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第2章 源氏の白巫女
第5話 戦の始まり
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ヒメコはいたたまれず口を開いた。
「私はヒメコです。比企の者。穢れは懸命に祓いますから、どうかお二人が仲違いするのはやめてください。合戦の士気に関わります。今、一番大事なことは緒戦を勝ち抜くこと。それだけに集中するべきではないですか?」
そう紡いだら、コシロ兄はじろっとヒメコを睨んだ。その隣で四郎がくっと笑う。
「言われたな。比企のヒメコか。わかった、誓うよ。小四郎と仲良く力を合わせて勝ちを取ってくりゃいいんだろ?きっと穢れて帰って来るだろうから、その時はあんたが祓ってくれよな」
ヒメコは諾の返事をして佐殿の屋敷へと向かった。途中でチラと振り返ったら、コシロ兄と四郎がこちらを見ていた。ヒラヒラと手を振る四郎に軽く頭を下げて、また背を向ける。
土で汚れてしまった竹箒の柄を綺麗に洗い流して元の場所に戻しながら、ヒメコは馬屋の横の惣門を見返した。土塀の向こうに広がる緑の山々。賑やかに響く蝉の声。その声を聴きながらヒメコは佐殿がコシロ兄と五郎に言っていた言葉を思い出していた。
「我らの大願叶うまで、彼女に穢れを近付けないよう護れ。ヒメコは比企の尼君からの大事な預かり物だからな。ゆめゆめ忘れるなよ」
それでコシロ兄はああやって四郎が近付くのを阻止してくれたのかと今更納得する。
——でも。
大願って何だろう?いつ叶うんだろう?それがきちんと叶うまで、きっとコシロ兄が自分に話しかけてくれることはないのだということを実感する。寂しいと思った。近くに居るのにとても遠いとも。
でも、いつかきっとまた話せる日が来る。戦が終わって佐殿の願いが叶って。だから、それまでは精一杯祓って祓って祓い続けるしか自分に出来ることはない。
「巫女に出来るのはそれくらいさ」
祖母の声が聴こえる気がする。
「はい、懸命に祓います」
ヒメコは胸の中で誓った。
フゥ、と大きく息を吐き、胸一杯に新しい気を入れて肚へと落とし込むと、えいと気合いを入れて佐殿の屋敷へ入った。
だが部屋に戻って落ち着く間もなく、佐殿が藤原邦通を伴って訪ねてきた。
「ヒメコ、邦通がそなたに頼みがあるそうだ」
佐殿の隣に腰を下ろしてヒメコを見た邦通は、今までの彼とは違い、どこか気が張りつめていた。
「実は、この度、ここらの代官になった山木殿の屋敷を訪問することになりましてな。その際に白拍子を一人連れて行きますので、彼女と共に無事に戻れるよう安全祈願を願いたいのです」
「安全祈願、ですか」
事態が吞み込めず繰り返したヒメコに佐殿が足した。
「邦通には偵察に行って貰うのだ。平家打倒の始まりの一手は、平相国の義弟である平時忠の推薦でここの代官となった山木兼隆の首と定めた。だが、あの土地は周りを崖で囲まれた要害の地。また聞く所によると、山木の後ろ盾となっているのが堤という男で、武芸に優れているらしく、山木の館の設計にも携わったとか。どうも容易に攻め込める場ではないようなので内部を探る必要がある。そこで、この邦通を送り込み、敷地内の様子を絵図に描かせ、警護の者達の様子も見て来て貰うのだ」
「内偵、ですか」
危険な役目であることは明白。でもこの邦通はおっとりとして、どう見ても武はたちそうにない。万一怪しまれるようなことがあれば、すぐに殺されてしまうだろう。眉を寄せたヒメコに、邦通はそっと微笑を返した。
「私は京の出で、多少まだ繋がりがありますからな。また、ここ東国には遊興の趣向が少ない。そろそろ山木殿も京の風情を楽しみたい頃かと。そこで伝手を辿って、馴染みの白拍子を呼び寄せ、助力を頼みました。彼女と共に酒宴に招かれ、得意の絵でお役に立とうという話なのですよ」
ヒメコは少し迷って佐殿を見た。
「私で良いのでしょうか?合戦の為に、先頃新たに神職をお召し抱えになったと聞きました」
それに対し、邦通が代わりに答えた。
「いいえ。私の役目は戦うことではなく、宴で歌い楽しみ、絵を描くこと。ならば、遊芸の女神、弁天さまにご加護を願うのが良いかと、同じ女性である巫女様に祈願をお願いに参った次第なのです」
佐殿は黙ったままヒメコに頷いて見せる。ヒメコは手をついて深く頭を下げた。
「承知いたしました。お二人が無事にお役目を果たせますよう精一杯祈らせて頂きます」
山木の地は、北条から北の方角、山崖を背に木々に隠された土地。だから山木という地名が付いたと聞いた。韮山の北条館からは三嶋大社や箱根の関に出る際に必ず通らねばならぬ地。そこを押さえられるかどうかが今後の佐殿の戦に大きく影響するのは確実だった。
「私はヒメコです。比企の者。穢れは懸命に祓いますから、どうかお二人が仲違いするのはやめてください。合戦の士気に関わります。今、一番大事なことは緒戦を勝ち抜くこと。それだけに集中するべきではないですか?」
そう紡いだら、コシロ兄はじろっとヒメコを睨んだ。その隣で四郎がくっと笑う。
「言われたな。比企のヒメコか。わかった、誓うよ。小四郎と仲良く力を合わせて勝ちを取ってくりゃいいんだろ?きっと穢れて帰って来るだろうから、その時はあんたが祓ってくれよな」
ヒメコは諾の返事をして佐殿の屋敷へと向かった。途中でチラと振り返ったら、コシロ兄と四郎がこちらを見ていた。ヒラヒラと手を振る四郎に軽く頭を下げて、また背を向ける。
土で汚れてしまった竹箒の柄を綺麗に洗い流して元の場所に戻しながら、ヒメコは馬屋の横の惣門を見返した。土塀の向こうに広がる緑の山々。賑やかに響く蝉の声。その声を聴きながらヒメコは佐殿がコシロ兄と五郎に言っていた言葉を思い出していた。
「我らの大願叶うまで、彼女に穢れを近付けないよう護れ。ヒメコは比企の尼君からの大事な預かり物だからな。ゆめゆめ忘れるなよ」
それでコシロ兄はああやって四郎が近付くのを阻止してくれたのかと今更納得する。
——でも。
大願って何だろう?いつ叶うんだろう?それがきちんと叶うまで、きっとコシロ兄が自分に話しかけてくれることはないのだということを実感する。寂しいと思った。近くに居るのにとても遠いとも。
でも、いつかきっとまた話せる日が来る。戦が終わって佐殿の願いが叶って。だから、それまでは精一杯祓って祓って祓い続けるしか自分に出来ることはない。
「巫女に出来るのはそれくらいさ」
祖母の声が聴こえる気がする。
「はい、懸命に祓います」
ヒメコは胸の中で誓った。
フゥ、と大きく息を吐き、胸一杯に新しい気を入れて肚へと落とし込むと、えいと気合いを入れて佐殿の屋敷へ入った。
だが部屋に戻って落ち着く間もなく、佐殿が藤原邦通を伴って訪ねてきた。
「ヒメコ、邦通がそなたに頼みがあるそうだ」
佐殿の隣に腰を下ろしてヒメコを見た邦通は、今までの彼とは違い、どこか気が張りつめていた。
「実は、この度、ここらの代官になった山木殿の屋敷を訪問することになりましてな。その際に白拍子を一人連れて行きますので、彼女と共に無事に戻れるよう安全祈願を願いたいのです」
「安全祈願、ですか」
事態が吞み込めず繰り返したヒメコに佐殿が足した。
「邦通には偵察に行って貰うのだ。平家打倒の始まりの一手は、平相国の義弟である平時忠の推薦でここの代官となった山木兼隆の首と定めた。だが、あの土地は周りを崖で囲まれた要害の地。また聞く所によると、山木の後ろ盾となっているのが堤という男で、武芸に優れているらしく、山木の館の設計にも携わったとか。どうも容易に攻め込める場ではないようなので内部を探る必要がある。そこで、この邦通を送り込み、敷地内の様子を絵図に描かせ、警護の者達の様子も見て来て貰うのだ」
「内偵、ですか」
危険な役目であることは明白。でもこの邦通はおっとりとして、どう見ても武はたちそうにない。万一怪しまれるようなことがあれば、すぐに殺されてしまうだろう。眉を寄せたヒメコに、邦通はそっと微笑を返した。
「私は京の出で、多少まだ繋がりがありますからな。また、ここ東国には遊興の趣向が少ない。そろそろ山木殿も京の風情を楽しみたい頃かと。そこで伝手を辿って、馴染みの白拍子を呼び寄せ、助力を頼みました。彼女と共に酒宴に招かれ、得意の絵でお役に立とうという話なのですよ」
ヒメコは少し迷って佐殿を見た。
「私で良いのでしょうか?合戦の為に、先頃新たに神職をお召し抱えになったと聞きました」
それに対し、邦通が代わりに答えた。
「いいえ。私の役目は戦うことではなく、宴で歌い楽しみ、絵を描くこと。ならば、遊芸の女神、弁天さまにご加護を願うのが良いかと、同じ女性である巫女様に祈願をお願いに参った次第なのです」
佐殿は黙ったままヒメコに頷いて見せる。ヒメコは手をついて深く頭を下げた。
「承知いたしました。お二人が無事にお役目を果たせますよう精一杯祈らせて頂きます」
山木の地は、北条から北の方角、山崖を背に木々に隠された土地。だから山木という地名が付いたと聞いた。韮山の北条館からは三嶋大社や箱根の関に出る際に必ず通らねばならぬ地。そこを押さえられるかどうかが今後の佐殿の戦に大きく影響するのは確実だった。
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