。

「巫女殿のおかげで無事にお役目果たせましたぞ。お礼申し上げる」
 そう言って、懐から差し上げた紙のお札を取り出した。細く折り畳んで手渡したお札。渡したそのままの形で戻ってきた。
「しかし、何故札をこのように折られたのですか?受け取った時には、よもや恋文ではと心ときめきましたぞ」
笑いながらそう言われ、ヒメコは慌てて弁解した。
「弁天さまは蛇と関わりが深いので、蛇を模したのです」
邦通はなるほど、と頷いてお札を両掌で挟んで頭上に捧げ上げるとヒメコへと返した。ヒメコはそれを大事に預かる。神棚でお礼を申し上げた後に川に流そう。

「ところで、こんな朝早くに何をなさってたのですか?」
ヒメコが問えば、邦通は、ああ、と足元に置いてあった布包みの結び目を少し解いて見せてくれた。
「菊の芽です。植え替えにはちと時期が悪いが、山木殿の屋敷に見事な菊がありましてな。枝ぶりなどを褒めました所、少し分けてくれたのですよ。丁度、白拍子の名も白菊という名だったゆえ」
そう言って、懐の中から懐紙を取り出してヒメコに開いて見せてくれた。
「まぁ、なんて美しい」
それは見事な枝ぶりの菊の鉢と扇子を持って佇む白拍子の絵だった。
「それはほんの下絵で、仕上げたものは山木殿に差し上げてしまいましたが、菊が美しいでしょう?秋に咲く所を見られないのが残念なくらいに見事な一本でした」
見られない。それは山木と一戦まじえるからか。ヒメコは理解して黙した。


 邦通は菊の芽を大事に取り出すと、掘り返した土の上にそっと置いて土をかけていった。
「私は本当は花が、ことに菊が大好きなのです。菊の絵なら一日中描いていても飽きない。本当は庭師になりたかったのですよ。だが、それでは出世出来ぬとうるさくて。でも生来人と争うのは好きではないのです。楽しい会話はいいが、世辞や口論、権力争いや派閥は苦手。おかげで都ではあぶれましてな。放浪の旅に出た所を藤九郎殿の口利きで佐殿に仕えたわけです。まぁ、此度の役目は想定外でしたが、無事に終えた今では楽しい経験になりました」
淡々と語っていた邦通が、そう言えばと顔を上げた。
「巫女殿は何がお好きですか?
「え?好きなもの?」
 パッと浮かんだのはコシロ兄の顔。でもフルフルと首を振る。邦通は続けた。
「食べる間、眠る間を割いてでもやりたいと思えるような没頭出来ることです。ありますか?」
ヒメコは首を傾げた。そんなもの、自分にあるだろうか?物心ついた時から祖母と一緒に修行修行で、好きなものというのがよくわからない。
「好きなものなんて特にありません。よくわかりません」
素直に答える。
あ。でもふと思いついてヒメコは口を開いた。
「声を出すことは好きです。祈りを口にすること、歌を歌うこと、鈴を鳴らすのも。でも」
言い淀む。でも思い切って口にした。
「でも母が、姫とは声や音を立てぬものだと。はしたないと怒るので、いつか声を出すのが怖くなりました」
邦通は微笑んで頷いた。
「親というのは有難く、また煩わしいものですね。きっとそれも縁なのでしょうが、ここは武家の屋敷。都でもご実家でもないのですから、声や音はお好きなだけ出して構わないと私は思いますよ。こちらの一の姫はじめ、武家の女性は強く逞しい。巫女殿が母君の言葉を忘れるくらい没頭出来ることが見つかりますよう」
そう言って邦通は植えた菊の芽を優しく撫でると立ち上がった。
ヒメコも掃除を再開しようと立ち上がる。その時、小鳥が一羽、ピピュンと鳴いて羽ばたいた。胸の白い綺麗な鳥。何だろう?ヒメコはそっと手を差し伸べた。祈りを小さく口にする。小鳥がそれに合わせるように枝えだの間を軽やかに飛び回る。ピョン、ピョン。
可愛い。思わず笑みが零れる。小鳥のさえずりに合わせてチョンチョンと跳ねてみる。一緒に歌って踊ってるみたいで楽しくなる。ヒメコは伸ばした手をゆっくりと動かして、鳥を撫でるように枝を揺らすようにくるりと体を回転させた。蝶が飛んできてひらひらと舞い踊る。ヒメコもそれを追うようにひらひらと腕を回し、くるりと回転した。

 と、着物に足がもつれて均衡を崩す。
「わっ、たっ、たっ、た」
チョンチョンと片足とびで何とか踏ん張り、両足をついて体勢を戻しかけた時、突如腕を掴まれた。驚いて振り返ろうとした時、足元がガラリと音を立てて崩れた。目の前に迫る土塀。激突しそうになった所を引っ張り戻される。

「何をやっている」

低い声。驚いて見上げればコシロ兄だった。
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